第44限 パロマ
大人だけが消えた世界……
……そしてやがて、学園は国家となる
「君は……だれなの?」
『はい。何度でもお答えいたします! 私はパロマです!』
見覚えのある、真っ白な空間にいた。
その空間のど真ん中……どこが端なのかは分からないが……にあぐらをかいて座り込み、僕は上を見つめながら姿の見えぬ女の人と会話をしている。
「それで、僕はどうなったの?」
たしか僕は、学園近くの商業施設に《校外委員会》を率いて向かい、そこでフラッドに右腕を噛まれたはずだ。そして人間の脳を破壊し、人間を理性なきゾンビのような人喰いの化け物へと変える、プログラム『ノアの方舟』が、僕のPデバイスで起動した。
『私は、主様に「約束」を果たしていただきたいのです!』
「……約束」
いつか誓った、「僕がみんなを守るから」という約束。
「……君が僕のPデバイスからあのプログラムを消したの?」
そう。僕のPデバイスはたしかにフラッド化プログラムを起動した。だが、頭の中に彼女の声が響いたと思うと、Pデバイスが『プログラムを削除する』と言い出したのだ。
『ええ! 私があの忌々しいプログラムを解体いたしました! 実物を見なければ解体に必要な最後の情報が手に入りませんでしたので、直前となってしまいましたが! まあ、ナウなヤング風に申し上げますとギリちょんセーフというやつです!』
「プログラムを、解体……?」
僕の夢の中に住まう彼女……パロマが、僕が化け物になるのを未然に防ごうとしていたということ……?
「君は、パロマ、なんだよね」
『はい!』
「……元々のPデバイスに搭載されている人工知能の名前も、パロマ……だよね」
声だけを届けてくれる彼女はパロマを名乗るが、Pデバイスに搭載されている人工知能音声アシスタントの名もパロマだ。僕にプログラム『ノアの方舟』の起動を告げた、あの無機質で機械的で無感情な女声の主こそが、本来のパロマのはずだ。音声検索やナビゲーションのときに脳内に響く、Pデバイスを持つ者なら誰もが聞いたことのある人工的な声。
しかし、この空間で僕に語り掛けてくるパロマはまるで……別人、だ。
声はたしかに似ているが、感情に富んでいて、相手の表情が窺える話し方。それにシステムやプログラムから生まれているとは思えない言葉遣い。……っていうか今さら拾うようだけど、何だ、『ギリちょんセーフ』って。
「じゃあ、君はいったい……何なの?」
『……ふふ』
僕の問いに、彼女は少しだけ笑った。『良い質問です』と言うと、今度はパチンというフィンガースナップの音が鳴らされる。
するとヴン、という虫の羽音のような音がして、僕の正面に大きくて横長な黒い板が出現した。
『……その答えは、この中にあります』
「……君の正体ってこと?」
『ええ。私の正体、生まれ……。そして、主様のご両親の死の真相も……』
「……なに」
『ご覧ください』
パロマの声から朗らかさが消え、彼女は黙ってしまう。黒い板が僕の方へ迫ってきて、ジーという古いテレビの砂嵐のような音を発すると、パッと板に映像が映し出される。
どこかのオフィスだろうか。こざっぱりした白を基調とした家具の配置された室内だ。手前にはテーブルが映っていて、どうやらこの映像を撮影したカメラはそのテーブルの上に置かれているようだ。
『……はじめよう』
『えぇ』
映像が始まってすぐ、男女の声がした。その声を、僕は知っているような気がして、立ち上がって、宙に浮かぶスクリーンに近付いた。
そして、画面の両端から声の主である黒縁の眼鏡を掛けた男と、黒髪をした優しそうな女性が姿を現した。
その姿は、とても懐かしいものだ。
「……父さん、母さん」
現れたのは僕の父と母だった。
二人は椅子に腰掛けると、カメラを……僕の方を見ながら語り掛け始めた。
『……これが流れている……ということは、私たちは彼の野望を阻止できなかったのね』
まず口を開いたのは母だ。
だが混乱していて、言葉の意味が分からない。
『……お前が小さかったから伝えていなかったが、俺たちは……お前の父さんと母さんは、アルヒェでPデバイスを開発したメンバーだった』
「……アルヒェ? Pデバイス? 開発……? 父さん、なに言って……」
『……きっとお前はもう体験したんだろうな。「世界の終焉」を』
父が重々しく呟いた。
世界の終焉……。
思い浮かぶのは、もちろんベルンの行ったコンピュータウイルステロだ。
人間に埋め込むマイクロチップに、人間の理性を奪うプログラムをダウンロードさせ、起動することで、世界中の大人たちはみんな、子供を襲うゾンビのような化け物となってしまった。
これを実行したアルヒェの創始者ベルンが、頚椎に埋め込むマイクロチップとホログラムスクリーン内蔵の端末を連動させた通信機器Pデバイスの開発者として有名だ。
だが父は、自分たち夫婦もその開発に携わったと言う。
『……すまない。彼の……ベルンの野望に気付きはしたが……もはや計画を止めることは不可能のようだ』
『……私たちはベルンさんの目論見を世間に公表しようとしたり、プログラムの解体を試みたりしたのだけれど……全て無駄だったわ』
『……俺たち夫婦は、きっとベルンに殺される。日本に逃げる準備もしているが、きっと時間稼ぎにしかならんだろう』
二人は何を言っているのだろうか。
父と母が、世界を終わらせたベルンの研究に携わっていた人間。二人はベルンの目論見……人間のフラッド化の計画に気付き、それを阻止しようとした。しかし上手くいかなかった。
そして、二人はベルンに殺される……?
あの日、僕の家を襲撃した男たちは、アルヒェの人間だったのか……。
『……ごめんなさい。彼の計画を世界に伝えることも、妨害することも、阻止することも……挑戦したけどダメだった』
『……だが俺たちは、せめてお前だけは生かしてやりたいと思って、あるプログラムを作った』
『……そのプログラムは、あなたを守るもの。プログラム《ノアの方舟》を解体するための、AIといってもいいわ』
「……まさか」
彼女が……
僕は上を見上げて、語り掛ける。
「……君がその……『僕を守るAI』?」
『そうです。私は主様の父君と母君に作られた……プログラム《ノアの方舟》の解体プログラムです』
パロマが小さく笑う。
父さんと母さんは、僕のために彼女を作り、残したのだ。
ベルンの終末を齎す計画に気付いた二人が、少なくとも僕をその脅威から解放するために、特別なパロマを僕の中に残した。
『……私たちのこのメッセージを見てるってことは……あなたはまだ生きてるのよね……?』
「母さん……」
スクリーンの向こう。懐かしい母が、涙を薄らと浮かべた。映像の中の母は、昔と何も変わらない。まだ暖かく、息をしている優しい母だ。
『……きっと、大きくなってるんでしょうね。友達もたくさんいる? お勉強は頑張った? ……恋人はできたかしら?』
「……大きくなったよ。友達もいる。勉強もちゃんとやったよ……。恋人は……はは、そうだね、努力するよ」
大好きだった母の問いに、僕はそう答える。もちろん録画された母が返事をしてくれることはない。
だが、
『……そう。たくさん頑張ったのね』
と、声が聞こえた気がした。「……うん」とだけ呟いて、僕は流れた一筋の涙を拭った。
『……ベルンさんの計画が予定通り実行されたのだとしたら、きっとあなたの世界から大人たちは消えてしまったのでしょう』
『……お前の未来を過酷なものにする運命を取り除くことはできなかったが、俺たちはお前のPデバイスにさっき話したAIをインストールしている』
『……このAIは長い時間を掛けて、あなたのPデバイスに巣食う、プログラム《ノアの方舟》を解体するもの。そして同時に、あなたを助ける賢者となるわ』
つまり僕の脳内に語り掛けてくる、まるで人間のようなパロマは、プログラム『ノアの方舟』の解体を行うプログラムである……ということか。
『ご両親はプログラム・ノアの方舟の解体を行うアンチプログラムを組み立てようと試みましたが、上手くいかず、私という……パロマという人工知能にその役目を託したのです』
パロマが補足的に説明してくれる。
だがもう一つ、気になる点がある。
「賢者……っていうのは?」
『はい。私は主様のマイクロチップでプログラム「ノアの方舟」解体の準備を進めると同時に、様々な情報を収集しておりました。世界が終わってしまったそのときに、私が集めた知識が主様を生かすように、と』
「物知り博士……ってことかな?」
『まあインターネットというほどではありませんが、主様がこれまでPデバイス経由でアクセスした情報のほとんどを記憶しています。幸いなことに主様は読書家でいらしたので、非常に多くの情報を集めることができております。モルタルの作り方、ローマ法制史、フランス語入門などなど……何でもお聞きください!』
なるほど。それはありがたい力かもしれない。
今の世界において、「情報」は偉大な存在だ。インターネットが通じない今、このパロマという「何でも知っている」者がいるだけでサバイバル生活の難易度はぐっと下がるだろう。
『……そのAI……人工知能は、私たち夫婦が創り上げたもの……。あなたの二人目の妹といって相違ないものよ』
『……どうかお前には生き残ってほしい。ベルンの言いなりになってはいけない』
スクリーンに映る父と母が力強く言う。決して死ぬなと、生き残れと。
『あなたは特別だから、きっと大丈夫』
『あぁ、お前は特別だ』
『……あなたは自分だけじゃない……多くの人々を救うことができるはずよ』
『……負けるな、負けるなよ』
特別……。
たしか父と母との別れ際にも、同じことを言われた。「お前は特別だ」と。
僕はこの「特別」を目指して生きてきた。だがとても、自分を特別だと誇ることはどうしてもできなかった。ナポレオンのような影響力も、アーサー王のような勇敢さも、リンカーン大統領のような象徴性も、僕は持ち合わせていないのだ。
僕は、僕でもなれる特別を探して本を読み、映画を観て、歴史を学んできた。だがどれもこれも、僕ごときに到底、手の届くものではなかった。
「……僕は、特別なんかじゃないよ……」
これだけは、両親の期待に沿うことができなかった。
そのとき、スクリーンの向こうが急に騒がしくなる。ガシャンと何かが割れる音がして、ドンドンと何かを叩く音もする。
『……時間だ』
父が画面に映らない室内の向こう側をしばらく睨んでから、そう呟いた。
『変な気分だよ。今から、七歳のお前を迎えに行って、日本へ逃げるんだ』
『……ふふ、そうね。未来のあなたの姿が見れないことが残念だわ』
「父さん、母さん……」
椅子を立った父がカメラに手を伸ばす。
父と母との再会も、ここまでだ。
『……また会おうな。……五分後くらいか?』
『元気で、頑張ってね。どうか、自分だけじゃない…たくさんの人を助けてあげてね』
「……うん。頑張るよ」
『……それじゃあな』
『……愛してるわ』
プツンと、映像はそこで途切れた。
真っ暗になったスクリーンは、パロマが再び指を鳴らすとゆっくりと消滅していった。
「……頭の処理が追いつかないよ」
そう言うと、「そうでしょうね」とパロマが優しく声をかけてくれる。
『ですから私たちのような機械がいるのですよ』
「はは。たしかにそうだね」
『それに私たちはまさしく一心同体、一蓮托生なのです!』
「あぁ、そうだね。僕らは兄妹……だからね」
『まあ! そう言っていただけるとすごく嬉しいです!』
「まさか父さんと母さんに隠し子がいたとはね」
この僅か数分の時間は、僕に最も大きな衝撃を与えた時間の一つになった。
父と母の死の真相。僕のPデバイスに住む人工知能の出現。……どれも信じ難いものだった。
『……おや、お時間のようですね。外で主様のご友人が待っております』
「そうなの? まあ、また来るよ」
『この白い空間は主様に依存した世界です。いつでもいらしてください』
どうやらそろそろ目を覚ました方がいいようだ。山城や校外委員のみんなも心配していることだろう。
「困ったときは助けてね」
『……もちろんでございます。私は、そのために生み出されたのです』
「ありがとう」
僕は彼女に……もう一人の妹に別れを告げ、目を伏せ、マイクロチップの中に造られた仮想世界を離れた。
マルソトで物資を集めた僕ら《校外委員会》の次の行き先は、桐原中学だ。
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