表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Detectiveコンヌちゃん  作者: 虎村


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

1/12

見えないもの

 古びた看板の探偵事務所。虎村ときやは軋むドアを開けた。デスクに積み上げられた紙の山、コーヒー缶、カップ麺の空容器が散乱してる。


「またコーヒーで誤魔化してるでしょ、コンヌちゃん」


「うるさいな、ときや君は私のお母さんか」


 コンヌは資料から目を離さずに答えた。黒髪をラフに結んだ彼女の目の下には、うっすらとクマができている。


「心配してるんだよ」


 ときやは溜息をつきながら、持ってきた紙袋を机に置いた。


「サンドイッチ。ちゃんと食べて」


「……ありがと」


 コンヌはようやく顔を上げ、小さく笑った。その笑顔に、ときやの表情が僅かに緩む。


「また、お父さんの?」


 ときやは彼女が広げている古びたファイルに目を向けた。十年前、忽然と姿を消した探偵の残した調査資料。コンヌが探偵になった理由であり、彼女の執念の源。


「うん。でも、やっぱり何も…」


 ときやはふと部屋の隅に置かれたサンドバッグに目をやった。表面には、無数の打撃の跡がある。


「今朝も練習してたの?」


「うん。お父さんの手帳に書いてあったんだ。『探偵には推理力だけじゃなく、身を守る力も必要だ』って」


 コンヌは立ち上がり、軽く拳を握った。


「偉いね。でも、コンヌちゃんは僕が守るよ」


「きゃ、ありがとう。ときや君だって、病院で患者さんが暴れた時のために柔術やってるんでしょ?」


「まあ…患者さんを傷つけずに制圧する技術が必要だから」


 ときやは苦笑した。


「かっこいいね」


「ありがとう。でも、使わないで済むのが一番だよ」

 その時、事務所の電話が鳴った。


「はい。こちらコンヌ探偵事務所です」


 電話の主は壮年の男性のようだった。


「急ぎで依頼を頼みたい。今から告げる住所に来てもらいたい」


 住所はN県の山中。現在いるA県から自動車で4時間といったところだ。


「分かりました。依頼内容を聞いてもよろしいでしょうか」


「悪いがそれはできない。来てくれれば話す。前金は既に払ってある」


 コンヌは息を呑んだ。前金を先に払う?


「口座を確認してくれ」


 嫌な予感がした。コンヌはスマホを取り出し、銀行アプリを開いた。画面に表示された数字を見た瞬間、手が震えた。


5,000,000円


「……え」


 桁を数え直す。一、十、百、千、万…五百万。間違いない。


「確認できたか」


 男性の声が、冷たく響いた。


「依頼を解決してくれれば、この額の倍を出すつもりだ。引き受けてくれるか」


 コンヌの心臓が激しく打ち始めた。


「コンヌちゃん?どうしたの?」


 ときやが心配そうに覗き込んでくる。コンヌは咄嗟にスマホの画面を見せた。ときやの目が見開かれる。


「…っ!」


「返答を待っているが」


 電話の向こうで、男性が促した。


「少々お待ちください」


 コンヌは慌てて保留ボタンを押した。

 重い沈黙。


「ときや君…これ…」


「うん…」


 ときやの表情が硬い。コンヌは深呼吸をした。考えろ。冷静に。依頼内容は異常だ。しかし、コンヌは自分の通帳残高を思い出した。通帳の残高は、今月末を乗り越えられるかどうかのラインだった。家賃と光熱費を払ったら、もう殆ど残っていない。今月受けた依頼は浮気調査が一件と、ペット探しが二件。合わせて十五万円。来月の家賃は払える。でも再来月は?父が遺してくれた事務所だから、土地代はかからない。でも、維持費、水道光熱費、調査経費…毎月ギリギリだ。五百万円。いや、一五〇〇万円。その金額があれば、一年は何も心配せずに父の調査に専念できる。資料も買える。機材も新調できる。父の手記の解読に、もっと時間を割ける。


でも――


「なんでこんな大金を?」


コンヌは小声で呟いた。ときやが答える。


「それだけ危険な依頼ってことだよ」


 コンヌは黙って俯いた。まともな依頼なら、最初から内容を話すはずだ。秘密にする理由がある。前金を先に払うのは、断らせないため。コンヌの頭に、様々な可能性が浮かんだ。犯罪組織?違法な調査?それとも、命に関わる何か?


「でも…」


 コンヌの声が震えた。五百万円は、既に振り込まれている。断っても、返せと言われるだろう。それに――コンヌは父の手記を見た。ボロボロになったノート。父が命をかけて遺したもの。開業して半年。受けた依頼は、どれも小さなものばかりだった。浮気調査、ペット探し、失踪人調査…父のような、大きな事件は一度も来なかった。


「私…探偵になったのに」


コンヌは唇を噛み締めた。


「お父さんみたいな探偵になりたいのに…」


 父の背中は遠かった。コンヌは保留を解除した。


「お待たせしました」


「返答は?」


「あの…明日まで、考えさせてもらえませんか」


 沈黙。


「…分かった。明日の正午まで待とう。だが」

 男性の声が低くなった。


「一つだけ伝えておく。私は亥原正義を知っている」


 コンヌの息が止まった。


「十年前、亥原と共にある事件を追っていた。そして、彼は消えた」


「詳しくは会った時に話す。だが、これだけは言える」


 男性は淡々と続けた。


「君の父親はまだ生きている」


「…!」


「そして、七日後。彼を取り戻せる最後のチャンスが来る」


 コンヌの手が震えた。


「信じるかどうかは君次第だ。明日の正午、返事を待っている」


 通話が切れた。数秒の沈黙。


「コンヌちゃん…」


 ときやが肩に手を置いた。


「一晩、ゆっくり考えよう」


「うん…」


 コンヌは父の手帳を見つめた。

 

 夜になった。ときやが帰った後、コンヌは一人事務所に残った。机の上には、父の手帳が開いたままになっている。


『コンヌへ。パパはいつも君を誇りに思っている。どうか強く、優しい大人になっておくれ』


 父の文字を指でなぞる。コンヌは立ち上がり、サンドバッグの前に立った。構える。拳を打ち込む。また打つ。リズムが速くなる。父が生きている。本当に?罠かもしれない。でも、もし本当なら。気づけば、拳に血が滲んでいた。コンヌは手を止め、血の滲んだ拳を見つめた。サンドバッグから離れ、再び机に戻る。コーヒーを淹れた。一杯飲む。二杯目を淹れる。三杯目。空のカップが、机に三つ並んだ。コンヌはそれを見てため息をついた。通帳を開く。残高を確認する。父の手帳を開く。判読不能な部分が多い。もっと情報が欲しい。もっと時間が欲しい。でも、命を危険に晒してまで?コンヌは手帳のページをめくった。断片的な情報。暗号のような記号。十年前の父が追っていた事件。


『探偵には推理力だけじゃなく身を守る力も必要だ』


 父がよく話していた言葉だ。コンヌは再びサンドバッグの前に立った。今度は、ゆっくりと拳を打ち込む。一発、一発。父の顔を思い出しながら。父が生きている。その言葉が頭の中で何度も繰り返される。窓の外が白み始めた頃にはコンヌは机に突っ伏して眠っていた。父の手帳を抱きしめたまま。血の滲んだ拳は、手帳の上に置かれていた。


 窓から冷たい風が入ってきた。そういえば、夕方に換気のために開けたままだった。コンヌは窓に近づき、閉めようと手をかけた。引っ張る。動かない。


「…また」


 もう一度、力を入れて引っ張る。びくともしない。古い木枠の窓は湿気で膨張して、時々こうなる。コンヌは窓枠を押してみたり、下から持ち上げてみたりしたが、閉まらなかった。


「寒む…」


 コンヌは諦めて、カーディガンを羽織った。


「ときや君に手伝ってもらおう」

 

 翌朝、ドアが開く音でコンヌは目を覚ました。


「おはよう、コンヌちゃん」


 ときやは部屋を見回して、開きっぱなしの窓に気づいた。


「窓、開けっ放し?寒くね?」


「閉まらなくなっちゃって」


 コンヌは窓を指差した。


「手伝うよ」


 ときやは窓の外へ回った。コンヌは内側に立つ。


「じゃあ、僕が外から押さえるから、コンヌちゃんは内側から引いて」


「うん」


 ときやは外から窓枠を押さえた。コンヌは内側から取っ手を引く。


「せーの」でギィッという音を立てて、窓が閉まった。コンヌは閉まった窓を見た。内側から引いて、外側から押さえる。片方だけでは動かなかった。両方向から同時に力を加えて、初めて動いた。そういえば当たり前のことだ。なのになぜか、その当たり前が頭に残った。


「やった」


「この窓、そろそろ修理した方がいいかもね」


「お金ないよ」


「だよね」


 ときやが笑って部屋に戻ってきた。コンヌの目の下のクマが昨日よりも濃くなっている。ときやは何も言わずコンヌの様子を見た。机に並んだ三つの空のコーヒーカップ。血の滲んだ拳。開いたままの父の手帳。


「…一晩よく考えたんだね」


 ときやは静かに言った。コンヌは頷いた。


「うん」


「決めた?」


 コンヌは父の手帳を見つめた。そして――


「行く」

 コンヌは顔を上げた。その目には強い気持ちが宿っている。


「お父さんが生きてるかもしれない。それが嘘でも…確かめないと一生後悔すると思うから」


 ときやは微笑んだ。


「分かった。一緒に行こう」


「ときや君…」


「そんでヤバかったら一緒に逃げよう」


「うん…ありがとう」


 コンヌは涙を拭った。


 約束の正午にコンヌは電話をかけた。


「お待たせしました」


「返答は?」


「その依頼、引き受けます」


 コンヌの声は震えていなかった。


「賢明な判断だ。では5時間後に落ち合おう」


 通話が終わった。コンヌはときやを見た。


「じゃあ、準備しよう」


「うん」


 二人は、運命の旅へと動き出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ