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翌日。
俺はレイの屋敷でアルビンが来るのを待っていた。
ちなみにレイは、冒険者としての仕事へ出ている。
夜には帰ってくるそうだから、夕食は三人で取ることになるだろう。
いや、もしかしたらカノンも来る可能性があるし、一応用意すべきは四人分か。
そうして今日の献立を考えていると、玄関の方からカランカランとベルが鳴る音が聞こえてくる。
すっかり錆びてしまっていた呼び鈴を、俺が新しいものに変えておいたのだ。
「はい」
玄関へと向かい、扉を開く。
その向こうに立っていたのは、不機嫌そうな顔を隠しもしないアルビンだった。
「待ってました。どうぞ、中へ」
「ふんっ……貴様さえいなければどれだけ喜ばしいことか……」
彼の立場からすれば、その通りだろう。
しかしその不満を解消することは、俺にはできない。
「荷物はこっちで預かりましょうか?」
「自分で持っていく。貴様なんぞに預けん」
「……そうですか。じゃあ先に置きに行きましょう」
俺はアルビンを招き入れ、屋敷の中を歩く。
向かう先は使っていない客室。
前回掃除が間に合わなかった二部屋もすでに手を加えてあるため、すでにこの屋敷で住めない場所はない。
「こ、これが本当にレイさんの屋敷なのか……?」
案内している途中で、アルビンは頻繁に驚いた顔で周囲を見渡す。
彼女のファミリーメンバーは、みんなこの家の惨状を知っていたようだ。
だからこそ、この驚きなんだろう。
「貴様、どんな魔法を使ったんだ」
「魔法なんて俺は使えないですよ。ただ掃除しただけです」
「掃除……だと?」
初めて知った言葉かのように、アルビンは呟く。
「馬鹿を言うな。この屋敷は一度国から清掃員が派遣され、掃除が試みられた。しかし派遣された三名の清掃員が一時間としないうちに体調を崩し、すぐさま帰還したのだ。貴様のような細っこい男に清掃できたとはとても思えない」
「……あいつ、敢えて言わなかったな」
俺が断らないように、レイは清掃員が音を上げたという事実を隠していたようだ。
普段の振る舞いからは想像もできないほどに、レイは思いの外思慮深い女である。
「俺が今まで働いていた場所よりはマシでしたよ」
「それこそ信じられんな。ここより酷い場所があるものか」
あまりにも酷い言い様だ。
レイを慕っているのであれば、少しくらいフォローを入れてもいいだろうに。
「結局この屋敷を汚くしていたのは、放置による埃の山です。確かに衛生的に良くないし、気分が悪くなるのも分かります。だけど、埃は処理しようと思えば簡単に集めて捨てることができます」
一番苦しい思いをしたのは、騎士団時代の汚物処理のときだ。
ここのトイレは直接水路へと流すことができる最新型だが、騎士団にそこまでの設備はなく、全て汲み取り式であった。
あれは酷かった。特に酷いのは、鼻が狂ってしまいそうなほどの臭い
一週間分と溜まった汚物には虫が湧き、ほんの数分間同じ空間にいるだけで、病に侵されたかのような苦しみを覚える。
もちろん体調を崩したって休ませてももらえない。
死なない程度の治療だけを受け、また清掃を押し付けられた。
それでも、取り組んでいるうちに慣れというものが訪れる。
結果として、病にだけは強くなったという実感だけが自分の中に芽生えていた。
そんな俺であったからこそ、埃程度では簡単に体調を崩したりしない。
「ふ、ふん! だがその程度であれば、我慢すれば誰にだってできるじゃないか。まだ貴様を認める要素ではないな」
「俺もこの程度で認められるとは思ってないですよ。……っと、ここがしばらくアルビンさんに使ってもらう部屋です」
俺はたどり着いた客室の扉を開ける。
客室は机とベッド程度しかない質素な部屋だ。
とはいえ、ベッドは高級品だし、机や椅子だって一流の家具屋ものとなっている。
これが埃に埋もれていたのだから、あまりにももったいない。
「っ! いくら掃除について語ろうが、どうせ部屋の隅までは行き届いていないんだろう! そんな部屋で俺は寝泊まりしたく――」
部屋の隅に指をついたアルビンは、徐々に言葉を失っていく。
一体どうしたというのだろうか。
「どうかしましたか?」
「き、貴様……こんなところまで掃除をしているのか……」
「ええ、まあ。視界に映る部分は丹念に手を入れますし、収納のような人目につかない部分だって、汚かったら使いたくないでしょう?」
むしろ掃除が行き届いていない場所があるのが我慢ならない。
もちろんこの屋敷を掃除しきるためには妥協も必要だったが、あれからもう一周するように掃除し直した。
レイからはそこまでやらなくてもと言われてしまったが、性分なので仕方がない。
「それよりも、今日の予定はどうなってますか?」
「……この後は城下町周辺で魔物の生態調査の依頼が入っている」
「なるほど。じゃあ朝食はどうしましょう? すぐに用意はできますけど」
「い、いらん! もう時間だ!」
そう言いながら荷物を下ろしたアルビンは、冒険者用の荷物だけを身につけ部屋を飛び出す。
「あ、夕食の希望だけ聞いてもいいですか?」
「何でもいい! 勝手にしろ!」
大変慌ただしい様子のまま、アルビンは屋敷を出て行ってしまう。
そんなに時間に余裕がなかったのだろうか。
「うーん……何でもいい、か」
正直、一番困る言葉でもある。
いわゆるシェフのおまかせというやつだ。
レイは俺が何を出しても文句ひとつ言わずに完食してくれるのだが、彼はだいぶ気難しそうである。
(まあ、本番はこれからだしな)
今から深く考えていても仕方がない。
俺の考え通りなら、アルビンを黙らせるにはレイの存在が必要不可欠だ。
勝負は、両者がこの屋敷に帰ってきてからである。
「……せっかくだ、夕食の下準備でもしておこう」
俺も客室から出て、キッチンへと向かう。
せっかくの初日だ。少しくらい手の込んだ料理を作ってみたい。
「竜の肉は外せないよな……」
冷却ボックスから竜の肉を取り出す。
あれから結構消費したつもりだったのだが、それでもまだまだ残っている。
食材の力に頼りっきりというのも情けない話ではあるが、腐らせてしまう可能性がある限りはやむを得ない。
それに誰だって、料理は美味い方が嬉しいはずだ。
使うだけで美味くなるというのであれば、利用しない手はない。
(確かレイと約束した料理のレパートリーの中に、ビーフシチューがあったっけ)
初めて会ったときに作ると約束した料理たち。
その中に、ビーフシチューの名前もあったはず。
竜の肉だからビーフではないけれど、そんなことは些細な問題だろう。
「確かワインがこの辺りに……」
俺は棚を開け、常備していたワインを取り出す。
別に俺もレイも酒が好きというわけではなく、これは料理に使いたいがために俺がねだったものだ。
容器にワインを満たし、竜の肉を漬ける。
これでしばらく放置すれば、熱を通した際にアルコールが保湿効果をもたらし、肉がパサつくことを防げるのだ。
水分が残るということは、その分柔らかさにもつながる。
「ニンジン、玉ねぎ、じゃがいも……それ以外はいいか」
本来であればマッシュルームやブロッコリーなども入れるのだが、この辺りは人によって好き嫌いがある。
レイの好みは分かってきたが、アルビンに料理を振る舞うのは初めてということで、不確定要素を下手に増やす必要はないだろう。
まずはニンジンを一口大よりも少し小さめに切る。
そして玉ねぎ、じゃがいもは一口大よりも大きめに切った。
大きさを分ける理由としては、玉ねぎとじゃがいもは長く煮込むうちに溶けてしまうからである。
形を残したままにするには、それなりに大きく切っておけばいい。
野菜を切り終わった段階で、俺はそれらをフライパンへと流し込んだ。
長めに火を通す以上、ここでの炒める時間は短めでいい。
軽く色が変わった頃合いを見計らい、俺は火を止めて野菜たちを鍋へと入れる。
さて、あとはソースの用意だ――――。
 




