不朽の屋敷
車を走らせて四時間、目的のN県山中に着いた。まだ四時過ぎだが、周囲は深い森に覆われ、鬱蒼としていた。木々の間を縫うように進むと突如視界が開けた。そこに堅牢な塀で囲まれた和風の屋敷があった。周囲の自然と明らかに異質な雰囲気を放っていた。
「…なんか、暗い感じ」
コンヌが呟く。
「僕もそう思う」
ときやが頷いた。
「引き返すなら今だよ」
「でも五〇〇万…」
二人は顔を見合わせて、苦笑した。屋敷の前の門まで二人は来た。
「わぁ、なんだか門は近代的だね」
コンヌは感嘆をもらした。屋敷門はステンレス製の電動門扉SRだ。コンヌはインターホンを押した。
「こんにちは。五時間前にお電話いただいたコンヌ探偵事務所の者です。どなたかいらっしゃいますか」
数秒の沈黙の後、壮年の男性の声が返ってきた。
「入れ」
門が自動で開いた。門をくぐると黒い服を着た中年の婦人が、内側に立っていた。
「遠方よりご足労ありがとうございます」
婦人は一礼した。砂利を踏む音が妙に大きく響いた。
二人は顔を見合わせた。
「珍しい扉ですね」
「最近は物騒ですから数年前に設置したんですよ」
そこには、太い金属製の閂が設置されていた。横に伸びる棒状の錠だ。
「外からの電動操作だけでは開かないようになっています。内側から閂を外さないと」
「なるほど。二重ロックなんですね」
ときやが頷いた。コンヌはその扉を見た。外側と内側、両方から操作しないと開かない。その言葉がまた頭を掠めた。
「ええ。主人がお待ちしております。ついてきてください」
屋敷の戸を開けて長い廊下を抜け、大きな襖の前で婦人が立ち止まった。
「こちらでございます」
襖には、金箔で何かの模様が描かれていた。婦人が襖を開けた。そして、煌びやかな襖を開けるとそこには顔の彫りが深い鷹のような目をした壮年の男性が立っていた。背筋を伸ばし、じっと二人を見据えている。
「よく来てくれたな」
男の声は低く、重い。コンヌは一歩前に出た。
「まずお聞きしたいことがあります」
「構わない」
「あなたは本当に父を知っているのですか?」
男は静かに頷いた。
「私の名は古鷹勲武。十年前、亥原と共にある事件を追っていた」
「証拠はありますか」
ときやが横から口を挟んだ。声は穏やかだが、目は鋭い。
「証拠か…」
古鷹は僅かに笑った。
「疑うのは当然だ。むしろ簡単に信用する方が危険だ」
コンヌが幼い頃の写真。五歳くらいだろうか。父に抱かれて笑っている。そして隣に古鷹がいた。
「これは…」
コンヌの手が震えた。
「君が五歳の誕生日だ。亥原に招待されて私も参加した」
写真の背景には、見覚えのある部屋。実家のリビングだ。壁には、今も実家に飾られている絵が写っている。
「この写真は…」
「亥原の家でしか撮れない。そうだろう?」
古鷹は真剣な目でコンヌを見た。コンヌは記憶を辿った。五歳の誕生日。父が大きなケーキを買ってきてくれた。そして確か…父の友人が来ていた。
「おじさん…」
コンヌが呟いた。
「覚えているのか」
古鷹の表情が和らいだ。
「顔は…覚えてないです。でも、父の友人が来てくれたことは覚えてます」
「そうか」
コンヌは写真を見つめたまま静かに言った。
「そういえば父がよく言っていた言葉があります。『探偵には頭さえあれば十分だ』って」
古鷹は即座に首を振った。
「違う。亥原はそうは言わなかった」
古鷹の目が静かにコンヌを見た。
「『探偵には推理力だけじゃなく、身を守る力も必要だ』。亥原はよく言っていた」
沈黙。コンヌはゆっくりと顔を上げた。
「…正解です。ごめんなさい。試しました」
「ふふ、油断も隙もないな。だが、かまわない」
古鷹は微かに笑った。しかし、ときやはまだ納得していない様子だった。
「写真と口癖は分かりました。でも、それだけでは…」
「まだ疑うのか」
古鷹は苦笑した。
「慎重なのは良いことだ。では、こうしよう」
古鷹は立ち上がった。
「では、決定的な証拠を見せよう」
古鷹は奥の部屋へ歩いていった。数分後に戻ってきた。その手には小さな箱があった。
「これを」
箱を開けると、中には古い懐中時計が入っていた。銀色の傷だらけの時計。
「これは…」
コンヌが息を呑んだ。時計の裏側には文字が刻まれていた。
『亥原へ 共に正義を 古鷹』
「これは、私が亥原に贈った時計だ」
古鷹は静かに言った。
「探偵として独立する時に餞別として渡した」
コンヌは時計を手に取った。重い。傷だらけだが大切に使われていたことが分かる。
「お父さん、この時計をいつも持っていた…」
コンヌの記憶が蘇る。
「ポケットからよく取り出して時間を確認してた」
「ああ。亥原は時間に正確な男だった」
古鷹は目を細めた。
「でも、なぜこれが古鷹さんの手元に?」
ときやが尋ねた。
「十年前、事件の夜」
古鷹の表情が曇った。
「亥原が消える直前、これを私に託した」
古鷹は天井を見上げた。
「『もし自分に何かあったら、コンヌに渡してくれ』と」
沈黙。
「でも、渡せなかった」
古鷹の声が震えた。
「どうしても、直接会って渡したかった。亥原を取り戻してから君に会おうと思っていた」
「古鷹さん…」
「すまない。十年間、彼を取り戻せなかった。無能な相棒だ」
古鷹は深く頭を下げた。
「古鷹さんは今、後悔していますか」
ときやは静かに言った。古鷹はすぐには答えなかった。しばらくして、低く言った。
「ああ。ずっとな」
ときやは頷いた。
「分かりました。信じます」
コンヌが驚いた顔をする。
「ときや君?」
「後悔している人間は、嘘をつく時に目が泳ぐ」
ときやは小さく言った。
「古鷹さんの目は、泳いでいなかった」
古鷹はときやを見た。
「…精神科医らしい見方だな」
「それと」
ときやは続けた。
「まだ全部は信じていません」
率直な言葉。だが、敵意はなかった。
「でも、動く理由としては十分です」
古鷹は静かに頷いた。
「ありがとう」




