4175話
ギルドの中に入って来たレイを見たアニタは、すぐに座っていた椅子から立ち上がる。
前もって話はしておいたのだろう。
他の受付嬢達に視線を向けると、その視線を向けられた受付嬢達も仕事を中断し、あるいは冒険者の相手を中断し、無言で頷く。
アニタから、二十一階についての一件については、前もって話を聞いていた。
その為、アニタが視線を向けただけでそれが一体どのような意味を持っているのかを理解しており、仕事は任せてと、視線でそう返したのだ。
……受付嬢と話していた冒険者は、いきなりの変化に不思議そうにしていたが、アニタがレイの方に近付いていくのを見れば、何となく事情が納得出来た。
いや、勿論二十一階の件だとは分からなかったが、レイがまた何かやらかしたのだろうというのは、容易に想像出来てしまったのだ。
ある意味、今までのレイの功績――もしくは行動――が影響していた。
「レイさん、こちらへ。詳しい話はいつもの部屋で聞かせて貰います」
「分かった」
レイが何かを言うよりも前に、アニタがそう言う。
アニタにしてみれば、今日レイから聞く話は大きな……本当に大きな意味を持つと理解していた。
その為、こうしてレイが来たらすぐに……それこそレイが何かを言うよりも前に、すぐに二階の部屋に連れていくつもりだった。
そんな心構えが功を奏した形だ。
アニタの様子にレイもここで何かを言うより、二階できちんと説明した方がいいだろうと、余計なことを言わずにアニタと共に二階に向かうのだった。
「さて、レイさん。今日はお疲れ様でした」
二階にある、これまで何度か使っているのでレイにとっては既に使い慣れた部屋。
その部屋でアニタとレイはそれぞれ向かい合うように椅子に座り、アニタが口を開く。
アニタの言葉には、レイを労うような感情があった。
実際、アニタにしてみれば前人未踏の二十一階の探索をしてきたのだから、そのくらいの言葉を掛けるのは当然ではある。もっとも……
「そこまで言う程に疲れてはいないけどな」
レイはあっさりとそう返す。
実際、レイにはアニタが思う程の疲労はない。
それこそ今からもう一度ダンジョンの探索をしろと言われても、特に問題なく出来る。
……もっとも、レイがそれを引き受ける可能性はかなり低いのも事実だったが。
「未知の階層である二十一階を探索したのに疲れていないというのは、一体どういうことなんでしょうね」
「セトに乗って移動出来るというのが大きいな。それに、俺も元々体力はあるし」
ゼパイル一門の技術の粋を込めて作り出されたレイの身体は、五感は勿論のこと、純粋な身体能力についても非常に優秀だ。
「レイさん、身体は私と同じか少し小さいくらいなのに」
「別に身体の大きさが体力に関係している……いやまぁ、ある程度は関係してるかもしれないが、小さくても十分な体力を持つ者はそれなりにいるぞ?」
そう言いながらレイが思い浮かべたのは、日本にいた時のマラソンの光景だった。
レイはそこまでスポーツ観戦に興味はなかったが、それでも何かの拍子に……例えば正月とかにマラソンがTVで放映したり、あるいは国際大会であったり、オリンピックであったりと、それなりに見る機会があった。
そしてレイが見たところでは、基本的にマラソンの選手というのは小柄……より正確には痩せている者が多かった。
いわゆる、筋骨隆々といったマラソン選手はレイも見たことがない。
もっとも、レイはマラソンにあまり興味がないので、あくまでも少し見た程度でしかない。
もしかしたら、世の中には筋骨隆々のマラソン選手も存在している可能性はあったが。
「そうですね。レイさんを見ていると、それを実感するしかありません。……さて、では前置きはこのくらいにして、そろそろ本題に入りましょう。二十一階、どうでした?」
真剣な表情になり、アニタがレイに聞く。
アニタにしてみれば、これが今日の話の本題なのだ。
本来なら、ギルドとしては昨日の時点でレイが二十一階に到達したと、そう大々的に発表したかった。
だが、それに待ったを掛けたのが、当の本人であるレイ。
時間がなかったこともあり、二十一階と思しき場所の探索はしたが、それでもしっかりと探索できた訳ではない以上、二十一階は二十一階であっても、正規のルートではない……隠し部屋か何かの可能性があると思った為だ。
これが普通に階段があったら、それは普通の……レイが言う正規のルートということで、レイもギルドの発表を止めるようなことはなかっただろう。
だが、二十一階に続く階段はストーンヘンジに似た遺跡の巨大な岩を動かす――正確にはミスティリングに収納した――ことによって出て来たのだ。
ミスティリングを持つレイだからこそ、出来たことだ。
あの巨大な岩の重量を考えれば、普通なら階段の仕掛けを動かすことは出来ない。
その為、レイは遺跡に現れた階段は正規ルートではなく、隠し部屋の可能性があると思ったのだ。
もっとも……
「やっぱり俺の見つけた遺跡の階段から下りるのが、二十一階に続く階段という認識で間違いないな。あの階段から下りた場所は隠し部屋とかそういうのじゃなくて、普通にダンジョンの階層だったし」
そうレイが口にした瞬間、アニタの視線が鋭く光る。
「それでは、やはりレイさんが昨日見つけた階段が?」
「ああ。ただ……正直なところ、二十階にある遺跡についても、まだ分からないことが非常に多かったりするけど」
「分からない、ですか? その遺跡に二十一階層に行く階段が現れるのでは?」
「そうだな。それは間違っていない。ただ、昨日俺が偶然動かした……というか、ミスティリングに収納したのとは違う巨大な岩を今日はミスティリングに収納してみたんだが、それでもやっぱり階段は現れて、階段の下りた先は昨日と同じ場所だった」
「それは……一体何故そのようなことに?」
「いや、それを俺に聞かれても分からない。多分ポイントとなるのは、どの巨大な岩……巨岩を動かしたのかということではなく、どれでもいいから巨岩を動かすということなんだろうな」
「つまり、動かしやすいのを動かせばいいと?」
「あくまでも俺の予想だけどな。……もっとも、動かしやすい巨岩というのは……ちょっとなかったように思うけど」
レイは遺跡の巨岩を思い浮かべ、そう言う。
レイが見たところでは、どの巨岩もしっかりと大地に立っていた。
それを動かすようなことは、そう簡単に出来るとは思えない。
もし他のパーティがあの巨岩を動かそうとしても、それこそ巨岩を動かすだけで体力の全てを使ってもおかしくはないだろうと思えてしまう。
もっとも、それはあくまでもレイの予想であって、他のパーティにも何らかの奥の手がある可能性は十分にあったが。
現在二十階まで到達しているパーティは、このガンダルシアにおいてもトップクラスの実力を持つ者達だ。
それだけに、何らかの奥の手を持っていたとしてもレイは驚かない。
そしてそのような奥の手を使えば巨岩を何とか出来る可能性は十分にある。
「そうなると、レイさんが行く時だけしか二十一階に行けない……そんな可能性もあるんでしょうか?」
「他のパーティに巨岩を動かす手段がなければ、そうなるだろうな」
「そうなると、レイさんの普段の行動から考えると、午後にならないと二十一階に行けないということになりますが。あ、でもレイさんが遺跡の階段を通れるようにしておいたら……」
「それは俺も考えたけど、今朝二十階の遺跡に行ってみたら、ダンジョンの修復機能だろうけど、遺跡は元に戻っていた」
「……それ、例えば二十一階で泊まりながら攻略を進めた場合、どうなるんですか?」
「言われてみればそうだな。どうなるのかはちょっと分からない。例えば、二十一階に誰かがいる間はダンジョンの修復機能は働かないとか?」
「そう都合良くいけばいいんですけどね。いえ、でもダンジョンの性質を考えると、普通にそういうのがありそうな気もしますけど」
「ダンジョンの性質というのを考えるのなら、例えば一度二十一階に行ったら、階段はいつでも使えるようになってるとか。ただし、あくまでもその階段を使える……というか、見える? 認識出来る? のは潜った冒険者達だけとか」
「それは……いえ、ダンジョンだからと言われれば、私も頷くことしか出来ませんが」
それこそレイが何かをやらかしても『レイだから』で納得されるように、ダンジョンのことはどんなに理不尽、不可解、驚愕の出来事であっても『ダンジョンだから』で納得出来てしまう一面があるのは間違いなかった。
「まぁ、その辺については結局のところ他のパーティに頑張って貰うしかないだろうな。……ちなみに巨岩を動かすというのなら、立っている細長い巨岩を倒すのが一番やりやすいと思う」
もっとも立っているのも巨岩と呼ぶに相応しいだけの大きさと重量を持っているので、それを倒すことが出来るかどうかはレイにも分からなかったが。
レイの場合は結局、ミスティリングがあるのでその辺の苦労をするようなことはなかったのだから。
「分かりました。二十一階についての公表をした時に、この件についても知らせたいと思いますが構いませんか? どうしても嫌だとレイさんが思っているのなら、無理強いは出来ませんが」
アニタの提案……より正確には要望に、レイは少し考えてから頷く。
「別に構わない。これが普通に階段があったのなら、公表は止めて貰っていたんだろうが……二十一階に続く階段は、見つけるのは難しい」
レイだからこそ、巨岩をミスティリングに収納するといった方法で階段を見つけることが出来たのだ。
ミスティリングを持たないような者達であれば、まず階段を見つけることは出来なかっただろう。
実際、レイよりも前に二十階に到達していた他の冒険者達は、今までこの階段を発見出来なかった訳なのだから。
二十階にある遺跡ということで、怪しいと思っていた者達がいたのは間違いないだろう。
だが、それでも巨岩を動かすといった方法を試みた者はいなかったのだ。
……普通に考えれば、巨岩に何らかの仕掛けがないかと調べたりはしても、数t、数十t、あるいはそれ以上の重量を持つ巨岩を動かそうとは思わなかったのかもしれないが。
冒険者として有能だからこそ、巨岩を動かすといった常識外れのことに思い当たらなかったのかもしれない。
「ありがとうございます。……出来ればどうにかして巨岩を動かして階段を自由に使えるようにしたいところですが……そちらについては、何か思い当たることはありませんか?」
「残念ながらないな。それぞれのパーティに期待といったところだ。もしくは、俺が行くまで待つといった方法もあるけど」
「それが一番確実でしょうけど、レイさんも毎日ダンジョンに通ってる訳ではないでしょう? ……いえ、ここ最近は毎日だったようにも思いますけど」
「何か緊急の用事があったりした場合は、ダンジョンに行かなかったりする可能性もあるけどな」
それはつまり、何らかの用事でもない限り毎日ダンジョンに潜っているということを意味していた。
「それなら最悪の場合は何とか……ただ、先程も少し話題に出ましたが、二十一階にいる人達が本当に二十階に戻るのに階段を使えるかどうかというのが……いえまぁ、その辺は後で考えることにして、二十一階についての情報を聞かせて貰えますか?」
本来なら、アニタももっと色々と遺跡について聞きたいことはあった。
二十階で何らかの特殊な行動をしたことによって、遺跡の仕掛けが動く理由になったのではないかと。
だが、それを聞いていてはいつまで経っても終わらない。
そう思い、二十一階の話題に移る。
レイもそんなアニタの考えは分かっていたので、特に不満を抱かず、素直に話を続ける。
「昨日も言ったが、二十一階は地底湖が広がっている。水中に棲息するモンスターが厄介だな」
「水中にいるモンスターなら、そちらに行かなければいいのでは?」
「水中にいるだけならまだしも、普通に地上に上がってくるしな。しかも地底湖の特徴なのか、それともモンスターの持つ特殊な能力なのか、その辺は俺にもちょっと分からないが、中には俺は勿論、セトにも気配を感じさせないようなモンスターもいるから、注意が必要だ」
「え? セトちゃんにもですか? それは……本当に危険ですね」
「俺もそう思う。もっとも、実際に戦えばそこまで強い訳じゃないから、見つけることさえ出来れば倒すのは難しくないけど」
「……それ、レイさんだからじゃないですか?」
若干の呆れと共にそう言うアニタに、レイはそっと視線を逸らしてから話を続けるのだった。




