072 ヴァルディガとイゼリア
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イゼリアたち50体の悪魔は、ペルシェから大分離れた山の中にある使われてない屋敷にいた。
「ダメだ。入口も裏口も、窓どころか通気口まで塞がれてやがる」
背が高く、半身がほぼ毛で覆われた男悪魔が言う。
「チッ。あのオクルスっていう商人の仕業スか」
踊り場の階段に腰掛けているリヴェカが爪を噛んだ。
「結界はそれほど強いものじゃないネ。けど、あのマジックアイテムが効果を高めているわネ」
柱に寄りかかったノーリスが気怠そうに言う。
「どーするスよ? イゼリア姉ェ。このまま本当に人間なんかに従ったままでいーのかよ?」
2階の欄干で脚を組んでいるイゼリアは、ジロリと階下の悪魔たちを見やった。
「イゼリア様! 俺等は覚悟はできてますぜ!」
「お命じ下さい! 命を投げ打ち、誇りを見せろと!」
男悪魔たちは次々と威勢のよい声を上げる。
「腕輪の力は強力。だけれど完璧なものではないネ。一斉に掛かれば必ず綻びが生じるヨ…」
「なら、やるしかねーじゃねぇスか! 上位悪魔が舐められたらお終いスよ!!」
リヴェカとノーリスが期待を込めた目を向けるが、イゼリアは特に反応を示さなかった。
「どうしちまったんスか? イゼリア姉ェ…」
「姉様。なにか気に掛かるところでも?」
ふたりが問い掛けるのに、イゼリアはようやく2階の欄干から飛び降りて来る。
「テメーらはなにも変に思わないのか? なんでオレさまたちを“飼う”ような真似をするのか」
「人間にはそういう趣向を持つ者も珍しくはないですよネ?」
「だからと言って50匹もか? それに女型に興味があるってんなら、男型まで必要とする理由がわかんねぇ」
「……単に男にも興味あるってことじゃねえスか?」
リヴェカが八重歯を出して笑い、男悪魔たちを見やると、彼らは複雑そうに互いを見やった。
「そんな感じにゃ思えなかったがな」
ヴァルディガたちの下卑た笑みを思い出し、イゼリアは目を細める。
「ならワイらを必要としたのはなにか別の目的が…」
「その通りだぜ」
入口から堂々と、ヴァルディガがドゥマを伴って入って来る。周囲の悪魔たちは警戒して身構えた。
「あ、アニキィ…」
「黙ってろ。んなにビビってんならついて来なくていいと言ったろうが」
腰元にしがみつくドゥマを、ヴァルディガは面倒くさそうに払う。
「ヴァルディガ。テメー、本当にオレさまたちを支配下に置けたと勘違いしてんじゃねぇよな?」
「勘違いもなにもよ、現にお前らは俺には逆らえねぇだろ?」
手首に巻いたリングをチャラチャラとさせ、ヴァルディガが笑うのに、イゼリアたちは苛立ちを露わにする。
「……オレさまたちになにをさせたい?」
「そうそう。人間も悪魔も素直が一番だぜ」
剣呑な雰囲気の中、ヴァルディガだけがニヤニヤと笑う。
「契約もなしに悪魔を従えようと考えているだとしたらおめでたいな」
「そうかい? なにも無理難題を吹っ掛けようってんじゃねぇよ。お前らには力の限り暴れて貰いてぇってなだけさ」
イゼリアは訝しげに腕を組んだ。
「それにこれは命令でもお願いでもない。“提案”だ」
「提案だと?」
リヴェカもノーリスも眉を顰める。
「用が済んだらお前たちは自由の身だ。どうだ? 悪い話じゃないだろ」
「……人間の分際で、それで交渉のつもりか?」
小馬鹿にした表情で、イゼリアは唾を吐く。
「俺はお前たちと仲良くしたいだけさ。…ああ、そうだ。その前に聞きたいんだが、お前らの元の持ち主についてだ」
「持ち主?」
「空に浮かんだ巨大な手の魔物だ。あれの正体はなんだ?」
「……それは言えねぇ」
「なぜだ?」
「そういう契約だからだ」
ヴァルディガは「ほう」と頷く。
「オクルスは害はないと言ってたが本当か?」
「……ああ。この世界に干渉することはできない」
「それは嘘じゃねぇよな?」
「これに関しては嘘もつけねぇ」
「だが、お前らを連れてきたんだろう? それは干渉じゃねぇのか?」
「……限定的なもんだ。あの胡散臭い商人となにか特別な条件でも交わしてるんだろ」
「条件? どんなだ?」
「そんなのオレさまが知るわけねぇだろ…」
「……今んとこ、俺の計画通りに物事は進んでるんだけどよ。唯一の例外があのオクルスだ」
ヴァルディガは頭を掻いて言う。
「はぁ? ビビってんのかよ? ダッセェー。そっちのヤツのこと言えねぇな」
リヴェカが、神妙な顔つきのドゥマを指差す。ドゥマは「なにを!」といきり立つが、ヴァルディガは片手で押し付けるようにそれを止めた。
「ああ。そうだな。怖ぇよ。敵の正体を確かめず、報酬に目が眩んで死んだレンジャーは何人も知ってるかんな。だからこそ知りてぇのよ。ここまで生き残ってこれたのも、このチキンな知りたがりの性格おかげさ」
ヴァルディガはそこまで言って、ドゥマに「怯えた時に騒ぐだけじゃ意味がねぇ」と小さく付け加える。
「…で、その限定的な条件とやらで、あのバカでかい魔物が出てくるとかはねぇよな?」
「……ないね。自由に動けるのなら、好物の人間がいたのにそのまま帰るわけがない」
イゼリアがそう言うと、ドゥマはゴクリと喉を鳴らす。
「……それならいいんだ。信じよう」
「信じる? オレさまたちは悪魔だぞ?」
小馬鹿にした様に笑うイゼリアに、逆に今度はヴァルディガが真顔となる。
「悪魔だからこそ、契約がしてぇんだよ」
「? は? テメーはなにを…」
ヴァルディガが背中から剣を抜くのに、イゼリアだけでなく全員が腰を低く身構える。
「あ、アニキ!」
「うるせぇな。黙っていろと言ったろうが」
ヴァルディガはそう言うと、自身の腕輪に剣柄を叩き当てる。ちょうど留め具となっていた飾り台が割れ、嵌められていた宝石が落ち、脆くもバラバラと腕輪は崩れ落ちた。
イゼリア、リヴェカ、ノーリスは眼を見開いて落ちた腕輪の残骸を見やる。
「……なにしてやがる? 正気か? これで縛りはなくなったぞ。オレさまが指先一つで指示すりゃ、テメーは一瞬で肉塊になる」
「いいぜ。やってみろよ」
「野郎…。上等じゃねぇか!」
片手を上げようとしたイゼリアを、ヴァルディガが軽く制する。
「その前に俺のまずは話を聞けよ」
ヴァルディガが一歩前に進み出るのに、イゼリアはわずかにたじろいだ。
「それからでも遅くはねぇだろ? イゼリア」
鼻先まで顔を近づけられ、イゼリアは眉を顰める。
「……面白い。聞くだけは聞いてやるよ。人間」




