2話 コンロー集落
コンロー集落の守り神は、先祖から伝わる鐵馬神だ。本物の馬より少し小さく、頭と首のかわりに大きな1つ目。肉は無く、黒光りする鉄の骨がむき出しになっている。
そして、前脚と後脚のかわりにそれぞれ車輪がある。これがコンローの民に車輪と車軸を授けてくれたという伝承がある。
村人は鐵馬神の為に社を建て、香油を塗り踊りを捧げた。
コンローの森には鹿も牛もウサギもリスも群れている。湖に網を打てば魚がかからないことはない。
豊かな土地は民を陽気にする。
鐵馬神の社は拡張され、いつの頃からか集落の集会所兼宴会場になった。
毎晩、誰かが仕留めた獣か魚を竈門にかけ、鐵馬に捧げた。食べ終わると、先祖から伝わった歌舞を演じた。即興で披露された歌と踊りのうち、出来の良いものは子孫に伝えられた。
夜が更け子どもが寝静まると、大人たちはミードと煙草で酩酊し、若者たちは番うために森に消えていった。
この村では食物も恋人も子も、誰のものでもなかった。
ミラはこの集落で生まれ育った少女だ。誰も数えていないが、生まれてから17回目の秋を迎える。
ミラは村で一二を争う踊り手だ。腰をくねらせ、鐵馬と絡まりながら恍惚と踊る。しかしミラの瞳は、鐵馬の姿を他の村人とは違う目で見ていた。
「これは神様なんかじゃない」
「鞍もあるし、手を置くところも足を置くところもある。人が乗るために誰かが作ったものよ」
「だけど、あんな重いもの人の力では動かせない、なにか別の力で動かすのかも」
「鐵馬の腹にぽっかり空いた穴、あそこに心臓があったはずなの」
「それにしても、この水滴みたいな馬の背、跳ね上がった尾、なんて美しいの。貴方に跨って野を駆けてみたい」
ミラは14歳になったころから、村からほど近い森に小屋を建て独りで住んでいる。物心ついた時から、ミラはよく覚えよく観察する子どもだった。
弓も銛もくくり罠も箱罠も、少し工夫して誰より獲物を獲ることができた。
森の草もどれが毒か薬か、一度聞くと覚えることができた。
覚えると森の草を片っ端から試して、新たな毒と薬を村にもたらした。村人は最初称賛を与えたが、その目が奇異と疎外にみちたものに変わった頃、ミラは森に住むようになった。
日が真上から少し傾いた頃、水場に現れた牡鹿の首をミラが矢で射抜いた。森の土の下から掘り出した鉄板(皆曰く『鐵馬様のお恵み』)を弓幹に打ちつけた強化弓は、大物の首を深々と貫通した。
血抜きを施し、少し苦労して肩に担ぐ。
これは良い革が取れそうだと、小屋の方に踵を返した時、上空に『神の鳥』が見えた。
ただ様子がおかしい。ミードを飲み過ぎたみたいにフラフラと飛んで、ミラのところから少し離れた森の中に落ちていった。
木の枝を引き裂く音と、鳥や獣たちの悲鳴が響く。ミラは迷わずそちらに駆け出していた。
大人たちは神の鳥が通ると平伏してたけど、きっとあれはただの人間。じゃないと毎日あんなに忙しくウロウロしてるわけがない。
ミラよりもずっと賢くて色々知っている、南の「塔の街」から来た人間。どんな顔してるのか見てみたい!出来るなら話ししてみたい!結構な勢いで落ちたけど、死んでなければいいな、と思いながらミラは駆けていく。
ミラが近づいた神の鳥は、水切りの石に切れ目をいれたような形をしていた。真ん中がコブのように膨らんでいる。
そして、その傍らに人が立っている!
村の大人たちは、神の鳥や塔の街に近づくと雷で焼かれると言っていたが、ミラの好奇心はやすやすと上回ってしまった。
向こうもミラに気づいた様子だ。
見たこともない白い肌、金色の髪、ツルツルピカピカした服。ミラと同じくらいの歳に見える男だ。
金色の髪に血が滲んでいる。
さっき落ちた時にやっぱり怪我したんだ。
指さして
「血!」
と何度も言うが伝わらない。
塔の街の人は言葉がわからないのだろうか?そもそも痛くないのだろうか?
やっぱり神様なのかな?
とミラが思っていると、男は自分の血を見て卒倒した。慌てて支えてやる。怪我もしてるし小屋で手当てしないと。ミラは肩の牡鹿と少年を見比べる。
2つは担げない。少し考えたが、せっかくの大物の毛並みを痛めたくないので、ミラは牡鹿を担ぎ、少年を引きずって小屋に戻ることにした。
ブルックスが目を覚ますと、粗末な板葺きの天井からの雨漏りが自分の額を打っていた。
身体は泥だらけになっていて、あちこち痛む。切れた頭を触ると、長い葉っぱが巻きつけてある。とても清潔とは思えない、とブルックスは訝った。
周囲を見回す。粗末な掘立小屋だ。吊った乾し肉や食べ物を壺に浸けたものが、整然と並んでいて独特の臭気を放っている。外はかなりの雨のようだ。
屋根の上で騒々しい音がして、塵と雨粒がバラバラと落ちてくる。扉代わりの筵を開けて、この小屋の主であるミラが入ってくる。
ミラはずぶ濡れで、痩せた筋肉質の上半身を露わにしている。ブルックスは思わず目を背ける。
「目が覚めた?具合はどう?」
かなり訛りが強いが、確かに英語だ。ブルックスにも理解できる。『言葉を忘れた民』は言葉を忘れてなかったんだ!
「助けてくれてありがとう。君は……その……なぜ裸なんだ?」
「?雨漏りを直してたから。服が濡れちゃうし、泥も血も落とせるからちょうどいいでしょ」
ミラは身体を拭きながら、事も無げに答える。
「ここはどこ?」
「わたしの家。あ、この辺はコンロー村で、近くにわたしの兄弟達もいっぱいいるけど、ここは私がひとりで住んでるの。いい家でしょ?自分で作ったのよ」
「あ、あぁ。良い家だね」
「bien(良いね)ねえ、君は塔の街から来たの?」
「塔の街?ああ、僕はヒューストンから来たんだ」
「塔の街はヒューストンっていうのね!maravilloso(素晴らしい)!」
「な、なんて?」
訛りの範疇をこえた語彙にブルックスは戸惑ったが、ニコニコ微笑んでいるミラが、街の名を知って喜んだことは理解できた。
「私はミラ。君は?」
上着を着ながら、ミラはそっけなく名乗った。
「あ、あぁ……僕はブルックス・テイラーだ」
「ぶるくすていらー?
長い名前ね。ブルーって呼んでいいでしょ?空のブルー、湖のブルー。君の目もブルーだし。
lindoでしょ?」
そう言ってミラは、深い色の瞳でブルックスの目を覗き込む。
「か……かまわないよ」
ブルーは目をそらしながら答える。
「Hurra!ねえブルー、塔の街の話を聞かせてくれる?私が作ったミードと乾し肉も食べて!怪我してるからしっかり食べなきゃ!」
「ありがとう、でもヒューストンに帰らないと……」
ミラは構わず、吊るしている乾し肉を薄く切り囲炉裏で炙りはじめる。
ブルーは、肉と脂の甘美な香りを生まれて初めて嗅ぎ、上げかけていた腰を下ろした。
簡素な木のトレーに乗せられた、シカ肉のハム。上には、ミラが手のひらで豪快に揉みほぐしたオレガノを散らしてある。
ブルーは、口のなかで唾液が溢れてくるのを感じた。一片を丸めて口に放り込む。固い。オートミールとソイミートで育ったブルーが、はじめて感じる歯ごたえ。
一噛みごとに溢れる脂の甘み。獣の香りと争うように追いかけてくるオレガノの緑の匂い。
ミードも飲み干す。ハチミツの甘さに酸味と、腹の底からポカポカ温かくなって、たちまち顔が上気してくる。
『命だ。今僕は生命を食べている。だからこんなに美味いんだ』
ひとりでに涙が滲んでくる。
『どう?delicioso?』
はじめて聞く単語だがブルーにも理解できた。
「イエス!デリシオッソ(美味しい)!デリシオッソ!」
「Hurra!」
ミラが立ち上がって踊り出す。
「なんで踊るんだい?」
「うれしかったら踊るに決まってるじゃない!ブルーは踊らないの?」
「ヒューストンでは誰も踊らないよ」
「Aburrido(退屈)な街ね、教えてあげる!」
ミラがブルーの手を取り、自らの腰に回させる。ブルーの首に手をかけ、ステップを踏む。ブルーはよろけながらついていく。
「ブルー、bésameしてよ」
「え……べサメって何だい?」
ミラは少しがっかりした顔をするが、気を取り直して悪戯っぽくブルーに微笑みかける。
「bésameってこれよ」
「……ん!」
ミラはブルーの両頬を手で覆い、唇を重ねる。
「やめろ!」
ブルーがミラを突き飛ばす。ミラは呆気に取られている。
「君は誰とでも、こういうことをするのか?」
「え……仲良くなったらbésameもファックもするでしょ?ブルーはしないの」
「しない!そういうのはちゃんと夫婦の契りを交わしてから……」
「夫婦?契り?なにそれ?ブルーなぜ怒ってるの?」
心底戸惑っているミラの姿は、自分が異界に留まっていることをブルーに痛感させた。
「僕はヒューストンに帰る!食べ物をありがとう!」
叩きつけるように言い放ちブルーが小屋の筵を開けると、眼の前に六角形の物体が赤い光を放って浮かんでいた。
ヒューストンの警務ドローンだ。




