10話 闘技場
チェンバレンは、闘技場へと足早に向かう。ミラも急ぎ従うが、チェンバレンが振り返る。
「ミラ、服を着てから来い」
ミラも、裸の上半身にマントを羽織っただけの姿の自分に気づく。
「マントは?」
「よい、お前にやる」
「え?」
足早に立ち去るチェンバレンの後ろ姿を見送ったミラに、声をかける者がいる。セルマだ。柱の陰に隠れてミラに手招きしている。
「ミラ、これが要るだろ」
手にはミラが着てきた皮衣に山刀、弓矢がある。
「セルマさんありがとう!」
急ぎ装備を整えるミラを見て、セルマは目を細めている。
「また旅に出るんだろ?」
「多分ね」
「ほんの数日だったけど、美しい王妃様が来てくれて楽しかったよ。あと、これ」
セルマが櫛を取出し、ミラに握らせる。
「せっかく綺麗なんだから、たまには髪をとかしなさい」
「ありがとうセルマさん。ニューオーリンズの私のママ」
そう言ってミラはセルマの頬にキスする。
「王妃様のはずが、もうニューオーリンズの新しい王様だよ」
極彩色のマントをかけたミラを見て、セルマが目を細めている。
「借りてるだけだよ。セルマさん、元気でね」
「ああ、ミラも達者で」
ミラはもう振り向かず、闘技場への道を駆けていく。
ブルーは手足を縛られ、闘技場の真ん中に引き立てられている。日が沈み、篝火が焚かれている。
円形の客席は満員のようだが、こちらからは顔は見えない。自分の脱走で同じ小屋の奴隷が酷い目に遭っていないかが気がかりだった。
兵士が太鼓を叩き、さざめきあっていた観客が口を噤む。
「者ども控えよ!王チェンバレンのお成りである!」
側近の兵士が大音声で触れを発する。
筋骨隆々の上半身を露わにしたチェンバレンが堂々たる歩を進め、観客の兵士が大歓声をあげる。
ブルーの縄が解かれる。
「綿花畑以来だな、ヒューストンの少年。脱走奴隷はピューマと戦わされる話は聞いたか?」
ブルーが腕を擦って立ち上がりながら頷く。
「今日のピューマは私だ」
太鼓が一度打ち鳴らされ、チェンバレンはボクシングスタイルに構える。
ヒューストンには格闘技は無い。人と争う競技はベースボールとフットボールのみが許されている。
だが、ミラとの旅でブルーは理解した。生きることは闘争だ。相手の牙がどんなに大きくても、抗い続ける。ダンスし続けるんだ。
ミラ!ミラ!少しでもいい、君の勇気を貸してくれ!
「Ooh-rah!!」
両手を顔の前に構え、鬨の声をあげる。
「いいぞ!」
チェンバレンが踏み込み、ジャブを放つ。ブルーは全く反応できない、ガードの隙間から拳が鼻柱にめり込む。
チェンバレンは、わざと加減している。彼の本気のジャブは、一撃でブルーの意識を刈り取ることができる。猫が鼠をいたぶるように、弄んでいるのだ。
数発でたちまちブルーの顔が腫れ上がり、唇と鼻から大量に出血する。チェンバレンがステップを踏み、サイドにつける。ブルーの身体が、くの字に浮き上がるほどのボディフックを突き刺す。
嘔吐し、地面をのたうち回るブルー。
チェンバレンがブルーのデニムジャケットの胸ぐらを掴み立たせる。
「どうした?もう終わりか……グァッ!」
ブルーがチェンバレンの手の甲に噛みつき、たまらず放す。ブルーが噛みちぎった肉片を嘔吐物の残りとともに吐き出し、肩で息をしながら見据える。
「このガキが!」
チェンバレンが噛まれた右腕でストレートを放つ。体重の乗った一撃、まともに当たればブルーは昏倒するだけでは済まないだろう。
ブルーは迫りくる致死のブロウを、走馬灯を見ながら外側に躱す。相手の勢いを利して肩口を脇で挟んで引き倒す。
奴隷小屋で学んだ東洋のヤワラの技。フジワラアームバーだ。
しかし体格差、筋力差で極めきれない。地面に引き倒されながらも、チェンバレンは肘を曲げて耐えている。
ブルーが腕を諦め、左腕をチェンバレンの首に回す。だが、純粋な腕力では首を絞めきれない。
ブルーはデニムジャケットの裾を逆の手で握り、チェンバレンの首を絞めあげる。堅牢なデニムは細い紐となって、王の首に食い込んだ。
ソデグルマだ。
チェンバレンは指を挟んで耐えていたが、ついに力が抜け、どうと倒れる。ブルーはブルブルと震える指を苦労して引き剥がし、ソデグルマを解く。
力を使い果たし、ブルーもチェンバレンの横に仰向けに倒れる。
静まり返った闘技場に、ミラの声が響いた。
「Ooh-rah!!」
巻き起こった歓声のなか、ミラがブルーに駆け寄る。
「ブルー!わたしのブルー!」
ただ一言叫び、あとは物言わず抱きつく。
2分近くそうしていただろうか、側近に介抱され意識を取り戻したチェンバレンが、眩しそうに2人を見つめている。周りの兵士達も、王の象徴たる極彩色のマントを羽織った少女を戸惑いの目で見つめている。
「そうだ、ブルーが好きだって言ってたパンをチェンバレンさんが食べさせてくれてさ」
と、ミラが皮衣の胸元を開いて、懐からパンを取り出す。
「焼きたてじゃないのが残念なんだけど、ブルーにお土産!」
ミラは、血溜まりになっているブルーの口にパンを押し込む。
「え?なんて?聞こえないよ」
『あたたかいよ、でも今じゃない』というブルーの言葉は、パンと血に遮られて届かなかった。
その時、クラクションを轟かせ、鉄柵を蹴散らして闘技場に白いピックアップトラックが乱入する。
シボレーのフラッグシップ、シルバラードだ。重低音のアイドリング、ガソリンとオイルを焼く排気ガスの匂い。カーステレオから漏れ聞こえるリンプ・ビズキット。
すべて21世紀の遺物、ニューオーリンズはもちろんヒューストンにもあるはずの無いものだ。
勇敢な兵士が、無法を咎めようと近づく。運転席の窓から太い腕が出てきて、拳銃が火を噴く。
耳をつんざく火薬の爆発音、離れた場所でわけも分からず血を流し倒れる兵士。ニューオーリンズの民からすれば魔法、しかも悪鬼の使う魔法にしか見えない。
兵士も奴隷も、ほとんどの者が我を忘れ闘技場から逃げ去った。残ったのはブルーとミラ、チェンバレン、それにわずかな近衛兵と、哀れにも雑踏に踏みつけられ瀕死になった者だけである。
シルバラードの運転席から下りてきた人物を見て、ブルーが驚愕の表情を浮かべる。
「ジェリー・ホワイト?……なぜここに?」
ヒューストンでは知らぬ者はいない。数日前に優勝を決める決勝ホームランを打ったベースボールの英雄、ジェリー・ホワイトがここにいる。
「久しぶりだなチェンバレン!エレメンタリースクール以来だな!」
「ジェリー……!」
「いいかチェンバレン!俺がニューオーリンズくんだりまで来た理由は2つある!」
ジェリーは大仰に2本指を立てる。
「1つめは『ヒューストン以外に文明はあっちゃいけない』ってこと!
2つめは『俺とタイマンはれる人間はお前ぐらい』ってことだ!」
「だがお前は、そこのヒョロっこいガキに負けた!」
上空に漂っていたドローンが、シルバラードの荷台に帰ってくる。しばらく前から様子を見ていたのだろう。
「2つめの理由が無くなった以上、さっさと撃ち殺して帰ってもいいんだが……昔のよしみと、ごっことはいえ王を名乗ってた人間だ。相手してやる。来な!」
ホワイトがテンガロンハットを脱いでシルバラードのサイドミラーに掛ける。歯噛みしていたチェンバレンが雄叫びとともに襲いかかる。
チェンバレンのパンチの連打を、ホワイトは避けようともしない。殴られ、血を流し、笑いながら絶叫する。
「いいぞ、もっとだ、oh yeah!」
打ち疲れたチェンバレンの連打が一瞬途切れたところに、ホワイトがカウンターの頭突きを入れる。髪の毛を引っ掴み、ショートレンジのラリアットで後頭部を地面に叩きつける。180°回転して天を指したチェンバレンの長い脚が、ゆっくり倒れていく。
昏倒したチェンバレンに向かって、ベレッタm9を抜く。
ホワイトの顔からは先ほどの笑顔が消え失せ、氷のように冷淡な表情になっている。
「残念だ、チェンバレン。あばよ」
2発の銃声が響き、チェンバレンの周りに血溜まりが広がっていく。
ミラもブルーも、動けなかった。理不尽なまでに圧倒的な暴力。ジェリー・ホワイトだけ、この世界の食物連鎖から外れている異物にすら見えた。
「ミラ……」
瀕死のチェンバレンがミラを呼ぶ。
ミラが駆け寄り、耳元で叫ぶ。もう目も耳も効かなくなりつつあるのを悟ったのだろう。
「あの曲、最高だった!もう覚えたから、今度笛作って吹くね!」
チェンバレンは力なくほんの少しだけ微笑んで、こと切れた。立ち上がったミラの肩に、ブルーが後ろからそっと手を置いた。
「おい、ヒョロっこいの!お前ヒューストンから脱走した噂のガキだろ?
さっきの戦い、気に入ったぜ!」
そう言って、ホワイトがブルーの足元に銃を投げる。
「20世紀を代表する名銃、コルトパイソンだ。こいつでその女、守ってやりな」
ホワイトはサイドミラーに掛けたテンガロンハットを被り直し、満面の笑顔で2人にサムアップしてシルバラードで走り去った。
「ハリケーンみたいな人だったな……」
残された拳銃をおっかなびっくり触りながらブルーが呟いていると、猛スピードでシルバラードが戻ってくる。
「おいガキども!予定変更だ!お前らの懸賞金の条件が変わった!生け捕りでも死体でも5万ドルだ!
ピーピー泣いてるガキを乗せるのはごめんだが、死体で5万なら悪くない!」
ホワイトがブローニングm9を抜く。
「DEAD OR ALIVEってやつだ」




