第27話 忘れていた自由を、もう一度
その時だった。
左サイドで、牧廻那は立ち尽くしていた。
目の前には、広いスペースがある。
上がれる。
分かっていた。
今、相手の注意は赤城に集まっている。
左サイドには、大きな穴がある。
自分が走れば、鶴見の逃げ道になれる。
なのに――。
足が、すぐには動かなかった。
横田の声が頭に響く。
――勝手に上がるな。
――目立つな。
――お前は後ろにいればいい。
胸の奥が縮む。
また怒られるかもしれない。
失敗したら、また責められるかもしれない。
三軍での居場所すら、なくなるかもしれない。
牧は唇を噛んだ。
その時――赤城の言葉がよみがえる。
『サッカーは、誰かの顔色をうかがうためのものじゃない』
『ピッチに立ったら、肩書きも学年も関係ない。正しいと思った場所へ走れ』
『自由を怖がるな。サッカーは、自由を選んだやつから上手くなる』
牧の胸が、強く鳴った。
記憶がよみがえる。
中学時代。
誰にも怒られず、ただボールを追いかけていた頃。
左サイドを駆け上がるたび、風を切る感覚が好きだった。
味方の背中を追い越す。
相手の視界の外から飛び出す。
ボールが足元に届く。
その瞬間が、たまらなく楽しかった。
サッカーが好きだった。
怖いから始めたんじゃない。
怒られないために続けてきたんじゃない。
楽しかったから――ここまで来た。
牧の足が、一歩前に出た。
次の瞬間――。
彼は左サイドを駆け上がった。
「鶴見くん!」
今までで一番、はっきりした声だった。
鶴見が反応する。
左を見る。
そこに、牧がいた。
大きく手を上げ、全速力でサイドを駆け上がっている。
「牧……!」
鶴見は迷わずボールを送った。
牧は走りながらトラップする。
そのまま、さらに加速した。
「速っ……!」
一年ベンチから声が上がる。
牧の走りは、今までとまるで違っていた。
遠慮がない。
ブレーキがない。
迷いがない。
小柄な身体が、左サイドを切り裂くように進んでいく。
グラウンド脇の吉澤コーチが目を見開いた。
「あのサイドバックの一年、あんなに走れたのか?」
佐々木コーチも驚きを隠せない。
「スピードだけじゃない。上がるタイミングがいい。相手の視線が赤城に集まった瞬間を狙っている」
「三軍に、まだこんな選手が残っていたのか……?」
牧の前に、相手サイドバックが立ちはだかった。
一対一。
牧は一瞬、足を細かく動かす。
抜きたい。
だが、完全には抜けない。
相手も身体を寄せてくる。
「止めたぞ!」
二・三年チームの選手が声を上げる。
しかし、その直後――。
中央から赤城がサポートに入った。
「牧」
短い声。
それだけで、牧は理解した。
牧は赤城へボールを預ける。
赤城はワンタッチで、相手サイドバックの背後へ流した。
ワンツー。
牧は迷わず走り込む。
相手サイドバックが振り向いた時には、もう牧は背後に抜け出していた。
「抜けた!」
左サイド深く。
牧は顔を上げる。
中央には、赤城が入ってきている。
誰もが、赤城へのクロスだと思った。
牧は低く、速いグラウンダーのクロスを入れる。
ボールは、ゴール前へ走る赤城の足元へ向かう。
キーパーも、横田も、赤城に意識を奪われた。
だが――。
赤城は触らなかった。
スルー。
「なっ……!」
ボールは赤城の背後へ流れる。
そこへ、泥だらけになりながら走り込んできた男がいた。
鶴見銀次。
「うおおおおおおッ!」
鶴見は最後の力を振り絞り、地面に飛び込んだ。
ダイビングヘッド。
額に当たったボールが、ゴールへ向かう。
キーパーは逆を突かれ、反応できない。
ボールはネットを揺らした。
三対二。
一年チーム――逆転。
一瞬の静寂。
次の瞬間。
一年チームのベンチが爆発した。
「うおおおおおおおッ!」




