4219話
コンコン、というノックの音を聞くと同時に、レイは急速に目覚めていく。
起き上がり、ノックが聞こえてきた扉に向かって口を開く。
「どうした?」
『レイさん、食事の準備が出来ましたけど』
扉の向こうから聞こえてきたのは、メイドのジャニスの言葉。
「あー……うん。分かった。すぐに行く」
そうレイが言うと、扉の前からジャニスの気配が消える。
「……眠っていたのか。もしかして、本格的に疲れているのか?」
そう思いつつ、レイは部屋の中を見る。
だが、まだ暗くはなっておらず、十分に明るい。
どうやら昼寝――時間的に夕寝と呼ぶべきかもしれないが――をしていたのは、そこまで長い時間ではなかったらしい。
しっかりとした時間は分からないが、恐らく十分か二十分といったところか。
「んんー……まぁ、それでも十分に疲れは取れたし、それはそれで構わないんだけど」
大きく伸びをするレイだったが、寝る前には聞こえてきていた、セトと遊ぶフランシスとイステルの声が聞こえてこない。
どうしたのだろうと疑問に思いつつ、レイは部屋を出てリビングに向かい……既にそこにフランシスとイステルの姿があったことから、声が聞こえてこない理由を理解した。
「何だ、もうセトと遊ぶのはいいのか? てっきり食事の準備が出来てもまだ遊んでると思ったんだが」
「二十一階のモンスターのお肉を食べられるんでしょう? それにセトちゃんも食事を楽しみにしていたし、その邪魔をするのも悪いもの」
「なんだ。ジャニスから聞いたのか?」
「……この前の一件もあるから、レイなら二十一階のモンスターの肉を持ってくるというのを予想するのは難しくはないわよ」
ふふん、と得意がるフランシスだったが、レイはそんなフランシスに対して同じように得意げな笑みを浮かべ、口を開く。
「残念、外れ。今日の肉は二十一階じゃなくて二十階のモンスターの肉だ。……まぁ、それしかなかったというのが正しいんだが」
レイが二十一階に下りた時、既に先行されており、分岐路までに出て来たモンスターは先行したパーティに倒されていた。
先行していたパーティが分岐路を右に進んだのでレイ達は左に進んだのだが……途中で地中から襲ってきたモンスターは色々と手違いもあって、肉というよりはミンチに近い状態になってしまったので、魔石以外は確保していない。
その後に遭遇した……より正確には見つけたのは、レッドキャップの土砦。
そこでレッドキャップを三匹倒したが、結局今日二十一階で倒したモンスターはそれだけだった。
「え? ちょっと、それ本当? レイなのに?」
「レイなのにって……まぁ、いいけど。俺が今日ダンジョンに入ったのは、午前中の教官の仕事が終わって午後からだったしな。俺が二十階の遺跡に行った時は……ああ、そう言えば。今からする話は秘密だ」
言葉の中で、レイはフランシスとの会話を興味深そうな様子で聞いているイステルに言う。
生徒達に対しては、模擬戦で自分に勝つとまではいかずとも、一撃を与えることが出来たら二十一階の話を教えるといったようなことにしていた。
なのに、イステルはフランシスと一緒に来たという理由で二十一階についての話を聞くことが出来るのだから、もしこの件を他の生徒達が知れば不満を口にするだろう。
……もっとも、イステルは冒険者育成校に通う女の中ではトップの存在だ。
そんなイステルに対し、誰が直接その不満をぶつけられるのかは、別として。
「あ、はい。分かりました。ここで聞いた話は、生徒達には決して言いません。勿論、パーティメンバーにも」
そうイステルが口にしたのを見て、レイは頷く。
イステルなら自分が口にしたことは守るだろうという信用があった。
……もしこれが、頻繁に嘘を吐くような者であれば、レイは話をここで止めるか、もしくは家から追い出した上で話をしただろう。
そういう意味で、イステルはレイの信用を得ていたのは大きい。
「で、えーっと何だったか……ああ、そうそう。午後からダンジョンに潜って二十階の遺跡に行ったら、俺が仕掛けを動かすよりも前に、既に遺跡に階段が現れていたんだよ」
「……え? その遺跡はレイのミスティリングがあって初めて動くものじゃなかったかしら?」
レイの言葉に驚いたのか、フランシスがそう聞いてくる。
フランシスが知っている限りだと、遺跡で階段を現す為には巨岩を動かす必要があり、その巨岩を動かせるのはレイがミスティリングを使うしかない……というのを知っていた為だ。
「そうだな。俺もそう思っていたけど、久遠の牙と巨人の鉄槌のどちらかには何らかの奥の手があったってことだと思う。もしくは、階段を現す方法というのが巨岩を動かすだけじゃなくて、何らかの仕掛けがあって、それを見つけたとか」
「……そう聞くと、寧ろレイの方法が例外のようにも思えてくるわね」
「それは否定しない」
フランシスの口から出た若干の呆れが込められた言葉に対し、レイもそれは否定出来ない。
何しろ普通に考えた場合、とてもではないが人の手で動かすことが出来ないと思われるような巨岩を動かすのと、遺跡にあるのだろう何らかの仕掛けを見つけ、それを使うことによって二十一階に続く階段を現す。
こうして聞けば、明らかにレイの行動の方がイレギュラーと呼ぶのに相応しいものなのだから。
「あら、否定しないのね」
「俺も自分の行動が若干非常識なのは理解してるしな」
「……若干?」
「若干」
納得出来ないといった様子で聞き返してくるフランシスに、レイはそう断言する。
そんなレイの様子に、フランシスは何か言いたげな様子を見せるが……結局、それ以上は口にしないで黙り込む。
そうして黙り込んでいると……
「レイさんが持ってきてくれた鹿肉のステーキ、出来ましたよ」
ジャニスがそう言い、ステーキの載った皿を持ってくる。
漂ってくる食欲を刺激する香り。
それを嗅いだフランシスとイステルは、レイとの話を中断し、ジャニスに……正確にはジャニスが持っている皿に視線を向け……
「げ」
エルフの口から出ると思えない、そんな声がリビングに響く。
おいおい、とフランシスの様子を見ながら思うレイだったが、ジャニスの持っている皿を見れば、それはそれで無理もないかと思う。
何しろ、ジャニスが持っている皿に載っているのは、どう見ても黒焦げの……炭化したかのような肉の塊だったのだから。
普通に考えれば……それこそ、二十階に出た鹿のモンスターの肉のステーキを思っていたところで、真っ黒な肉を見れば、フランシスが出したような声が出てもおかしくはない。
フランシスのように声は出していないが、イステルもまた目を見開いてジャニスを……その手にある皿を見つめている。
「ほら、落ち着け二人とも。外見に騙されるな。見掛けは炭の塊に見えないこともないだろうが、よく見て……いや、匂いを嗅いでみろ。焦げ臭いか? 俺には食欲を刺激する香りにしか思えないんだが」
「……え? あら、そう言えば……」
レイの言葉を聞いたフランシスが、ふと我に返ったように呟く。
改めて皿を……ジャニスが自分の前に置いた皿の上にある黒い物体から視線を逸らして匂いを嗅ぐと、レイが言うようにそこにあるのは間違いなく食欲を刺激する香りだった。
「すいません、フランシスさん、イステルさん。実はレイさんが用意したこのお肉……元から黒いお肉だったんです。ただ、私もこうして出す前に味見をしましたが、見掛けはともかく味は間違いなく美味しいですから」
匂いは美味そうなのに、外見で退いてしまう。
そんなステーキの皿を見て動くに動けなくなっていたフランシスとイステルに対し、ジャニスはフォローするかのようにそう告げる。
そんなジャニスの言葉に、二人は恐る恐るといった具合で皿の上の漆黒の肉にナイフとフォークを伸ばす。
「……あら、柔らかい」
イステルが意外といった様子でそう告げる。
外見が真っ黒の肉の塊なので、どうしても炭を連想させ……だからこそ、肉の質感も本当の炭のように硬いと思ったのだろう。
だが実際にこうしてナイフとフォークで触れてみれば、炭とは比べものにならないくらいの柔らかさを持っている。
これは、良い意味で意外だった。
……もっとも、ジャニスのことを知っていれば、もし肉が炭のような堅さなら料理として出したりはしないと分かっただろうが。
「本当ね。……それに、鹿の肉というのは基本的に調理を少しでも間違えると固くて食べにくいんだけど。ここまで柔らかく調理するなんて、さすがね」
「いえ、その……」
レイと自分の分のステーキの皿を厨房から持ってきたジャニスは、フランシスの口から出る称賛の言葉に、少し照れた様子を見せながら、それでも首を横に振る。
「肉を焼く前に手を加えましたし、焼く時も火加減や焼き時間に気を付けましたが、やったのはそれだけです。この鹿のモンスターの肉質そのものが、元々柔らかいのだと思います」
ジャニスのその説明に、なるほどと聞いている者達は――レイも含めて――納得する。
これが普通の鹿であれば、ジャニスのその言葉にも疑問を抱いただろう。
だが、この炭の塊のような色を見れば分かるように、この肉は普通の肉ではない。
モンスターの肉であるが故に、鹿の肉として普通とは考えられない肉質を持っていても不思議ではなかった。
「じゃあ、食べるわね。……こうなるとソースが黒以外というのがちょっと嬉しいわね。これでソースまで黒かったら、どうしようもないでしょうし」
「黒いソースですか? ……この炭のような色に負けないくらいの黒となると、一体どうやって作るんでしょうね」
イステルは貴族出身だけに、小さい頃からそれなりに良いものを食べてきた。
貴族であってもそれなりになのは、このガンダルシアのあるグワッシュ国が小国で、そこまで豊かな国ではないからだろう。
これがミレアーナ王国やベスティア帝国のような大国であれば、グワッシュ国の王族よりも豪華な食事を食べていてもおかしくはない。
……ともあれ、貴族出身のイステルは勿論、エルフとして長い時を生きてきたフランシスであっても、ここまで黒いソースをどうやって作るのかというのは分からなかった。
「海にいるイカやタコといった生き物……海産物のスミを使ったり、それこそ食用に出来るよう特別に作られた炭を使ったりすれば、そういう黒いソースは出来ると思うぞ」
これは、レイが日本にいた時に見た料理漫画からの知識だ。
イカスミパスタというのは日本でも広く知られていた。
しかし、タコスミが料理に使われるということはまずない。
当然ながらこれには幾つも理由があり、イカとタコから取れるスミの量ではイカの方が勝っているというのが大きい。
他にも料理として使う際にはタコよりもイカのスミの方が滑らかで料理に……特に代表的なイカスミパスタ等には合わせやすいというのもある。
もっとも、旨み成分という点では実はイカスミよりもタコスミの方が上なので、腕のいい料理人ならタコスミを使ったりもするのかもしれないが。
「炭? え? 炭? 本気で言ってるの!?」
真っ先に驚きの声を上げたのは、フランシス。
先程までは柔かな肉を切って口に運ぼうとしていたのだが、レイの言葉を聞き、思わずといった様子でその手を止める。
「ああ、本当だ。とはいえ、俺も本でそういうのがあると知ってるだけなんだが。普通にその辺の木を燃やして出来た炭って訳じゃなくて、さっきも言ったが食用出来るように特殊な加工がされた炭だから、問題ない。いやまぁ、具体的にどうすればいいのかってのは、俺にも分からないけど」
レイが知ってるのは、あくまでも日本にいる時に見た料理漫画で出てきたもので、そこには既に食用の炭という食材として出てきた。
……正確には、その食用の炭についての蘊蓄も漫画では書かれていたような気がするが、生憎とレイには分からない。
レイが他に食用の炭で分かるとすれば、炊飯器で米を炊く時に炭を入れればいいとか、あるいは食用の炭という訳ではないが部屋に置いておけば湿気を吸収してくれるとか、その程度だ。
それでもこの世界においてはそれなりに炭の効能を知っているのかもしれないが。
「というか、寧ろ食用の炭についてはフランシスは知らなかったのか? 植物関係なんだし、てっきりフランシスならその辺りについても知ってるとばかり思ってたんだが」
「……あのね、エルフだからって植物に関することを何でも知ってると思わないでよね」
そう不満そうに言いつつ、その不満を飲み込むかのように一口大に切った黒い肉を口に運ぶのだった。




