第68限 再びの死地へ
前話(第67話)にて、キャラの名前に誤りがありましたので、訂正しております。
訂正前 訂正後
・上総 → 由良
・淡路 → 最上
よろしくお願いします。
大人だけが消えた世界……
……そしてやがて、学園は国家となる
大田市、大之谷農業高校。
桐可学園同様に教師がフラッド化したこの農業高校において、生存者たちは校舎の三階より上へ立てこもっている状況である。広大な敷地内には教師と生徒のフラッドが溢れているが、生存者たちは食糧の確保のために生存圏を出る必要があった。
「……うっひぃ〜。はぁ、はぁ。や、やっぱ、オッカナイねぇ〜」
食料を詰め込むための空のリュックを背負う五人の男女が、校舎から森の方へ進んだところにある鶏舎の用具庫の裏に息を潜めている。
彼らが今回の食糧確保班だ。
そのうちの一人の女子生徒が、用具庫に隠れるなり、地べたに座り込んで、荒い息を整え始める。
つなぎを着て、髪を金色に染めた女子生徒。由良だ。
『……ぐぅがあ゛ああああああッ!!』
五人のそばで太った男性教師のフラッドが唸り声を上げ、それに肩をビクッと揺らした五人は悲鳴の出そうな口を慌てて手で塞ぎ、息を殺した。
五人を追いかけて来たそのフラッドは、辺りをぎょろりぎょろりと舐めるように見渡し、その視界にしばらく彼らが映らないのを認めると、また覚束無い足取りで校舎の方へ帰って行った。
由良が用具庫の影から顔を出す。
「……行ったみたい」
彼女のその報告に全員が「はあぁぁ」と安堵のため息をついた。
「……ね、ねぇ、ホントにあんな化け物にこんな武器で勝てるの?」
手に持つ鉄パイプに自信を持てない由良。校舎にあった机から無理やり頂戴した元・机の足がこの鉄パイプだ。彼女は頼りない机の足を食糧確保班の仲間の男子生徒に放り投げる。
「まぁ、ないよりマシだろって感じ、だな」
「なにそれ怖い」
由良の放った鉄パイプを片手で受け取った彼は、それを地面に突いて体重を預け、杖のようにして立ち上がった。
彼は食糧確保班のリーダーであった最上と共に最初期から仕事をこなすベテランだ。
「俺たちは倒した数より逃げた回数の方が多いから何とも言えんが、おそらくアイツらは痛みを感じてない。だから必要なのは『動けなくすること』だ。脚を砕くとかでもいいが、呻き声を上げられると他のヤツらも寄ってきちまうからな……」
「難しいのねー」
「やっぱ、狙うなら首……頸椎のマイクロチップだな」
「うーん。首かあ」
由良はコンビニの前のヤンキーのように座り、自分の首にトントンと手刀を入れてイメージトレーニングをしてみる。
「……さ、休憩はもういいだろ」
班の一人が膝を打って立ち上がる。
そのタイミングで由良も立ち上がり、鉄パイプを素振りした。それは女性特有の小さく不器用なスイングではなく、馬術や様々な球技で鍛えられた彼女らしい力強いものだ。
「馬術場のとなりよね。さぁ、向かいましょ」
◆
桐可市、市街。
事故を起こした車を避けながら、大通りを車列が進む。二台の装甲車に挟まれて、バンと物資を積んだ輸送車が走っている。
桐可学園の《校外委員会》だ。
「……たしか桐可東トンネルを抜けて、しばらく走った先が大之谷町だったよね」
僕の問いに、運転席の三入がパックのジュースをチューと吸ってから答える。
何でも三入はお兄さんがバイク愛好家だったらしく、彼のバイクに乗せてもらうために運転免許を取っていたらしい。
「あぁ。こっからなら大体30分くらいだな」
「30分か」
大之谷農業高校で立てこもる生徒のSNSへの投稿を見つけてから、直ちにその救出を決めたが、会議や準備があったので、2時間ほど経過している。
それにあれから再び電波が途絶えてしまったので、向こうとの連絡も付かない。数時間で状況は著しく変化し、救えるものも限られるようになってしまう。
「……急ごう」
「おう」
僕らは廃墟の街を東へ進む。
◆
「うわ、ちょ、ちょっ、止まって!」
しー、と人差し指を口元に伸ばし、小声で由良が仲間を制止する。
食料確保班の面々は広大な農業高校内の敷地をゆっくりと、時折、物陰に隠れてフラッドをやり過ごしながら進んでいた。そのため、歩みは亀のようであった。
「……どこだよ」
慌ててそばにあった藁を積む軽トラックの影に隠れたが、班の一人がそこから顔を覗かせた。
食料のある倉庫は馬術場のとなりだが、彼が顔を覗かせたその視線の先には、その馬術場が見えている。
「ちっ、あと少しなのによぉ……!」
目的地は見え始めたのに、行く手を塞ぐ教員のフラッドが自身の通行を許さない。それに苛立ちを覚えた顔を出した男子生徒は、鉄パイプを握る握力を強めた。
「……見たところ、あいつ一匹みてえだな」
彼のその一言に、由良が反応する。
「なに考えてんのか知んないけど、馬鹿なマネはやめなさいよ」
「馬鹿? はっ、見てろ。マヌケなゾンビ野郎の一匹くれえ、俺だけで十分さ」
「ちょ、おい! 戻りな!」
由良は彼を止めようと手を伸ばしたが、その手に彼のリュックが放り込まれる。由良はついそれを受け取ってしまい、彼を物理的に止めることができなかった。
彼は背負っていたリュックを由良に放り、腕まくりをして、足音を殺しながら背を向ける一匹のフラッドに忍び寄っていった。
一歩一歩、息と足音に細心の注意を払いながら踏みしめる。片手に握っていた鉄パイプを、両手に持ち直した彼は、フラッドをそのリーチに収めたと判断すると、ぐいっと最上段に鉄パイプを振り上げた。
「ふっ!!」
彼が短く吐いた息に、教員のフラッドは瞬時に顔を彼に向けたが、振り上げられた鉄パイプが、その顔面に叩きつけられる方が早かった。
ぐちゃ、と嫌な音が由良たちにも聞こえる。フラッドは顔面の中央を凹ませて、血を吹き、眼球を溢し、骨を露出させた。
『んんぶぶがあああ……ああがががっががががががあああぁぁぁぁぁッ!!』
全てがなくなった顔面を両手で抑えるフラッドは、よろめきながら仰向けに倒れた。
「化け物が……!」
男子生徒はまだ立ち上がろうとするそのフラッドの首筋に二度三度、鋭利なパイプの先端を振り下ろす。
『がっ、あっ、ぶふっ! ……あが、あ……』
首に穴が開くたびにフラッドは血交じりの嗚咽を繰り返し、やがてそれは小さくなっていった。
息絶えた人の姿をした化け物に一発蹴りを入れてから、彼は「や、やってやったぜ」と言って汗を拭い、鼻を鳴らして仲間の方へ振り返った。
「……はあ」
どうなることかと思って様子を窺っていた由良は、無事にフラッドを殺し終えた彼に胸を撫でおろした。
当人はと言えば、達成感に満ちた顔で制服を正して、舞台を終えたマジシャンのように仰々しく、わざとらしい礼をしてみせる。
そんなのはいいから早く戻ってこい。そう由良が手招きしようとした、そのとき、
フッ、と彼が由良の視界から消える。
「え……」
突然のことで、由良の小さな口から声が漏れる。
首を動かすことなく、目をきょろきょろと動かして消えた仲間の姿を探す。
「……あ、あ」
視界の端に、仰向けに倒れた彼がいた。
倒れたときに後頭部を打ち、頭が揺れたのか、合わない視点を無秩序に動かし、手で額を抑えている。
問題は、彼がなぜ倒れてしまったか、だ。
「ま、まっ……んぐっ!」
身を乗り出しかけた由良の口を塞ぎながら、となりにいた別の男子生徒が彼女を軽トラの後ろに隠れるように引き倒した。
「んー! んー!」
「馬鹿っ、大声出すな……!」
由良の口を塞いで一緒に軽トラの陰に隠れた彼は、態勢を低くしながら、そっとタイヤの辺りから向こうを覗いた。
「……い、痛っつ……。な、なん……だ……」
フラッドを一体倒し、自慢げにしていた例の男子生徒は、突然倒れて頭を打ったので、何が何やら分かっていなかった。
ピントの合わない目をパチパチと開け閉めして、顔を振り、額を抑えながら、首を起こす。彼は体を重く感じていて、首しか巡らせられないのだ。
「……あ」
やがて視界が鮮明になり始めた彼は、それと目が合った。
髪を振り乱し、血色の悪い灰色の肌をして、下の唇が噛み切られてなくなっている女子生徒だ。その下の歯茎が剥き出しになった女子生徒は「ゔっ、ゔっ」と声を出して頭を揺らし、その度に口からどろりとしたゼリーのような赤黒い液体がこぼれる。
高速で現われた女子生徒のフラッドが、彼を押し倒したのだ。
「あ…あああ……」
その液体を鎖骨に受けて、彼は体を捻じって逃げようとするが、どうにも女子生徒の……フラッドの力が強くて態勢を変えられない。
「は、はな、はなして」
「ぶ……ぐぶぶ、ゔええっ」
しばらく見つめ合っていた二人だったが、フラッドがそう一度大きく嘔吐くと、大量のヘドロのような体液を彼に浴びせかけた。
それを顔面に受けて、彼は目を伏せ、顔を必死に振ってどろどろの何かを払おうとする。そしていよいよ気が動転して、彼は悲鳴を上げた。
「う……うわああああっ!! 誰か!! 誰か助けてくれよーッ!! わああああああっ!!」
今まで以上に暴れ、叫び始めた彼に、女子生徒のフラッドも対抗するように奇声を上げた。
「ぐぎぎぎぎぎぎぎぎいいいいいぃぃぃッ!! あがあああああああッ!!」
フラッドも叫びながら、口を大きく開け、彼の汚れた顔面へ迫る。彼女は口角が裂けるほどに口を開いて、それをじたばたと暴れる男性生徒の首元へ運ぶ。
「いやあああああッ!! やめで、やめてくださいいいいいいいいいぃぃぃ……!! 痛…痛い痛い痛いぃぃ!!」
犬が与えられた人形に噛みついて振り回すように、フラッドの女子生徒は彼に噛みつくと首を左右に振って、その黒い歯で彼の首の薄い肉を噛み千切ろうとした。そして彼女の口内と彼の首元とで糸を引く肉の繊維が、プチプチと千切れていき、やがて切断された肉をツルりとフラッドが啜り、彼の肉を歯茎を剥き出しにした口の中に仕舞うと、咀嚼を始めた。
由良は仲間に口を塞がれながら、その悲鳴を聞き、涙を浮かべる。
強く止めるべきだった、油断するんじゃなかった、そう後悔が巡る。
やがて男子生徒に馬乗りになったフラッドは、無慈悲にもその歯牙を再び首筋に掛け、今度は深く、奥まで差し込んだ。
そしてフラッドは自身のマイクロチップから特殊な電気信号を発信。
彼女に噛み付かれ、接触状態であった彼のマイクロチップがその信号を探知すると、彼のCaD内のノアズアークプログラムが起動を告げる。
『プログラム《ノアの方舟》、起動します』
「……助け、助けて……なぁ」
無機質な女声のアナウンスに彼は脱力し、仲間たちのいる軽トラックへ手を伸ばした。
しかし、姿を隠す由良たちの姿は彼には見えない。それが彼には無情に映り、どうしようもないのだという強い諦観を与えた。
由良は今度は自分の両手で強く口を抑え、「うっ、うっ」と吐き気と声を殺す。聞こえる肉の千切れる音と悲鳴、呻き声を遮るために耳も塞ぎたかった彼女だが、口から手を離しては音を立ててしまう。
「……おぉいッ!! なに隠れてんだよこのクソ野郎共がァァァ!! 出てきて……出てきて俺を助けろよォォォッ!! ふざけんなァァァ!!」
フラッドに噛まれた男子生徒は、最後に泣きながら精一杯に叫んだ。
その声に由良はビクッと肩を揺らし、「ごめんなさい、ごめんなさい」と心の中で繰り返す。
「……頼む、頼むよ。……なぁ、頼むよ。死にたくねぇよ……。俺ァ、死にたくねぇよおぉぉ……」
もう我慢できなくて、由良は目を伏せ、強く唇を噛み、両耳を手で塞いだ。もう何も聞こえない。だが、腕を伝って聞こえる心臓の音は、彼女にその生を実感させた。
死にゆく彼が、生きたいと望む彼が、何よりも欲する生を、感じさせたのだ。
◆
「見えたぞ、正門だ」
運転手の三入に言われ、僕は山道の木々を眺めるのを中断した。ちょうど木を数えるのにも飽きていた頃だ。
「……あれか」
前を走る装甲車の向こうに、開け放たれた立派な門が見える。となりにある石造りの看板には、『大之谷農業畜産高等学校』とある。
それを確認して、僕はドリンクホルダーに置いていたトランシーバーを取り、口元に近付けた。
「……みんな、到着だ。各自準備してくれ。装甲車は予定通り、敷地内のフラッドを掃討してくれ」
『了解』
『分かりました』
『任せてください』
装甲車と、通学バス、輸送車からの返事を受け取り、僕もグローブボックスに仕舞っていた拳銃を取り出す。
そして校門を抜けると、ダダッ、ダダダダッ、という音が前方から聞こえ始めた。
前を走る装甲車に取り付けた機関銃の発砲音だ。
「……嫌な音だ」
僕が独り言で呟くと、運転席の三入が言う。
「そうか? 俺は嫌いじゃないぜ。俺に向けられてないし、あの音が意味を持つほど、俺は生存率が上がって、幸せになれる」
「……嫌な奴だ」
「ははっ。俺はお前が好きだぜ」
軽口を言い合いながら、弾倉の弾薬を確認していた僕は彼の言葉にフッと笑って、左の手の平で台底を叩くようにして装弾を終えた。
拳銃の安全装置をグリップを握る手の親指で解除し、僕は目を伏せ長く息を吐く。
この「死地に飛び込む」感覚には慣れない。緊張して、いや緊張し過ぎて、逆に腹が浮くような、ふわふわした感覚を覚えるのだ。
「……よし」
何とか覚悟がついたフリをして、僕は目を開き、前を向いた。
フランスの作家ヴィクトル・ユーゴ―曰く、
『生きている者とは闘っている者のことだ。心と欲望が固い運命に満ちている者だ。運命の高く険しいその峰を、よじ登る者のことだ』
である。
本作戦の目的は、大之谷農業高校に残る生存者の救出。そして農業高校を安全圏として確立して、農地を確保し、これからの学園の食料の生産拠点をここに置くことだ。
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