第57話 怖くても、俺も戦いたい
その時だった。
三軍の一人が、ピッチの中で足を止めた。
顔色が悪い。
息も上がっている。
だが、それ以上に――目が怯えていた。
鬼米が近くを走るだけで、肩が震えている。
その選手は、ベンチへ視線を向けた。
「すみません……交代、お願いします」
キソマルが振り向く。
「え?」
「もう……無理です。あいつとぶつかるの、怖いです」
空気が止まった。
誰も、すぐには責められなかった。
気持ちは分かる。
鬼米と正面からぶつかれば、普通の高校生なら恐怖を覚える。
それほどの差があった。
だが――。
鬼米はその言葉を聞いて、顔をしかめた。
「はっ。腰抜けが」
その瞬間、柴山の声が飛んだ。
「鬼米」
低い声だった。
鬼米が振り返る。
柴山は鋭く睨んでいた。
「それ以上言うな」
「でも――」
「言うな」
鬼米は不満そうに舌打ちした。
だが、それ以上は言わなかった。
柴山は分かっていた。
鬼米の圧は、三軍にとって暴力に近い。
逃げたくなる気持ちも分かる。
だからこそ、そこを煽るのは違う。
ピッチの外で見ていたコーチたちも、表情を曇らせていた。
吉澤コーチが腕を組む。
「赤城と牧以外、ほとんど対応できていませんね」
佐々木コーチも頷く。
「キソマルは気持ちで食らいついていますが、正直、力の差が大きすぎる」
「このままだと、三軍は厳しいですね」
森本監督は何も言わず、ピッチを見つめていた。
その時――。
ベンチから一人が立ち上がった。
鶴見銀次だった。
キソマルが振り返る。
「キソマル先輩」
「鶴見?」
鶴見は、真っ直ぐに言った。
「俺を出してください」
キソマルは一瞬、言葉に詰まった。
「俺が、鬼米さんを抑えます」
周囲がざわついた。
「でも、鶴見…」
キソマルは、鶴見の身体を見る。
大きくない。
鬼米とは、あまりにも体格差がありすぎる。
正面からぶつかれば、まず勝てない。
さっき、キソマル自身が身をもって思い知らされた。
あの圧力。
あの衝撃。
あれを鶴見が受けたら――。
「……鶴見」
キソマルは迷っていた。
キャプテンとして考えれば、鶴見を投入するのは危険だ。
鬼米を止められる可能性が高いとは、とても思えない。
もう少し、体格の大きな選手を投入する方が安全ではある。
「……俺も」
鶴見が拳を握る。
「俺もフィールドで戦いたいです。」
キソマルが顔を上げる。
「親友の零が戦ってるんです」
鶴見は、ピッチにいる赤城を見る。
「みんながフィールドで戦ってる。恐怖に立ち向かってる。それを見て、じっとなんてしてられない。戦いたいです。みんなと」
その声には、強い熱がこもっていた。
「俺もチームのために戦いたい!」
キソマルは黙って鶴見を見つめた。
怖いはずだ。
鬼米と戦えば、吹き飛ばされるかもしれない。
それでも、鶴見は逃げようとしていない。
それでも、戦おうとしている。
その姿が、さっきの自分と重なった。
鬼米を前にした時、キソマルも怖かった。
今だって、怖い。
それでも、逃げずに戦っている。
――鶴見も同じなんだ。
勝てるかどうかじゃない。
怖いから逃げるんじゃない。
怖くても、それでもチームのために戦おうとしている。
キソマルは、ゆっくりと息を吐いた。
そして――。
「……分かった」
鶴見の目が見開かれる。
「準備して鶴見」
「はい!」
「鬼米さんを完全に止めろなんて言わない。まずは時間を稼いで。俺たちも周りからサポートするから」
キソマルは、鶴見の肩を叩いた。
「それでも無理だと思ったら、すぐに言って。無茶だけはしないでね。」
鶴見は強く頷いた。
「分かりました!」
交代が告げられる。
鶴見がピッチに入る。
赤城が近づいてきた。
「鶴見」
鶴見は赤城を見る。
「零」
赤城は、鬼米の方へ視線を向けた。
「鬼米さんのフィジカルは相当だぞ」
赤城は静かに言った。
「正面から行けば、間違いなく吹き飛ばされる。それでもいいのか?」
鶴見は一瞬だけ息を吸った。
怖くないわけがない。
鬼米の突進を見ていた。
キソマルが弾かれるのも見た。
三軍の選手が避けてしまうのも見た。
それでも――。
鶴見は目を逸らさなかった。
鶴見は少し声を落として言った。
「俺は、プロになるんだ」
赤城の表情が、わずかに変わる。
鶴見は続ける。
「零にもう一回会うために。ここにいるサッカー選手とプロになるために。ここでビビってるわけにはいかない。そうでしょ?」
赤城は黙って鶴見を見た。
鶴見は拳を握る。
「俺が鬼米さんを抑える。だから、零は前にいてくれ」
赤城は少しだけ目を伏せた。
そして、静かに頷いた。
「分かった」
鶴見は笑った。
強がりだ。
それでも、笑った。
そのやり取りを、鬼米は少し離れた場所で聞いていた。
鬼米の口元が、ゆっくりと上がる。
赤城。
牧。
その二人だけかと思っていた。
三軍で、自分に向かってくる気のある奴は。
だが、まだいた。
震えているかもしれない。
勝てる保証もない。
それでも、前に出てくる奴が。
鬼米は首を鳴らした。
「へぇ……」
そして、嬉しそうに笑う。
「いいじゃねぇか」
その目には、苛立ちではなく、嬉しさがあった。
「まだ三軍にも、戦う気のある奴がいるんだな」
次回もお楽しみに!




