↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
婚約破棄されたので、お預かりしていた肖像画をすべてお返しします【連載版】  作者: 年商1億
第一部 二百十二個ございます

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
13/13

第13話 王の夜(国王視点)

 夜更けの王立画廊に、国王オスヴァルトは、一人で入った。


 夜の鍵は、王も持っている。誰にも知られずに、ここへ来るために。


 燭台の火が、表の回廊の名画を、次々に照らしては闇に戻していく。父王が描かせた戦の勝利。祖父王の狩り。建国王の騎馬像。


 突き当たりの扉を開けると、ひやりとした空気が頬に触れた。


 奥の間。


 七番目の額縁だけが、布を外されていた。燭台を向けると、金色の髪の少年が、澄んだ目でこちらを見ていた。


 ヴィンフリート。十三歳。


 オスヴァルトは、しばらくその顔を見つめていた。


 あの子は、こんな目をしていたのか。


 知らなかった。六年間、この絵の顔がどう崩れていたのかも、知らなかった。見に来たことがなかったのだ。


*


 オスヴァルトは、奥へ進んだ。


 最奥の一枚の前で、足を止める。


 ほかのどれよりも大きな額縁。ほかのどれよりも重い布。


 父王ルートヴィヒの写し絵だった。


 布には、触れなかった。触れなくても、中に何があるのかは知っていた。


 王国暦五九九年、秋。


 オスヴァルトは、三十歳だった。王太子として、父王の隣にいた。


 東部の町エーデルフルトから、早馬が来た夜のことを、覚えている。


 そこから先は、思い出さないようにしてきた。十九年間。


*


 最奥から三枚目の額縁の前で、オスヴァルトは、立ち止まった。


 自分の写し絵だった。


 王家の者は、子どもの頃に一枚ずつ描かれる。オスヴァルトの写し絵は、十歳の少年の顔をしているはずだった。


 布をめくる勇気は、なかった。


 代わりに、額縁に、片手を置いた。


 冷たい木の感触。


 この中に、自分が何を預けたのか、オスヴァルトは覚えていない。覚えていないことになっている。


 けれど、いつ預けたのかは、覚えていた。


 六一〇年、冬。


*


 あの冬、グラウベルク家の八代目、マルガレーテから、一通の書き付けが届いた。


 封蝋は、灰色の山に一本の筆。


 中には、条項が三つ書かれていた。


 一つ、娘イルゼに、継承の儀を行わせぬこと。


 一つ、預かり物は継ぎ手に移さず、絵に留め置き、預け主が自ら引き取ること。


 そして三つ目。


 オスヴァルトは、額縁から手を離した。


 三つ目に何が書いてあったのか、思い出そうとすると、胸の奥が、ぎしりと軋む。思い出せないのではない。思い出したくないのでもない。


 ただ、その一行を読んだあとの自分が、何をしたのかだけは、覚えている。


 書き付けを、暖炉にくべた。


*


 そして、その翌日、ここへ来た。


 九歳の、母を亡くしたばかりの少女が、筆を握って、震えながら、王の前に立っていた。


 少女の母は、半月前に死んだ。手首まで灰色にして。


 オスヴァルトは、額縁に両手を置いて、願った。


 この重さを、預かってくれ、と。


 少女は、何を預かるのかも聞かされずに、筆を写し絵に当てた。


 それからのことは、覚えていない。


*


 預けたものは、記憶ごと消える。


 だから、オスヴァルトが今、胸に抱えているのは、預けたもの自体ではない。預けたという事実と、預けたものの形の、ぼんやりとした輪郭だけだ。


 穴の形だけが、分かる。


 自分の胸の中に、何かがあった場所が、ぽっかりと空いている。その穴の縁を指でなぞると、それが、どれくらいの大きさだったのかが分かる。


 十九年間、王は、その穴を、穏やかな顔で覆い隠して生きてきた。


*


「父上」


 背後から、声がした。


 オスヴァルトは、振り向かなかった。


 エーリヒだった。燭台も持たずに、奥の間の入口に立っている。


「なぜ、ここにいる」


「父上の後を、つけました」


 エーリヒは、最奥の一枚のほうへ、ゆっくりと歩いてきた。


「グラウベルク嬢の手の染みのことを、ご存じでしたか」


 オスヴァルトは、答えなかった。


「修復師のベックが、調べました。あれは鉛白の毒ではない。預かった影が、預かり役の体に溜まったものだと。看取りの返却が廃止されてから、預かり役は皆、手首まで染まって死んでいる。このままでは、彼女は二十歳を越えられない」


「……知っていたら、どうだと言うのだ」


「父上」


「この国は、預かりで回っている。宮廷の者たちが、夜に眠れるのは、昼に怯えずにいられるのは、預けているからだ。それを今さら止めれば、宮廷は崩れる」


「では、彼女に死ねと」


「死ねとは言っていない」


 オスヴァルトは、ようやく振り向いた。


 燭台の火に照らされた息子の顔は、二十二歳とは思えないほど、疲れていた。


 この子は、一度も預けたことがない。


「十日後に、ヴァルカ帝国の使節が来る」


 オスヴァルトは言った。


「帝国は、我が国の弱みを探しに来る。今の宮廷を見せるわけにはいかん。返されたものに怯え、夜も眠れず、互いの顔色ばかりうかがっている、今の宮廷を」


「何を、なさるおつもりですか」


「使節が来る前に、宮廷じゅうの者に、預けさせる。不安も、疲れも、怯えも、全部。王命で」


*


 エーリヒの顔から、血の気が引いた。


「それを、全部、彼女に」


「グラウベルクには、王家との縁がある。断れぬ」


「断れます」


 エーリヒの声が、奥の間に響いた。


「彼女は、断っていい。私は、そう言いました」


「お前が言っても、あの娘は断らぬ」


 オスヴァルトは、静かに言った。


「グラウベルクの娘は、断り方を知らぬ。母親も、そうだった」


 エーリヒは、拳を握りしめたまま、父を見つめていた。


 長い沈黙のあとで、息子は、背を向けた。


「父上の写し絵には、何が預けてあるのですか」


 奥の間の入口で、エーリヒは、立ち止まらずに言った。


「父上は、いつも、穏やかすぎる顔をしておられる」


 足音が、遠ざかっていった。


*


 オスヴァルトは、一人で、最奥から三枚目の額縁の前に立ち尽くしていた。


 穏やかすぎる顔。


 燭台の火が、わずかに揺れた。


 王は、自分の写し絵の布に、指をかけた。


 めくらなかった。


 指を離して、燭台を持ち、奥の間を出た。


 翌朝、宮廷じゅうに、王命が下った。


 ヴァルカ帝国使節の来訪に先立ち、すべての貴族は、王立画廊にて、心身の憂いを預けるべし。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。