第76限 植民校と宗主校
大人が消えたあの日から、およそ百年
そこには新たな国家【校国】があった……
校暦88年。
初代政徒会長を国父とよび、崇める学園国家【校国】の隣にある小さな町、太田市。
清い水源と、多くの川と、それに跨る橋の美しかったその町には、校国の食料生産の拠点、大之谷高校がある。
今から88年前、国父・安芸によってその安全が確保され、彼の率いる《校外委員会》によってフラッドの脅威から守られてきた大之谷農業高校。大之谷は今もなお、学園・校国に生産した食料の多くを輸出・提供し続けており、その防衛には派遣された《校外委員会》が当たっている。
加え、国父亡き後に設立された『新たな委員会』が、現在では《校外委員会》以上にその存在感を同校で増している。
その名は……
「開けろッ! 《総督委員会》である!」
その名は、《総督委員会》。
校国が実質的な支配下に置く、二つの学校、農業高校および工業高校の管理・運営・連絡等をより効率化するために設置された、新たな委員会である。
「抵抗は無駄である! 直ちに開けよ!」
大之谷学園へ続く坂道の下。
そこにあった村は現在では築かれた壁によってフラッドの脅威から解放されており、いくつかあった民家には大之谷農業高校の生き残り……の子孫たちが、一戸につき三世帯ほどで一緒に暮らしていた。
そのうちの一つの民家の玄関を、黒い上着を着込み、緑色のネクタイを締め、脹脛のあたりが膨らんだ上着と同じ色の乗馬ズボンを履いて、左腕に若草色の腕章を通した男たちが叩いている。校国内で公職に就く者の証である、桐可学園の制服を元に作られた役人制服だ。
その腕章に書かれた『総督』の二文字が、彼らの所属を示している。
「……おい、尾張、あまり手こずるな。今日は校国から備前総督委員長がいらっしゃる予定だ。ワシもご挨拶をせねばならん」
玄関を叩く二人の委員に、後ろから低い声が掛けられる。
茶色の立派な馬に乗った、太った男が部下たちを急かす。顔中に張り付いた脂がつやつやと陽光を跳ね返した、下品な顔をした男で、彼だけは委員会内で高位の役職に就くことを意味する青色のネクタイをしている。
「は、はい。分かっております」
瘦せ型の背の高い委員、尾張は同僚と顔を見合わせて、頷き合い、腰に手を伸ばした。
取り出したのは、拳銃。
「……調査に協力しない場合! 貴様ら全員を反校国運動派の活動家としてひっ捕らえる! 十数える内に戸を開けろッ! 十……! 九……!」
カウントしながら総督委員・尾張が数歩下がり、拳銃を玄関のドアノブへ向ける。
すると、ずっと静かであった民家の中から、ドタドタと足音が聞こえ始めた。
「……わ、分かった! ドアを開ける! だから乱暴なマネはしないでくれ! 俺たちは反校国派なんて知らないんだ! 中には子供も女もいる! だからどうか頼む!」
これまでどれだけ怒声を上げて玄関を叩いても、何の反応も示さなかった対象に動きがあり、委員二人はうっすらと口角を上げた。
「御託はいい! さっさと開けろ! 蹴破るぞッ!」
「い、今行く! ちょっと待て!」
そして足音が玄関へ近づいてくるのを確認し、委員の一人は顔の横に拳銃を構え、反対の手で玄関のノブを予め握った。
戸の向こうで数秒の躊躇いを感じたのち、ガチャ、という解錠音が聞こえて、委員の男はそのまま乱暴にノブを捻り、民家内へ突入した。
「なぜすぐに戸を開けないッ! この農奴どもが!」
「下がれ! 全員跪いて頭の後ろで手を組め!」
委員の二人は拳銃を構えながら民家内へ土足で侵入し、住民たちを脅かしつけ、ジェスチャーで廊下へ整列させる。それに住民たちは怯えながら従い、部屋から廊下へ出て、膝を突き、頭の後ろで手を組んだ。
「この家屋には矢部という男がいるだろう! それに……吉野だ。どいつだ!」
尾張は胸ポケットからリストを取り出し、そこに書かれた名を呼ぶ。
「そ、それなら俺だが……」
「私が吉野……です」
恐る恐る顔を上げた二人の住民。
名乗り出た矢部、吉野に総督委員の二人は頷き合って、それぞれの拳銃を矢部と吉野へ向けた。
「貴様らには反校国主義的行動及び言動とその誘発の容疑がかけられている。我々《総督委員会》が貴様らを拘束する」
リストを畳んで胸ポケットへ仕舞いながら、二人に外へ出るように促す委員の男。
容疑を掛けられた二人は口が自然と開いていった。
「……な、なっ。あり得ません! お、おれ……私は、毎日精一杯校国のために尽くし、働いておりますッ!」
「そうです! 私たちは日々、校国のために畑へ……!」
「あ、あたしの夫がそんなことをするはずありません! 委員様! 何かの間違いでございます!」
必死に容疑を否定する住民たち。
総督委員の男は、「はあ」とため息を吐き、そして、慣れた手付きと表情で、拳銃の底で反校国主義の容疑が掛かった男を殴りつけた。
「がっ、ぁ……!」
顔の側面を固い拳銃で殴られた男の口からは歯と血が飛び、体は廊下へ倒れてしまう。
「抵抗するな。容疑が晴れればここには帰れる」
やれやれ、と男を殴った右手の底を反対の手のひらで包むように撫でる尾張。
「く……くそぉッ……!」
「……ん?」
すると、殴りつけられた住民の男・矢部がキッと床から尾張を睨みつけた。
「こんな……こんなことがいつまでも罷り通ると思うなよ! 俺たちは……大之谷は、いつか校国の支配下から脱し、自主と独立を勝ち取る!」
「や、矢部さん……! よせって!」
仲間の制止も振り切って、矢部は傷口を押え、立ち上がりながらも、尾張を睨み続ける。
それを小馬鹿にするように、尾張は顔を傾けて、見下ろし、ふっと笑っている。
「俺たち大之谷を農奴だ植民校だと蔑むのはいいが! 俺たちがいなきゃ米も野菜も肉も食えん貴様ら学園が、どれほど偉いってんだ!」
「……制裁が足りんようだな」
拳銃を握った拳を反対の手にトン、トンと打ち付けながら、尾張はニヤニヤと笑う。
「ああ殴れよ! 気が済むまで殴れ! それしかできないんだからな! お前ら桐可学園は! 昔から!」
「……その発言は、我らの国父様を侮辱しているとも捉えられるぞ……?」
「これが、これがアンタらの大事な国父様の望んだことなのかよ! アンタらの言う偉大な国父様ってのが、俺たちを苦しめているのか! だったら俺はその国父様ってのが許せないね!」
「……貴様」
校国に住まう者たち最大の尊崇の対象・国父までもが口に出され、ヒートアップする矢部と尾張の口論。そこに割り込む、尾張の上官の声。
「ええい! 尾張! 何をしているゥ! 急がんかァ!」
下馬し、偉そうに後ろ手を組みながら民家内に姿を現した上官の男。
「申し訳ありません。こいつが中々活きがよくてですね。校国の体制を批判するばかりか、国父様への侮辱の言葉まで吐きまして」
「それはけしからんが! 今日は委員長閣下がだなあ……」
太った上官の男は言いながら玄関から伸びる民家の廊下に整列した住民たちに目をやった。
そして、彼の下卑た視線が、一人の住民の姿を捉えた。
十代後半ほどの、容姿の整った女性が跪いている。
……彼好み、であった。
「……ほほお。それは本当か? 国父様を侮辱、とか」
「はい。重罪であります」
「確かに重~い罰が必要だなぁ……。おい、そこの女」
上官に指を刺された若い女。彼女は「え、え」と困惑の声を漏らしながら顔から血の気を引かせていく。
「貴様も怪しいなァ、ぐふ。その女も拘束しろォ、ぐふふ」
ガマガエルのようなにやけ顔で、女を連行するように命令をする男。
「ま、待て! この子は関係ないだろ! 喧嘩吹っ掛けたのは俺だ! 俺が……!」
「黙れ!」
「がっ……!」
女を庇おうと廊下を塞いだ矢部を、尾張は地面へ組み伏せた。うつ伏せに組み敷かれた矢部の腕を彼の背に、頭を廊下に押し付け、馬乗りになる尾張。
「かまわん。女を連行しろ」
尾張の指示を受け、もう一人の総督委員が土足で屋内に侵入。
尻餅をついて後ずさる若い女にズカズカと近寄り、「さあ来い!」とその腕や髪を引っ張る。
「いや! いや! やめて!」
必死に廊下に足を付け、体をひねる女だが、痩せたその体では大の男にまともな抵抗はできない。
「よせ! 俺が悪いんだろう! 連れていくなら俺だけ連れていけ! その子は関係ない!」
尾張に床を舐めさせられている矢部が必死にそう叫ぶが、男たちはにやにやと笑いながら、女を引き摺り、玄関まで運んだ。
涙を浮かべて、少しでも痛みを和らげようと必死に男たちの腕をか細い手で掴む女。
その様子に、ガマガエルのような総督委員はゾクリと鳥肌を立てながら満足げに口角を上げて、その女の腕をぐっと掴んで自分の方へ引き寄せた。
「きゃ」と女は悲鳴を上げる。彼女は恐る恐るその顔を上げると、そこには頬を紅潮させて、鼻息を荒くした太った男の脂ぎった顔があった。
「ぐふふ。校国体制の革命を狙う農奴どもめ……。たっぷりとその体にモノを教えてくれるわ……。男には懲罰を与え教訓を、女には奉仕を命じて恭順を刻み込んでやるのだァ……ぐふふ、ぐふふ」
少し先のことを想像し興奮した尾張たちの上官の男は、脂汗を浮かべて、舌なめずりをする。
「……よし、では男二人と女を総督委員会府へ連行しろ。女は体を綺麗にして地下へ繋いでおけ。男どもは取り調べ、だ」
「はっ」
上官の命令に尾張ともう一人の委員は返事をして、それぞれが矢部と吉野を拘束して立ち上がった。
「……ん?」
そのとき、ドドド、ドドドという足音と、ヒヒーンという馬の鳴き声が玄関の向こうで聞こえ、上官の男は「ちっ」と舌打ちをした。彼は抱き込んでいた女を尾張に投げるように押し付けて、玄関を出た。
「……これはこれは」
上官の男はそう言って少し頭を下げる。
やって来たのは、黒い馬に乗った、白い腕章を左腕に通した若い女。
彼女は上品に下馬し、馬を撫でたあと、手綱を引きながら総督委員たちの方へ歩み寄った。
「……任務中、失礼」
総督委員たちと同じ、桐可学園の公職に就くことを示す黒い制服。
高位の地位にあることを示す赤いネクタイ。
左腕に通された白い腕章。そしてそこに書かれたのは……。
彼女はカッと音を鳴らして足を閉じ、腕章をはめた左腕を腰に回して、右手で腕章を摘み、相手に見せるようにした。自身の身分を、腕章を広げることによって示す、校国式敬礼だ。
「私は《特別風紀委員会》、大之谷派遣隊隊長・相模であります」
相模の自己紹介に、総督委員の男も腹を揺らしながら校国式敬礼を返し、名を名乗った。
彼はジト、と目の前に立つ相模の胸を睨んだ。シャツの向こうにある女性的な膨らみを凝視した、というのもあるが、それよりも彼が睨みたかったのは、紅いネクタイだ。
基本的に、校国の委員会に所属する者には、三種類のネクタイを締めている。
まず、一兵卒的な部下を持たない、もしくは持ったとしても直接的な部下の管理権を持たない委員が締める緑色のネクタイ。
次に、正式に部下を持ち、ある程度の裁量権を認められた委員が締める青色のネクタイ。
最後が、委員会の委員長、もしくは委員長直轄の部隊の長が締める、赤色のネクタイ。
要するに、赤、青、緑の順に偉いわけであるが、二十代の相模が締めるネクタイが赤く、五十代の自分のネクタイが青い……というのは、男にとってその機嫌を損ねるのに十分な理由になり得た。
ちなみにこのネクタイの色によって役職の高さを示すというのは、桐可学園の三年生が赤、二年生が青、一年生が緑のネクタイを締めていたことに由来している。
「……何の、御用でありましょうかな。相模特別風紀委員殿」
「いえ、我が校国が保護する大之谷での治安強化を委員長閣下より下命されまして」
「ほう。それは大命を拝しましたな」
「ええ。身に余るものですが、誠心誠意、務める所存です」
敬礼を解いた二人は形ばかりの挨拶を交わし、本題に入る。
「……ですが、なぜこちらへ。我々は我々の……《総督委員会》の仕事をしているだけでありますがぁ」
総督委員会の男は玄関を塞ぐように位置を変えた。
相模は男と玄関の間から覗いた、涙でぐちゃぐちゃになった女の姿を見て、顔を顰める。
「……たしかに、校国の体制を破壊する思想を持つ者がこの民家にいることは知っています。その反校国主義者たちの拘束にあなた方が来ていることも」
「では」
「ですが、たしか拘束すべき者は二名だったはずです。そこの女性には、一体なんの容疑が掛けられているのですか?」
キッと自分を上目で睨みながら痛い所を突く相模に、男は不機嫌そうに眼を上にやり、再び舌打ちをした。
「……ちっ……。忌々しい……。特風め」
「……何か?」
「いえ何も」
男は上層部への接待で身に着けた笑顔を浮かべた。
《特別風紀委員会》。
彼らは腕章に刺繍されたその文字から、一般的に「特風」と呼ばれており、『委員会を取り締まる委員会』である彼ら彼女らは、威圧的で暴力的で独裁的な支配を強行する《総督委員会》からは、目の上のたんこぶとして嫌われていた。
「はああ」
長いため息を吐いて、総督委員会のガマガエルのような男は振り返り、尾張に顎と目線で合図を送った。
それを見た尾張も舌打ちをして、「くそ」と悪態を吐くと、
「ほら、行け」
と、女を廊下へ突き飛ばした。
「次、また不審な言動をすれば直ちに拘束するぞ」
尾張はそう女に指を突きつけながら吐き捨てた。もちろん、相模への「怪しかったので尋問していました」というアピールに過ぎない。
「……ということです」
総督委員の男はそう取り繕った笑顔を相模へ向けた。
相模は姿勢を正し、「任務、ご苦労さまです」と言った。
そして、
「立てっ」
「抵抗するなよ」
「さっさと歩け」
二人の総督委員は容疑者二人の背を押し、上官と相模の横を通り過ぎた。
総督委員たちが容疑者を馬車に押し込む様子を、相模は後ろ手を組みながら横目で睨み続ける。
「……もう、よろしいかな、相模殿。今日は総督委員会府の方へ、本校から委員長がいらっしゃる予定となっておりましてな」
「ええ、お時間ありがとうございました。備前委員長にもよろしくお伝えください」
「……ふん」
鼻を鳴らして、男も部下の後を追い、自身の馬にもたもたとよじ登ると、最後に相模を一瞥して、馬の腹を蹴り、あちこちの肉を揺らしながら戻っていった。
「……乱暴な取り締まり……何とかしないと、校国は……」
相模は《総督委員会》の馬車が消えるのを軒先で見送ってから、握っていた馬の手綱をそばの木に括り、総督委員たちが荒らしていった民家の玄関をくぐった。
玄関を潜ってすぐの廊下には、強引に連れ去られそうになった女性が突き飛ばされた体勢のまま、その手で顔を覆って泣いていた。
「……あの、大丈……」
相模はそんな彼女に声を掛けようと手を伸ばした。
しかし、
「触らないでッ!」
その手をパシッと払われる。
伸ばした手を、泣いている女性の母親に叩かれ、相模は固まってしまう。
「あなたたちのせいで散々よ……! 返してよ! 旦那を今すぐ返してよ!」
「そ、それは」
「何が校国よ! 何が政徒会長よ! 何が国父よ! 誰も助けてくれないじゃない!」
その母親の恨むような、涙で滲んだ双眸に、相模は目を逸らすことしかできない。
伸ばした手を徐々に下げていき、相模は行き場を失ったその手をぎゅっと反対の手で掴んだ。
そして彼女は弱った自分を隠すようにカッと踵を鳴らして、回れ右をした。
「…………私はこれで失礼します」
そう言って、相模は弱き者たちの嗚咽に背を向け、玄関を出て、後ろ手に玄関を閉めた。
扉越しに女性たちの泣き声や、周囲の励ます声を聴きながら、彼女はきゅっと唇を結い、胸の前で拳を握る。泣きそうになるのを堪えながら、かつての人類が神に祈るように目を伏せて、懇願を口にした。
「……国父様……安芸様……。貴方を失った私たちは、余りに弱い……。どうかそのお知恵を、天よりお与えください……。どうか我々を、一つにしてください……」
イギリスの思想家ジョン・ミルトン曰く、
『力によって支配する者は、敵の半分だけを支配しただけにすぎない』
である。
少し中途半端ですが、区切りです。
これまでの感想、ここがいい、ここがだめ、こんなのどう?、などありますでしょうか。
もしあればポチポチっと押していただけると頑張れます!
ありがとうございます。




