教団潜入
午後四時半:二人は教団の協会へ向かった。コンヌとときやが「心の相談室」の前を通り掛かったその時、ドアが開いた。三人の人間が一緒に出てきた。
一人は、二十代後半の女性。濃いメイクで隠そうとしているが、目の下のクマが深い。痩せこけたボロボロの営業職OLという感じだ。
もう一人は、四十代の筋骨隆々とした男性。日焼けした肌が建設業を連想させる。だが、目の光は消えていた。
そして三人目。六十代の落ち着いた女性。背筋は伸びているが、その眼差しは虚ろだ。三人は、揃って同じような笑顔を浮かべていた。不気味な笑顔。
「こんにちは」
相談室の受付女性が、穏やかに声をかけた。
「また明日もいらしてくださいね」
「ああ、ありがとうございます」
二十代の女性が、抜け殻のような返事をした。その声を聞いた瞬間、コンヌの背筋が凍った。
「ときや君、聞いた?」
「……うん。不気味だ」
二人は、三人の背中を見守った。三人は、そのまま歩き去っていった。
二階の「心の相談室」。入口には、穏やかな音楽が流れている。
「……普通だね」
コンヌが呟く。
「逆に怖い」
ときやが答えた。扉を開けると、穏やかなBGMが流れていた。受付には、若い女性が座っている。
「いらっしゃいませ」
笑顔。だが、コンヌは違和感を覚えた。女性の目が笑っていない。いや、笑っているのだがその奥が虚ろだ。
「初めてですか?」
受付の女性が尋ねた。
「はい」
コンヌは笑顔で答えた。
「よかったら、パンフレットをどうぞ」
パンフレットには、綺麗な写真と文章が並んでいる。
『心の平穏を取り戻しませんか』
『ストレス社会に疲れたあなたへ』
『無料相談実施中』
一見、普通の自己啓発団体だ。だが、パンフレットの隅に小さく紋章が印刷されていた。図書館で見た、あの幾何学模様。コンヌの背筋が凍った。
「個別相談をご希望ですか?」
受付の女性が尋ねた。コンヌは一瞬迷った。だが。
「はい。お願いします」
「では、こちらへ」
案内されたのは、奥の小部屋。シンプルな部屋。机と椅子が二つ。窓はない。照明は柔らかいが、どこか不自然だ。
そして―― 扉が開き、男性が入ってきた。年齢や体躯はローブで隠れていて見えない。しかし、笑顔でいるのは口元をみてわかる。
「初めまして。私が相談員です」
男性は名刺を差し出した。名前は書かれていない。ただ「相談員」とだけ。
(この人が……教祖なの……?)
コンヌは直感した。協会での教祖との対話は、昨日の夜、夢に見たような既視感があった。
「何かお悩みですか?」
教祖が優しく尋ねた。コンヌは用意していた台詞を言った。
「最近、仕事が上手くいかなくて……」
「なるほど」
教祖は頷いた。その目が、コンヌを見つめた。だが、次の言葉で、コンヌの心臓が跳ねた。
「仕事、というより……あなたは誰かを探しているんですね」
「……え?」
コンヌは動揺を隠せなかった。
「探す人間と、待つ人間がいる」
教祖は穏やかに笑った。
「あなたはどちらだと思いますか」
コンヌは言葉に詰まった。
(見抜かれてる…?)
「いえ、別に探してるわけじゃ……」
「そうですか」
教祖は追及しなかった。ただ、笑うだけ。その笑顔が、不気味だった。
「では、また困ったことがあれば、いつでもいらしてください」
教祖は立ち上がった。
「あ、あの……」
「大丈夫」
教祖は扉を開けた。
「あなたの探しているものはきっと見つかりますよ」
意味深な言葉を残して教祖は部屋を出ていった。コンヌはしばらく動けなかった。ときやが部屋に入ってきた。
「コンヌちゃん、大丈夫?」
「…うん」
コンヌは立ち上がった。
「行こう」
午後五時半:協会を出た後、二人は無言で歩いた。商店街を抜け、人気のない路地へ。数分後、コンヌが口を開いた。
「バレてるかも」
「…うん」
ときやは頷いた。
「でも、何もしてこなかったね」
「泳がされてる」
ときやの声が低い。
「僕たちが何をするか、見ているつもりだ」
「なら……」
コンヌは立ち止まった。
「セミナーも罠かもしれない」
沈黙。
「でも」
コンヌは顔を上げた。
「行かないといけない。美月さんを助けるために」
「分かってる」
ときやも立ち止まった。
「だから、細心の注意を払おう」
二人は車に戻った。
午後六時半:古鷹の屋敷に到着した。ここに来る前は尾行に注意してかなり迂回した。門の前で、電動シャッターが開く。二人は車を停め、玄関へ向かった。扉が開き、古鷹の妻が迎えてくれた。
「お帰りなさい。主人が待っています」
応接間には、古鷹が座っていた。
「よく戻った」
古鷹は立ち上がった。
「調査はどうだった?」
コンヌは調査結果を全て伝えた。図書館で見つけた古文書。『内と外、同時に』という封印の鍵。警察署での桐龍警部との面談。内通者との接触・監視、美月の状況。洗脳の段階。街での聞き込み。五十人以上の信者が黒鉄山へ移動したこと。元信者の証言。そして、教団協会での教祖との接触。
「教祖と会ったのか」
古鷹が驚いた顔をした。
「はい。おそらく本物です」
コンヌは真剣な目で言った。
「そして……私たちの正体に気づいているかもしれません」
「やはり……」
古鷹は拳を握った。
「すでに五十人以上が山へ移動している。予想より早い」
「七日後の新月を待たずに、儀式を始める可能性があります」
「だから、今日の夜のセミナーで必ず美月を」
「ああ」
古鷹は深く頭を下げた。
「頼む」
「だが、教祖は君たちを泳がせている」
「分かっています」
コンヌは頷いた。
「でも、行きます。美月さんを助けるために」
ときやはコンヌの肩に手を置いた。
「必ず戻ってくる」
「ああ」
コンヌは頷いた。
「必ず」
古鷹は窓の外を見た。夕焼けが、空を赤く染めていた。
「亥原…」
古鷹は呟いた。
「娘を助ける。そして、お前も取り戻す。必ず」
その横顔は、決意に満ちていた。外は既に暗くなり始めていた。
「ここで準備をさせてもらえませんか」
コンヌの言葉に、古鷹は頷いた。
「もちろんだ。こちらへ来い」
古鷹は奥の部屋へ案内した。重い扉を開けると、そこには様々な変装道具が保管されていた。
「これは…」
部屋の中は、埃っぽかった。だが、道具は丁寧に整理されている。
「亥原と共に使っていた道具だ」
古鷹は棚に手を置いた。
「十年間、いつか使う日が来ると思って保管していた」
棚には眼鏡、カツラ、地味な服装、様々な小道具が並んでいる。
「まさか、亥原の娘が使うことになるとは……」
古鷹は、僅かに笑った。
「使ってくれ。亥原もきっと喜ぶ」
「ありがとうございます」
コンヌは棚に近づいた。父が使っていた道具。その中の一つ、黒縁の眼鏡を手に取った。温かい。まるで、父の手の温もりが残っているかのように。コンヌは黒縁の眼鏡を手に取り、ときやに渡した。
「はい、これ」
「僕も?」
「当たり前でしょ。精神科医の虎村ときやじゃなくて、平凡な会社員の田中太郎さんになってもらうんだから」
ときやは黒縁眼鏡をかけた。いつもの柔和な雰囲気が、少し真面目な印象に変わる。
「似合ってる」
コンヌが小さく笑った。
「コンヌちゃんは?」
「私はこれ」
コンヌも眼鏡をかけ、髪を下ろした。地味なカーディガンを羽織る。普段の活発な印象とは違う、おとなしそうな雰囲気に変わった。
「どう?地味コンヌちゃんになれた?」
「超可愛い」
嬉々とした笑顔でときやは言う。
「えへへ、ありがとう」
コンヌは頬を赤らめながら、咳払いをした。
「えっと、作戦の確認ね。私たちは新規の参加者、山田花子と田中太郎。基本的に二人で行動して、ホールの各部屋を回る」
「教団員から直接話を聞いて、情報を集めるわけだね」
「そう。特に儀式の場所と、古鷹さんの娘さんの情報」
コンヌは真剣な目でときやを見た。
「もし危険な状況になったら、すぐに逃げるから」
「了解。でも、逃げるのは二人一緒だよ」
「……うん」
日が沈み始めた頃、二人は夜霧ホールへ向かった。




