7話 奴隷小屋
ブルーが目覚めた時まず感じたのは、腫れ上がって熱を帯びた背中のムチの跡、次に湿気とカビと悪臭に溢れた空気だった。
どうやら室内のようだが、薄暗い。目が慣れると、周りの人々がどんよりとした目で遠巻きに自分を見ているのが分かった。
20m✕10mほどのガランとした部屋に50人ほどが雑魚寝している。ブルーは穴を掘っただけの便所の横に寝かされている。
背中の腫れた痛みとたたかいながら寝返りを打つと、目の前を見たこともない虫が歩いている。ブルーは払う元気もなくそのまま眺めるままにした。
突然背中に痺れるような痛みが走り、声を押し殺した。振り向こうとするが
「ジッとしとれ」
と制する声が聞こえ、もとに直る。
どうやら、キズに濡らした布を当ててくれているようだ。最初に感じた痛みが、熱が引いていく気持ちよさに取って代わる。
声からして、手当てしてくれているのは老人のようだ。全く状況が分からないが早く回復しないと、と念じる。
目を閉じると、”bien!”と笑うミラの顔が浮かんできた。
目覚めると、朝だった。日の光の下で周りを見てみると、皆一様に薄汚れやせ細っている。
その中で、少しだけ恰幅の良い男が話しかけてくる。男はこの小屋の頭だと名乗った。
「これを着ろ」
古びた濃紺のデニム上下を渡される。ブルーがヒューストンで知っている、伸縮性に富む軽いデニムでは無かった。分厚いゴワゴワした、足を通すのに力が要るような生地だ。これが本来の作業着としてのデニムなのだろう。
「細いな。病気に気をつけろ。健康でよく働けば、俺のように子を持つこともできる」
聴きながら『そこはヒューストンと一緒だな』とブルーは考えた。
「まあ生まれてきた子も奴隷だけどな」
『奴隷』歴史書でしか見たことがないその言葉を聞いて、ブルーは少なからずショックを受けたが『やはりそうか』とも感じた。
資源や食料、つまり得られる幸福の総量が少ない厳しい環境で人間が自由に振る舞うと、行き着く先は奪い合いと分断、そして全滅だ。より多くの人々が生存するには、実は『独裁』こそが最も効率的なのだ。
人間は文明を築いて以降、20世紀の産業革命以前までずっとそうやって生きてきた。
自分が今いるのは、『人権』という概念がまだ発明されていない世界だと、ブルーは肝に銘じた。
ブルーはその日、午前中は麦畑の草取り、午後は畑にする土地の開墾に従事した。鎖をつけさせられるわけではなかったが、周囲は体格の良い黒人兵士が警戒にあたっていた。
生まれて初めての肉体労働など、丸一日続けられるものではない。ブルーも昼からは鍬を握る手に力が入らず、何度も取り落とした。
その度黒人兵士がとんできて、怒鳴られ腕を殴られた。しかし昨日のようにムチ打たれることはなかった。
無限とも思える作業を終えて、小屋に戻るときには「這うように」ではなく本当に這って戻らねばならないほど疲弊していた。
夕食は具がほとんど入っていない塩味のスープと、パンだった。パンは固く、スープに浸さないと咀嚼できないほどだった。
しかしヒューストンを出てから数日ぶり、しかも小麦の香りが濃いパンは、労働の疲れもあり今まで食べたどのパンより美味に感じた。
石のようなパンを涙を流しながら食べるブルーを、周りの奴隷は奇妙なものをみる目で眺めた。
「おい新入り、お前は白人だろう。そんな便所の横で食べてないで、もっと奥で食べていいぞ」
奴隷頭が声をかける。無心でパンを咀嚼していたブルーが顔を上げると、周りには黄色人種しかいない。
曖昧な返事をして動かずにいると、近くにひときわ小柄な黄色人種の老人がいるのに気づいた。
「昨夜、ムチのキズの手当てをしてくれたのはあなたですか」
「ああ、少しはマシになったか」
「おかげさまで。ありがとうございました」
そう言って食べかけのパンを差し出す。老人は明らかに他の奴隷より小さな、クズのようなパンしか与えられていなかった。
「珍しいことをする子どもだな。子どもに気を遣われるほど老いぼれてはおらんよ」
「でも……」
「名前は何という?」
「ブルーです」
「ブルー、この小屋には50人の奴隷がいて、5人の黒人兵士が支配している。同じような小屋が50はあるはずだ。兵士たちはもちろん屈強だが、我々奴隷のほうが数ははるかに多い。なぜ反乱が起きないと思う」
「奴隷の中でも白人と黄色人種には意図して扱いに差がつけられています。昼間僕が鍬を取り落としても棒で小突かれるくらいだが、東洋人は鞭打たれていた。
それによって、奴隷小屋の中でも東洋人より白人のほうが上だという意識ができあがっています。分断すれば反乱は起きない」
老人は目を丸くした。
「驚いた、賢い子じゃな」
ブルーがたった1日でこの支配の仕組みを看破できたのは、ヒューストンとの共通点を感じたからだった。
ヒューストンには『表向き』人種差別はない。しかし、人類が数千年育んでいた差別意識が、たかだか300年でヒューストンだけが克服できるはずもない。ブルーが『純白人』の容貌を保っているのが何よりの証左だろう。
ヒューストンでは心理の奥の差別には目を瞑り、『差別したものは差別される』相互監視社会を作り上げた。ニューオーリンズの奴隷小屋で、白人が東洋人を差別し監視するのと同じように。
ニューオーリンズで優秀な奴隷頭だけが子を持てるように、ヒューストンでは上級職を得ないと配偶者が用意されない。65歳で強制的に『シュレッダー』にかけられないだけ、ニューオーリンズのほうがマシかもしれない。
結局、同じなのだ。少ない幸福を大勢に配分するには、人間は自らを管理下に置かないといけない。
ヒューストンの自由は突き詰めれば2択しかなかった。神と悪魔、共和党と民主党、小麦かトウモロコシ、大豆かミルク、フットボールとベースボール。どちらを選んでも実は大差ない。そして、ミラが好きな歌も踊りもミードもない。
それがヒューストンの自由だ。ニューオーリンズの奴隷と何が違うのだろう。システムと警務ドローン、奴隷制と鞭を持った黒人兵士。
ヒューストンから弾き出されて数日。ブルーは、ここニューオーリンズで鏡写しになって見えてしまったものに戦慄していた。
「お、おいブルー。大丈夫か」
老人に肩を揺られ、ブルーは我にかえる。
「お前の知恵と優しさに報いるよう、儂の先祖の故郷のヤワラの技を教えてやろう。役に立つかは分からんが……」
奴隷小屋の最下層、便所の横で話し込む白人の少年と東洋人の老人を、周りの奴隷はまた好奇の目で見ている。
疲労に塗れた身体と頭で、老人の魔法のようなデタラメのような秘術の話を聴きながらブルーはただ考えていた。
『ミラ、無事だろうか。ミラに会いたい』




