第12限 方舟のあらんことを
大人だけが消えた世界……
……そしてやがて、学園は国家となる
『こんにちは。私はベルンという。……アルヒェ社の創始者……と言った方が諸君らには分かりやすいかな』
「べ、ベルン…⁈」
ここにいる全員が彼を知っていた。そう、彼も言った通り、日本人全員が体内に埋め込んだマイクロチップと、腕輪型のホログラムスクリーンプロジェクターを開発したのがこの老人・ベルンだ。たった一人でマイクロチップとホログラムデバイス……Pデバイスを開発し、アルヒェを創設したというストーリーは何度もテレビで取り上げられた。
彼の開発したPデバイスは、スマホ時代に終焉を齎し、人間の脳と神経を機械に接続し、人類を超情報生命体へと進化させ、今では地球人口の99%が装着している。
『……さて、あまり時間がなくてね。さっそく本題に入らせて欲しい』
ベルンは下半身に掛けた灰色のひざ掛けの折り目を整えたり、白いスーツの袖をピッと伸ばしたりと余裕そうな素振りをしてから、その海のように冷たく、青い双眸をこちらへ向けた。
『……お気づきかな、世界の異変に』
ドッと教室内が騒がしくなる。
世界の、異変。
「ま、まさか……さっきの、化け物みたいになった先生たちのことか」
そう言って画面を睨むが、ビデオ通話ではないのでもちろんベルンに僕の声は聞こえない。
しかし、ベルンはまるで視ている者がどういった反応をするのか分かっていたかのように少し口角を上げて、こう続けた。
『そう、あの化け物たちのことだよ。私は君たちのマイクロチップに対し、とあるアップデートを行った。その結果生まれたのが、彼ら、「フラッド」だ』
フラッド。
ベルンはあの化け物たちをそう呼んだ。何の捻りもなくその言葉をスペリングするのなら、「Flood」になるが……。
ベルンは肘置きに肘を置き、両手の指を絡ませ、続ける。
『諸事情あってね。私はそのアップデートにあるプログラムを仕込んだ。それは、人間の脳を破壊し、マイクロチップが脳の代替として働くようにするものだ』
「……は」
『そのプログラムは人間の脳を破壊し、そしてマイクロチップが宿主の体を乗っ取る。簡単にいえばゾンビだよ。発生原因のウイルスはウイルスでも、コンピュータウイルスだがね』
言っている意味が、僕にはすぐに理解できなかった。
要するに、あの先生たちは、体をマイクロチップに乗っ取られてしまった……ということか?
「そ、そんな馬鹿な……ありえない」
『時間がないので、いや、これを聞いている諸君らの時間がないので、詳細は語らないが、私は、人類がきらいだ。だから、「浄化」することにした』
彼はたまに目を動かしたり、手首を回したりする簡単なジェスチャーを見せるだけで、とても信じられないようなことを淡々と述べていく。
『そこで私は考えた。《ノアの洪水》を、現代に再現しようとね』
「ノアの……」
ノアの方舟の物語。
神が愚かな人類を根絶やしにし、聖地を洗い流すために、大洪水を引き起こす話。
しかし、神は多種の動物と神に忠実なノアだけを残すために、彼に方舟を造らせた。
ノアと動物たちは大洪水の中、船上で生き残り、ノアは全ての人類の祖先となる。
なるほど、だからFlood……洪水……か。
『察しの良い者はもう分かっただろう。私はこの腐った人類の世界を大洪水によって洗い流したいのだよ。……だが、全ての人間を殺しては意味が無い。歴史が残らない。だから私は、子供たちだけを残すことにした』
ウッドデッキの光景を思い出す。
大人が子供を殺そうと襲い掛かるあの悍ましい光景。
『あのアップデートで、私はこの星の大人たちの脳を破壊した。今は我が社のマイクロチップが大人たちの脳の代わりを務めている。マイクロチップが実行している命令はただ一つ……人類への攻撃だ』
それが先生たちばかりが化け物になって、僕たち学生は化け物にならなかった理由か。
『そして気を付けたまえ。フラッドたちは指先や歯など末端から、特殊な電気信号を放っている。もしそれが君たち子供の体で感知されれば……君たちもフラッドの仲間入りだ』
……つまり、あの様子がおかしい大人たちは、脳がマイクロチップに乗っ取られた、理性のない人喰いの化け物であり……さらに、僕ら子供も大人たち同様の化け物に変化する可能性がある、ということか……?
ハッと思い出した。
用務員の男は、女子生徒に噛み付いた。その噛まれた女子生徒は、しばらくしてから重症にも関わらず立ち上がり、用務員の男同様の化け物となって、僕らに襲い掛かった。
もしベルンの言っていることが本当なら、地球の全ての大人たちが、あの先生たちのような化け物になったということになる。
『これが私からの最後のアップデート、プログラム《ノアの方舟》だ』
「か、勝手なこと言いやがって!」
「そうだ! ふざけんなっ!」
教室内はベルンの勝手な意見と行動への悪態で溢れた。しかし、ネットワークの向こう側にいるベルンはそんなのお構い無しに話を続ける。
『……しかし、私はかつての神ほど優しくはない。方舟は、君たちの手で見つけ出してくれたまえ』
ベルンは口角を上げ、両手を肘置きに突いて少し前のめりになる。
『さぁ、汚い大人たちは皆消えた。子供たちよ、この絶望のネバーランドを生き抜くのだ』
今まで無表情で、淡々と話していたベルンだったが、ハハハハ、と画面の向こうで乾いた声で笑った。彼は一頻り笑い終えると、邪悪さなんかを一切感じさせない、柔らかな、しかしどこか冷めた微笑みを湛え、僕らを真っ直ぐに見つめる。
『この世界のどこかに、方舟のあらんことを』
【次回予告】
【用語解説】
【あとがき】
いつも読んでくれて本当に、本当にありがとうございます。
ご感想、いいね、評価等いただければ、読者であるあなた様の存在をより感じることができ、とても励みになります。また、たいへん有難いことに少々忙しい日々を過ごしており、不定期更新となりますので、本作が少しでもお気に召した方は、[ブックマーク]等々もしてくれると嬉しいです。
ありがとうございます!




