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Detectiveコンヌちゃん  作者: 虎村


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3/12

古鷹家の十年間

二〇XX年十一月二九日。


 古鷹勲武は、黒鉄山の地下空洞で相棒を失った。


「古鷹、逃げろ!」


 亥原正義の最後の叫びが今も耳に残っている。亥原は門の中へ飛び込んだ。古鷹は止めることができなかった。腹部を深く斬られ、血が止まらなかった。意識が朦朧とする中で最後に見たのは、亥原の背中だった。


「待て!お前には娘が」


「だからこそだ」


 亥原は振り返らなかった。その姿が今も脳裏に焼き付いている。


 病院のベッドで目を覚ました時、妻・聖子が傍にいた。


「勲武さん…」


 聖子の目は、涙で赤く腫れていた。


「亥原さんは…」


 古鷹は、何も言えなかった。ただ、天井を見つめた。その日から古鷹の十年間が始まった。退院後、古鷹はすぐに黒鉄山へ向かった。毎日。雨の日も、雪の日も。地下空洞の前に立ち、門を監視した。


「亥原…生きているのか…」


 返事はない。だが、門は完全には閉じていなかった。わずかな隙間が残っている。その隙間から、微かに光が漏れていた。黒い光。緑色の光。不気味な光。だが、その光こそが、亥原が生きている証拠だと古鷹は信じた。


 一年目の冬。聖子が心配して、古鷹に尋ねた。


「あなた、毎日山に行って…身体は大丈夫なの?」


「大丈夫だ」


 古鷹は短く答えた。だが、その顔には、疲労の色が濃かった。聖子は、それ以上何も言わなかった。夫の執念を、止めることはできないと分かっていたから。代わりに、聖子は毎朝、夫のために弁当を作った。温かいスープ。おにぎり。夫の好物。それを持たせることが、聖子にできる唯一のことだった。


 二年目。古鷹は、門の調査を続けた。紋章を記録した。周囲の空間の歪みを測定した。教団の残党を追跡した。だが、どれも手がかりにならなかった。傷も治ったため、剣技の鍛錬も再開した。教祖の異能に打ち勝つために。


 ある夜、古鷹は自宅の書斎で亥原の遺品を見ていた。懐中時計。


『亥原へ 共に正義を 古鷹』


 自分が贈った時計。亥原が消える前に、自分に託した時計。


「すまない…亥原…」


 古鷹は、その時計を握りしめた。


「お前を…助けられなかった…」


 その声が、廊下に漏れた。聖子は、ドアの外で立ち止まった。夫の声を聞いてノックする手を止めた。夫の孤独を、邪魔してはいけない。そう思った。


 三年目。古鷹はついに警察を辞めた。上司や同僚の桐龍刑事からは引き留められた。


「古鷹、お前の気持ちは分かる。だが警察を辞めてどうする」


「すみません」


 古鷹は頭を下げた。


「亥原を探すことに専念したいんです」


 上司は、しばらく沈黙した後、頷いた。


「…分かった。いつでも戻ってこい」


 その日古鷹は警察手帳を返却した。何十年間と背負ってきたバッジを。誇りを。すべてを手放した。だが、後悔はなかった。亥原を探すためなら、何でも捨てる覚悟だった。


 その夜、聖子は静かに尋ねた。


「これから、どうするの?」


「探偵として亥原を探し続ける」


 古鷹は答えた。


「そして、いつか必ず連れ戻す」


 聖子は夫の目を見た。その目には、揺るぎない決意があった。


「分かったわ」


 聖子は微笑んだ。


「私も一緒に探す」


「聖子…」


「あなた一人に背負わせるわけにはいかないでしょ」


 その言葉が、古鷹の心を温めた。


 五年目。古鷹はある情報を得た。教団が再び活動を始めているという。だが、表立っては動いていない。あくまで水面下で何かを準備している。古鷹は単独で調査を続けた。だが古鷹だけでは限界があった。人脈は警察を辞めた時点で失われた。資金も底をつきかけていた。


「くそ…」


 古鷹は、自宅の書斎で頭を抱えた。その時ドアが開いた。聖子が温かいお茶を持ってきた。


「勲武さん、少し休んだら?」


「休んでいる暇はない」


「でも、身体を壊したら元も子もないでしょ」


 聖子は、夫の隣に座った。そして、静かに言った。


「亥原さんも、あなたが倒れることは望んでいないわ」


 古鷹は、妻を見た。聖子の目には、優しさと強さがあった。


「…そうだな」


 古鷹は、ようやく肩の力を抜いた。お茶を一口飲む。温かかった。


「ありがとう」


「どういたしまして」


 聖子は微笑んだ。その微笑みが古鷹の疲れた心を癒した。


 六年目。古鷹家の家計は、厳しくなっていた。古鷹の探偵業は、ほとんど収入にならなかった。退職金を削った。亥原を探すことに専念していたから。聖子は、パートを始めた。スーパーのレジ打ち。週に五日、朝から夕方まで。その収入で、何とか生活を維持した。ある日、古鷹は妻に謝った。


「すまない…聖子…お前に苦労をかけて…」


「何を言ってるの」


 聖子は笑った。


「夫婦でしょ。支え合うのが当然よ」


「でも…」


「それに」


 聖子は、真剣な目で夫を見た。


「亥原さんを探すことは私たちの使命でもあるわ」


「使命…?」


「あの人は世界を救うために自分を犠牲にした」


 聖子の声が震えた。


「だから、私たちが探さなきゃいけない。連れ戻さなきゃいけない」


 古鷹は、妻の手を握った。


「ありがとう…」


 その時、二人の絆は、さらに深まった。

 

 七-九年目。古鷹の身体に、異変が起きた。腹部の古傷が、時々痛んだ。十年前、教祖に斬られた傷。完治したはずだったが、疲労が蓄積すると痛み出す。ある夜、古鷹は痛みで目を覚ました。


「くっ…」


 声を殺して、痛みに耐える。だが、聖子は気づいていた。


「勲武さん…」


 聖子が、夫の手を握った。


「大丈夫…少し痛むだけだ…」


「病院に行きましょう」


「いや、大丈夫だ」


「大丈夫じゃないでしょ!」


 聖子の声が、珍しく強くなった。


「あなたが倒れたら、誰が亥原さんを探すの?」


「娘の美月も、心配してるのよ」


 その言葉に、古鷹は黙った。美月。一人娘。警察官になった、自慢の娘。


「…分かった。明日、病院に行く」


「約束よ」


 聖子は、夫の手を強く握った。その手の温もりが、古鷹の痛みを和らげた。


 十年目。美月が、父に提案した。


「パパ、私が教団に潜入する」


 古鷹は、即座に反対した。


「だめだ。危険すぎる」


「でも、パパ一人では限界があるでしょ」


 美月は、真剣な目で父を見た。


「私は警察官。潜入捜査の訓練も受けてる」


「それでもだめだ。やだ」


 古鷹は頑なだった。


「美月まで失うわけにはいかない」


 その時、聖子が口を開いた。


「勲武さん」


 夫を見る妻の目は複雑だった。


「美月の気持ちも分かってあげて」


「聖子…」


「美月も亥原さんを助けたいの。家族だから」


 聖子は娘を見た。


「でも美月。パパが心配するのも当然よ」


「分かってる」


 美月は頷いた。


「慎重にやる。絶対に無茶はしない」


 古鷹は、しばらく沈黙した後、ため息をついた。


「…条件がある」


「何?」


「必ず定期的に連絡を入れること」


「分かった」


「それと少しでも危険を感じたらすぐに撤退すること」


「約束する」


美月は、父の手を握った。


「ありがとう、パパ」


古鷹は、娘の手を握り返した。


「無事で帰ってこい」


その夜、聖子と古鷹は、二人きりで話した。


「本当に、これで良かったのか…」


古鷹が呟いた。


「愛娘を、危険に晒して…」


「美月は、もう大人よ」


聖子は答えた。


「自分で決めたことを尊重してあげなきゃ」


「うーむ…」


「信じましょう。美月を。そして亥原さんを」


 聖子の声は、優しく、強かった。古鷹は、妻の顔を見た。十年間、ずっと支えてくれた妻。


「ありがとう、聖子」


「どういたしまして」


 二人は、静かに手を繋いだ。



 十年目九月初旬


美月からの連絡が、途絶え始めた。


最初は週に一度。


それが、二週に一度になり。


一ヶ月に一度になり。


内容も、簡素になっていった。


古鷹は、不安で眠れない夜が増えた。


「美月…大丈夫か…」


聖子も、同じように不安だった。


だが、二人は互いに励まし合った。


「信じましょう」


「ああ」


その言葉を、何度も繰り返した。



 十年目。十一月二日、美月から、最後の連絡が来た。


『七日後の新月。儀式。急いで』


 古鷹はその瞬間、決断した。


「探偵を雇う」


「探偵?」


 聖子が驚いた。


「ああ。亥原の娘、コンヌに」


 古鷹は、ファイルを開いた。そこには、コンヌ探偵事務所の情報があった。


「彼女なら…きっと…」


 古鷹の声が震えた。


「亥原の血を引いているから」


 聖子は、夫の肩を抱いた。


「きっと、大丈夫よ」


「ああ…」


 古鷹は、妻に寄りかかった。十年間、ずっと耐えてきた。だが、もう限界だった。心も、身体も。


「聖子…俺は…」


「分かってる」


 聖子は、夫の背中を撫でた。


「あなたはよく頑張ったわ」

「十年間、一人で戦ってきた」


「でも、もう一人じゃない」


 聖子の声が、古鷹の心に響いた。


「コンヌさんが来てくれる」


「美月もきっと無事」


「そして、亥原さんもきっと帰ってくる」


 古鷹は涙を流した。だが、この瞬間、堪えきれなかった。


「すまない…聖子…」


「いいのよ」


 聖子も、涙を流した。


「一緒に泣きましょう」


 二人は抱き合って泣いた。十年間のすべての感情が溢れ出した。コンヌへの依頼を決めた夜。古鷹は、書斎で電話をかけようとしていた。その時、ドアがノックされた。


「勲武さん、入っていい?」


「ああ」


 聖子が入ってきた。手には温かいココアが二つ。


「はい、どうぞ」


「ありがとう」


 古鷹は、ココアを受け取った。聖子は夫の向かいに座った。しばらく沈黙が続いた。ココアの湯気が二人の間を漂う。


「ねえ、勲武さん」


 聖子が口を開いた。


「本当に、これで良かったの?」


「何が?」


「五百万円も、前金で払って」


 聖子の声は、穏やかだった。


「あれは勲武さんの退職金と私たちの老後の資金だったのに」


 古鷹は、顔を上げた。


「すまない…」


「謝らないで」


 聖子は首を振った。


「責めてるんじゃないの」


「ただ…確認したかった」


 聖子は、夫の目を見た。


「あなたは、本当にこれで良かったのかって」


 古鷹はしばらく考えた後に答えた。


「ああ。これで良かった」


「どうして?」


「亥原の娘だからだ」


 古鷹は、コンヌの写真を見た。


「彼女なら、きっと父親を助けられる」


「根拠は?」


「ない」


 古鷹は苦笑した。


「ただ…直感だ」


「直感ね」


 聖子も笑った。


「あなたらしいわ」


 二人は、ココアを飲んだ。甘くて、温かい。


「でもね」


 聖子が続けた。


「私も、同じことを思ってた」


「え?」


「コンヌさんなら、きっと大丈夫だって」


 聖子は微笑んだ。


「だって、亥原さんの娘だもの」


「聖子…」


「それに」


 聖子は、夫の手を握った。


「もし私たちが老後の資金を失っても構わないわ」


「大切なのは、お金じゃない」


「亥原さんと美月を取り戻すこと」


「それが私たちの本当の幸せだから」


 古鷹は、妻の手を強く握った。


「ありがとう…本当に…」


「どういたしまして」


 聖子は、夫の頬に触れた。


「十年間一緒に戦ってきたんだもの」


「最後まで一緒よ」


古鷹は妻を抱きしめた。


「愛してる」


「私も」


 二人は、しばらくそのまま抱き合っていた。十年間のすべての重みを。十年間のすべての愛を。その一瞬に込めた。やがて、古鷹は妻から離れた。


「じゃあ、電話をかけるか」


「ええ」


 聖子は頷いた。


「私も、隣で聞いてていい?」


「もちろん」


 古鷹は、携帯を取り出した。コンヌ探偵事務所の番号を入力する。コール音が響く。一回。二回。三回。そして――


「はい。こちらコンヌ探偵事務所です」


 明るい、若い女性の声。古鷹は、深呼吸をした。聖子が、夫の手を握った。


「急ぎで依頼を頼みたい。今から告げる住所に来てもらいたい」


 こうして、すべてが動き出した。

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