第42限 第二回校外出動・二つのパロマ
大人だけが消えた世界……
……そしてやがて、学園は国家となる
第二回校外出動で、最寄りの商業施設を訪れ、物資の回収に当たっていた僕たち《校外委員会》。
順調に作業は進行していたが、一つの綻びから、大きな惨事を招いてしまった。
「……く、くそっ」
僕は唾を飛ばしながら悪態をついて、フラッドの牙が食いこんだ右腕を押さえ付けた。
『…プログラム《ノアの方舟》を起動します』
僕の脳内に、無機質で機械的な女性の声が響く。
フラッドが発するという特殊な電気信号。それをさっきのフラッドの噛みつきによって僕の頚椎に埋め込まれたマイクロチップが感知し、インストールされていたプログラムが起動したのだ。人間の脳を破壊し、他の人間を襲う理性なき化け物へと、僕を変える、死の
ぐらぐらと揺れはじめた頭をおさえ、僕は尻もちをつく。
「あ、アキ! おい、大丈……」
駆け寄ってきた山城が、僕の右腕前腕部を見て言葉を失った。山城が見たものは……裂けた皮膚と、そこから覗くゼリーのような赤黒い肉、そして骨……ではない。
「ア、アキ……その腕、は……」
僕の腕に開いた穴から見えるもの。それは、配線とプラスチックとシリコンだ。皮膚の働きをしていた特殊繊維と、肉の代わりをしていたシリコン、そしてその隙間から覗く、機械。
「……これは、義手……だよ」
「ぎ、義手……?!」
僕の右腕は肩の付け根から、機械でできているのだ。昔、色々あって右腕が使い物にならなくなり、そのときに右腕を丸ごと義手に変えていた。
幸い僕が負傷したときには、Pデバイスという人間の脳や神経と接続するマイクロチップが、開発され、普及してしばらく経っていて、僕はこの義手を装着することができた。脳から発せられた右腕への運動命令を、頚椎マイクロチップが義手を制御する機械へ送信する仕組みだ。成長に伴って付け替える必要はあったが、今まで何不自由なく過ごせてきていた。
だが山城は初めて知る僕の右腕の事情に動揺している。
「お、お主……腕のことなぜ黙っていた!」
「……いや、別に不自由はしてなかったから……言う必要もないかなって、ね」
いや、動揺しているのは僕の方だ。
きっと僕の腕を噛んだのが、「普通のゾンビ」なら、僕は感染していなかったろう。だが、フラッドは普通じゃない。
感染する原因は、ウイルスはウイルスでもコンピュータウイルスで、フラッドの発する特殊な電気信号が僕の頚椎マイクロチップに伝わることで理性破壊プログラムを起動する。
「……山城、あと三分……らしい」
「……ア、アキ……。だ、大丈夫だ! きっと、ほら、何とか、何とかなる! お主は頭が良いじゃないか! 考えてくれ! 何か! お主が助かる! 方法を!」
筋肉の塊で、大食漢で、大男な山城が、涙を浮かべ、そう必死に叫んだ。いつも頼りがいのある部長であった山城の取り乱す姿に、後ろの後輩たちも俯き、中にはへたり込む者もいた。
「何かあるのだろう! 良い策が! すべきことはなんだ?! ほら、いつものように……指示を、出してくれ……」
顔を赤くしながら、山城が僕の両肩を掴み、揺する。
考えた。考えたんだよ、山城。
「……僕の、すべき、こと……」
「あぁ! お主は……アキは賢いじゃないか! 考えて、考えて、考え抜けば……!」
「……山城、ありがとう」
そう礼を言い、僕は彼の腕を肩からどける。
もし、僕に、今すべきことがあるとすれば、それは……
「……もう、これしかないよ」
僕は何とか笑って、自分の懐に手を伸ばした。そこにあるのは、冷たく、硬い感触。
拳銃だ。
「なっ、ダメだ! それは! それだけは!」
コートの内ポケットから拳銃を引き抜こうとする僕の手を山城が掴んだ。
もう時間がない。早くこの首に埋まるマイクロチップを破壊しなくては、みんなに迷惑が掛かる。
「化け物になるか、その前に自殺するか、殺してもらうか。僕にはその三択しかない。だけど、どれも同じ死なんだよ」
どれも同じ結末ならば、最も潔く、みんなのためになる道を自ら選ばねば……。
「山城……日向を見習うだけさ」
「っ……!」
日向は、自ら命を絶った。あのときの彼の気持ちが、分かった気がする。「最後くらい……」カッコつけたい、潔く逝きたい……と思ったにちがいない。自死だけが、自分のすべき最後のことだと考えるのだ。
死を目前に、脳の回転は早くなる。楽しかった思い出、辛かった経験、幸せな記憶が、僕の視界を奪った。
『……起動完了まで 残り 一分 です』
「……ごめん。山城、みんな。時間みたいだ」
僕は山城の手を解き、左手で拳銃を引き抜いた。
「これからの学園を頼むよ。君たちがいる限り、学園には希望がある。生き残れるという希望だ。君たちが学園を守るんだ。きっと甲斐や壱岐さん、和泉も助けてくれるから」
「……ア、アキ……アキ、すまない」
「謝るなよ、山城」
「ぐっ……う……」
「……じゃあ、学園を、みんなを頼むよ」
最後の言葉を残し、僕はもう一度笑う。
笑顔が下手なのは自覚したはずなのに、懲りない癖だ。
そして、両手で拳銃のグリップを握り、人差し指を引き金に掛ける。その拳銃の銃口を、僕は喉仏の辺りにあてた。あとは引き金を引くだけで、僕の命は終わる。マイクロチップも壊れる。これしか、もう僕にはできない。
「ごめん、和泉……。やっぱり「約束」は、果たせないよ」
……「僕がみんなを守るから」。この約束は、果たすことはできなかった。
『……いいえ、果たすのです!』
「……え」
いざ引き金を引こうとしたそのとき、そう脳内に声が響いた。
Pデバイスに搭載された音声アシスタント・パロマの声だ。
だが、これまで聞いてきたような、機械的で、無慈悲で、冷たい声ではない。明るく、まるで本物の人間のような、しっかりと感情の含まれた声だ。
「……この、声……」
ピタリと動きを止めて独り言を言い始めた僕に、山城やみんなが視線を向ける。
──僕は、幻聴を聞いているのだろうか
『……幻聴? いいえ、ちがいます。以前お話ししたじゃありませんか』
「……パロマ」
『ええ! お久しぶりです!』
顔が見えずとも笑っているのがわかるような、朗らかな女性の声。
死の瀬戸際でこれはイマイチな表現だろうが、すごくフレンドリーなコールセンターのお姉さん、という印象を受ける。
その声に、数日前に見た不思議な夢を思い出す。
真っ白な空間にいた僕に、パロマとよく似た声の女の人が語り掛けてくる夢。彼女は僕を主だと呼んだ。
『いよいよ私の出番のようですね! 任せてください!』
「な、なに言って……」
『いきます!』
有無を言わさず、彼女は張り切って言って、次にはパチン、と指の腹を鳴らすフィンガースナップのような音が聞こえた。
それからジジジジ、と不愉快なノイズのような異音がして、頭の奥で小さく鳴っていたプログラム起動完了までのカウントダウンの音が、ゆっくりとその間隔を長くしていき、やがて消える。
そして、再びPデバイスの無機質な女性の声がした。まるで壊れたロボットのように、彼女とはちがう別のパロマは、こう告げる。
『……プログラム《ノアの方舟》の 削除を 実行 します』
「……削……除……」
『完了。プログラム《ノアの方舟》を 削除 しました』
「……は」
揺れていた視界や、激しい頭痛、神経酔い、鳴り止まなかった警告音は、徐々に収まっていった。
「ア、アキ」
側頭部を抑えたまま固まる僕のそばに、山城がしゃがみこむ。
「……山城……。僕、助かった……かもしれない」
「な、なに?! 本当に本当か?! ははは! やはりさすがはアキだ! お主は賢いからなぁ! はははは!」
ガバッと山城に抱き寄せられる。
「……苦しいよ、山城……」
助かった……とは思うが、人間の脳を破壊するようなプログラムを実行したり削除したりをしたせいか、どっと疲れが出る。頚椎マイクロチップは神経と接続されたものだ。そこに過剰な負荷が掛かれば人体に害が出るのは間違いない。
高い熱が出ているような、ふわふわとしていて、息苦しい感じがする。山城のような大男を引き剥がす力なんてあるはずもない。
「……ごめん。山城……ちょっと、疲れた……みたいだ」
「なに! だ、大丈夫なんだよな?! 死なないよな⁈ 化け物にもならないよな?!」
山城は僕から体を離して、僕の頬をぺちぺちと叩いた。
本当に僕のマイクロチップからあのフラッド化プログラムが消滅したのかは分からない。突然、僕が人喰いの化け物になる可能性もある。
「……分からない……。だから僕の両手両足は縛っておいて……」
「が、学園に戻るか? 義手とはいえ負傷だぞ」
「……いや、このまま……桐原中へ、向かっ……て……」
首の裏が熱くて、瞼も重い。ものを考える力が弱まっていく。睡魔とはちがう、なにか、吸い込まれるような……
「ア、アキ……? ……ね、寝てる……?」
それからの記憶はない。
遮断された記憶の次に見えたのは、真っ白な部屋。
聴こえたのは、優しい女性の声だ。
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