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162 国が消えた日

(およそ3,600文字)

 ライラード主国。


 ファーブレル大臣は執務室で、腹心である軍務参謀長や王都守備総監らと酒を酌み交わしながら談笑を続けていた。


「そういえば、あの(・・)ガニメデも死んだと聞きましたが?」


「ああ。言われるまで忘れていましたよ。惜しくもない男でしたな」

 

 参謀長が言うのに、総監は手を頭の上でクルクル回して吹き出す。


「しかし、ルデアマー家の跡取り、ゼリューセという美姫をあてがう予定だったのでしょう?」


「嘘も方便じゃ。そうとでも言えば、見合いを断られ続け、婚期を逃した独身貴族も必死になろうかと思ってな」


「いやはや、閣下もまったく悪いお人だ」


「まったくですな。権謀術数という言葉は、ファーブレル大臣のためにあるようなものですな」


 見え透いたお世辞に、ファーブレルはワインを口に含みニヤリと笑う。


「権謀術数? そんなものは存在せん。弱者が自分を慰めるための言葉だ。力によって支配するか、されるか……それしかない」


 ファーブレルはそう言うと、ワインのグラスをテーブルに置き、上から手の平を押しつけてミシミシと音を立てて見せた。圧に耐えかねてヒビ割れるのを、参謀長も総監も息を呑んで見やる。


「それはそうと、その美姫の母親……確か、ミュンヘンとか言いましたかな?」


 グラスが割れる前に、総監が話題を逸らそうとしてそんなことを言い出した。


「ハージート家に嫁いできた?」


「そうです。相当な美人で、皇帝陛下もその美貌を褒めておられたと聞きましたぞ」


「ほう。しかし、確か身内による毒殺で亡くなったとか……惜しいことです」


 参謀長が声を潜めて言うのに、ファーブレルの長い眉がピクリと動く。


「……あれは暗殺でもなんでもない」


「え?」


「自死じゃよ」


 ファーブレルは新しいグラスを手に取り、慌てて参謀長がそこに酒を注ぐ。


「毒は確かにハイドランドが用意した。ワシの調べでもそうなっとる。そして、ミュンヘンはそれに気づいておった」


 参謀長と総監は顔を見合わせる。


「それを知っていて飲んだと?」


「なぜそんなことを?」


 ファーブレルは新しく注がれたワインを飲み、唇を舐めてから答えた。


「さてな。本当のところの真意はわからん。だが、恐らくは“母親”だからじゃろうて」


「母親?」


「ルデアマー家の女は皆そうだ。美しく可憐、かつ気丈で気高いのよ。ミュンヘンの母親もそうじゃった。犯されながらも、娘の安全をワシに懇願してきたものじゃ」


 まるで偉業でも語るように、ファーブレルは恍惚とした表情を浮かべる。


「だからワシは聞いたんじゃ。『娘のために命を懸けられるのか? 死も厭わないのか?』とな」


「……まさか、ミュンヘンにも?」


 ファーブレルは両手を広げて肩を竦める。


「ワシはベッドの上で、『忠誠の証を示せ』と言うただけじゃ。死ねとは言うておらん」


 仄暗い瞳をして言うファーブレルを前に、ふたりはゴクリと息を呑む。


「……まあ、そんなことをしてくれたお陰で、ゼリューセをこの国に嫁がせる話も、皇帝陛下が懸念を抱かれ、見送りとなったが」


 ファーブレルは長い白髭を撫でる。


「今回の騒動が収まれば、やがてはこの国に招く手筈も整えられよう」


 彼の頭の中では、サルダンの統治者となったゼリューセをどのように上手く動かすかの算段がすでに出来上がっていたのだ。


「ゼリューセの“味”がどうか愉しみじゃな。さて、ハイドランドもベイリッドも消えた。これから忙しくなるぞ」


 暗に戦の準備をしろと言われているのだと、ふたりは気づく。


「……しかし、誰がかのドラゴンスレイヤーを倒したと言うのですかね?」


「情報が錯綜しておりますが、確かヴァルディガとかいう元レンジャーだとか」


「元レンジャー? 何者ですか?」


 ファーブレルは「ふむ。ヴァルディガか」と頷く。


「ご存知なので?」


「ワシはもう50年以上もこの国を支えてきた」


 ふたりは「それはもちろん」と頷く。


「皇帝陛下もワシの声は無碍にできぬ。その理由は、ワシがこの国の裏側を知り尽くしておるからだ」


 彼らはファーブレルが何が言いたいのか真意を掴みかねていた。


「……つまり、皇帝にとって“不要”なものを処分するのもワシの仕事ということだ」


 参謀長は目を丸くする。


「それは……まさか、ヴァルディガは陛下の……」


「そこまで言ってはおらん」


「し、失礼しました……」


「時が来れば使えるかも知れんがな」


 ファーブレルが大したことがないという態度なのに、ふたりは生きた心地がしなかった。


「……だが、あれは今は何でもない。“ただの野良犬”に過ぎん」


 ファーブレルの脳裏に、癖毛の黒髪をした小さな少年が泣いている姿が思い浮かんでいた。


「コディアック・ルデアマーもハイドランド・ルデアマーも、ワシの言われた通りに野良犬を“教育”した」 


 割れてワインが溢れ始めるグラスを、ファーブレルは冷ややかに見やる。


「孤独だからこそ縋る。弱いからこそ強さに憧れる。ベイリッド・ルデアマーの狂信者。蓋を開けてみれば、動機そのものは幼稚で単純なものよ」


 グラスが自然とパンと弾けて机を赤く濡らした。


「しかし、そんなものが英雄を殺したのだ。愛や情に揺らぐただの人間。だから、死ぬのだ。しかし、国は違う」


 ファーブレルは立ち上がると、バルコニーの方へ向かい眼下に広がる大都市を見やった。


「見ろ。世界とは、英雄1人で作れるものではないのだ。この圧倒的な力! 国が持つ軍事力! これこそが本当の“力”だ!」


 開いた骨ばった指を前に突き出し、ゆっくり握りしめる。


「……このライラードにも、神々の遣わした勇士が魔王を倒したなどという“神話”があったが」


 ファーブレルは心底馬鹿にしたように鼻を鳴らす。


「現実を見よ! サルダン小国のように弱ければ、奪われ、弄ばれ、骨の髄まで吸い尽くされる! これこそが世の理! 真理よ!」


 演説ぶって言うファーブレルの淀んだ瞳に、大小2つの燃え盛る球体が空から飛来する様子が映る。


「……なんじゃ? あれは?」


 燃え盛る球体はますます大きくなり、辺りが振動し始める。

 参謀長も総監も窓に近寄り、呆気に取られた顔を浮かべた。


「ま、まさか王都に向かって落ち──」


 轟音と共に突風が窓を叩き割り、その衝撃でファーブレルたちは仰向けに吹き飛んで倒れ込む。


 辺りは一瞬で瓦礫の山となり、机も椅子も本棚も壊れて激しく散乱していた。


「……あ、アグゥアァァッ!!」


 暖炉の奥から、転がり出てくるファーブレル。


 その全身には無数のガラス片が刺さり、声にならない苦悶の声を響かせる。


「アオ、アゥオオッ……!」


 彼の鼻は落ち、自慢の白髭も真っ赤な血に塗れた。

 なんとか安全地帯を探して部屋の壁に寄るが、その際に割れた大きなガラス片に脚が触れて、大量の血を撒き散らして転倒する。


「た、誰がぁ……た、助ふけてぇ……」


 這って部屋から出ようとするが、なぜか扉が半分しか開かない。 


「な、なんでぇ……なんでぇ……ワシが……こんな目に……」


 ガチャガチャと扉のノブを動かして押す。その時、扉の向こう側で兵士の顔が見えた。


「おお! ワシを助けろ! 何をボサッとして……あぁ!」


 一瞬だけ安堵の顔を浮かべたファーブレルの顔が絶望に沈む。


 廊下に居た見張りの兵士はその場で絶命しており、その遺骸が扉を押さえつけていたのだ。


「邪魔じゃぁ……。そこをどけぇ……! ワシを誰だと……思っておるかぁ……!」


 ファーブレルは泣き顔で命令を出すが、当然、死んだ兵士は動くことはない。

 

 やがて痛みと苦しみ、大量の出血でファーブレルは動けなくなり、その場にひっくり返った。


「……あ、ああぅあ……し、死にたくぬぁい……か、神様ぁぁぁ……神様ぁぁぁ!」


 ファーブレルはこの時、初めて今まで一度も信じたことのない神に向かって祈ったのだった。


 しかし、その祈りは決して聞き届けられることはなかった──

 



──この日を境にし、10日で東方ガットランドの地図上からライラード主国は姿を消すこととなる。


──生き残ったわずかな者たちは、異口同音に「大量のアンデッドの軍団が突如として襲ってきたのだ」と話した。


──しかし、軍団は主国の陥落と共に姿を消し、後の調査でもその原因がなんであったかは誰にもわからなかった。


──ただ、神話に出てくる、“剣魔帝”と呼ばれる魔王が帰ってきたのではないかと、迷信深い者たちの間ではまことしやかに語られたのだった。

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