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カケラのお話し☆我が家に帰ろう ※本編22にてテジレーン公国訪問中のシャクラとルードナー陛下




「テジレーン皇帝陛下、私はシャクラ皇女をアルバンド王国王妃に迎えたいと思っております」


「おお! それはまた、なんと目出度い!」


捨て置いたはずの第三皇女がまさか隣国王と良縁を結ぶとは願ってもいなかったのだろう。テジレーン皇帝はたるむ巨漢を揺らしながら、大仰に手を叩いてみせた。


「シャクラは数多いる皇女の中で、血筋も器量も飛び抜けてよい。格別に目を掛けてきた甲斐があったというものですな。シャクラならば、貴殿を支える立派な王妃となりましょうぞ」


俺の隣で身を硬くするシャクラを見下ろす。


実父を前にしたシャクラは、感慨の篭らぬ能面のような表情をしていた。


「シャクラよ、ルードナー国王陛下にようお仕えし、末永く可愛がってもらうのだぞ」


「はい、父上様」


父皇帝と目線を合わせぬまま、シャクラは静かに頭を垂れた。


「ルードナー国王陛下、今宵は歓迎の酒宴を用意しておる。それまでは客間でゆるりとお過ごし下され」


「お心遣い、痛み入ります」


テジレーン皇帝は、シャクラの本質を何一つ知らない。真っ直ぐで優しい心根も、弾けるようなシャクラの笑みも、皇帝は知らず、また知ろうともしない。


それはなんと、愚かな事か。


謁見の間を後にする。近習の手で重厚な扉が閉められて、やっと俺の腕の中で、シャクラが緊張を緩めた。


「シャクラ、大丈夫か?」


トントンと、細い肩を抱き締める。


シャクラがほっと大きくひと息吐いた。


「……のぅルードナー陛下、我が家というのはなんと寛げて、落ち着ける場所であろうか? ここはかつての実家じゃというに、これっぽちも心が落ち着かん」


シャクラが俺を見上げ、悪戯っぽく笑って続けた。


「わらわは既に、ホームシックじゃよ」


「シャクラっ」


シャクラへの愛しさが積もる。


「こ、これっ!? 何をしよる!」


堪え切れずに柔らかな頬に口付ければ、シャクラは顔を赤く染め、慌てて顔を背けてしまう。


「シャクラ、俺とて可愛いシャクラを抱え、今すぐにだって我が家にとって返したい」


「っ!」


耳まで真っ赤に染めたシャクラが、苦しいほどに愛しい。


俺は理性を総動員し、もう一度シャクラの真っ赤な頬に触れるだけの口付けを落とした。






***






ルードナー陛下と戯れに笑い合ったのもつかの間、すぐにわらわとルードナー陛下は酒宴に引き出されてしもうた。


酒宴はわらわにとって、苦行のようじゃった。


薄っぺらな賛辞、中味の無い上滑りの会話。そのどれもに辟易したが、視線を巡らせれば遠く、ルードナー陛下が貼り付けた笑みで大臣らと対話しておった。


……ルードナー陛下は精が出るのぉ。……いいや、それもこれも全てわらわのためなのじゃな。


わらわはついに重い腰を上げ、形式通り父皇帝の元へ酌をしに向かう。腰を上げるのに時間がかかり、酒宴の開始から随分と時間が経っておった。


宴もたけなわになり、既に何杯も杯を重ねた父皇帝は両隣に側妃を侍らせ、すっかりできあがっておった。そうして淀んだ目をしておった。


「父上様、お注ぎしましょう」


緩慢な動作で父がわらわに杯を差し出す。


「シャクラか。ふんっ……其方も、面の皮の厚い事よのぉ」


ルードナー陛下が隣にいない今、父はわらわに対し、取り繕う事をしない。


父の下品た目は厭らしく、衣の内で肌がぞわりと粟立つ。酒を注ぐわらわの手は、小刻みに震えておった。


この父に目を掛けられる事を誇らしく、自慢としていたかつてのわらわは、この父同様に濁り淀んだ目をしていたのであろう。


「……シャクラよ、この後故国と儂に泥を塗るような真似、ゆめゆめするでないぞ。肝に銘じておくがいい」


わらわの注いだ酒を一息に煽り、父が鋭く告げる。わらわの出奔を、父は憎々しく恨みに思っておったのだ。


「……」


父の吐く酒臭い呼気も相まって、胸が悪くなりそうじゃった。


「それにしても、まさか其方がのぉ」


父がわらわに顔を寄せる。間近に、酒臭い息が掛かる。


「かようにあどけない顔をして大国の王を誑し込むなど、どんな手練手管を持ち合わせていたのやら。皇宮で下男でも咥え込んでおったのじゃろうが、儂の目を盗みどんな爛れた生活を送っていたやら眩暈がするわ。血筋がよかろうが器量がよかろうが、女は皆女狐だ。この、あばずれが」


吐き捨てるような父の言葉に、目の前が真っ暗に染まる。


これまでの、杓子定規な会話。本当の意味で、父と親子の情を交わした事など無い。


されど、確かに血を分けた父娘じゃった。わらわは何処かで、淡い期待をしていたのじゃ。


『幸せになれ』と、父からそんな言葉を貰う夢を見たんじゃ。


「小娘の手練手管にイチコロになるなど、アルバンドの若造も大した事はない。結婚祝いに儂の側妃の一人も、寝所に遣わしてやるべきか? のぅ?」


父はたるんだ手で、隣りに侍る、一回り以上若い側妃の胸元をまさぐった。


「あんっ、いやですわ、陛下ったら」


心の中、ずっと張り詰めていた糸が、プツリと切れるのを感じた。


わらわはその場にすっくと立ち上がると、呆気にとられる父を睥睨した。


「テジレーン皇帝よ、わらわにかような口を利くでない! 此度の戦の条約締結には、多分にアルバンド王国の温情を含む事、忘れたとは言わせんぞ? それらを鑑みず、大国アルバンド王国の王妃となるわらわを侮辱し、ただで済むと思うとらんじゃろうな?」


声高に告げ、手にした扇子を父の鼻先にピタリと突き付ける。


「酒宴の席での戯言と大目に見ておったが、目に余る無礼な物言い、ただではおかぬぞ」


わらわへの侮辱ならばいくらでも口を噤むつもりじゃった。じゃが、ルードナー陛下への侮辱は見過ごせんかった。


父は一瞬、瞳に燃え立つような憤怒を映し、わらわを睨んだ。


「妃殿下、申し訳ございませぬ!!」


けれど父はすぐに、床に額を擦り付けるようにして頭を垂れた。


酒宴の場は一気に静まり返り、全員が固唾を呑んでわらわと父の動向を注視しておった。


「皇帝陛下、シャクラ、何事ですか!?」


静寂を破ったのは、ルードナー陛下じゃった。大臣らを残し、人垣を割って、ルードナー陛下はわらわの元に駆け付けた。


父に問い質しながら、ルードナー陛下はわらわに気遣わし気な目線を寄越す。肩に触れる手のひらに、見下ろす瞳に、わらわへの心遣いが透けて見える。


荒いでいた心が、凪いでいく。荒ぶる感情が鎮まっていく。


「ルードナー国王陛下、申し訳ございません! 我が娘とつい気が緩み、儂が妃殿下に無礼を申し上げてしまったのです! なにとぞ、儂の無礼をお許しください!」


腐っても父はテジレーン公国の皇帝で、場を穏便に収め、体面を保つため、内心の怒りに蓋をして場を取り繕った。


この男を人として、父として、尊敬など出来ぬ。けれどこの場にあって、即座に謝罪して、許しを乞う、皇帝としての最低限の分別と理性は持っておった。


たとえば、父が感情のまま喚き散らすしかできぬ大うつけであったなら、わらわは多少でも救われたのじゃろうか……。


「……ルードナー陛下、すまぬ。わらわもつい、熱くなってしもうたのじゃ。場を騒がせてすまなかった」


わらわの言葉に、ルードナー陛下はひとつ頷いて、父皇帝の肩にトンと手を置いた。


「皇帝陛下、頭を上げて下さい。シャクラもこう申しておりますから、これ以上事を荒立てるつもりはありません。父娘の意見の行き違いのようですし、これ以上の謝罪は不要です」


「ルードナー国王陛下、ありがとうございます!」


ルードナー陛下の取り成しを受けて、父は芝居がかった動作で頭を上げた。


「皆の者、騒がせてすまなかった。こちらは何でもない、そのまま酒宴を続けてくれ」


皇帝の声が掛かれば、恐々とこちらを注視していた皆も視線を外さざるを得ない。


けれど皆の視線がなくなっても、こちらに耳をそばだてているのが、手に取るように分かった。


「皇帝陛下、シャクラが少し疲れているようだ。宴もたけなわの酒宴に後ろ髪引かれる思いですが、私達はこれで客間に戻らせていただきます。楽しい一席でございました」


「いやいや、お恥ずかしい限りじゃ。よい夜をお過ごし下され」


表面上を笑顔で取り繕いながら、わらわと父が目線を交わす事はない。


そして今後も、わらわと父の視線が絡む日は、きっと永遠にないじゃろう。




酒宴を辞し、客間へと並んで歩く。ルードナー陛下は、わらわに何も聞かない。


けれど言葉などなくとも、触れる手のひらから、見つめる瞳から、わらわへの慈しみがつぶさに伝わる。


同時に、わらわの心も、ルードナー陛下には余さず透かし見られているのじゃろう。


「……のぅルードナー陛下、せっかくルードナー陛下が父を尊重し、遠き我が祖国まで足を運んでくれたが、わらわにはそれをしてもらう価値など無かったようじゃ。文書ひとつで父は、嬉々としてわらわを差し出したであろうよ?」


ルードナー陛下は足を止め、わらわに向き合うと、力強く胸にわらわを抱き締めた。


「シャクラ、それは違う。俺は義父となるテジレーン皇帝への義理立てで来た訳ではない。俺がシャクラを娶るひとつのけじめとして、来ずにはいられなかった。俺が、シャクラを王妃として貰い受けると、正面から伝えたかった。シャクラの価値を、どうして愚鈍なテジレーン皇帝に計らせねばならん」


「ルードナー陛下……」


ルードナー陛下の鼓動が、常よりも少し早い。ルードナー陛下は、わらわが父に軽んじられた事を、怒りに思ってくれておる。


ルードナー陛下はいつもわらわの心に寄り添って、わらわを慈しむ。


「シャクラは俺が唯一妃に望む、俺の妻だ。俺の愛する宝だ」


! 目頭が、熱く熱を持った。胸が、歓喜に詰まる。


「愛し愛される幸福を知らぬ、いや、知ろうとしないテジレーン皇帝を、俺は憐れとさえ思う」


「……わらわは、幸福過ぎて苦しい」


「そうか。ならばシャクラ、俺と同じだ」


顎にルードナー陛下の手がかかる。ルードナー陛下との距離が、段々とゼロに近付く。


「俺はいつもシャクラを想い、胸が焼かれるように苦しい」


っ!!


唇にふわりと触れる温もり。心の奥、深いところから愛おしく優しい想いが全身に巡る。


……あぁ、あの男に救われるも何もない。これから先のわらわの未来に、あの男の救いなど不要なのじゃ。……わらわはもう、二度と夢は見ない。見る、必要もない。


「シャクラ、……我が家に帰ろう。そして我が家に帰ったら、俺はシャクラの全てが欲しい」


「ルードナー陛下、わらわもはよう帰りたい……っっ!」


唇がもう一度、角度を変えて深く熱く、重なった。


ルードナー陛下の優しい愛が、現実の感触と温度で、わらわを包んだ。




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