5話 旅立ち
翌朝ブルーが目覚めると、眼前5cmにミラのあどけなく開いた口元があった。寝息が頬をくすぐり、長いまつ毛は鼻に触れそうだった。
思わず視線を落とすと、簡素な皮衣の胸元がはだけ大きく開いている。ミラを起こさないように、身体に触れないように、慎重に襟元を直す。起きようとするが、ミラの長い片手片足が上に乗っていて、動けない。
「まいったな……」
「万事休すですね、ブルー」
どこからか聞こえた温和な男性の声に、ブルーは身を固くした。誰だ?ただ敵意は全く感じない。むしろ子を見守る父親のような優しい口調だ。
鐵馬の位置が、少し動いていることに気づいた。昨晩停めた場所より、開けた日当たりのいい位置に移動している。
やはり近くに誰かいるのか?
「私ですよ、ブルー」
声と同時に、鐵馬が『振り向いてこちらを見た。』馬鹿げているが、ブルーにはそうとしか表現できなかった。
「何を驚いているんです?貴方が私に『話せ』『動け』と命令したんですよ」
身体の上に乗ったミラの手足を払い飛ばして、ブルーは立ち上がった。
そうだ、確かに昨晩ミラが寝静まったあと鐵馬のコンソールを触ってみた。
「昨晩、お連れとの抱擁のあと随分脳波が乱れていたようですね。上の空で設定を弄っていたようです」
「よ、余計なお世話だ!」
確かに『双方向対話AIモード』と『自律操縦モード』という選択肢があった気はするが、まったく記憶がない。
とにかく、現在ヒューストンで普及しているテクノロジーより、明らかに2段階進んでいる。
「ふぁ〜おはよう、どうしたの」
手足を払い飛ばされたミラも、ようやく目を覚ました。
「お目覚めですね、ミラ」
「!鐵馬さん喋れるようになったの?」
「ええ、ブルーのおかげで」
「ブルー!maravilloso(素晴らしい)!」
興奮したミラが腰をくねらせて一節踊ると、鐵馬も合わせるように前輪を上げ下げする。
「bien!ねえ鐵馬さんの名前は?」
「私は機械なのでありませんが、必要ならミラとブルーが良い名をつけてください」
「ねえブルー、あの模様は何て意味?」
ミラが、鐵馬の水滴型のタンクに記された文字を指す。
「ミラ、文字が分かるのか?」
「分からないけど、何か模様で意味を表してるんでしょ?わたしも乾し肉を作ってから何日経ったか印をつけておくもの」
ミラの賢さに驚嘆しながら、ブルーは掠れかけた文字を読み取る。
「P・E・G・A・S・O……ペガソか。
語感的に、ペガサスが訛った言葉かな」
「ペガサスって?」
「伝説に出てくる、翼が生えてて空を飛ぶ馬のことだよ」
「lindo!(素敵!)鐵馬さん、ペガソって名前はどう?」
「ペガソは私の型式名称です。私と、1万台以上製造された同型全てペガソですが、おそらくもう残っているのは私だけでしょうから、ペガソと呼んでいただいて差し支えありません」
「何言ってるか分からないけど、ペガソでOKってことだね!bien!
じゃあ、顔洗って朝ごはん捕まえてくるね」
そう言うと、ミラはご機嫌に森に消えていった。
「待ってくれペガソ、1万台製造して残っているのが君だけってどういうことだ?」
「私は2098年製です。製造から335年経過しています。私は奇跡的に可動状態で保存されていましたが、同型機は残っていないと考えるのが自然です」
「335年だって?そんなバカな、間違いじゃないのか?」
「私のCPUに残っているログ上、間違いありません」
「僕は、ヒューストンが開発したものが何かの事情でコンローにあったものと想像していたんだが……待てよ、300年前と規格、しかもGMUなんていう高度に統一された規格が変わらないなんてことがあるか?」
「今日私に接続されたGMUは、若干効率が向上しているものの、2098年製とほぼ同一です」
General Mortar Unit(GMU)はヒューストンの心臓とも言える基幹システムだ。バッテリーとダイレクトドライブモーターが一体で完全密閉されたシステムで、ペロブスカイト太陽電池と排熱回収システムで超優秀な駆動効率を誇る。
GMU最大の利点は、その究極の互換性だ。ヒューストンでは大型バスから工業農業機械、タクシーから警務ドローン、家庭用介助ロボットまであらゆる機械がGMUで稼働する。
サイズもたった1種類。バスなど出力の大きい機械はGMUを5個10個と並べて動かすだけの、徹底してシンプルな設計思想なのだ。
「絶対におかしい。300年経って、技術が進化も退化もしてないだなんて。そして昨日のエラー。あんなことは一度だってなかった。
ヒューストンは何か隠しているのか?ヒューストンに何が起きてるんだ?」
「ブルー、先ほどからあなたが口にしているヒューストンは、アメリカの地名のヒューストンで相違ありませんか?」
「街の名前だが……アメリカってなんだ?」
「アメリカはこの地やヒューストンが属している国の名前です」
「クニ……?クニってなんだ?」
「国は国です。基本的な単語については、私はそれ以上説明する語彙を持ち合わせていません」
ブルーはガクリと跪いた。文脈から察するに、『クニ』というヒューストンのような街を束ねる組織の概念が、あるかあったのだろう。
ブルーが子どもの頃に習った世界は、大陸には唯一神に愛され文明を拓いたヒューストンと、周辺に神に見捨てられた未開の民族が点在しているだけだ。
「ペガソ、教えてくれ。世界は広いのか?」
「広いです。私のドライブログは15万キロを走破していますが、世界のほんの一部を走ったにすぎません」
そう言ってペガソはコンソールに、世界地図と自らの走った軌跡を重ねたものを映し出した。それは、世界全図の中ではアメリカ南部を数回爪で引っ掻いた程度の軌跡でしかなかった。
ブルーはコンソールを両手で掴み、食い入るように見つめた。その目には、欺かれたことへの怒りは微塵も無かった。純粋な探究心と憧れに輝く光が宿っていた。
そこに、食料を調達したずぶ濡れのミラが帰ってくる。
「ただいまー、でっかい魚とれたよ!あれ?まだ難しい話してる?」
「おかえりミラ、『国』って知ってる?『世界』は?」
「え?知らない。ブルーは何でもよく知ってるね」
「いや、僕も知らないんだ。でもミラ、ヒューストンやコンローよりもっと広い場所にもっといろんな人がいるんだ。探しに行かないか、僕とミラとペガソで」
「bien!行こう行こう!でもその前に朝ごはん食べない?」
そう言って、ミラは魚を掲げる。
「bien!そうしよう!薪拾ってくるよ」
「私も、どこまでも2人をお連れできるよう、日光浴をしてきます。300年ぶりのツーリング、楽しみですよ」




