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【受賞】ノアの学園~国父とよばれた高校生~  作者: 大塚 可修
第2章 方舟のあらんことを
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第37限 警察組織《風紀委員会》

大人だけが消えた世界……

……そしてやがて、学園は国家となる

 その日の夜。四階、廊下。


 電気の供給が絶たれ、校内は教室のドアにはめこまれたガラスから漏れる蝋燭の明かりと、月明かりだけ。

 そんな暗い廊下を堂々と、しかし音を立てずに静かに歩く生徒がいた。


 短くボーイッシュな黒髪に、凛々しい双眸。そして右腕に通された『風紀』と書かれた腕章。《風紀委員会》委員長・伊予である。


「あ、こんばんは。委員長」

「ええ、ごくろうさま」


 時折すれ違う校内巡回中の同じ腕章をした委員からの挨拶をもらいながら、彼女はよどみなく歩を進め、やがて、生徒会室の扉の前に立った。

 ふう、と彼女は息を吐く。


「……仕事よ仕事。決して不純な気持ちを持って会長に会ってはだめよ……」


 伊予は間隔の短い鼓動を落ち着けるように胸に手を当て、深呼吸を続けた。心なしか、頬も赤い。

 普段はそのキッとした目つきや、空手部主将という立場から異性から恐れられる伊予だが、同性からは『分かりやすくて可愛い』と言われている。


 そして彼女は、最後におまじないのように額につけたヘアピンに指先を触れる。


◆


『……それ、ほしいの?』


 脳裏によみがえる、思い出。


 横から覗き込む、ふんわりと口角を上げた安芸。

 伊予が見つめるのは、ありきたりな、青い花のあしらえたヘアピン。


『わっ、か、会長……! どうしてここに⁈』

『どうしてって……。花火大会くらい、僕だって来るさ』


 重なる人の声。必死な呼び込み。響く和楽器。

 賑やかな会場の中、伊予には安芸の声がはっきり聞こえていた。


『……すみません。これ、ください』

『え、あ、会長……?』


 伊予の眺めていた露店のヘアピン。それを安芸が指さし、笑顔の店主に代金を払った。


『はい、これ』

『……え』


 そして安芸はそのヘアピンを、伊予に差し出す。


『そ、そんな悪いです』

『悪いもんか。伊予さん、風紀委員会頑張ってるから』

『え……?』

『いつもありがとう。伊予さん』

『あ、あ……』


 動揺する伊予に、安芸はヘアピンを押し付ける。


『あんまり高級なものじゃなくてごめんけど』

『い、いえ! あ、ありがとうございます! 大切にします!』

『うん。それじゃ、伊予さんも楽しんで。もうすぐ花火が始まるらしいよ?』


 手を上げて、安芸は去っていく。


『もう、おそーい』

『ごめんごめん』

『次は焼きそば屋に向かうぞ』

『おめえ今たこ焼き食ってるだろ。忙しねえなぁ』


 安芸の背は、すぐに友人たちに挟まれて、人混みへ消えていく。

 伊予は手の平を頬に当てる。まるで仮面をかぶっているようだ、と彼女は常々言われていた。表情があまり変わらず、感情を表に出さない。それを彼女も自覚している。しかし……


『……あつい、な……』


 その仮面はじんわりと熱を帯びて、微かに赤くなっていた。


◆


「……伊予さん?」

「ひゃあ」


 思い出に浸っていた伊予に声が掛かり、彼女はそう驚いて声を上げた。


 安芸だ。

 生徒会室の前で突っ立っていた伊予の顔を、横から安芸が覗き込んでいる。


「か。かかかっか会長」

「『か』が五個多いよ。どうしたの、突っ立って」

「い、いえ……」

「あ、それ」

「え?」


 伊予はハッとする。ずっとヘアピンに指を触れていた。


「去年の夏祭りのときのだよね」


 伊予の瞳が大きく開かれる。


「え、あ、お、覚えて……」

「もちろん。やっぱり伊予さんは青が似合うね」


 覚えていてくれた。思い出を大切に仕舞っているのは、自分だけではなかった。

 それが伊予の表情を緩ませる。


「遅くに悪いね。さ、入って」

「……はい」


きっと今の伊予の表情を見れば、彼女の友人たちは口を揃えてこう言うのだろう。『分かりやすくて可愛い』と。


 ◆


 評議会後、伊予さんと話すことがあったので、待ち合わせ場所である生徒会室へ向かうと、その扉の前にすでに彼女はいた。一言二言、扉の前で挨拶をして、僕は両開きのアンティークな木製の扉を押し開く。


「遅くに悪いね。さ、入って」

「……はい」


 扉を開いて、僕はそのそばで執事のように彼女の入室を待ち、それから扉を閉める。

 部屋は月明かりが差し込むのみで暗いので、応接用のソファにある蝋燭に、懐から取り出したマッチで火を点ける。部屋はじんわりと小さな炎で照らされる。


「男にこんな夜更けに呼び出されたら緊張するよね。大丈夫、要件はすぐ済ますから」


 なぜかそわそわとして緊張しているようなのでそう冗談めかして言ったが、


「そ、そんな! 会長を疑ったり、警戒したりなんてしません! 絶対に!」

「え、あ、そう? あ、ありがとう」


 思いのほか熱っぽくなって、彼女はそう返事をくれた。


 僕は出窓に背を向けるような位置にある自身の席に座り、さっきまで目を通していた書類の束の端を、机の天板を使ってトトンと揃え、それらを引き出しへしまう。そして机の端に置いていた一枚の紙を手前に持ってきて、「こっちに来てくれるかな」と壁際にいた彼女を手招きする。


 そのとき、ふと彼女の腕章が目に留まる。ビニール製の「風紀」とゴシック体の文字が印刷された腕章だ。


「……腕章……か。腕章ってかっこいいね」

「え?」

「ああ、いやいや何でもない。独り言だよ」

「……それでご用件は何でしょうか? 報告書なら明日上げる予定ですが」

「いや。これは別件」


 生徒会長席の前に来た彼女に、その一枚の紙を見せた。「これは……」と言って伊予さんはその書類を手に取り、目を通し始める。彼女は書類の一番上に書かれた言葉をつぶやいた。


「生徒会長……令……?」


 生徒会長令。その名の通り、生徒会長たる僕が下級機関である委員会に与える命令のことだ。そしてもちろん、従来の桐可学園の生徒会長にこのような命令を発行する権限はない。だからこれは、ある意味ではおもちゃのようなものだ。


「君たち《風紀委員会》に、権限と、その権限を執行する力を与える」


 僕が彼女に渡した命令の内容は、大雑把に言えば『《風紀委員会》は校内において暴力行為等を働いた生徒を拘束し、拘禁する権限を持つこととする』というものだ。今の大人の消えた世界に、この唯一の安全な場所である学園に、警察はいない。言ってしまえば、モノを奪おうが、婦女暴行を働こうが、誰かを殺そうが、取り締まる者はいないのだ。今はまだ「学園」という組織でまとまれているからいいが、いつか生徒たちの中に、この世界における暴力の有効性に気付く者も出るだろう。それを、未然に防ぐ。


 そのために、警察組織と同様の権限を、伊予さん配下の《風紀委員会》に与えるのだ。


「この権限は、生徒会長……僕から、与えるものだ」

「会長……から……」

「ああ、なにせ『生徒会長令』だからね。……あ、だけど『じゃあ生徒会長にその権限を与えるのは誰なんですか?』って質問はやめてね。僕の本来持ちえない権限を行使してるってのは、よく分かってるから」


 僕に「《風紀委員会》は不良(ヤンキー)を捕まえて、牢にぶちこんでください!」なんて命令を出す権利も権限もない。僕は学園を運営する大人たちから学校行事に関するある程度の裁量権を与えられただけの、ただの生徒会長だから。


 無理やり笑顔を作り、彼女に冗談のように言ったが、伊予さんは至って真剣な目をして、僕の目を見つめていた。


「これはつまり、全ての責任が会長にいく……ということですよ」

「……」


 伊予さんの紙を握る力が強まり、紙に皺ができる。


 そう。ありもしない権限を、まるであるかのように行使し、さらに一般生徒を拘束できる命令を別組織に委任しているのが、僕だ。これだけ聞くと、質(たち)の悪い、時代遅れな独裁者のようだ。

 もし《風紀委員会》がこの権限を行使した結果、多くの一般生徒に多大な被害を及ぼした場合、その責任は権限を与えた僕に向くことだろう。


「いいんだよ、伊予さん」

「いっ、いけませんよ! こんなの!」

「ありがとう。でも、誰かが責任を持って、みんなの統制をしないと……。もし秩序がなくなれば、こんな小さな学校の中だけじゃ、僕ら五百人の子供は生きてはいけないよ」

「でも、でも……」

「いいんだ。僕は生徒会長だからね」


 もう一度、笑う。


 すると壱岐さんは僕の顔を見て、悲しそうな表情をした。

 どうやら僕は作り笑いが下手くそらしい。


「だから、これを君たち《風紀委員会》に、託す」

「……え」


 そして僕は生徒会長席の一番下にある大きな引き出しから、それを取り出す。


「拳……銃……」


 ゴト、と、拳銃を机の上に置いた。蝋燭の炎がその鈍色の拳銃を輝かせ、暗く長い影を映し出す。


「頼めるかな」

「……そんな……拳銃なんて……」

「ああ。もちろん使わないに越したことはない。だけど、弱いやつが振りかざす正義ほど……滑稽で、惨めなものはないよ」

「……え?」


 思い出す。十数年前のあの日。

 父も母も失った、あの忌々しい日。僕は、滑稽で、惨めだったろう。


「あっ、ごめんね。変な話をしちゃった……」


 力の入った握りこぶしを慌てて解き、手の平を振って、僕は笑った。

 けどさっき自分の作り笑いが下手なことに気付いたばかりだ。もう無理に笑うのはやめ、息を長く吐いて、拳銃を彼女へぐいっと差し出す。


「信じてるから、託すんだよ」

「信じる……」

「そう。信用できない人に、鉄砲なんて渡さないでしょ?」


 伊予さんは書類を机に置くと、覚悟を決めたような顔つきになって、拳銃を手に取った。彼女は手にした拳銃をしばらく見つめてから、僕の目に視線を戻す。凛々しい彼女の双眸は、少し揺れていた。


 きっと僕も震えているだろう。誰かの責任を取ること、誰かに何かを与えることが、これほど苦しく重いものとは、思っても見なかった。


「……はい。お任せください」

「うん。僕はこれから校外出動で学園を空けることも増えるだろう。その間、伊予さんと甲斐に学園を任せたよ」


 僕は「生徒会長令第一号・風紀委員会の権限について」の書類に、ドン、と生徒会長印を押した。

 この時、《風紀委員会》は校内見回りのボランティア団体から、校内秩序の維持を図る実力部隊という警察組織へと生まれ変わった。


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