048 ズローグ城塞跡地にて
(およそ4,600文字)
ペルシェの自宅から再びゲートロードを通り、出たのは深い森林地帯だった。
辺りを見回し、サニードはゲンナリした顔をする。
「森かぁ。ここも島なのぉ〜?」
「いえ、ここはリヴァンティズ大陸です。北方ベイグロンドと西方アナハイムの国境沿いですね」
土地勘のないサニードは、なんとなく大陸の左上の方なのだとだけ理解した。
「それにしても……また歩くのぉ?」
グリンを抱きしめて、サニードは頬を膨らませる。
「たいした距離ではありません。すぐですとも」
「すぐって……オクルスのすぐは、すぐじゃないもん」
「なら時間で言いましょう。10分も掛からない距離です」
「ホントにぃ?」
オクルスの言った通りに、ほんの数分で木々の間から古城が見えて来た。
「大きい。ライラードの王城みたい……」
苔や蔦でびっしりと覆われた外壁は、サニードの背丈の10倍はありそうだった。
「サニードは、首国ライラードに赴いたことがあるのですか?」
「ううん。サルダンから出たことないし。そもそも首都ディバーだって行ったことないよ。昔、絵で見たの。絵葉書をね」
「絵……ですか」
「オクルスはライラードには行ったことあるの?」
「ええ。サルダンに入る前に立ち寄りました」
「そっかー。大きかった?」
オクルスは「そうですね」と興味なさげに頷く。
「そりゃ大きいよね。だって、このガットランドで一番強くて大きい国だもん。いつか行ってみたいなぁー」
サニードは目の前の廃墟を見て、「こんな幽霊の出そうなオンボロじゃないところをね」と付け加える。
「どう見ても、誰も住んでないよね。ここはどこなの?」
「ズローグ城塞です。250年ほど前から遺棄されたままです」
「250年!? うへー、こんな立派なお城を? もったいないねー」
「周辺を強力な魔族が支配していましたからね。それに対抗すべく、人間たちが築城したものです。
見ての通り、ここは奥深い森の中。生活するには不便だったのでしょう。その魔族が倒れた今となっては、無用の長物になったのです」
朽ちた崩れた城門は開く必要もなく、瓦礫の山を越えて容易に中に侵入できてしまう。
長年の間に溜まった塵埃。石の継ぎ目からも草が生え繁り、徐々に侵食が進み、森の一部へと還る途中にあることを伺わせた。
「中は魔物の巣窟となっています。私がいれば襲われることはないと思いますが、少しでも側から離れれば命はないものと思って下さい」
「いや、さらっと怖いこと言わないで! 絶対に置いて行かないでよ!」
「置いて行かれないようについて来て下さい」
オクルスはサニードを気に掛ける様子はなく、薄暗く不気味な大回廊へと入って行く。
「うええー。イヤだなぁ。魔物も怖いけどさ、なんか本当に幽霊が出そう……」
「死霊は出て来ないはずです」
「いや、魔物とかじゃなくてさ……。いや、幽霊が魔物なのか。おかしなの」
錆だらけの燭台。その奥の影から、なにか得体の知れないものが飛び出してくるような気がして、サニードはグリンを強く抱きしめる。
「なんでこんなところに来たの?」
「ここで売買契約の締結を行うからです」
オクルスは手に持つカバンを軽く持ち上げて示す。
「それってもしかして……」
「上層です。登りますよ」
「登る? って、階段がないじゃん」
広間の階段はすべて腐り落ちており、遥か上に見える上階の通路口だけが辛うじて残っている有りさまだった。
「飛びます」
「え? 急になに!」
オクルスは、サニードの腰を支えるようにして抱えると少し前屈みになる。
「うわあッ!」
抱えられるままにオクルスは高く飛び上がり、5階部分の通路口に着地する。
「崩れる! 落とさないで!」
「無論です」
その際、端の方が崩れたが、なんのことはないとばかりに跳躍を繰り返して奥廊下へと進む。
「ふ、普通の人間じゃ来れないね……」
「だから好都合なのです」
「ってことは、これから商品のやり取りする相手も人じゃないってこと?」
「そうなりますね」
果ても見えず長く続く大廊下。人の身の丈よりも大きな格子戸から陽光を辛うじて差し込み、苔の隅から仄かに照らしていた。
「……もう大丈夫。自分で歩けるから降ろして」
オクルスは足元を確認してから、サニードを降ろす。
「ここまで来てなんだけど、ウチは……なんか足手まといになってる?」
サニードが問うのに、表情が影になって見えないオクルスは特に反応を示さなかった。
「ねえ?」
「貴女を連れて来たのは、実際にどのように魔物の取引をするかを見せたかったからです」
オクルスが応えたのに、サニードはわずかにホッとする。
「ええっと、お金で買うんじゃないの?」
「私のように金銭のやり取りを行う魔物もいますが、それはまだごく少数です。だから、人間相手の方が商売をするには楽ですね」
「お金じゃなきゃ、どうやって買ったり売ったりするの?」
「基本的に物々交換ですね。中には生贄を求めたり、魔力を欲したり、特定の鉱石を……という例もあります。その魔物の特性に応じて、それは変わります。これらも学ばなければなりません」
「魔物が魔物を買ったり売ったりするのってなんか変な感じ」
サニードの方を、オクルスは不思議そうに見やる。
「変? 人間も同じことをしているじゃありませんか」
「人間も?」
「奴隷のことです」
オクルスにそう言われ、サニードは「あー、確かに。そう言われればそうだね」と頷く。
「人間の中には、自身とは違う他の亜人は劣等種という見方をする者もいます。ヒューマンやエルフはそういった傾向が特に顕著ですね。その思想に裏付けされた行動は極端になりがちで、劣等種相手ならば何をしても許されると思いやすいものです」
「うー。イヤな話だね……」
「ハーフエルフの貴女の方が、それをよくご存知では?」
「まあ、ね……」
エルフが他種族に排他的であることを身をもって体験しているサニードは頷く。
「人間の社会は複雑です。魔物の方が単純明快で分かりいい。強いか弱いかで、ほぼすべての優劣が決まりますから。より強い者に、弱い者が従う。魔物の売買はその延長線上のやり取りに過ぎません」
「オクルスは強いから……売ったり、買ったりする側なの?」
その問いかけに、オクルスは口元を歪ませる。
「シヒヒ。……失礼」
「なんで笑ったの?」
「いえ、私は自分を強いと思ったことはないものですから」
「セフィラネはオクルスのことを強いって言っていたよ」
「セフィラネが? ……サニード。それで貴女もそう思ったのですか?」
「うん」
「私が群体となり、人間に擬態しているのは弱いからこそですよ。ですが、サニード。貴女が私を強いと思ったのだとしたら、私は人間から強さを学んだからなのだと言えるでしょう」
オクルスはピタッと立ち止まり、しばらく考え込むようにして天井を見上げる。
「ああ!!」
「び、びっくりした! 急に大声出さないでよ!」
「これは面白いッ。私は今まで自分を客観視する必要を感じませんでした」
「は?」
両手を開き、オクルスは感極まったように口元を震わせる。
「しかし、改めて見れば、弱い者が強い者を御する……“人間と同じ”ことをするに、私は既に至っていたのですね」
「はあ? それ、ウチには当たり前のことだと思ってたんだけれど……」
「そうですか。指摘されるまで、私は気付きもしませんでした」
「? なんか話が噛み合ってないような気がするんだけれど……オクルスの目的って、もしかして人間になることなの?」
「人間になる? 違いますよ」
「じゃあなに?」
オクルスは、サニードをしばらく見つめてから口を開く。
「“新しい秩序”をもたらす……といったところでしょうか」
「それって一体……」
「もう着きますよ」
オクルスはその質問をはぐらかすかのようにして、廊下の突き当りの大広間へと出た。
入ってすぐサニードの目に飛び込んできたのは、部屋全体を覆う巨大な円形天窓だ。
窓はほとんど割れ、それを支えていた金属枠は錆びついていたが、空から来る敵を撃つために各所に設置された弩は未だに矢をつがえたままになっており、今なお城への不届きな侵襲者を許さないという矜持を感じさせた。
そして、まるで奈落の底を思わせるかのような吹き抜け。部屋の床部分がすっかり崩れ落ちており、それが見える部分ではずっと4階以降も続いている。
天窓から光が差し込んでいるというのに、キラキラと舞う埃しか見えず、その先は獣の口のように真っ暗闇だ。下手をしたら、これは地階まで続いているのではないかとサニードは思う。
「先ほど話した強力な魔族…それを束ねる主、“魔侯”が最期の決戦の際、攻め入った時に穿った大穴です」
「え? これって古くなったせいで底が抜けたんじゃないの!? 魔物が作ったってこと!?」
「ええ。そうです」
「マジか……。どんな化物なんだよ。その“マコウ”っての」
「これから会えますよ」
「は? 今なんて……」
「これから商品の受け渡しを行う相手が、魔侯こと、“腐朽鎖魔侯シャクルモーグ・デクレネル”です」
「ちょ、ちょっと待って。これは250年も前の話なんだよね?」
サニードは大穴を指さして尋ねる。
「ええ」
「で、その魔族を倒したから、ここを使わなくなったんだって言ってたじゃん! もう死んでるって思うじゃん!」
「倒れたとは言いましたが、死んだとは言っていません」
サニードは「ぐむむッ」と唸る。
「人間たちはシャクルモーグ候の肉体を滅ぼしただけで、その魂を殺しきることができず、魔界に還すことしかできなかったのです」
「魔界……」
「魔族の始祖たちの故郷のことです。この世界、“現界”は実は魔族にとって過ごしやすい世界ではない。魔力が離散し、安定を欠くと肉体の維持もままならずに“封印”されることとなる。強大な魔族であればあるほど、そのペナルティも大きくなるのです」
「えーっと、なら、そのシャクルなんとかって魔族は、強すぎるから封印されて……今は悪さができないってこと?」
「そうなります。彼は基本的にこの地から離れることはできません」
「なんだよ。びっくりした。なら大丈夫じゃん。危なくなったら、ここから逃げれば追いかけて来られないんでしょ?」
「……サニード」
「なに?」
「気を強く持って下さい」
「へ?」
「悪魔は心の弱みに敏い。相手が脅えていると知れば、すぐに主導権を奪われます」
オクルスがそう忠告するとは、余程のことなのだとサニードは思わず息を呑む。
「よろしいですか?」
「う、うん。要するに、ビビらなきゃいいんだよね。大丈夫。がんばる」
「そうです。……では、シャクルモーグ候を招きます」




