内通者
警察署を出て階段を降りる。二人は無言だった。外に出ると、昼の光が眩しかった。
「古鷹さんの言ってることの裏も取れた」
ときやが呟いた。
「うん…」
コンヌは発信機を握りしめた。
「でも、これで少し安心できる」
冬の日差しが眩しい。だが、風は冷たい。二人は駐車場へ向かった。
「次は商店街だね」
「うん。昼食も兼ねて」
その時
「すみません」
背後から声がした。二人は振り返った。そこには二人の警察官が立っていた。一人は四十代くらいの男性。がっしりした体格。短髪。もう一人は三十代の男性。痩せ型。柔和な表情。二人とも、スーツを着ている。刑事だろう。
「はい」
ときやが応じた。
「あの、ちょっとお時間よろしいですか」
四十代の男性が、丁寧に言った。
「この辺り、最近物騒でして。簡単な職務質問をさせていただきたいんですが」
「ああ、はい」
(普通の職質なら、答えてもいい。でも、桐龍警部が言っていた。警察内に、内通者がいると)
コンヌは頷いた。だがすぐに言った。
「あの、失礼ですが」
「はい?」
「警察手帳を拝見してもよろしいですか」
コンヌの声は穏やかだが明確だった。手帳の提示。四十代の男性は、わずかに驚いた表情を見せた。だが、すぐに笑顔になった。
「ああ、もちろん」
彼は内ポケットから手帳を取り出した。開いてコンヌに見せる。今度はきちんと見せた。コンヌは目を凝らして確認した。黒い革製。使い込まれた質感。開くと、左側に警察のエンブレム。右側に、顔写真と名前。
『N県警察 刑事部捜査一課 山崎浩二 警部補』
写真は、目の前の男性と一致している。年齢も、所属も、すべて記載されている。エンブレムの色も正確。印刷の質も、本物だ。革の使い込まれ方も自然。長年使われてきた跡がある。
「ありがとうございます」
コンヌは、手帳から目を離した。
(本物みたいだ)
疑いの余地がない。山崎は手帳をポケットに戻した。その動作も、自然だった。
「では、もう一人も」
コンヌは、三十代の男性を見た。
「ああ、はい」
30代の男性も手帳を見せた。
『N県警察 刑事部捜査一課 田中誠 巡査部長』
こちらも本物のようだった。
「お名前を伺ってもよろしいですか」
「稲荷コンヌです」
「虎村ときやです」
二人は素直に答えた。山崎警部補は手帳を取り出し、メモを取った。
「ありがとうございます」
その動作は、スムーズだ。慣れた警察官のような動き。
「今日はこちらに何の用で?」
「知人に会いに来ました」
ときやが答えた。コンヌは、内心で首を傾げた。
(警察署に来た理由を聞く?)
(普通の職質ならまず聞かない)
「警察の方です」
コンヌは短く答えた。
「ああ、なるほど」
山崎は、さらにメモを取った。
「お名前を教えていただけますか?」
「――」
コンヌは、一瞬黙った。そして、気づいた。
(これは普通の職質じゃない)
(私達の情報を集めようとしてる)
「申し訳ありませんが」
コンヌは、穏やかに答えた。
「それは警察署で確認していただけますか」
「え?」
山崎が、わずかに眉をひそめた。
「いえ、ただの職務質問なので」
「はい、理解しています」
コンヌは微笑んだ。
「ですが、警察の方との面談内容には守秘義務がありますので」
「守秘義務……」
「お答えできません」
コンヌの態度は丁寧だが毅然としていた。食い下がる質問。田中が口を挟んだ。
「いや、別に面談内容を聞いているわけではなく」
「お名前だけでも教えていただけませんか?」
山崎が再び尋ねた。その声には焦りが混じっていた。わずかに。だが、確かに。
「それも含めてお答えできません」
ときやも、コンヌに同調した。
「もし必要であれば、署内で確認してください」
「我々も警察なので確認する権限は……」
「では」
コンヌが丁寧に遮った。
「なぜそこで確認されないんですか?」
「え?」
「警察署の目の前ですよね」
コンヌは建物を指差した。
「建物の中に入ればすぐに確認できます」
「それは……」
山崎は、言葉に詰まった。
「それと」
コンヌはさらに続けた。
「職務質問の目的は犯罪の予防ですよね」
「そうですが」
「私たちが警察署から出てきたことのどこが不審なんですか?」
コンヌの目が、鋭くなった。
「それは……」
山崎は再び言葉に詰まった。田中がフォローしようとした。
「いえ、最近この辺りで不審者の報告がありまして」
「不審者?」
ときやが尋ねた。
「どんな特徴の?」
「それは」
田中も言葉に詰まった。明らかに即興で答えている。
「答えられないんですか?」
コンヌが静かに指摘した。山崎は諦めたように手帳を閉じた。
「分かりました」
その声には、苛立ちが混じっていた。
「今日のところはこれで」
「ご協力ありがとうございました」
山崎と田中は足早に警察署の方へ戻っていった。だがコンヌは気づいた。二人は警察署の建物には入らなかった。すぐにコンヌ達は駐車場の隅へ向かい黒いAQUAに乗り込んだ。
「ときや君」
コンヌが、小声で言った。
「見て、あれ」
ときやも、気づいた。
「警察署に戻ってない」
エンジンはかけて少し話を続けた。
「色々とおかしかったね」
ときやが言った。
「うん」
コンヌも頷いた。
「手帳は本物だった。でも」
コンヌは、考えを整理した。
「質問の仕方がおかしい」
「どうおかしいのかな?」
ときやが聞く。
「まず」
コンヌは、指を折って説明した。
「普通の職質なら身分証を確認する」
「でも、確認しなかった」
「そう。名前を聞いただけ」
「次に」
コンヌは、本目の指を折った。
「『誰に会ったか』を執拗に聞いてきた」
「たしかに」
「普通の職質で、そこまで聞く?」
「聞かないかな」
ときやも、納得した。
「それと」
コンヌは三本目の指を折った。
「矛盾を指摘されたらすぐに引き下がった」
「本物の警察官なら」
「もっと堂々として辻褄を合わせるはず」
「たしかに。ということはつまり」
ときやが、まとめた。
「本物の警察官だけど内通者の可能性が高いね」
コンヌが、小声で言った。
「桐龍警部が言ってた通り警察内部に教団の内通者がいるって」
「まさかあの二人が」
「たぶん、そう」
重い空気が、車内を満たした。
「じゃあ」
ときやの表情が、険しくなった。
「僕たちが桐龍警部に会ったこともう」
「知られるであろうね」
コンヌは、バックミラーを見た。山崎と田中がこちらを見ている。
「一連のことは桐龍警部に連絡しておこう」
コンヌはスマートフォンを取り出した。桐龍警部の名刺を見る。書かれている番号に電話をかけた。数回のコール。
「はい、桐龍です」
桐龍警部の声が聞こえた。
「桐龍警部、稲荷コンヌです」
「コンヌさん?どうしましたか?」
「あの少し、確認したいことがあって」
コンヌは、慎重に言葉を選んだ。
「今、警察署の駐車場にいるんですが」
「ええ」
「さっき、職務質問を受けまして」
「職務質問?」
桐龍警部の声がわずかに変わった。
「誰にですか?」
「刑事部捜査一課の」
コンヌは、メモを見た。
「山崎浩二警部補と、田中誠巡査部長という方です」
電話の向こうで、沈黙があった。長い数十秒間。確認し終えた桐龍警部の返答。
「コンヌさん」
桐龍警部の声が低く、鋭くなった。
「今、どこにいますか」
「駐車場の自分たちの車の中です」
「周りに誰かいますか」
「件の二人が少し離れた場所に」
「分かりました」
桐龍警部が、深く息を吐く音が聞こえた。
「落ち着いて聞いてください」
「はい」
「山崎と田中は確かに捜査一課にいます」
「はい」
「ですが」
桐龍警部の声が、さらに厳しくなった。
「彼らは今日一日中、市内の別の場所で張り込みについているはずです」
コンヌの心臓が跳ねた。
「なので」
桐龍警部が続けた。
「ええ。警察署の駐車場にいるはずがない」
コンヌは、ときやを見た。ときやの表情も、険しくなっている。電話を、スピーカーモードにしていたからだ。
「つまり、あの二人は」
コンヌが慎重に尋ねた。
「内通者の可能性が高いです」
桐龍警部が断言した。
「教団に買収された裏切り者です。私が警告した通り、警察内部にも敵がいる」
コンヌとときやは、顔を見合わせた。
「コンヌさん今すぐその場を離れてください。彼らはまだそこにいますか?」
「はい。今警察車両に乗ったところです。」
「尾行される可能性があります」
桐龍警部は、指示を出した。
「ですが、慌てて逃げる素振りは見せないでください」
「はい」
「普通に次の目的地へ向かってください」
「分かりました」
「今夜のセミナーですが」
桐龍警部の声がさらに深刻になった。
「山崎たちはあなた方の顔を見ました」
「はい」
「教団に報告するでしょう」
「つまり、向こうは僕たちが来ることを」
ときやが言葉を続けた。
「知っている」
「ええ」
桐龍警部が頷く気配が伝わった。
「それでも、行きますか?」
コンヌは一瞬も迷わなかった。
「行きます」
「美月さんを救わなければいけません」
「分かりました」
桐龍警部は少し考えた後に言った。
「では、今から私の部下を一人そちらへ向かわせます」
「部下を?」
「ええ。信頼できる人間です」
桐龍警部が説明した。
「緊急用の物を渡します」
「万が一の時のために」
桐龍警部の声が真剣だった。
「もし何かあれば、すぐに機動隊を動かします」
「ありがとうございます」
「五分後、商店街の入口で待っていてください」
「はい」
「私服の男性が近づきます。合言葉は」
桐龍警部が言葉を選んだ。
「『星が綺麗ですね』」
「星が綺麗ですね」
「あなた方は『でも、今は昼です』と答えてください」
「分かりました」
「では、気をつけて」
「はい」
電話が切れた。
コンヌは、深呼吸した。
「やっぱり」
「内通者がいた」
ときやが続けた。
「しかも、本物の刑事が」
「うん」
ときやは、エンジンをかけた。
「商店街へ行こう」
コンヌはバックミラーを見た。警察車両がまだそこにいる。
「きっと、ついてくる」
「だろうね」
「でも」
コンヌは微笑んだ。
「向こうは、私たちがバレてないと思ってる」
「たしかに」
ときやも理解した。
「僕たちは普通に調査を続ければいい」
「そう」
「そして今夜」
コンヌの目が鋭くなった。
「決着をつける」
車が駐車場を出る。バックミラーを確認する。警察車両も動き出した。
「やっぱり、ついてくる」
「距離は?」
「五十メートルくらい」
ときやは、冷静に報告した。
「わざと離れてる」
「バレてないと思ってる証拠だね」
「うん」
コンヌは、アクセルを踏んだ。
「じゃあ、そう思わせておこう」
車は、商店街へ向かった。道中、何度もバックミラーを確認する。警部車両は、ずっと後ろをついてくる一定の距離を保ちながら。
「プロだね」
ときやが呟いた。
「うん」
コンヌも頷いた。
「でも」
「桐龍警部が味方についてくれた」
「うん」
ときやは、ハンドルを握りしめた。
「信じられるのは、桐龍警部に古鷹さん、そして、」
コンヌはときやを見た。
「ときや君」
「僕もコンヌちゃんを信じてる」
ときやは微笑んだ。
「一緒に最後まで」
「うん」
商店街到着。商店街に到着した。入口近くに車を停める。警察車両も少し離れた場所に停まった。
「降りよう」
二人は、車を降りた。そして、商店街の入口で待った。数分後、一人の男性が近づいてきた。三十代くらい。私服。普通の格好。だが、その動きには訓練された者特有の張りがあった。男性が小声で言った。
「星が綺麗ですね」
コンヌは、すぐに答えた。
「でも今は昼です」
男性は頷いた。
「桐龍警部の部下です」
彼は小さな箱をコンヌに渡した。
「これを。何かあればボタンを押してください」
「ありがとうございます」
「気をつけて」
男性はそれだけ言って立ち去った。自然に。誰にも気づかれないように。コンヌは、箱を開けた。中には、小さなボタン。
「これで」
ときやが言った。
「万が一の時も、大丈夫」
「うん」
コンヌは緊急用ボタンをポケットに入れた。
「じゃあ、調査を続けよう」
「監視されてるけど?」
「だからこそだよ」
コンヌの目に探偵の光が宿った。
「普通に調査してる振りをしないと」
「分かった」




