第58話 下手くその脅威
再び、試合が動き出す。
二軍の攻撃。
ボールは後方から丁寧に繋がれ、またしても柴山の足元へ入った。
三軍は必死に寄せる。
だが、寄せ切れない。
二軍の技術に振り回され、少しずつ守備の形が崩れていく。
そして、柴山が顔を上げた。
「鬼米!」
その声に反応して、鬼米が前線へ上がってくる。
その姿を見た瞬間、三軍の選手たちの足が止まった。
また来る。
あの圧が。
あの衝突が。
さっき吹き飛ばされた感覚が、身体の奥に残っている。
鬼米が近づいてくるだけで、何人かの選手は無意識に半歩下がった。
「逃げちゃだめだ!食らい付いて少しでも時間を稼ごう!」
キソマルが叫ぶ。
だが、叫んだ本人も分かっていた。
怖いものは怖い。
それでも、キソマルは前に出た。
「うおおっ!」
柴山から鬼米へパスが入る。
鬼米は前を向いた。
キソマルが身体をぶつける。
だが、鬼米は止まらない。
「どけ!」
肩で押し込まれ、キソマルの身体が弾かれる。
「ぐっ……!」
通用しない。
分かっていても、キソマルは立ち上がろうとする。
そこへ、鶴見が走り込んだ。
「止めます!」
声は出した。
だが、目の前で見る鬼米の迫力は、ベンチから見ていた時とはまるで違った。
大きい。
速い。
重い。
突っ込んでくるだけで、身体が強張る。
一瞬、足が止まりかけた。
怖い。
本能がそう叫んでいた。
鬼米は、そのわずかな迷いを見逃さない。
「どけぇ!」
鶴見は歯を食いしばり、正面に入った。
次の瞬間。
衝撃。
身体が宙に浮いた。
「ぐあっ!」
鶴見は地面に叩きつけられた。
息が詰まる。
背中に痛みが走る。
鬼米は、そのまま前へ進もうとする。
だが、鶴見は倒れたまま、鬼米の足元に手を伸ばした。
「まだ……です!」
鬼米の足が、わずかに乱れる。
「ちっ」
鬼米は体勢を立て直し、強引に前へ出る。
鶴見は、すぐに立ち上がった。
膝が笑っている。
肩も痛い。
それでも、また走った。
鬼米の横に食らいつく。
「しつけぇな!」
鬼米が身体を当てる。
鶴見は、また弾かれる。
それでも、倒れながら足を伸ばす。
ボールに届かない。
届かないが、鬼米の進路を一瞬だけずらした。
「くそっ……!」
鶴見は立ち上がる。
また追う。
うまくない。
間合いも悪い。
身体の入れ方も甘い。
鬼米の力を受け流す技術もない。
それでも、鶴見は離れなかった。
何度も吹き飛ばされる。
何度も倒される。
そのたびに、泥を払うより先に立ち上がる。
鬼米の背中を追う。
三軍の選手たちは、その姿を見ていた。
さっきまで鬼米を避けていた選手たちも、息を呑んだ。
鶴見だって怖いはずだ。
吹き飛ばされている。
通用しているわけじゃない。
それでも、逃げていない。
鬼米は前へ進みながら、口元を吊り上げた。
「お前、下手くそだな!」
鶴見は息を切らしながら叫ぶ。
「分かってます!」
「身体の入れ方も甘い! タイミングも遅ぇ!」
「それも分かってます!」
鬼米は笑った。
楽しそうに。
「でも、嫌いじゃねぇぞ!」
また鶴見が飛び込む。
鬼米は身体をぶつける。
鶴見は弾かれる。
だが、今度は完全には倒れなかった。
片膝をつきながらも、鬼米のユニフォームを掴みかける。
鬼米の重心が、ほんの少しだけ乱れた。
「っ」
その一瞬。
鬼米のタッチが大きくなる。
ボールが足元から離れた。
「牧!」
赤城の声が飛ぶ。
牧が反応した。
「ウス!」
横から一気に滑り込み、鬼米の前に出る。
牧は迷わず、ボールを大きく蹴り出した。
クリア。
ボールはタッチラインを割る。
三軍は、何とか逃れた。
「助かった……!」
キソマルが息を吐く。
鶴見は肩で息をしながら、地面に手をついていた。
泥だらけだった。
膝も擦りむいている。
だが、顔は上げていた。
鬼米は、その鶴見を見下ろした。
そして、ニヤリと笑う。
「おい」
鶴見が顔を上げる。
「名前は?」
「へ?」
「名前を聞いてる。なんていうんだ?」
鶴見は息を整えながら答えた。
「鶴見……銀次です」
「鶴見か」
鬼米は首を鳴らした。
「覚えたぜ」
鶴見は黙って鬼米を見た。
鬼米は笑う。
「鶴見、お前は赤城と同じくらい俺の脅威だ」
周囲がざわつく。
鶴見自身も、驚いたように目を開いた。
「俺が……ですか?」
「ああ」
鬼米は、真っ直ぐに言った。
「お前に赤城のような技術はない。はっきり言って、俺の相手ではない。それを、お前も分かっているはずだ」
一度、鶴見を見る。
「それでも、俺から逃げなかった」
鶴見は言葉を失う。
鬼米は続ける。
「逃げねぇ。下手くそなのに食らいつく。そういう奴は、試合の中で一番面倒くせぇ」
鬼米の目が鋭くなる。
「だから、お前も脅威だ」
◆
ピッチの外で、吉澤コーチが小さく頷いた。
「技術的には、まだまだですね」
佐々木コーチも同意する。
「身体の入れ方も、守備の距離感も甘いです」
それでも、二人の表情は悪くなかった。
吉澤コーチは、鶴見を見ながら続ける。
「でも、戦っています」
佐々木コーチも鶴見を見る。
「ええ。あれだけ吹き飛ばされて、それでも前に出られる一年は多くありません」
森本監督は黙っていた。
ただ、その目は鶴見をしっかりと捉えていた。
反対側のライン際では、大神が旗を持ったまま笑っていた。
「ええやん、鶴見」
大神は、小さく呟く。
「そういう気持ちの入ったプレー、好きやで」
赤城も、鶴見を見ていた。
泥だらけで、息を切らしている。
それでも、目は死んでいない。
その姿を見ていると、赤城の中に、ふと記憶がよみがえった。
学校で半グレたちに絡まれた時。
身体は震えていた。
怖かったはずだ。
それでも鶴見は、赤城のために言い返した。
無謀だった。
強いわけでもない。
勝てる見込みがあったわけでもない。
それでも、逃げなかった。
赤城は静かに思う。
――鶴見。
お前は、自分では気づいていないかもしれない。
でも、お前は恐怖から逃げる奴じゃない。
恐怖に挑める奴だ。
それは、立派な武器だ。
赤城は、ゆっくりと息を吐いた。
鶴見のプレーは、決して綺麗ではなかった。
技術も足りない。
鬼米を止め切ったわけでもない。
それでも――。
三軍の空気は、確実に変わっていた。
さっきまで鬼米を避けていた選手たちが、顔を上げ始めている。
鶴見が何度吹き飛ばされても立ち上がる姿を見て、少しずつ、その目に闘志が戻っていた。
次回もお楽しみに!鶴見頑張れ!




