1話 ヒューストン 2433年9月18日
2089年、人類は未だ石油に代わるエネルギーを見つけられずにいた。
その年の秋クウェート・ブルガン油田近くに、複数の破片を伴って直径9.7mの小惑星が落下した。
その威力は広島型原爆1発に満たないものだったが、人類が常に指をかけていた奪い合いと虐殺のトリガーを引かせるには十分だった。
後に終末戦争と呼ばれる戦いは、15年続いた。最新の兵器とテクノロジーが空を飛び地を駆け波を割ったが、勝者はいなかった。
多くの地域で、戦いはメソメソと惨めに終わった。
敵陣地の丘の上に、自国の旗を突き立てて雄たけびを上げるわけでもなく。
白旗を上げ苦渋に塗れた捕虜生活を送るでもなく。
前線の戦士達が幕僚本部に向かって補給を要請した時、故郷の首都と敵国の首都がすでにクレーターに変わったことを知った。
車両を動かす燃料も電力も尽き、撃つ弾も尽き、奪い取る領土も帰る故郷も無くなった。それが戦争の終わりだった。
戦場だった砂漠のオアシスで、ある兵士が湧き水を飲んでいた。ボロ布のようにくたびれた敵国の軍服を着た男が現れ、同じように水を飲み始めた。
隣の飢え乾いた男と殺し合う理由は、もうなかった。男はレーションを半分折って、隣の男に差し出した。
爪も牙も持たない非力な裸のサルである人間を繁栄に導いた武器は、社会性つまり「助け合い」である。
錆びついたガラクタを捨て、国家という幻を失い、荒野と向き合った人間が再び手に取ったのは「助け合い」という人間の最も旧い武器だった。
男たちがレーションを分け合ったオアシスは、小さな集落になった。
329年後ヒューストン
2433年9月18日13:00
今年のヒューストンシリーズは、東地区のロケッツと西地区のアストロズが3勝ずつを分け合い、50年の歴史のなかでも屈指の盛り上がりを見せていた。
最終戦の今日、アストロズのエースにしてホームラン王のジェリー・ホワイトが先発する。プレイボールを前に、5000人を収容するヒューストンボールパークは、異様な熱気に包まれている。
4万人のヒューストン市民のほとんどが、TVモニターの前で固唾を飲んで見守っているだろう。
ブルックス・テイラーは、秋のベースボールも春のフットボールもあまり好きになれなかった。
時速30kmで滑るように走るオートバスの最後部座席に腰を下ろし、街の喧騒を眺めている。
農場へ向かう電動ヘリの搭乗手続きをおこなう。市域外のエリアでの仕事を進んでやる市民は少ない。
「ブルックス、シリーズ最終戦だってのに仕事か?」
オフィサーが、テレビから目を離さないままIDをスキャンし話しかける。
「見たいのはやまやまだけどね。皆が入らない時間帯は時給が上がるから」
ヒューストンシリーズ開催中のパートタイムジョブは、時給が跳ね上がって3時間で1日分稼げる。17歳の苦学生であるブルックスに逃す手はなかった。
ブルックスは、エンジニアになるための大学進学を志望している。機械は好きだし、なによりもヒューストンでは良い仕事に就かないと結婚相手が斡旋されない。
結婚して子を作らないと、いい住宅も充てがわれず65歳で「定年寿命」になってしまう。
幼い頃、狭い公営住宅から惨めたらしく連れ出される年老いた隣人の表情が、ブルックスに目に焼きついている
自動操縦の1人乗り電動ヘリの窓から、眼下に広がる森と草原を見下ろすと、「言葉を忘れた民」がヘリに向かって平伏している。文明を持たない彼らには、このヘリは神の鳥に見えるそうだ。
巨大な農場では、培養液による水耕栽培で小麦、トウモロコシ、米、大豆の穀物を中心に育てている。
傷みやすく栄養価の低い野菜は、贅沢な嗜好品だ。
農場は透明な強化ポリカーボネートの壁天井に囲まれ、太陽光を取り込みながら病害虫や強風を遮断する。
周囲は電気柵と警備ドローンで、獣や「村人」の侵入も防いでいる。
AIカメラが収穫時期を検知すると、60cm角の水耕栽培パレットから水が抜かれ、コンバインへ自動的に運ばれていく。
ブルックスの仕事は、モニターを監視してエラーを吐いたコンバインの詰まりを取り除いてやるくらいのものだ。
ただ今日は、コンバインがやたらとエラーを出す。しかも点検しても麦の穂が詰まっているわけでもない。
コンバインの側面のハッチを開けると、円筒形のGMUが収まっている。
筒の天面にあるノブを回してロックを解除しイジェクトレバーを起こすと、GMUが45°飛び出してくる。再度戻してレバーを戻し、再起動してみる。
……改善しない。おまけに複数のコンバインで同じ症状が出はじめたので、ブルックスは諦めてトラブルレポートを送り、時給分だけの働きをすることにした。
帰りのヘリに乗り込みタブレットを確認すると、ホワイトが自らを援護するホームランを放ちアストロズの優勝を決めたニュースが飛び込んできた。
さもありなんとブルックスがタブレットを閉じたところで、ヘリがガクンと大きく揺れ高度が下がっていく。窓一面に真っ赤な警告表示が投影される。
ブルックスの頭に、エラー停止を繰り返したコンバインがよぎる。コンバインなら止まるだけだが、空中のヘリがエラーを吐いたら……!
ヒューストンから絶えず送信されているはずの地図と位置情報データが、砂に描いた絵のように消え去った。
オートパイロットの表示も子どもが書いた迷路のようにデタラメだ。慌てて「非常用」の蓋を突き破りコントローラーを取り出す。
2スティック6ボタン4トリガーのコントロールパッド。子ども用のゲームから産業用機械まで、操作デバイスは全てこれだ。
原形は、300年以上変わっていないらしい。おそらく人間の10指で操作できる限界で、完成形なのだろう。
パッド取出しを検知して、画面の一隅にチュートリアルが現れる。左スティックで前後左右の移動、右スティックで上下移動。以上。シンプルだ。
操作してすぐ、ブルックスは上下移動しか受付されていないことに気づいたが、今度は諦めるわけにはいかない。
こんなところで「定年」を迎えるのは御免だ。
めちゃくちゃに飛びまわるヘリに脳と内臓を揺さぶられながら、軟着陸できそうな場所を探す。2時方向に鬱蒼とした広葉樹林の林を見つけ、右スティックを大きく倒す。
ナラの枝を引き裂きながら、楕円形のヘリが着陸する。巣を追われた哀れなカージナルが、抗議の声を上げながら飛び去っていった。
前後左右のコントロールを失ったままのヘリは、着陸してもピンボールのように幹の間を跳ね回っている。ブルックスは床下のハッチを開け、GMUのイジェクトレバーを震える手で乱暴に引き起こし物理解除して、ようやく平穏を取り戻すことができた。
乱暴な珍客に抗議する鳥獣の声がおさまる。コントロールパッドと一緒に入っていた非常用キットのポーチを腰につけ、ブルックスはドアを手動で開けた。経験したことのない濃く深い植物の匂いと土の香りに噎せそうになる。
はじめて降り立つヒューストン以外の地。森に差し込む夕日と木々を吹き抜ける風、足元の柔らかい土と枯葉の感触に、ブルックスは心の奥深くを揺り動かされる何かを感じた。
いつもと違う色の空を呆けたように見上げていたブルックスが、何かの足音に視線を戻す。
人がいる。
「言葉を忘れた民」だ。
少女だ。大きな鹿の死体を肩に担いでいる。血と泥に塗れた顔、長い乱れた髪。赤黒く日焼けした身体。動物の皮の衣服から、スラリと長い筋肉質の脚を出している。
大きな丸い目でブルックスを見ているが、ふと何かに気づいたように彼の頭を指さし
「ブワッ!」
と何度も叫ぶ。
ブルックスは最初、鬨の声のような奇声を発しているだけかと思ったが、何かを伝えようとしているようだ。
耳を澄ませるが理解できるはずもなく、参ったな……と髪をかき上げるとブルックスは濡れた感触を覚えた。
真っ赤に染まっている自分の手の平を見て、ブルックスは気づいた。
「ブワッ!ブラッ……Blood(血)」
目の前の少女はひどく訛っているが、英語に近い言葉を喋っている。
そして、目下こちらのほうが重要だ。僕は今頭から血を流していて、気が遠くなってきている。
ヒューストンから見捨てられたこの荒野で、僕の意識は闇に落ちていった。




