第60話 仲間の想いを、世界一(エアゼロ)の一撃に
鶴見は倒れた体勢のまま、必死に右足を振った。
パス。
だが、そのボールは決して良いものではなかった。
勢いは弱い。
回転も乱れている。
赤城の足元から、わずかにズレている。
受ける側にとっては、かなり難しいパスだった。
ライン際で見ていた青砥が、静かに呟く。
「……取られるな」
冷静な評価だった。
あのパスでは、受け手が前を向けない。
鬼米がワンツーマンでついている。
普通なら、赤城に届く前に潰される。
届いたとしても、コントロールした瞬間に奪われる。
鬼米も、そう判断した。
「雑だな」
鬼米が赤城との距離を詰める。
「それじゃあ、俺は抜けねぇぞ」
三島も背後で構える。
逃げ道はない。
赤城は、飛んでくるボールを見た。
ボールの質は悪い。
タイミングも悪い。
回転も乱れている。
得意のエアゼロを打つには、理想からはほど遠い。
赤城の中で、一瞬にして複数の選択肢が浮かぶ。
まず、トラップ。
だが、今の相手の状況を見れば、それは危険だった。
鬼米が背中に張りついている。
ここでトラップすれば、止めた瞬間に潰される。
なら、エアゼロ。
トラップとシュートの境目を消して、鬼米が身体を当てる前に撃つ。
それが、一番ゴールに近い。
だが、赤城はすぐに判断する。
――やはり、このパスでは、完璧なエアゼロは打てない。
あまりにも条件が悪い。
ボールの軌道がズレている。
勢いも足りない。
回転も汚い。
無理に撃てば、身体に負担がかかる。
ミスをすれば、逆にカウンターを食らう。
なら、一度戻す。
味方に落として、攻撃を作り直す。
それが現実的だ。
それが正しい判断だ。
ストライカーとしても、チームとしても、無謀に撃つ場面ではない。
赤城の身体は、一瞬だけ戻しの動きに入ろうとした。
だが――。
赤城は、倒れ込んだまま自分を見ている鶴見を見た。
泥だらけだった。
ボロボロだった。
何度も吹き飛ばされ、何度も倒され、それでも立ち上がった。
そして最後に、奪った。
自分へ繋いだ。
赤城の胸の奥で、何かが熱くなる。
――何を勝手に諦めている。
このボールは、鶴見が繋いだ。
キソマルさんが弾かれても立ち上がった。
三軍のみんなが、恐怖に飲まれながらも前に出ようとしている。
仲間が戦っている。
なのに、俺が先に無理だと決めるのか。
赤城の奥で、クリス・レッドの意識が燃える。
――この程度の悪条件で諦めて。
何が世界だ。
このパスを決めずして。
この想いをゴールに変えずして。
何が世界一のストライカーだ。
赤城の目が変わった。
鶴見のパスは、決して良いパスではない。
だが、ただのパスではなかった。
鶴見の魂がこもっている。
ならば――。
このボールは、俺がゴールにする。
赤城は、乱れたボールの軌道を一瞬で見極めた。
足首の角度。
軸足の位置。
上体の傾き。
ボールの回転。
鬼米の重心。
三島の距離。
GKの立ち位置。
すべてを、同時に処理する。
トラップすれば潰される。
戻せば攻撃は続く。
だが、それでは鶴見の執念をゴールに変えられない。
なら――止めない。
赤城の右足が、ボールに触れる。
触れた瞬間、撃つ。
トラップとシュートの境目が消える。
「エアゼロ」
だが、いつもの未完成なものとは違った。
赤城の身体は悲鳴を上げる。
筋肉が軋む。
高校生の身体には、まだ重い。
それでも赤城は、すべての身体技術を総動員した。
ボールの乱れを、足首で殺す。
ズレた軌道を、身体の向きで補正する。
足りない威力を、体幹と軸足で生み出す。
鬼米の寄せを、わずかな上体の傾きで外す。
三島のカバーが届く前に、撃ち抜く。
鶴見の雑なパスを、世界の技術でゴールへ変える。
次の瞬間。
ボールは、すでに鬼米の横を抜けていた。
鬼米は動けなかった。
「なっ――」
三島も反応できない。
「……え」
GKも、一歩も動けない。
ボールは低く鋭く伸び、ゴール隅へ突き刺さった。
ネットが揺れる。
音が、遅れて響いた。
一瞬、誰も声を出せなかった。
ピッチが止まった。
三軍のメンバーも。
二軍のメンバーも。
外で見ていた一軍のメンバーも。
コーチや森本監督も。
全員が、今の一撃を理解できずにいた。
最初に声を漏らしたのは、一軍の誰かだった。
「……今の」
別の選手が呟く。
「エアゼロ……?」
その言葉に、周囲がざわついた。
「いや、まさか」
「でも今の、完全に……」
「トラップしてなかったぞ」
「止めた瞬間には、もう撃ってた」
森本監督は、目を見開いたまま動かなかった。
吉澤コーチも言葉を失っている。
佐々木コーチが、かすれた声で言う。
「今のは……」
森本監督は、ゆっくりと呟いた。
「エアゼロ……」
その声には、驚きというより、信じられないものを目の当たりにした衝撃があった。
ライン際で見ていた青砥も、珍しく表情を崩していた。
「あれが……エアゼロ」
青砥の視線は、赤城から離れない。
「高校生が……?」
理解が追いつかない。
映像では見たことがある。
世界最高峰のストライカー、クリス・レッドの代名詞。
トラップとシュートの境目がない、ノーモーションの一撃。
だが、それを今、目の前で高校生がやった。
しかも、決して良いパスではなかった。
むしろ、普通なら奪われるような雑なボールだった。
それを――。
赤城零は、ゴールに変えた。
鬼米は、その場に立ち尽くしていた。
何も言えない。
悔しい。
悔しいはずなのに、言葉が出ない。
自分は近くにいた。
ワンツーマンでついていた。
今度こそ潰すつもりだった。
だが、潰すどころか、反応すらできなかった。
鬼米の拳が震える。
怒りではない。
恐怖でもない。
歓喜に近い震えだった。
「……なんだよ、それ」
鬼米は、ようやく声を絞り出した。
「すげぇよ赤城……」
その声は、誰に向けたものでもなかった。
三島も呆然としていた。
自分の予測の外。
いや――予測できる範囲を超えていた。
今のパスなら取れる。
そう判断した。
実際、判断は間違っていなかった。
普通の選手なら、取れていた。
だが、赤城は普通ではなかった。
鶴見は、倒れたままネットを見ていた。
自分のパスが、ゴールになった。
あんな雑なパスを。
赤城が、決めた。
最高ですね。これが世界一のストライカーです。次回もお楽しみに!




