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【受賞】ノアの学園~国父とよばれた高校生~  作者: 大塚 可修
第2章 方舟のあらんことを
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第46限 桐原中学戦・体育館

大人だけが消えた世界……

……そしてやがて、学園は国家となる

 掴んだレンガは、バラバラに砕け散った。真っ二つとかそんな綺麗な割れ方をせず、本当に粉々になった。


「……まさか」


 嫌な予感がした。

 たまたまヒビが入っていたからといって起こるような割れ方ではないのだ。


 僕は花壇の縁を成す別のレンガに、もう一度手を伸ばす。そっとレンガに手を置き、レンガを持ち上げるくらいの力を込めた。


 バキッ……ガラガラガラ……


 持ち上げようと力を入れた瞬間に、レンガは再び砕け散る。


「これ……僕が砕いてるのか……?!」


 間違いない。義手の故障だ。この義手は人間の平均的な力しか出ないように設定されているが、あくまでそれは設定という「制限」に過ぎない。その制限が、衝撃で狂ってしまったのだろう。


「……故障は困るなぁ。直せないぞ」


 もし制御装置が壊れていたらどうしよう。ドアを開けようとする度にノブを破壊してしまうぞ。

 つまらないことを考えながら、右手を睨み、握ったり開いたりする。だが違和感はなくて、それが逆に気持ち悪い。


『あっ、申し訳ありません! 加減を間違えてしまいました!』

「……パ、パロマ!」


 耳元で女の子の声がして、僕はビクッとした。

 耳元で、というと語弊がある。脳内に、女性の声が響いた。頚椎に埋め込まれたマイクロチップが、僕の聴覚に働きかけることで脳が音を認識する音声機能だ。着信音や音楽再生、アナウンスなどにも利用されている。


 その機能を、僕のマイクロチップ内に住まう人工知能『パロマ』が利用したのだ。


「……ぼ、僕の意識がある状態でも話せるのか」


 これまで二回の彼女との接触は、「直接会う」ようなものだった。僕が眠ったり、意識を失ったりすると、夢の中のような自身のマイクロチップ内に築かれた仮想世界に呼び出されていたが、今回は僕の意識を覚醒した状態にも関わらず、声が聴こえる。


『えぇ、今までは私の存在を隠していましたが、もうそれも必要ないですから。それにああしないと、信じてくれないかもしれないじゃないですか』

「ま、まぁ、たしかに」


 突然脳内に声がして、『私はあなたのマイクロチップに住まう人工知能! しかも私を創ったのはあなたの両親! その両親はアルヒェの研究員! あなたの両親はアルヒェに殺された!』とか言われても絶対に信じないし、アルヒェに故障を訴えに行ったかもしれない。もしくは最寄りの精神科へ。


 僕は自分が傍から見ると独り言を喋る変な奴であることに気付き、山城たちのいる新校舎の窓からは見えない位置に身を隠す。柔剣道場の外壁にある窪みに体を入れ、しゃがみ、彼女の声がする右耳を手で押さえて会話を続ける。


「そ、それよりも」

『はい?』

「はい、じゃないよ! さっき『加減を間違えた』って言ったね! それって……」

『あぁ、主様の義手のことですね!』


 ふふんと、誇らしげな声に、僕は頭を抱えた。


「い、一体どうやって?」

『簡単ですよ? ほら、主様の義手はどうやって動いておりますか?』

「そりゃ……脳からの運動神経情報を、頚椎《けいつい》のマイクロチップが読み取っ……て……って……。あぁー……なるほど……」


 口にしながら理解した。

 僕の義手は、首に埋め込んだPデバイスのマイクロチップと連動したものだ。脳が発する右腕の動作に関する命令を頚椎マイクロチップが感知すると、その命令を無線通信で義手に伝える……というのがこの義手の仕組みだ。脳から発される命令の中継点がマイクロチップであり、そこに住まうのが、彼女……パロマである。


「つまり君は、僕の義手と繋がってるわけだ」

『はい! さすが主様です!』


 だから彼女は僕の義手の制御を司っているわけで、その義手のパワーコントロールも彼女の手中だと…。


「でもなんでこんなことを」

『何と言いますか、現実世界でも私の存在をアピールするいい機会かと』

「何気なく掴んだレンガを粉々にしたんだぞ! 驚くじゃないか!」

『……分かりやすくていいんじゃないかなあと……』


 ……要するに、ただ僕に話しかけるための口実だったわけだ。


「ま、まぁもういいよ。それより、周りに誰かいるときは話し掛けないでね、返事もできないから」

『まあ、冷たいお人なのですね。およよ』


 床にわざとらしく崩れ、着物の裾で口元を隠しながら嘘泣きをする女性の姿が、ぼんやりと頭に浮かんだ。


 ……この自分の中に別の誰かがいる感覚は、しばらく慣れそうにない。


 ◆


 同時刻。同中学校。体育館。


 水も途中から一切出なくなり、食糧も電気もないその中で、中学生たちは絶望していた。


 秩序など欠片(かけら)もないその場所は、暴力が支配している。


「きゃっ」


 不良の男子生徒が、女子生徒を殴りつけた。

 彼女は後ろ向きに倒れ、必死に不良の少年から逃げようとする。


「いやっ、いや!」

「嫌じゃねんだよ! おいお前ら、この女を押さえつけろ!」


 リーダー格の彼の指示を受け、取り巻き達は下衆(げす)な顔と笑い声をしながら、か弱い少女を力でねじ伏せる。


「お願いっ、お願い止(や)めてっ! 誰か、誰か助けて…!」

「へへ、そのまま押さえとけよ、お前ら」


 下着が露になるのも構わずに、少女は暴れ続けるが、中学生になり、男女の体格差が明確になっているので、抵抗など不良たちにとってはあってないようなものだ。


 リーダーの少年はカチカチとカッターナイフの刃(は)を出していく。そして少女に馬乗りになり、彼の趣味となった制服の切り裂きを始めた。


「いやっ! 痛いっ、やめ……やめてよぉ……」


 勢い余ったカッターナイフの刃が、少女の柔肌を傷付ける。それもお構い無しに、少年は少女の制服を切り裂いていく。中にはズボンのジッパーを下ろし始める者もいる。

 想像もしたくない少し先の未来を予見した少女は最後に、出来る限りの声を振り絞って助けを求めた。


「誰かっ……誰か助けてっ!」


 首を巡らし、周りを見やる。

 だが、体育館内の全員が、少女から目を逸(そ)らした。


 先生も警察もなく、水も食糧もない体育館に籠城する少年少女たちを支配したのは、暴力だった。暴力をふるえる者こそが正義となった体育館で、カッターナイフを持った不良少年は、体育館を支配する暴力そのものだ。

 普段は彼を止める教師がいた。彼を拘束する警察がいた。彼を裁く裁判官がいた。だが、大人が消えた世界において、それらは全て消えた。

 人間が暴力を振るわない理由が、自身の善良な心による躊躇いしかないのだ。もちろん、その躊躇いのない人間は、痛い目をみるまで暴走を続ける。


「なん……なんで……誰か……だれか……」


 少女は涙を浮かべる。

 もう抗う体力もないのだ。


 救いなどない、と彼女が諦めかけた、その時。


 ──ガンッ


 体育館の鉄扉から大きな音がした。

 全員がビクッと震え、扉に視線を向ける。


「へ、へへ……。気にすんな。どうせ化け物(センコー)共だ」


 扉が叩かれるのは日常茶飯事(にちじょうさはんじ)だ。「またか」と中学生たちは再び下を向く。


 しかし、次に聞こえた音は違った。


 ──ダンダンッ!


 聞こえたのは二度の、銃声。

 明らかにフラッドから発せられるものではない。


 全員がはっと顔を上げた。


 そして、銃弾により鍵が破壊された体育館の重たい鉄の扉が開いていく。

 暗い体育館内に、一筋(ひとすじ)の光が差し、それは徐々に放射状に広がっていき、やがて体育館内を広く照らした。


 そこにいたのは、理性を無くした人喰いの化け物……ではなく、黒いコートと黒い髪をした青年だ。


 彼は「大丈夫か?!」と銃を構えながら体育館に突入してきた。


 ◆


 女の子の「助けて」という声が聞こえ、僕はパロマとの会話を強制的に中断し、体育館の扉を拳銃で破(やぶ)り、体育館に入った。


 暗い体育館。かなりの数の生徒がいて、壁に寄りかかっている。全員、げっそりとしていて、数日間、何も飲まず食わずだったのがすぐに見て取れた。


「大丈夫か?!」


 それよりもさっきの悲鳴だ。


 ──どこだ、どこにフラッド……が……


「……は?」


 フラッドの姿は、どこにもなかった。


 だが代わりに、少女と、少女を押さえ付ける数人の男子、そして少女に馬乗りになりカッターナイフを持つ男子がいた。


 少女は首を倒して、こちらを見ていた。

 彼女は涙を流していて、制服が滅茶苦茶に切り裂かれている。


 そして、彼女は掠(かす)れた声で、僕にもう一度、助けを求めた。


「たす……けて」


 僕は腸(はらわた)が煮(に)えくり返るほどの怒りに襲われる。無論、少女を襲う男たちに対してだ。


「……おい。その子から、離れろ」

「は? なんだテメ……」


 僕は銃口を天井に向けて、引き金を引いた。

 ガンッ、という発砲音が体育館内に響き、ぶら下がっていた電球が割れる。


「ひ、ひぃ……」


 パラパラと降り注ぐ照明の破片に、少女を力で床にねじ伏せていた取り巻き達は情けない声を出して、彼女から手を離した。


 だが、彼女に馬乗りになっている男子生徒だけは退(ど)かなかった。


 僕はそいつに銃口を向け、もう一度警告する。


「……もう一度言う。カッターを、捨てて、その子から、離れるんだ」

「……」


 彼は無言で立ち上がった。

 言うことを聞くのかと、そう思ったが……


「……死ねっ!」


 彼は床を蹴って、僕との距離を詰め始めた。


「どうせ撃てねぇだろ! なら俺がぶっ殺してやる!」


 たしかに撃つ気はない。

 今ここでこの不良を殺しても、何かが好転するわけではないからだ。


 カッターナイフを構えながら、不良少年は俺に迫る。何かスポーツをしていたのか、彼のフットワークは軽く、様々な位置から刺突や斬撃が飛んできた。


 得物(カッターナイフ)のリーチが短いのが救いだ。

 僕はその刃をぎりぎりで避ける。だが運動の苦手な僕では限界があった。すぐに体育館の壁際に追い詰められてしまう。

 撃つ気のないこの拳銃で、彼を殴り倒す算段(さんだん)だったが、隙がない。


「……ここは、俺の王国なんだよォ! 俺は……俺はここなら何したっていいんだァ……」


 少年は血走った目で意味不明な事を呟く。


 アメリカの作家アイザック・アシモフ曰く、

『暴力とは、無能者にとっての最後の拠り所である』

 だ。


 おそらく、自分の暴力で支配できるこの環境に慣れてしまったのだろう。


 ……ふざけるな


 その言葉しか出ない。

 だが壁際に追い込まれたこの状況はピンチだ。


 彼はカッターナイフの刃の長さを調整し、僕に向けた。


「殺しは初めてだ。けどよぉ、俺を誰も裁けねぇんだぜぇ!?」


 そう言って、彼は僕にカッターナイフを振り下ろす。


 もう逃げられない。

 僕は咄嗟(とっさ)に身を守るために、利き腕の右手を顔の前に構えた。

 その腕に、義手に、カッターナイフの刃が入り込む。今日は義手ばかりが災難を受ける日だ。


「くそ……!」

「ははぁ!!」


 彼は僕に一太刀(ひとたち)入れたのに少し満足したのか、ズルリと刃を引き、また距離を取った。


 ──くそっ、どうする……。こいつ、本当に僕を殺す気だぞ…


 山城たちの到着にも時間が掛かり、拳銃では加減した攻撃が出来ない。


 脳を必死に働かせていた。その時、ドクン……と右腕が脈打ち、熱を帯びた。


「?! ……な、なんだ」


 右腕に感じる、熱。

 肉の代わりをするシリコン材の向こうが、淡く発光している。フラッドから受けた歯型の傷と、今受けたカッターナイフの傷…そこからは赤い光が覗いた。さらにキイイィィン……という機械の駆動音が小さく右腕から聴こえる。


「ま、まさか……」


 再び、脳内に彼女の声がした。


『主様! 右腕の制御(リミッター)を外しました!』

「……リ、リミッター?」

『ええ。一撃……一撃です。思いッ……切り! 彼の顔面をぶん殴ってやりましょう!』


「なに独り言(ごと)言ってやがる!」


 僕の右手が見えないのか、彼はまた斬りかかってきた。


 顔面を殴れと言われても、僕は喧嘩なんてしたことがない。今はやってくる攻撃を躱さないと、反撃なんてお話にならない。


 彼の攻撃は刺突(しとつ)。僕の顔に向かって、刃が真っ直ぐに飛んでくる。

 その突(つ)きを、は右手の甲で払うようにした。狙いが逸れれば、と考えたのだ。


 カッターナイフを握る彼の腕に、僕は右手で払いを入れる。


 ……すると、思いもよらぬ音がした。


 ──メキッ……


 その音は、僕の右手の甲と、彼の腕がぶつかった時に聞こえた。何か、硬いものが軋むような音が、はっきりと聞こえたのだ。


「があぁぁっ?!」


 すると目の前で、彼が顔を歪(ゆが)めて叫び、カッターナイフを床に落とした。

 僕はこちらに転がってきたカッターナイフをすぐに踏み付け、刃を折り、遠くへ蹴り飛ばす。


 不良少年は自分の右手を押さえて、唾液(だえき)を床に垂らしながら呻(うめ)き声を発した。


「腕……腕が……ぁ……」


 よろよろと彼は後ずさる。


 何が起こったのか見てみれば、彼の肘(ひじ)から下、前腕(ぜんわん)が中程(なかほど)であらぬ方向へ折れ曲がっていた。さっきのは骨が折れた音だったのだ。


 ……な、何が起こって……僕がやったのか?


『ぁ……一発で意識を奪ってあげるのがお優しい処理の仕方でしたのに……』


 あーあ、と言いながら、パロマはどこか嬉しそうに呆れた。


 どうやら義手の制御を彼女が外したために、人間の持つ以上の力が僕の義手に与えられたようだ。それで少し彼の腕を払ったつもりだったが、申し訳ないことに接触した彼の腕の骨をへし折ってしまった。


「こ、ごのぉ……! でめぇ、何しやがったあぁぁぁっ!」


 彼は痛みで気が動転したのか、左手を振りかぶって狂ったように突撃してきた。

 走るのも遅く、ただ真っ直ぐに、利き腕でない左手の拳(こぶし)を武器に、彼は涙や鼻水を撒き散らしながら突っ込んでくる。

 そんな情けない男など、もう怖くはなかった。


 僕は右手で拳を握る。


「右手で……思いッ切り……」


 僕も握った拳(こぶし)を、狂った彼に向けて振りかぶった。


「『殴るッ!』」


 繰り出される僕の拳と、彼の拳。二つは交錯(こうさく)する。


 体格差もあり、先に届いたのは……僕の拳(こぶし)だった。僕が思いっ切り振り抜いた拳は、彼の鼻先に直撃した。

 衝突の瞬間はスローに感じて、義手の感じた感覚がよく分かった。まず鼻の骨に拳の当たる硬い感触。次にそれを砕く砂を噛むような不快な感触。そして彼の頭のずっしりとした質量を感じ、最後にそれを強引に押し込むだ。


「ぶぅッ!」


 彼の顔は鼻(はな)を中心に大きく凹(へこ)み、折れた前歯が宙を舞い、血が空中に弧を描く。

 さらに、彼の体は反対側の壁(かべ)まで吹っ飛んでいった。まるでバトル少年漫画のようだ。


「がっ……ぁっ……」


 僕の一発のパンチによって壁に叩き付けられた彼は、ここでようやく気を失い、倒れた。


 僕は極限の状態でか弱い女子に襲いかかっていた不良よりも先に、被害にあっていた少女の方へ駆け寄る。

 少女は蹲(うずくま)って、溢れる涙を手で拭い続けていた。


「大丈夫?」

「う……ぐす……あ、ありが……ありがとう、ございます……ぅ、ううぅ……」


 少女は僕の胸に抱(だ)き寄って来た。

 僕は彼女を安心させるように手で背中を摩(さす)ってやる。


 そして不意に右手を見やると、ほんのり赤く発光していた僕の右腕(ぎしゅ)は元に戻っていた。


 ◆


 その後、騒(さわ)ぎを聞きつけて山城たちも体育館へ到着し、体育館に避難していた生存者たちの保護を開始したのだった。

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