第30限 食料配給
大人だけが消えた世界……
……そしてやがて、学園は国家となる
気付けば、真っ白な空間にいた。上も下もない、果ての見えない、真っ白な空間だ。
僕はたしか、日向や先生たちの遺体を学園の裏庭で焼いて、そして……。
『……ついに、始まってしまったのですね』
突然の声に僕は振り返る。しかし、そこには誰もいない。
声がどこから聞こえるのか。それを探してあちこち見回すが、音源らしいものはどこにもない。
『あなたのお力になるときが、来たようです』
「こ、この声……頭に、直接……」
無意味に辺りを見回すのをやめて、側頭部を押え、意識を集中する。
声は、脳内に直接響いている。
「きみは……」
周りには誰もいないのだから、まるで独り言のように呟いた。
脳内に響く、女の人の声。
僕は、その声に聞き覚えがあった。
『ずっと、お支えしてきました』
「…………パロ、マ……?」
Pデバイスに搭載された、音声アシスタントAI・パロマの声だ。
しかし、声はたしかに似ているものの、いま聞こえるコレは、まるで人間のようだった。パロマというのは、もっと機械的で、文章を区切りながら、ゆっくりと伝える音声ガイドのはずだ。
だが、僕に語り掛けるこの声は、このパロマは、まるでその機械らしさがない。
『そうです! パロマです! お話ができて嬉しく思います』
「一体、これは……」
『混乱されていますね、無理もありません』
「きみは、パロマ……なんだよね?」
『はい。まあ、普通ではありませんが……』
パロマははぐらかすような、語尾を濁すような、どこか困ったような言い方をする。本来のパロマなら「はい」か「いいえ」でしか答えなさそうな質問だが……。
『……じきに、私の出番となりそうなので、こうしてご挨拶をした次第でございます』
「出番……? それはどういう意味……」
『また会えます。そのときに、全てお話いたします』
「え、ちょ……!」
『ゆっくりとお目覚めください』
「パ、パロマ……!」
真っ白な世界は突如、収縮を始めた。
まるで背中にブラックホールでも発生したかのような、何かに引っ張られる感覚を覚え、立っていられない。
「ま、まって! きみはどうして……!」
『……朝のアラームは解除しておきますね? 我が主様……』
しばらく踏ん張っていた僕も、とうとう力に逆らえなくなる。やがて僕は白い空間から吐き出されるように、そこを追い出された。
◆
「……う」
目蓋越しに、柔らかな光が目を刺激する。何度か瞬きをして、目を光に慣らしていく。桐可の街を囲う連なった山々の峰から、朝日が顔を出している。
「夢……か」
気付かないうちに、日向たちの遺体を焼いたそばで腰かけて眠ってしまったようだ。すっかり朝だ。僕を微かに暖めていた火の柱も今はただの炭になって、風にひらひらと揺れている。
それにしても、妙な夢を見た。白い空間と、パロマを名乗る女の人の声。
「……水」
夢に見た摩訶不思議を真剣に考えたって意味はない。
座った姿勢のまま眠ったためにガチガチになってしまった背中を伸ばしながら立ち上がり、顔を洗うためにそばにある蛇口へ向かう。
しかし、蛇口を捻っても水はポタポタと数滴垂れるだけだ。
「あ、そうか」
昨日の昼間から水が出ない、という報告を生徒会会計、兼、環境委員会委員長である甲斐から受けていたことを思いだす。電気も同様だ。
一応、左の手首に巻いた腕輪型端末を起動し、ホログラムスクリーンを投影してみるが、相変わらず圏外の表記のまま、インターネットにも接続できない。
「……停電も断水も早すぎる。やはりベルンの仕業、か」
まあしかし、ベルンが何をしたか考えたって、喉は潤わないし、腹も膨れない。
それにそんなことよりも、直ちに解決すべき問題が山積みだ。
食料は二週間でなくなるし、水の確保方法も検討しないといけない。フラッドの研究も進めて対策をしたいし、銃の扱いも慣れなければ。
今はまだ『学園』という集団として秩序だってまとまれているが、大人が消えた、などというこの現状下で、いつまでこの秩序を維持できるかは不明だ。
先日の生徒評議会では、
(1)《風紀委員会》による警察的活動の実施
(2)《環境委員会》による校内衛生の維持
(3)《災対委員会》による生徒への物資・食料の配給の実施
(4)《校外委員会》の設立
などが決定されたが、果たしてどこまで上手く機能するか……。
蛇口をひねっても水が出なので、見つけた「水を飲む」という目的を果たせなくなり、僕は再び同じ場所に腰かける。
目の前では、木と、肉と、皮の燃え残った炭が風に靡いている。
「ごめんな、日向」
ポツリ、と自然にこぼれる。あの馬鹿で、お調子者な日向が死んだとは、未だに信じられない。僕には、まだそこに彼がいるような気がする。
「せめて埋めて、簡単な墓石くらい置いてやるさ」
そう語り掛けても、今は独り言だ。くだらないことを言い返してくる日向は、もういない。
「……約束は、守るよ」
日向との約束。僕はみんなを守れるほど、強くなる。
「約束だ」
最後にそう言って、日向だった黒い炭に拳を掲げた。
「あ、いたいた」
すると、渡り廊下の方から声がした。横を見れば、渡り廊下のコンクリートの上で、腰に手をやった和泉が、朝日をきらきらと跳ね返す黒い髪を靡かせながら、僕を見下ろしている。
「あ、おはよう。和泉」
「あ、おはよう、じゃないわよ。食事よ、食事」
「食事?」
「そ。アンタ、昨日からあんまし食べてないでしょ?」
指を刺されてそう言われて、喉もカラカラだし、お腹も空いていることを思い出した。
腹に手をやれば、ぎゅるぎゅると振動が感じられた。
「そうだね」
「ほら、じゃあさっさと立つ!」
彼女に強引に二の腕を掴まれて、立たされ、引っ張られる。
「ど、どこへ……?」
「グラウンドよ。時期に三学年の配給が始まるわ」
「配給……って、《災害対策委員会》の?」
「決まってるでしょ。ってかアンタがそう決めたんでしょ」
「あ、ああ。そっか」
「……しっかりしてよ。アキは、リーダーなんだから」
「……」
リーダー。
和泉は僕をそう呼ぶが、僕にその務めは果たせるだろうか。
葛藤があるのだ。心の中では、「リーダーなんて僕には務まらない」という自信のなさと、「日向との約束を守りたい」という思いがぶつかっている。この二つは、決して同時には存在できない。いつかはどちらかがどちらかを押し切って、片方を殺してしまうものだ。
僕が腕を引っ張られながら、沈んだ顔をしていると、それに気づいた彼女は歩く速さを上げながら、言った。
「……アキは、すごいからリーダーなんじゃないわよ」
「え?」
「リーダーだから、すごくならなきゃいけないのよ」
僕がリーダーだから、日向との約束を果たせるのではない。
日向との約束を果たすから、僕はリーダーになる。
「ああ、そうだね」
僕は笑って、和泉に引っ張られる必要のないように歩く速度を速め、彼女に並んだ。
「励ましてるんだよね、それ」
「べ、別にそんな……アレじゃないわよ」
「ドレなんだろうね」
「うっさい!」
◆
グラウンドは、多くの生徒たちで賑わっていた。
朝礼台のそばには体育祭・文化祭用の白い屋外用テントが建てられていて、その下には長机がいくつか並んでいる。その前にアイドルグループの握手会のような数本の人の列ができていた。並んだ生徒たちに紙皿を渡しているのは、列の数だけの災害対策委員たちだ。
僕が《災害対策委員会》の委員長・天塩さんに頼んだ食料の配給が実施されているようだ。
だが、僕がイメージしていた配給とは、少し……
「はーい、こちらカレーです!」
「お好きな菓子パンもお一つどうぞー!」
僕はみんなが俯きがちに乾パンなんかを受け取るような様子を想像していたのだが、グラウンドの雰囲気は違っていた。グラウンドには机やベンチ、ウッドデッキのテーブルなどが食事スペースとして置かれていて、そこに座ってみんな楽しそうに朝食を取っている。
「あ、会長!」
するとテントで炊き出しを行っていた一人の女子生徒が僕を見つけて、大きく手を振ってくれる。寝ぐせ付きの栗色のふんわりした髪と、小さな体が小動物的で可愛らしい少女。生徒会庶務・壱岐さんだ。
「おはよう」
僕も手を上げ返し、彼女の方へ向かう。
「おはようございますぅ、会長ぉ!」
えへへ、と笑う彼女に、「はい、どうぞ!」と深めの紙皿を押し付けられた。
湯気と一緒に、スパイスの香りがやって来る。さっきも大声で言っていたが……。
「か、カレー……?」
「はい!」
「あ、朝から……?」
「ええ! 《災害対策委員会》と、料理研究部と私で朝早くから作ったんですよぉ! 冬とはいえ冷蔵庫も動かないので、食堂や購買部に早く食べないと駄目なものが多くって! 『じゃあ全部お鍋に入れてカレーにしちゃえ!』……ってなったんです!」
それは初耳だった。そこまでの指示は出していない。
「誰の発案で?」
「お、お恥ずかしながら……わた、私、がぁ……」
もじもじとしながら壱岐さんは言う。
驚いた。彼女は言われたことは……お世辞にも完璧に、とは言えないが……頑張って取り組んでくれる子だ。だが積極的な発言をしたり、意見を持つ方ではないはずだ。
「へえ、でもどうして?」
「え、そ、そそそそ、それはぁ……」
またもじもじとする。彼女は顔を赤くして、俯きがちに、たまにちらちらと僕を見上げながら……
「か、会長が……そ、その……お疲れみたい……だった、の、で……」
細い指先に、髪の毛をくるくると巻きながら、上目遣いに言われる。
世界の終わりという突然の事態。化け物との闘い。そして、日向の死。それらに直面してきた僕は、きっと、彼女を心配させる表情ばかりしていたのだろう。
僕を気遣ってくれたのだ。
「……そっか。心配させたね。嬉しいよ、壱岐さん。ありがとう。いただきます」
彼女の優しさが胸に染みた。
僕は心からの笑顔を浮かべて、両手で彼女から紙皿を受け取る。お礼を言うとさらに彼女は赤くなって、小さくなり、俯いてしまう。
「……んっん!」
「っ!」
するととなりで怒ったような咳払いがした。和泉だ。
「い、いいい和泉さん! い、いいいいいたんですかぁ……!」
「いるわよ。それともいたらまずいの?」
腰に手をやるいつもの偉そうなポーズで、高身長な和泉は小柄な壱岐さんをジト、と見下ろした。
「いいいいいいいいいいいいいい、いえぇ! 別にぃ……」
慌てて両手を振って、壱岐さんはきょろきょろと辺りを見渡し「あ、じゃ、じゃあ私まだ炊き出しのお手伝いがあるのでぇ……!」と言って僕ら二人に頭を下げると、テントの方へ戻っていった。
いつも生徒会では仲良くしているのに、たまに二人はこう険悪一歩手前みたいな雰囲気になる。それも毎回僕を挟んで。
駆けていく壱岐さんの背中を見送りながら、一口、カレーをスプーンで口へ運ぶ。
五百生徒に配るためにかさ増しを図ったためか、大して辛くもない、水っぽいカレーだ。だがゴロゴロの具材に味はよく染みていて、何より温かくて、美味しい。
ハリウッド女優オードリー・ヘプバーン曰く、
『食事をする多くの人は、食事ができる幸福を知らずにいる』
である。
「ふふ」
一口食べて、僕は笑ってしまった。
「……アキ?」
そんな僕を、和泉が不思議そうに見つめる。
「美味しいものを食べるってのは、大切なことだな」
「え、は、はぁ? あ、あた、あたしだってカレーくらい作れるわよ! カレーだけじゃないわ! 唐揚げもハンバーグだって」
「……そういう話じゃあないんだけど……」
僕は必要な分を必要なだけ、必要とする人間に食料を配給すればいいと考えていたが、美味いものをちゃんとした時間に、みんなで一緒に、楽しく食べるのが大切なのだとよくわかった。
「よし、和泉もカレーをもらってきな」
「……え、え?」
「甲斐も呼んで、生徒会メンバーでご飯を食べよう! そして作戦会議だ!」
僕はそう不敵に笑ってみせ、親指を立てる。
そんな僕に和泉は最初きょとんとした顔をしていたが、徐々に口角を上げて、嬉しそうに歯を見せて笑った。
「……うんっ!」
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