第43限 父と母
大人だけが消えた世界……
……そしてやがて、学園は国家となる
僕があと少しで八歳になるという頃、僕は父と母を亡くした。離婚したとか、自殺したとか、事故を起こしたとか、そんな優しいもので亡くしたのではない。二人は、殺されたのだ。
ある日の夜。僕は父と母にリビングで別れを告げられた。
普段なら寝ている時間に起こされた僕は、「少しこの中に隠れているのよ」と母に言われ部屋のクローゼットに押し込まれた。二人は僕の頭や頬を撫でまわす。
すると父は黒縁の眼鏡を外し、僕を見つめ、こう言う。
「いいかい、お父さんとお母さんはこれから少し遠いところへ行ってしまうけど、お前なら大丈夫だから」
母も僕に笑顔を向ける。
「そうよ。あなたは特別なの」
「ああ……特別……特別だ」
僕は二人の悲しげな表情には気付けなくて、ただ褒められているのだと思った。だから無邪気に「うん」と二人の言葉に頷いた。
そしてすぐ、リビングの大きな窓の外が明るくなったのを覚えてる。何台もやってきた車のヘッドライトの明かりが、カーテン越しに見えたのだ。「この中で静かにしていなさい」「何があっても、聞こえても、出てきてはだめよ」そう念押しされて、僕はクローゼットに押し込まれた。
そのあとしばらくは、細い光の差し込む暗いクローゼットの中で聞いた「音」の記憶だ。
まず聞こえたのは、家の庭で重なる車のドアが閉まる音。次にはパリンというガラスの割れる音。
そしてガラス片を踏みしめる足音と、聞きなれない言語で話す、聞きなれない声。
「Guten Abend」
それに優しかった父からは想像もできないような力強い父の声がするのだ。
「Was machst du hier!」
「Das wissen Sie. Mr.Aki?」
「……Ich weiß, dass du ein Dämon bist!」
「……Dämon……? haha, Das ist nicht wahr」
「……Was?」
「Ich bin ……der neue Gott」
何を話していたのかは今も分からない。
だが、僕は言われた通りクローゼットの中で息をひそめ続けた。
そして、次に聞こえたその音に、僕は肩を震わせて驚くことになる。
ダァンッ、という、炸裂音だ。
「あ、あなた……!」
母の慌てた声。
「Es tut mir leid」
知らない男の声と、再びの炸裂音。
幼い僕でも、その音は知っていた。今ならもっと知っている。
銃声だ。
僕は何が何だか分からなくて、身を小さくしてクローゼットの中にいた。ただ怖かった。知らない言葉、叫ぶ父、暗い場所、夜、知らない男の声、聞こえなくなった両親の声、響いた銃声。すべてが僕の考える力を奪っていた。
「Finden Sie diese Daten」
「「Jawohl」」
このときに気付いたのは、やってきた者たちが複数であること。父と話していた男から何かを言われて、他の数人が返事を重ねた。
それからいくつものフローリングを硬い靴で踏みしめる足音が聞こえ始めた。さらにガサガサと棚をあさる音と、ガシャンと何かが倒れる音。「泥棒だ」と思い、僕はさらに怖くなる。それからずっと、僕はガタガタと震えながら、両足を抱きかかえ、嵐が通り過ぎるのを待った。
きっと父も母も大丈夫。
明日には全部元通りになっている。
それを信じて祈り、目をつぶっていたとき、足の指先に、何か冷たいものが触れた。慌てて足を引っ込めて、僕は床に目を凝らす。何か液体がクローゼットの中に入り込んできていた。暗くてよく見えないので、指先をちょんとその液体で濡らし、クローゼットの扉の隙間から差し込む明かりに照らしてみる。
「……っ!」
赤い液体だった。いや、黒いといった方がいいかもしれない。少しどろっとしていて、学校の鉄棒のような臭いがしたことを覚えている。
いくら小学生だったと言っても、それが何かはすぐに気が付いた。
「……ち、血……」
それに気付いたとき、頭の回転が一気に早くなる。
まず浮かんだのは、「誰の血か」という疑問。次に思い出したのは、二度聞こえた銃声のような炸裂音。そして僕の創造を悪い方へかき立てたのは、聞こえなくなった両親の声。
はあ、はあと僕は呼吸が荒くなる。
ちゃんと考えることができなくなった僕は、大好きな父と母が死んでは大変だという一心で、クローゼットから飛び出した。
クローゼットから出て足を踏み出すと、ビチャッという音と不快な感触を足裏に感じた。血の川ができている。僕はゆっくりと視線を上流の方へ遡らせる。そこには、倒れた両親がいた。
「父さん……? 母さん……?」
呼びかけるが返事はない。
そして二人の体に穴が開いていて、そこから血が噴き出ていることに気付いた僕は尻餅をついて、放心状態になった。
「……hey」
横から野太い男の声がした。首を巡らせ、そちらに振り向くと、そこには堀の深い顔立ちの大きな黒人の男がいた。サングラスにスーツの、大男。彼は腰を抜かした僕にゆっくりと近づいてきた。
「……な、なんで……?」
「……Ich verstehe kein Japanisch」
なんでこんなことをしたんだ、と聞きたかったが、声が出なかった。そしてその黒人の男は無表情のまま、懐に手を入れ、拳銃を取り出した。
その冷たい銃口を、僕に向ける。驚きと怒りで、涙も流れない。僕はただ見開いた両目でその男を見つめた。
「Good bye. little boy」
グッバイだけしか、幼い僕には分からなかった。
この黒い男に引き金を引かれ、死ぬ。それを悟ったそのときに、銃声は、二度、聞こえた。
目の前にあった銃口がカッと閃光を放った瞬間、右の肩に今まで感じたこともないような激痛が走る。まるで熱した鉄の棒を傷口に突っ込まれたような痛みに、僕は気絶しかけた。
同時に、目の前にいた大男が、なぜかドサリと倒れたことに困惑する。この男は僕の頭を狙っていたはずなのに、なぜか僕は右肩が痛くて、さらに僕を狙っていた男はこめかみの辺りに風穴を開けて白目を剥いて倒れているのだ。
右肩を抑えて、僕はもう一発の銃声がした窓ガラスの方へ目を向けた。そこには、硝煙漂う拳銃をこちらに向けて立つ、一人の男がいた。
白髪のその男は、拳銃を懐へ仕舞うと、こちらへ歩み寄ってきた。僕を狙う黒人の男を撃ったのは、この白髪の白人だ。肌も髪もスーツも、何もかもが白い男。
両親の死体を横切り、僕の目の前にやってきた男は片膝をつくと、左手首に装着したPデバイスを起動して、何かの操作を始めた。
「……これで、私の言葉が、分かるかな」
白人のその男は、日本語を操り始めた。いや、彼に似た声で、Pデバイスが日本語を再生している。自動翻訳機能だ。
僕が頷くと、彼は「そこの男がすまなかったね」と言って謝罪を述べた。彼が顎で「そこの男」と呼んだのは、僕に拳銃を向けていた黒人だ。
「……仲間じゃないの?」
僕の問いに、彼は口角を上げた。
「仲間……だった。もう仲間じゃない。私の理想を共有できていなかったみたいなんだ」
「理想……」
「そう。分かるかな?」
「夢……?」
「ああ、そうとも言える」
「夢って……?」
フフフと笑い、彼は白い手袋を脱ぐと僕の頭に手を置いた。
「……『子供は大事に』……って理想さ」
ひとしきり僕の頭を撫で終わると、彼は膝を叩いて立ち上がった。年齢の割に背の高い、スラッとした男だ。優しそうな顔をしているが、感情を映さないその青い瞳は冷徹なものに見える。この男が仲間だった人間を撃ち殺したと言われても、違和感はない。
彼はそのまま何も言わず、僕に背を向けて歩き始めた。
「父さんと、母さんを撃ったのは、誰ですか」
その背中に、僕は問い掛けた。
この白髪の男の声は、父と話していた男の声だった。
彼はピタッと足を止め、こちらに振り返る。僕に横顔を見せる彼は、少し笑って、騒ぐ子供を「しー」とあやすように、人差し指を唇に当てた。
こいつだ。こいつが僕の父と母を殺したのだ。
気付いた時、僕は怒りや悲しみや憎しみで右肩の痛みも忘れて、床に転がっていた死んだ黒人の拳銃を手に取り、その銃口を白髪の仇へ向けていた。もちろん右手は使えない。左手だけで重い拳銃を握りしめ、腕を震わせながら白髪の男の体に狙いを定める。
「……君には、悪いことをしたね」
「……だまれぇ!」
僕はこのとき初めて涙を流した。そして怒りと憎しみだけで、固い引き金を引いた。僕は引き金を引いたところまでしか覚えていない。僕の放った弾が当たったのか、当たらなかったのか、この男が結局だれだったのか、何が目的だったのか、なぜ両親は死ななければならなかったのか、どれも不明だ。僕は拳銃を発砲した反動で後ろへ倒れてしまい、床に落ちていた小物で頭を打って、気絶した。
翌朝、警察がやってきて、事件は強盗の仕業ということで処理された。
右肩の付け根に風穴の開いている僕は病院へ運ばれたが、もう腕を動かすことが出来なくなっていた。
そして僕の右腕は、配線と基盤、そしてシリコンと鉄でできた義手へと姿を変えたのだ。
別にドイツ語の部分は理解できなくていいのでテキトーに流して雰囲気で読んでください。大学ではドイツ語を習って最高評定をもらいましたが、さっぱりさらさらで覚えていないので翻訳アプリを使いました。




