第9限 生徒会長
大人だけが消えた世界……
……そしてやがて、学園は国家となる
山城が箒を挟んで用務員の男と押したり引いたりを繰り返しているが、山城は片膝を突き、用務員の男は上から体重を掛ける対決構造なので、山城の分が悪い。筋肉の筋を立てながら、山城はぎりぎりで踏ん張っている。
「や、山城! 僕も助けに……!」
そう言って一歩じりっと足を出すが、どうすればいいのか分からない。山城とちがい、恥ずかしながら僕は非力な人間だ。山城がスポーツで活躍する中、僕はずっと本を読んでいた。
僕が立ち尽くしていると、「先生たちを呼んで」と指示を出した甲斐が階段を下りてきた。ウッドデッキへ繋がるガラス戸を開け、「会長! 会長!」と慌てた様子だ。
「せ、先生たちは!」
「そ、それが、せ、先生、たちもみんな、そ、そこの用務員さんみたいに……!」
「な、なに……」
本当に、一体、何がどうなっているんだ。
用務員の男は明らかに正常ではない。「ぐるるる」と飢えた犬のように歯を鳴らし、唾液を垂らし、生まれたばかりの鹿のように震える手足で、怒った猿のように山城に襲い掛かっている。
それと同じような状態に、職員室の先生たちも陥っているという。
「警察にも繋がらない……。先生たちもおかしくなってる……。どうする、どうする」
そう独り言を言いながら、必死に頭を回転させる。
「早く何とかしないと……噛まれた女の子も病院に……」
噛まれた、女の子。
口に出して、ハッとした。ウッドデッキの真ん中あたりで血を流して倒れていた、女子生徒の姿がない。倒れていた場所には、血溜まりがたしかにある。だがそこには倒れていたはずの少女の体がないのだ。
「ど、どこに……」
誰かが担いで避難させた? いや、人の気配はなかった。
自力で避難した? いや、あの傷と出血ではありえない。
その行方には、痕跡があった。ウッドデッキの木製の床に点々と垂れた、血の跡だ。彼女の移動の形跡。
それを一つ一つ、目で追っていく。その点は線となって、そして、それは山城の背後へと繋がっていた。
「え」
山城の背後に、女子生徒が立っていた。用務員の男に首元を噛まれ、大量に出血していた女子生徒だ。髪は華の年頃に相応しくなくぼさぼさに振り乱していて、俯きがちで、姿勢もだらしない。首から下は黒い制服の上からでも分かるほどに赤い血が染みを作っていて、垂れ下がった両腕の爪の先からポタ、ポタ、と血が滴る。
そして彼女は、ゆっくりと顔を上げた。
その人とは思えない顔に僕はゾクリと背中に悪寒が走る。乱れた長い髪の隙間から覗く、その忙しなく不規則に動き回る両目。強く歯ぎしりしているのか、歯茎から滲み垂れるどろりとした血と、ぐらついた前歯。『ぐがッ、グブあッ』などと小さく呻いて力む度に、首に負った歯形の傷口から破損した水道管のように血が噴き出る。
その様子は用務員の男と同様に、尋常ではなかった。
そして、
『ぐうううう、ギイイィぃィぃィアアッぁぁあッ!』
天を仰ぎ、耳に粘りつくような奇声を叫ぶと、彼女は山城へ向かって駆け始めた。
すぐに理解した。彼女もまた、山城を殺そうとしている。
「や、山城ォ!」
「ぬ、う!」
山城が首を左に倒して後ろを向く。前には用務員の男、後ろには女子生徒……の、姿をした化け物。彼らに挟まれ、山城の顔が青ざめ、汗が浮かび上がった。
「くそおおっ」
僕は駆けだした。障害物であるウッドデッキのベンチやテーブルを、アクション映画の主人公ほど器用ではないが何とか乗り越え、僕は全力で走った。
友達が、山城が、死んでしまう!
せめて、山城が相手するのを片方にしなくては!
走りながらどうするかを考えていると、山城のそば、僕の真っすぐ向かった先に、中身のぶちまけられた黒いバッグが落ちていた。中には肥料の袋や、ペンチや、掃除道具なんかが入っている。用務員の仕事道具だろう。そこに、僕は「武器」を見つけた。
守備の野球選手が、ゴロ玉を走りながら掬い取るように、床に転がっていた金槌を拾い、走る。
「山城! 伏せろ!」
「む!」
僕はさらに走る速度を速め勢いを付ける。それを助走にして軽く飛び上がり、拾った金槌を離さないように固く握りしめ、横薙ぎに振りかぶり、その狙いを用務員の男の側頭部に定める。
「うおおおおおおおっ」
ガラにもなく叫んで、僕は金槌を思いっ切り右から左へ薙ぐようにフルスイングした。僕の金槌の横薙ぎは、狙い通り用務員の男のこめかみの辺りに食い込んだ。潰れる肉、砕ける骨、ぼこりと陥没する人間の頭部の感触をしっかりと右手に覚えながら、僕は金槌を振り抜いた。
『ぎぎぎぐあっ』
側頭部を凹ませてやると、用務員の男は打撃の衝撃で山城の右側へ倒れる。男の力が弱まったのを好機とみて、山城は用務員の男から箒を奪い返し、そしてすぐさま振り返った。
「ぬうううおりゃああああああっ!」
山城は振り返りながらバッティングフォームを取り、箒をバットに見立てて、それを女子生徒目掛けて振り抜いた。
『ぎゃッ』
ビュン、と箒が風を切って分身し、その先端が女子生徒の下顎を薙いだ。彼女の首は「く」の字に折れて、その軽い体は山城の剛腕に簡単に宙に舞った。
「はあ、はあ」
僕は脱力して、その場に座り込んでしまった。山城が危なかったとはいえ……
「ひ、人を……殺して、しまった……」
呼吸が荒くなり、罪悪感と手に残った不快な感触に脳が支配される。取り返しのつかないことをしてしまった、という、考えてもどうしようもない胸の痛みもある。
しかし、その強い後悔や懺悔の濁流を堰き止めるほどの恐怖が、視界に映し出された。
『ぐ……ぐぐぐ……ぐががが』
ぬらり、と用務員の男が立ちあがったのだ。
「……は」
咄嗟にそんな声が出る。
たしかに僕はやつの頭を思いっ切り殴打した。潰した、と言ってもいい。用務員の男のこめかみの辺りにお見舞いした一発は、肉を潰して、骨を砕き、頭蓋骨を陥没させたはずだ。折れた頭蓋骨は脳に食い込んでいるだろうし、その衝撃は脳震盪を起こすには十分すぎるだろう。 それにも関わらず、鼻孔からゴボッ、ゴボッと鼓動に合わせたように血が溢れさせながら、用務員の男は立ち上がった。
「な、なんで……! 死んでも、おかしくないはずだ……!」
立ち上がった化け物の見開かれたままの瞳孔が、ぎょろりと僕を睨んだ。
怖い……!
ただ意味不明で、ただ純粋な、そこに在る恐怖というものを、僕は初めて目撃した。
足が竦む。呼吸が短くなる。暑くもないのに汗が滲む。
さっきは山城と取っ組み合いになっていて、背後からの奇襲であったし、山城を助けねばという使命感もあった。だが、それらのアドバンテージや心持ちが、今は一つもない。
「安芸ッ!」
山城が僕を助けるため駆け出そうとするが、床を這ってきた女子生徒の化け物が山城の足首を掴んだ。
「くそっ! 安芸! 早く逃げるのだ!」
山城でも敵わなかったこの化け物と、僕が正面切って戦えるはずがない。
だめだ、足が、動かない。
『……ぐぐぐぐ……』
少しずつ、頭の潰れた化け物が距離を詰めてくる。
『ごがあああああ……』
血をあちこちからボタボタと垂らしながら、化け物がやってくる。
『アアアアアアアアアアアアアアアア……ッッ……!』
眼前に、化け物が、その、牙が、ねじ曲がった指が、叫び声と、共に……。
……食わ、れる。
動かない体の代わりに回転を速める頭が、そう悟った。
だがそのとき、ヒュンッ、という風切り音が顔の横を擦過する。
鋭い何かが空気を切り裂くその音が聞こえたのとほぼ同時に、目の前で化け物が『ぶがあ』
と不細工に呻いて、僕に向かって歩く足を止めた。
『があ、あがあ』
用務員の男はズル、ズル、と数歩後ずさって、驚いたように自身の腹を見下ろした。
その視線の動きに合わせて、僕もやつの左わき腹を見やる。
「え……」
そこには……矢が、突き刺さっていた。
「アキッ! 何してんの!」
上からの女子の声。左上を見上げれば、ウッドデッキに面した廊下の窓から身を乗り出す、一人の女子生徒がいた。
「い、和泉!」
長い黒髪の美しい彼女は和泉。生徒会・書記を務める、僕の幼馴染みだ。
彼女の手には、「弓」があった。弓、といっても、スポーツ用に改良され、デザインされ、木ではなくプラスチックで作られたもの。黒を基調とした近未来的なデザインに、紫のラインとキザなメーカーのロゴが映える、アーチェリーの弓だ。
「いいから、早く逃げな!」
「あ、ありがとう……!」
我に返って、僕は駈け出そうとする。だが……
『んぐううう、んぐううう……アアアアアアガアアああぁぁぁぁぁァァッ!』
腹に矢が刺さった化け物は、無感情だった顔を一転させて、怒り狂ったように顔を紅潮させ、叫んだ。至近距離から伸ばされる化け物の変色した腕。「逃げろ」という脳からの命令を体はしっかりと受理しているが、もう距離が、時間がない。
飛ぶように後ろへ下がるが……だめだ……!
「うおおおおりゃああっ!」
『ぐがあッ!』
しかし、視界いっぱいに映っていた用務員の男が、その視界から消えた。
右を見れば、和泉と同じく生徒会メンバーにして、僕の親友である日向が化け物に体当たりして、床へ押し倒していた。
「来てみりゃなんだコリャア!」
日向が化け物に馬乗りになって、ぼこぼこに殴りつけている。
「日向……!」
「アキ! とにかく逃げっぞ! ……ってか、んだコイツ! 全然弱んねェじゃねえか!」
左右の拳で用務員の男の顔面へパンチを繰り返しながら、日向がそう文句を言う。できた傷や流れる血の量の割には、用務員の男は疲弊する様子を見せず、抵抗の力を弱めないからだ。
「だめだ! 日向! お主も離れろ! そやつは痛みを感じている様子がないのだ!」
用務員の男と同様に、まるで化け物のようになってしまった女子生徒に足首を掴まれた山城。箒の突きで女子生徒の手首や肘を骨折させることでその拘束を解いた彼は日向にそうアドバイスをする。
「なんだよソリャあ! ズルじゃねえか! ……チィッ」
舌打ちをした日向は左腕で化け物への殴打を続けながら、右手をズボンのポケットに手を伸ばす。そこから取り出されたのは、数枚の紙きれ。
「お前はコレでも……食っとけ!」
『んぐッ』
日向はその紙きれを片手でくしゃくしゃに丸めると、用務員の男のだらしなく開け放たれた口内へ無理やりねじ込んだ。
『がひゅっ、ごひゅ』
野球ボール大の丸められた紙の玉を口に入れられた化け物は、空気の抜ける鳴き声を発し始めた。
日向はその様子に満足そうに笑い、
「よっしゃ! 逃げるぜ!」
と言って化け物の上から飛び上がり、階段へ向かって僕らを無視して走りだした。
「うおおおおおおおっ! おっかねえなあああああっ!」
バカみたいに言いながら脱兎のごとく戦場を離脱した日向。そんな彼の様子に僕と山城は目を合わせて苦笑する。
「僕らも逃げよう!」
「うむ!」
『グヒュッ! ギャヒュ!』
『ギイイいえええええッ!』
その場に奇声を上げる二体の化け物を置いて、僕と山城も駈け出す。
後ろから追ってくる気配はあったが、ヒュンッ、ヒュンッという風切り音が一定の間隔を置いて聞こえ続けていた。和泉の放つ矢という援護射撃が僕らにはあった。
桐可学園の校舎構造は「ロ」の字型をしており、北にメイン階段という大きな階段と、南にウッドデッキから四階まで続く螺旋状の細い鉄階段がある。僕らは後者、鉄階段を駆け上がる。
二階に辿りつくと、「会長!」と女の子の声がした。
「か、会長! 大丈夫ですかぁ!」
廊下から背の低い女子生徒が駆け寄って来た。生徒会庶務・壱岐さんだ。一緒に甲斐もいる。
「大丈夫……ではないかもね」
僕は肩で呼吸しながら振り返る。
ウッドデッキには、アーチェリーの矢を体に受けながらも前進を続ける用務員の男と、顔面を床に擦り付け、髪を引き摺りながら這い進む女子生徒の姿があった。その歩みは僕と山城、和泉の攻撃によって遅々としたものだが、確実に僕らを狙って進んできている。
「あ、あの人たちは一体なんなのですか? どうしてしまったのですか?」
「……分からない。ただ、不用意に近付けば僕らが殺されることと、頭を凹まされても矢を受けても死なないことは確かだ」
「そ、そんな……」
僕の言葉に壱岐さんが青ざめ、より一層小さくなる。
「……甲斐、ほかの生徒たちは?」
「大混乱ですよ。ウッドデッキで流血騒動がありましたから、もともと人は離れていましたが」
辺りを見渡せば、僕らの周りにも十数人の生徒たちがいる。みんな何が起こっているのか分からないようで、ちらちらと僕とウッドデッキを見比べて、ひそひそと周りの人たちと話し合っている。そしてウッドデッキを見下ろせる廊下の窓には二階、三階、四階全てで人だかりができていて、心配そうにウッドデッキを見下ろしている。
「とにかく、あの用務員さんや女子生徒を二階以上に上げるのはマズい。生徒に危害が及ぶ」
「け、警察は……?」
「甲斐が電話したそうだが、繋がらないらしい」
「じ、じゃあ先生たちは……!」
「……それも甲斐が確かめた。職員室では……」
職員室の先生たちも、用務員の男同様に化け物にようになっていた、そう伝えようとした、そのとき……。
ガッシャーン、と大きな音がして、一緒に得体の知れない不気味なうめき声が幾重にも重なった。
「っ」
目線をウッドデッキのメイン階段側にやれば、そこには雪崩を起こしたように折り重なった人間の山ができていた。階段を二十人以上の人間が同時に転げ落ちたようだった。
「あ、あ、あれ、は……!」
壱岐さんが涙を浮かべ、口元を手で覆いながら後ずさる。
『ぐぶうううう』
『が、あがあああ、はッ』
『ぎひ、ぐぎぎぎ』
そこにいたのは、化け物の群れ。
「し、職員室のドアを突破したのか」
ウッドデッキに倒れこんだ人間の山は、職員室にいた先生たちだ。
甲斐の話では、僕と山城が戦った用務員の男や女子生徒同様の化け物となっていたらしい。
化け物たちの塊は上から溶けるように崩れていき、一匹一匹がやがて独立して、立ち上がっていく。転げ落ちた際に擦れて潰れた頭をした者や、衝撃で肘から骨が突き出た者、片目のない者、寒がるように自身の体を両腕で抱いて大げさなほど震える者など、その化け物っぷりは様々だ。
職員室は二階にあり、ドアは階段の正面だ。そのドアを痛みを感じない拳で叩き続け、人数を掛けて無理やりこじ開けた結果、勢い余って団子になって階段を転がり落ちたのだろう。
「……あの数は、やばい」
呟いて、僕は振り向きざまに生徒会メンバーたちに指示を出した。
「山城! 机だ! この階の机を集めて階段を塞げ! 化け物たちが上がれないように!」
「……! が、合点!」
「壱岐さんは二階、三階の生徒たちに避難誘導を! 全員を四階に上げて!」
「え、あ、はい!」
「甲斐は四階で情報をみんなに伝えてあげて! 何も分からないのが一番不安だろうから、分かることだけ、危険な状況にあることだけ伝えて!」
「はい」
「日向! お前は放送室に行って校内放送! 一階にいる生徒にも呼び掛けて、手頃な教室に入って鍵を掛けるように指示!」
「お、おう」
「いつもと同じだ! できることから始めよう!」
最後に全員で頷きあって、僕らは駈け出した。
今は、誰かが中心とならないといけない。
それはきっと僕だ。だけど、それは決して僕の頭がいいから、とか、腕っぷしが強いから、ではない。成績なら甲斐に勝ったことはないし、運動神経に関しては山城の足元にも及ばない。
僕が中心になるのは、ただ、僕が生徒会長だからだ。偶然、僕がそういう立場にあって、そばに頼れる友人が、仲間がいたからだ。
スウェーデンのことわざ曰く、
『荒波はリーダーシップを試す本物のテストである。穏やかな海では、どんな船長もいい船長だろう』
である。
僕は今、偶然にも生徒会長だった。その資質が今、試されているのかもしれない。
【次回予告】
【用語解説】
【あとがき】
いつも読んでくれて本当に、本当にありがとうございます。
ご感想、いいね、評価等いただければ、読者であるあなた様の存在をより感じることができ、とても励みになります。また、たいへん有難いことに少々忙しい日々を過ごしており、不定期更新となりますので、本作が少しでもお気に召した方は、[ブックマーク]等々もしてくれると嬉しいです。
ありがとうございます!




