047 魔獣調教師
(およそ6,300文字)
──オクルス。アタシはアナタを育てたことを後悔はしていないわ──
それは怪物だけれども、望まれた命。
──サニード。オマエは、なんで生まれてきてしまったの?──
それは人間だけれども、望まれなかった命。
なんて惨めなんだろう。
恐ろしくて、気持ち悪くて、哀しくて……
それでも魅入ってしまう“赤”。
サニードは、その白銀の瞳を手で覆っていたはず……
でも、そんなことはない。
サニードは視ていた。
白銀の瞳に映るのは、真っ黒な怪物が男を咀嚼する光景。
ガリガリガリガリッ……ギリギリギリッ……ベチャ、ビチャ……
理性はそれを否定する。
それは倫理に反すると。
でも、本当はそうなの?
違う。心のうちでそれを望んでいたんじゃないの?
──そうだ! そうだ!──
心の中で“小さなサニード”が叫ぶ。
自分を否定したエヴァン郷。
母も、育て親も、他のエルフも……
ああ、そして、あんなに仲良くしてくれたウェンティだって!!
──わずらわしい!──
だから、“黒い彼”が食べてくれる。
皆を“綺麗な赤”に染めて。
“黒”と“赤”はサニードを否定しないから。
“彼の目”がサニードを見つめる。
絶対に見放さない。
そう。そして、最後は自分の番──
「オクルス。ウチを食べて……ウチの全部をあげるから」
オクルスはすべての目を見開き、鋭い牙を見せてサニードを────
□■□
「……クソッ。最悪な夢」
途中からそれが夢であることには気付いていた。だからこそ、目を開いたサニードは苦々しい顔を浮かべる。
コンコンという音がして、すぐに扉が開く。サニードは「あー」と枕に顔を埋めた。
「……オクルス。ノックしたからって、ウチは『いい』って言ってない。入っていいわけじゃないから」
顔を見られたくなくて、サニードは枕から少しだけ口を離して言う。
「そうですか」
オクルスは抑揚のない声で答える。
サニードは魔物相手に恥ずかしくなってるのが馬鹿らしくなって、「あー、もう!」と枕から顔を離すと、あぐらをかいてベッドの上に座る。
もし、トロスカルに見られたら「下品!」と怒鳴られるだろうが、案の定と言うべきか、オクルスはまったく意に介した様子はなかった。
「朝食を持ってきました」
オクルスは手にパンを載せた皿をサイドテーブルに置く。サニードは、サイズの合っていない大きな皿に黒パンが投げ捨てでもしたように転がっているのを見て、「犬の餌かよ」と悪態をつく。
「オクルス!」
「はい?」
「見て。ウチ、肌着のまんまなの。女の子ってこういうの見られるのイヤがるの」
サニードは下着の肩紐を掴んで引っ張って見せる。
「そうなのですか? セフィラネは寝室では常に裸体でしたから、それは知りませんでした」
「ラタイ? って、裸ってこと?」
「他に何か言い方が?」
「いや、そうじゃなくて。その、オクルスはセフィラネの裸を見たということ?」
その問い掛けに、オクルスは頷く。
「何度も?」
「ええ。何度も」
サニードは白目を向いて、頭をグルングルンと回す。
「……それでなんとも思わないの?」
オクルスの視線が、サニードの胸元へと移動したので、彼女は赤面して布団で隠す。
「セフィラネが発情していたことは分かりました。しかし、私とは種族が違……」
「イヤ! やめて! 聞きたくない! 生々しすぎる!」
サニードは想像を振り払うように頭を激しく横に振った。
「……“これ”は擬態に過ぎません」
オクルスは、顔をのっぺらぼうに目だけが付いただけのものに変形させた。
サニードは悲鳴こそ上げなかったが、コクッと喉元を動かしてしまう。
「“容姿”、“声色”、“仕草”……どれも、人間種と商売をするにあたって、無難かつ最適なものを選定した結果が今の私です」
「……何が言いたいの?」
「私に特別な感情を抱くのは間違っている……ということです」
「……うーん」
サニードはガリガリと頭を掻く。
「オクルスはウチを理解していないね」
「理解していない?」
「そう。だから、まだ決めつけないで。ウチは価値があるから」
オクルスはしばらく黙った後、顔を元の状態に戻す。
「……食事を。その後、降りて来て下さい。貴女には教えるべきことがあります」
「うん。分かった」
「……それと、貴女が許可するまでは部屋に入室しないように、今後はそう致しましょう」
□■□
サニードが下に降りると、オクルスは試験管のようなものをケースに詰めているところだった。
「何してるの?」
「準備です」
「準備ってなんの?」
「後ほど分かります」
ケースを閉じるとそれを長テーブルに置いたままにし、オクルスはダイニングの方に行けと指差す。
テーブルに向かい合わせになって座ると、サニードは落ち着きなく足を揺らした。
「えーと? これから何するの?」
「貴女には魔物商になるにあたって、いくつかのルールを覚えてもらいます」
「なーる! オクルスが先生なんだね!」
オクルスが手を机に置くと、そこから1匹の緑色のスライムが出て来た。
「おお! スライム!」
「スライム族は最も分類種が多い魔物です。これは最下等粘液生物。自意識はなく、自分より小さなものを捕食するという本能しかありません。危険性は少なく、子供でも容易に倒せる」
サニードは、グリーン・スライムを指先で突っつく。その度にプルルンと揺れる。
「生物は例外なく“核”を持っていますが、スライムはその中でも一番分かりやすい」
「この目玉みたいなのがそう? メディーナにもあるよね」
サニードは、グリーン・スライムの半透明な体の中に浮かんでいる丸いものを指差す。
「そうです。もう少しレベルの高いスライムになると、体色に似せた半透明な核を持ったり、偽装した疑似核を作り出すこともあります。しかし、このスライムは剥き出しのまま。つまり弱点が見えています」
「あ! メモを取ったほうがいい?」
「メモを取るほどのことは話していません。……さて、ここからが本題です」
オクルスはテーブルの上で、5本指を突き合わせる。
「魔物は基本的に自分より強い者にしか従いません。つまり魔物商は、ある程度の強さが必要となります」
「え? でも、ウチ、戦ったりはできないんだけど……」
「ええ。理解しています。それに私より強い魔物など山程います。なにもこれは戦闘能力だけのことを言っている訳ではありません」
「どういうこと?」
「一昨日、この周辺でマンティコアが現れたという話がありました」
「一昨日? ってウチらセフィラネんとこ……あ! また昨日も、勝手に独りで酒場に行ったの!?」
オクルスは、サニードが寝ている間に情報収集に出掛けることがある。
サニードは何度か同行しようとしたのだが、なぜか強い睡魔に勝てずに失敗を繰り返していたのだ。
そして、それがオクルスによる眠り香のせいであることに彼女は一切気付いていなかった。
サニードは喉の奥で「うるるるッ!」と抗議の声を上げるが、オクルスに対してその威嚇は何の効果もなかった。
「……それで! そのマンティコアってなに?」
「エルフの集落……森に暮らしていたのに知らないのですか?」
オクルスは不思議そうに尋ねる。
「あー、郷は全体に結界が張ってあったから、魔物どころか他の種族も入って来られないし」
「あ、行商人とかは別ね。許可した人だけは入れるの」と説明するが、オクルスは「今回の話とは関係がありませんね」と遮る。
「マンティコアは人間の顔と獅子の体を持つ獣種です。別名、“老面獅子”。特に珍しい魔物でもありませんが、サルダンにも生息しているとは私も知りませんでした」
サニードは「そういえば聞いたことがあるようなー」と頭を左右に振り、同じように左右に揺れているスライムを見やる。
「マンティコアはエルフを好んで捕食しません。遭遇したことがなければ、知らなくてもおかしくはありませんね」
「なんでエルフは食べないの?」と何気なく聞くと、「肉が繊維質で硬く、味が淡白だからです」と、さも自分が食べたことがあるようにオクルスが答えたので、サニードは聞いたことを少し後悔した。
「討伐するにはレッドランクのレンジャーでも苦戦するでしょう」
「レッドランクってこの町で一番のベテランのレンジャーじゃん。……それ、大丈夫だったの?」
「複数で当たれば倒せないことはないでしょうね。それに兵団長ヴァルディガであれば、単独でも対処は可能だと思います」
サニードは「へー、あの目つきの悪いヤツがそんなに強いんだ」と少し驚く。
「いまマンティコアの話をしたのは、もしこの魔物を捕らえて商品にするとしたら、貴女ならどうするかを聞きたかったからです」
「へ? 捕らえるって?」
「育種家から購入することもありますが、魔物商は自分で捕獲、調教、繁殖を行うのが一般的です」
「オクルスも?」
「そうです」とオクルスは頷く。
「しかし、中には自分よりレベルの高い魔物を取り扱わねばならないこともあります」
サニードは「うーん」と唸った。
「えーと、そうだなぁ。落とし穴とか? 罠に掛けるかして、檻に閉じ込める……とか?」
「罠はひとつの手ですね。しかし、マンティコアは知能が高い。そうそう罠には掛からない。それに飛行能力があるので、落とし穴は効果が薄いでしょう」
「えー、なら、分かんない! オクルスならどうするの?」
サニードは早々と両手をバンザイさせて降参する。
「神殿で甘い匂いを嗅いだことはありませんか?」
「神殿? 何の話? 神殿って一度しか行ったことないから……」
トロスカルに首元を掴まれ、神殿で性病検査をさせられたことをサニードは思い出し苦い顔をする。
「神殿では、魔除けに使う“ホルダの香木”というものがあります。花蜜のような甘い薫りがするのですが、これをマンティコアは非常に嫌います」
「へー」
「これを予め焚いておけば、上空に逃げるのを防げるでしょう。また毒針を放つ尾が弱点です。尾の先に丈夫な厚手の布を被せ、荒縄で括るだけでほぼ無力化できます。檻は必要ありませんし、これなら低レベルのレンジャーでもできるでしょう」
「そんなの……教えてくれなきゃ分かんないじゃん!」
サニードは不貞腐れたように頬杖をつく。
「その通りです。魔物に対する知識は、魔物商をするには必要不可欠です」
オクルスは、懐から分厚い本を取り出して、スライムの横に置く。
「これ、魔物の百科事典?」
竜の絵が描かれた表紙を、サニードはしげしげと見る。
「知識というのは他人に教わるよりも、自ら学んで身につける方がより効果的です」
「べ、勉強は……苦手だなぁ」
サニードは本を開き、挿絵がほとんどなく、活字だらけなのを見て「うげッ」と嫌そうな顔を浮かべた。
「魔物商になるのに一番手っ取り早いのは、“魔獣調教師”になることでしょう。魔物使いであれば、自身が戦わずとも魔物を使役して戦えます」
「おお! か、カッコイイ! ウチ、それになりたい! それになる!!」
机に両手をついて、サニードは前のめりになった。
「そう簡単になれるものでもありませんが……。テイマーは努力だけでなく、天性の素質も必要となります」
「天性の素質って?」
「魔物との意思疎通は最低限必要なスキルです。命令して言うことを聞かせられなければなりません」
「ウチ、メディーナと通じ合ったよ!」
「私やメディーナはまた別です。我々は自ら人間の言葉を覚えましたから。コミュニケーションを取るなら、このグリーン・スライムですね」
「え? でも、知能とかはないんでしょ?」
サニードはスライムを指でチョイチョイと押しながら言う。
「必要がないから持っていないだけです」
「どういうこと?」
「スライム族は生物的に単純な構造であるが故、突然変異する個体が生じやすいのです。状況や環境に適応し、急激に性質変化できることがなによりの強みです」
オクルスが説明するが、サニードは目をクルクルと回す。
「うーんと、言っていることの意味が半分も理解できないんだけど……。このスライムはパワーアップするってこと?」
「パワーアップとは、魔物は基本的に強さやレベルが変わらないので適切ではありませんね。ただ種の変化…上位種へと進化することはあります」
「いや、だから難しく言われても分からないって……」
オクルスは、サニードにどう説明したものかと考える。
「……サニード。貴女次第で、このグリーン・スライムは自意識を宿す可能性があります」
「オクルスみたいになるってこと?」
「そこまでは断言できませんが、貴女の言葉を理解し、反応するくらいにはなるかもしれませんね」
今度は、サニードが腕組みして、「うーん」と唸る。
「あ! つまり、愛情を持って育てろってこと?」
「愛情……?」
オクルスは首を傾げた。
「餌付けすることで、貴女という存在を認識させて反応を促す……その外的要因を“愛情”と呼ぶのならそうなのでしょう」
「だから、そんな難しい話じゃないの。ちゃんと世話して面倒みれば、ウチに懐いてくれるってことでしょ? リスを飼ったことあるからできるよ!」
「……ならば、そのグリーン・スライムは貴女に差し上げましょう」
「え? ホント!?」
サニードは目を輝かせて笑顔になる。
「でも、これってオクルスの……」
「同化はしてはいません。異体です」
「別スライムってことか。なら、名前をつける必要があるね」
「……群体から個体へ。名前をつけるのは良いアイデアだと思います」
「そうでしょ! なら…グリーン・スライムだから、“グリン”にしよう!」
ちょうどよいタイミングで、グリーン・スライムは前後に揺れる。
「あ! 気に入ったみたい!」
「貴女の大きな声に反応しただけです」
「いいんだって! ウチには頷いたように見えたんだから! よろしくね、グリン!」
オクルスには、サニードがどうしてグリーン・スライム1体でこんなにも喜んでいるのか理解できなかった。
「魔眼のスキルの向上訓練もお忘れなく。ビーストテイマーとなるのに役立つ能力ですから」
「分かっているよ!」
「それと、これから少し出掛けます」
「え? もしかしてルデアマー家の本家?」
セフィラネに渡された手紙のことを思い出してサニードは聞く。
「いいえ。仕入れ商品の確認です」
オクルスは立ち上がると、先ほどのケースの取っ手を掴む。
「え? ウチもついて行っていいの?」
「留守番したいのですか?」
「そんなわけない! 行くッ!!」




