4220話
お盆期間なので、今日は2話同時更新です。
こちらは2話目なので、直接こちらに来た方は前話からどうぞ。
「……あら、やっぱり美味しい」
レイとの会話で感じた不満を飲み込むかのように黒い鹿の肉……炭、もしくは漆黒といった表現が相応しい肉を口に運んだフランシスだったが、その肉の味に思わず呟く。
既にその顔には、数秒前に感じていたレイに対する不満は一切ない。
それこそ、自分の口の中に入っている肉を……黒い鹿のステーキを味わうのに一生懸命だった。
そんなフランシスの様子を見ていたイステルも、その肉の味に興味を覚えたのだろう。
一口大に切った肉を口に運び……
「美味しいですね」
しみじみと呟く。
そんな二人の様子を見つつ、レイも、そしてジャニスもまた肉を口に運ぶ。
ジャニスは黒い鹿肉を料理する為に軽く焼いてみたり、煮てみたりといった具合にして食べていたので、この肉が美味いというのは十分に理解出来ていた。
その為、改めてステーキとして目の前にある料理を食べても、美味いとは思うものの、他の者達のように目を大きく見開くくらいに驚いたりするといったことはなかった。
そしてレイもまた、黒い鹿の肉を口に運ぶ。
外見は漆黒といった表現が相応しいように黒い。
ただ、レイは日本にいた時、同じように黒い肉である烏骨鶏の肉をそれなりに食べたことがあった。
父親が闘鶏用とは別に食用に飼っていた鶏で、他にも比内地鶏なんかもいた。
どちらも普通のスーパーではそれなりに高級品……いや、比内地鶏はレイの地元の地鶏なので普通にスーパーでも売っているが、烏骨鶏はスーパーで見たことがなかった。
そういう意味では、レイはこと鶏肉に関してはかなり贅沢な肉を食べていたことになる。
ともあれ、烏骨鶏の肉を使ったキリタンポ鍋は、間違いなく美味いのだが、ぎょっとする見た目をしている。
そんな肉を食べた経験があるので黒い鹿の肉……より正確には黒い鹿の黒い肉もフランシスやイステルのように嫌悪感を抱くこともないまま、口の中で味わう。
(野性味……と言えばいいのか? 家畜にはない肉の風味があるな。それに、予想はしていたけど、やっぱり普通の鹿肉よりも美味い)
日本にいる時、レイは父親の知り合いの猟師から熊、猪、鹿……といった肉を貰うことがあった。
勿論頻繁にという訳ではなく、年に数回程度だが。
それでも、レイはそれなりに鹿肉を食べた経験があり、その時の鹿肉の味を思い出しても口の中に入っている黒い鹿の肉は間違いなくそれよりも上だった。
勿論、単純に食材の違いというだけではなく、料理をする者の腕というのもあるのだろうが。
レイの母親は普通の主婦ではあったが、決して料理が得意という訳ではなかった。
調理の仕方によっては固くなる鹿肉の料理法など、知らなかっただろう。
それでも塩胡椒で味付けをした鹿肉は、それなりに美味かった覚えがある。
それと比べると、ジャニスは本職のメイドだ。
どちらも本職の料理人という訳ではないが、料理の腕という点では比べようがなかった。
「どうでしょう?」
レイが黒い鹿の肉のステーキを味わっていると、ジャニスが少しだけ不安そうに聞いてくる。
ジャニスにしてみれば、この食材を使うのは初めてである以上、レイが喜んでくれるかどうか心配だったのだろう。
だが、レイはそんなジャニスの言葉に口の中の肉を飲み込むと、笑みを浮かべて口を開く。
「うん、美味い」
それはお世辞でも何でもなく、正真正銘心からの言葉。
ジャニスもそれが分かった為だろう。
嬉しそうに笑みを浮かべる。
「そうですか。レイさんの口に合ったようでよかったです」
そうして食事が続く。
フランシスも、ジャニスが作る料理を味わって食べている為か、ダンジョンについてレイに聞いたりはしてこない。
そうして料理を食べていたところで、ジャニスが立ち上がる。
「そろそろスープの方もいいでしょうから、用意して来ます」
「……スープ? 分かった」
ジャニスが口にしたスープという単語に疑問を抱くレイ。
何故なら、夏野菜をたっぷりと使ったスープが既にテーブルの上にある。
黒い鹿の肉と違い、美味い! と強く断言したくなるような味ではなかったが、それでもしみじみと美味いと思えるスープだ。
黒い鹿の肉はオークの肉と違ってそこまで脂は多くない赤身肉――黒身肉という表現の方が正しいのだろうが――なので、口の中をさっぱりさせるといった効果はそこまで期待出来ないものの、口直し的な意味では十分に美味いスープなのは間違いなかった。
だというのに、またここで新たなスープを?
そう疑問に思っていると、ジャニスが料理を運ぶ台座……キャスターワゴンとも呼ばれるそれに、スープの入った鍋とそれを入れる深めの皿を持ってくる。
それをレイが少しだけ疑問だったのは、キャスターワゴンにある皿が重ねられて置かれているのではなく、並べられていたことだろう。
勿論、それが悪いという訳ではないが、人数分の皿が用意されているので余計に場所をとっているようにレイには思えた。
そんなレイの疑問は、その皿がテーブルの前に並べられた時に解ける。
皿の中には数種類の細かく切った野菜と、そして……黒い鹿の肉があったのだ。
それも先程のステーキと違い、生肉が。
ただし、かなり薄く切られているようなのが先程のステーキの切り方との違いだった。
「えっと、ジャニス? 生肉はさすがに……」
フランシスが恐る恐るといった様子でジャニスにそう言う。
イステルも口には出さないが、不安そうな視線をジャニスに向けている。
ガンダルシア、もしくはグワッシュ国において、肉を生で食べる文化というのはないのだろう。
レイの場合は日本にいた時に馬刺しや牛のタタキ、もしくは父親と一緒に捌いた鶏のささみの刺身を食べていたりしたので、そこまで拒否感の類はなかったが。
「安心して下さい。このお料理は、こうして……」
そう言いつつ、ジャニスが鍋の蓋を開けると、夏であるというのに鍋の中から湯気が立ち上るのがレイの目に見えた。
かなりの熱さなのが、それを見ればすぐに理解出来た。
ジャニスはその熱々のスープをお玉で掬い、皿に注いでいく。
皿に具があるからだろう。鍋の中のスープは特に具があるようなものではなく、純粋にスープだけだ。
その熱々のスープが皿に注がれることによって……
「うわ、マジか」
皿の中を見ていたレイが、思わず呟く。
熱々のスープによって、皿の中にあった薄切りの黒い鹿の肉と野菜に程よく火が通ったのだ。
これが肉を厚く切っていれば、このスープでも火を通すことは出来なかっただろう。
こうして薄切りだからこそ、しっかりと肉に火を通すことが出来たのだ。
「あら、これは……」
「まぁ」
レイと同じ光景を見たフランシスとイステルの口からも、驚きの声が上がる。
そんな三人の様子に、ジャニスは顔に出さないようにしながらも満足した。
「どうぞ。薄切りのお肉なので、時間が経つと固くなってしまいます。出来たてが一番美味しいですから」
そうジャニスに言われ、三人はそれぞれスープを見る。
真っ先に動いたのは、レイだった。
スプーンでスープの中にある肉を掬い、口に運ぶ。
「あ、柔らかいな」
火を通しやすいように薄切りにしたことによって、肉の柔らかさも引き立っていた。
その肉を食べ……ふと、既視感があった。
何だったか……と考え、思い出す。
(ああ、しゃぶしゃぶか)
正確には色々と違うところもあるが、熱い出し汁――この場合はスープ――に薄切りにした肉を潜らせて、食べる。
そういう意味では、このスープはしゃぶしゃぶに近いものがあった。
もっとも、しゃぶしゃぶなら出し汁で肉に火を通した後、ポン酢やゴマダレで食べるのだが。
それと比べると、このスープはそのままスープと一緒に肉を楽しむというスタイルだ。
ただ、それでもレイはしゃぶしゃぶを思い出した。
(しゃぶしゃぶ……海にいけば昆布とかはあるだろうし、やれないこともないのか?)
レイが知ってる限りだと、しゃぶしゃぶに必要なのは出し汁と薄く切った肉だ。
他にも彩りとなる野菜であったり、ポン酢やゴマダレのようなつけ汁もあればいいのだが、そちらはないならないで何とかなる。
(いや、つけ汁の方は必要か。ただ、ポン酢やゴマダレは用意出来ないから、ちょっと濃いスープとか……もしくは塩を付けて食べるとか? 何だかそう聞くと、通の食べ方のような気がするな)
そんな風にレイが思っていると、フランシスとイステルが揃って驚きの表情を浮かべている。
最初は生肉ということで大丈夫か? といった様子を見せていたのだが、レイが美味そうに食べているのを見て、自分達も恐る恐るといった様子だが、食べてみたのだろう。
「美味しい……何これ」
「さっきのステーキも美味しかったですけど、私はこっちの方が好きかもしれません」
フランシスとイステルがそれぞれに感想を口にする。
どちらも絶賛するかのような内容であり、それを聞いたジャニスは笑みを浮かべてありがとうございますと頭を下げる。
ジャニスにとっても、このスープはある種の挑戦ではあった。
実際に食卓にだす前に……料理を思いついた時に、問題がないかどうかしっかりと味見はしていたが、それでも生肉を使うという問題から、もしかしたら忌避されるかもしれないという心配はあったのだ。
実際、器の中に生肉があるを見たフランシスとイステルの顔には忌避感があったのは間違いないのだから。
だが、そんな忌避感も熱々のスープを使って調理する事によって吹き飛ばすことに成功する。
挑戦だったからこそ、それが上手くいった時はそれだけ嬉しかったのだろう。
「少し残念なのは、この料理の性質上、少しずつしか作れないことだな」
スープを楽しみながら、レイがそう告げる。
器の中に薄く切った生肉や小さく刻んだ野菜を入れて、そこに熱々のスープを入れることによって、スープの熱で調理をするといった性質を持つ料理だけに、どうしても一度に調理出来る量は限られる。
欲張って器に生肉を多く入れると、スープの量が足りず、あるいはスープの熱さが足りなくなり、薄切りにした肉であっても全て火が通らず、半生の部分が出来るかもしれないのだから。
勿論、解決法はある。
例えば器を複数並べて同じ料理を複数作るといったように。
(もっとも、この料理はそうして食べるような料理じゃないと言われれば、そうかもしれないけど)
そんな風に思いつつ、薄切り肉のスープのお代わりを頼むのだった。
「美味しかったわね……これなら、毎日のようにここに通ってもいいくらいだわ」
「あのな、俺の家は別に食堂でも何でもないんだがな」
食事が終わり、満足そうに言うフランシスにレイがそう突っ込む。
そんなレイの突っ込みに、イステルが微妙に申し訳なさそうな様子を見せる。
イステルにしてみれば、今日は半ば強引にフランシスに連れてこられた形だ。
勿論、セトと遊びたい、想い人のレイと会いたいといったように思うところがなかった訳ではない。
だが、それでもこうして強引に押しかけてレイに迷惑を掛けていると思えば、イステルにも色々と思うところがあるのだろう。
「それより、食事の時は話が出来なかったけど、ダンジョンの話に戻りましょう。えっと……どこまで話したかしら?」
「二十階にある遺跡を、久遠の牙か巨人の鉄槌が何らかの手段で仕掛けを動かして階段を出した……ってところだったか?」
「それだと二十一階についての話は何もしてないじゃない」
「いや、そう言われてもな。……とにかく、話を続けるぞ」
そんなレイの言葉に、フランシスは不満そうな様子を見せていたものの、それでも今はダンジョンについての話を聞く方が先だと判断したのだろう。
素直に話を聞く様子を見せる。
「とはいえ、話そのものはそこまで複雑なことじゃない。二十一階に下りたら先行している冒険者が倒したモンスターの死体が転がっていたから、それについてはそのままにしてダンジョンを進んだ。分岐路に到着しても追いつくことはなかったが、先行していた連中が右に……昨日俺が行った方に向かっていたから、俺は左に向かった」
「何で左に? 別にそのまま右を進んで先行している冒険者達と合流してもよかったんじゃないの?」
「二十一階という、まだ未知の多い階層だしな。そうなるとどういう風に探索をするのかとか、そういうのを相談する必要があるだろう? それが面倒でな。それならまだ探索をしていない左に進んだ方がいいと思ったんだよ」
レイの説明に納得したのか、してないのか。
ただ、今はまずレイの意見を聞くべきだと判断したのだろうフランシスに、レイは言葉を続ける。
「で、左の方に進んだ結果……レッドキャップが土を使って砦を作っている光景を見つけた訳だ」
そう言うレイの言葉に、フランシスは……そしてイステルも驚きを露わにするのだった。




