4031話
「アニタ、ちょっと相談があるんだけどいいか?」
ダンジョンから出たレイは、すぐにギルドに向かい、受付カウンターの前まで移動すると今日の分の素材を売って、料金を受け取ってからそう言う。
今の時間は午後三時を少しすぎた程度。
ギルドが混む夕方まではまだかなりの時間がある。
それでも他の受付嬢の前には何人かの冒険者が並んでいたのだが、幸いアニタの前には誰も冒険者はいなかった。
これがアニタが受付嬢の中ではそこまで人気がないということなのか、それとも冒険者の数が少ないので、偶然アニタのファンはいなかったのか。
その辺はレイにも分からないが、とにかく並ぶことなくアニタと話が出来たのはレイにとっても幸運だったのは間違いない。
「えっと、相談……ですか?」
レイの言葉に、アニタは微妙な表情を浮かべる。
このようなことをレイが言ってきたということを考えると、一体どのような内容なのかと思ってしまうのだろう。
「ああ、相談だ。ちょっと……本当にちょっとだけだが、試してみたいことがあってな」
ちょっと、本当にちょっとと念を入れてくるレイの言葉に、アニタの悪い予感は急激に強まっていく。
「そうですね。今はあまり忙しくないですし、二階に行きましょうか。そこで話を聞きます」
このままここで話を聞いては不味い。
そうアニタが思ったのは、悪い予感というのもあったが、レイの言葉を聞いて近くにいた冒険者が興味深そうにしていた為だろう。
もしここでレイの試したいことというのを聞かされた場合、それが冒険者の間で妙な風に広まるのを避けたかった為だ。
「二階で? 分かった」
アニタの言葉に少しだけ驚いたレイだったが、アニタが言うのならと、素直にその言葉に従う。
……アニタの言うことだからというのを抜きにしても、海の階層である十七階の海水を全て蒸発させるといったようなことを言えば。間違いなく驚かれるだろうとレイにも予想出来たからでもあるが。
そんなレイとアニタを、他の冒険者達はアニタと二人きりという状況になれるという意味でレイを羨ましげに、そして受付嬢は一体レイが何を言ってくるのか、そしてそれに振り回されるアニタに若干の同情の視線を向けるのだった。
「はああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
二階にある部屋。
その部屋の中には、アニタの大きな声が……それこそ、半ば悲鳴に近いのではないかと思えるような声が響き渡る。
不幸中の幸いだったのは、アニタがレイを連れてきたこの部屋は秘密の話し合いをする為の部屋で、防音設備がしっかりとしていることか。
今のアニタの叫び声も、部屋の外には漏れていない筈だった。
……それでアニタが喜ぶかと言えば、当然ながら否だったが。
「落ち着いてくれ。そこまで絶叫しなくてもいいだろう」
「絶叫するなですって!? しますよ! ええ、それはしますとも! 一体レイさんは自分が何を言ってるのか、分かってるんですか!?」
表現するのなら『がああああああああっ!』といったようにレイに向かって叫ぶアニタ。
レイにしてみれば、多分却下されるだろう。もし許容されたらラッキー程度の気持ちではあったのだが、その予想が完全に外れてしまった形だ。
「いや、その……でも十七階だぞ? 俺が言うのもなんだけど、十七階まで到達している冒険者はかなり少ないだろう? なら……」
「そ・う・い・う・こ・と・じゃ・あ・り・ま・せ・ん!」
一言一言にこれ以上ないくらいに力を入れて断言するアニタ。
その表情には真剣な……いや、寧ろ怒りの色がある。
レイについては、アニタもそこまで詳しい訳ではない。
だが、これまでの実績を考えればレイが口にしたようなこと……十七階の海水を全て蒸発させるといったようなことを、普通にやりそうで怖いという思いがあった。
……そして実際、レイは半ば以上試してみるかといったように思っていたのも事実。
「何でだ?」
「危険だからに決まってるじゃないですか! レイさんが言うように、十七階まで到達している冒険者は多くありません。多くありませんが、実際にいるのも事実なんです。そんな中でそんなことをしたら、レイさんは下手をしたら冒険者狩りをしたということで、賞金首ですよ!?」
ガンダルシアのギルドにとって、十七階を探索出来る冒険者というのは、非常に希少だ。
勿論、現在最深層を探索している久遠の牙と比べれば、十七階を探索出来る冒険者はそれなりの数がいるということも出来るだろう。
だが、それでも冒険者全体で見れば、十七階を探索出来る冒険者は非常に希少なのも事実。
そのような希少な冒険者を殺そうものなら、それこそレイが賞金首になってもおかしくはなかった。
「それは……困ったな」
「でしょう? だから、レイさんも妙なことを考えるのは止めませんか?」
「……例えばだが、ギルドの方から決まった日時は十七階に入らないように指示をするというのは出来ないか?」
「無理ですね。幾らレイさんがランクA冒険者であっても、ギルドとしてそのような指示は出せません。……もしレイさんがランクAではなく、ランクSであればまだ話は違ったかもしれませんが」
ランクSと聞き、レイは無理を言うなと思う。
現在、ランクS冒険者というのは三人しかいないのだ。
レイはそのうちの二人と遭遇したことがあるが、自分がランクS冒険者になれるかと言われれば、正直微妙だとしか思えない。
「今のままだと無理か」
「そうなりますね。元々ギルドというのは何らかの非常時でもなければ、冒険者に命令出来る権限はありません。そしてレイさんの提案は、その非常時には入りませんので」
「……そうか」
「言っておきますが、ギルドで要請して駄目だったからといって勝手に十七階で海水を蒸発させるなどということは絶対にしないで下さいね。冒険者が巻き込まれた場合、本当に大変なことになりますから」
アニタとしては、ここでレイが引き下がっても自分の知らない場所で行動に出るといったようなことをされるのは、絶対に止めて欲しかった。
「分かってる。そこまで念を押されたら、俺もやろうとは思わない。……けど、そうなると俺はセトに乗ってるからいいけど、他の冒険者は十七階の攻略をどうしてるんだ? まさか、船を持ち込むとかは出来ないだろうし」
レイの場合はミスティリングがあるので、持ち込もうと思えば船を持ち込むことも出来る。
ただし、十七階に広がっている海の深さは、レイが確認した限りではせいぜいが膝くらいまでのものだった。
そうなると、大きな船を持ち込んでも船の底が海底に触れてしまい、進むことは出来ない。
それこそボートのようなものであればどうにかなるだろうが、そうなるとそうなったで、冒険者はボートの上で戦わないといけない。
「どうするも何も、普通に歩いていますよ。……とはいえ、冒険者も全てを完全にギルドに報告する必要がある訳でもないので、何らかの攻略法の類がある可能性は否定出来ませんが」
「攻略法か。俺がセトに乗って飛ぶみたいな?」
「……それは最早攻略法ではなく、卑怯だと思われてると思いますよ? 実際、何人かの冒険者の方が愚痴っていたのを聞いた事がありますし」
「だろうな」
空を飛べるセトに乗って移動するレイは、普通に地上を移動する他の冒険者達とは比べものにならない程の移動速度が出せる。
空を飛ばなくても、セトが地上を走る速度は馬を……それも名馬と称されるような馬をも超える。
普通に歩いて移動している冒険者達にしてみれば、何だそれはと言いたくなってもおかしくはない。
もっとも、だからといって異名持ちのランクA冒険者であるレイに直接不満を言える者はそういないだろうが。
だからこそ、仲間内で愚痴を言い、それをアニタが聞いたということなのだろう。
「けど、そんなに羨ましいと思うのなら、セト……グリフォンをとまではいかないが、モンスターをテイムすればいいと思うんだけどな」
空を飛ぶモンスターをテイムするのは難しいだろうが、地上にいるモンスターならそれなりにテイムする機会はある。
そして地上を移動するモンスターの中でも、馬のような大きさのモンスターであれば、背中に乗って移動するといったことも出来るだろう。
もっとも、パーティで行動している場合は一人がモンスターをテイムしても全員で乗れる訳ではない以上、それが理由で問題になったりすると思うが。
「あのですね。レイさんはセトちゃんがいるからそう思わないようですが、テイムというのはそう簡単に出来るようなものではないんですよ?」
「……そう言われるとそうだったな」
レイは自分がセトをテイムしているので、その辺りの実感が薄いのかもしれない。
実際にはセトはテイムしたのではなく、魔獣術で生み出されたモンスターなのだが。
とはいえ、それは表向きに出来ないので、その辺りについてはアニタに対してであっても、レイが口にすることはなかった。
「ただ、それでもテイムをしたいと思っている人は多いんですけどね。レイさんとセトちゃんを見た後でなら、尚更に。レイさんがテイムのコツを教えるとか、そういうことは出来ないんですか?」
「うーん……テイムと一口に言っても、本当に色々な方法があるからな。力を認めさせる、力で従える、普通に仲良くなる、餌付けをする。ぱっと思いつくくらいでこのくらいだし、他にもまだまだ色々な方法でテイムは出来ると思う」
「その割には、テイマーは少ないですよね」
「テイムする方法は色々とあると言ったが、それは個人によって違うしな。力を認めさせるという方法でテイム出来る奴が、食べ物で餌付けをしてテイムするといったことは出来ない。いやまぁ、もしかしたら出来るかもしれないが、俺は聞いたことがないな。それにテイムすれば当然ながら、テイムしたモンスターの世話が必要となる。小型のモンスターならともかく、大型……それこそセトのような大きさのモンスターとかだったら、食事代も必要だし、宿も厩舎のある宿しか泊まれない」
「……なるほど、そう聞くとテイマーというのも良いことだけではないのですね」
「そうなるな。とはいえ、それに勝る利益があるとは俺も思うけど」
レイにしてみれば、テイムしたモンスターという扱いになっているセトの存在は非常に大きな意味を持っている。
だからこそ、テイマーは有利になるとレイには思えるのだが。
「そうですか。……ギルドとしては、テイマーが増えて欲しいとは思うのですけど」
ギルドにしてみれば、冒険者が生き残る、もしくはより深い階層を探索出来るかもしれない手段は多ければ多い方がいい。
「テイマーについては……そうだな。将来的にギルムでテイマーの為の学校を作るという話はあるな」
「……テイマーの学校ですか。ギルムでそのようなことか……羨ましいことですね」
アニタにしてみれば、ギルムでそのようなことが出来るのは本当に羨ましい。
そのようなことが出来るのは、やはりミレアーナ王国の中でも唯一の辺境で、多くの冒険者が集まってくるからこそだろう。
このガンダルシアは迷宮都市で周辺から多くの冒険者が集まるものの、テイマーの学校を作るということは難しい。
そもそもの話、テイマーの学校ではなく冒険者の学校を作るのにも結構な苦労があったくらいなのだから。
(あ、でも……冒険者育成校と校舎を共用して、テイマーの学校を作るというのはどうかしら? もしくは、いっそ冒険者育成校の冒険者にテイマーになる為の学科を作るとか)
そう思うアニタだったが、考えるのはそう難しいことではないが実際にそれが出来るかと言われれば、微妙なところだろう。
それは考えたアニタ本人も分かっていることだ。
「テイマーの学校がギルムに出来たら、ギルムまで来ればそこに入学してテイマーの勉強は出来ると思うぞ」
「無理を言わないで下さいよ、無理を。レイさんならセトちゃんがいるからガンダルシアからギルムまでそう時間は掛からないのかもしれませんが、普通は年単位の時間が掛かるんですよ。いって戻ってくるだけで一体、どれだけの時間が掛かるのか……それも、無事に戻ってくる人が一体どのくらいいるのかも分からないのでは?」
年単位での移動になる以上、当然ながらその途中で何らかの騒動に巻き込まれるのは珍しくない。
また、それをどうにかしても、ギルムで生活をしているうちにギルムから戻りたくなくなる者がいる可能性は十分にある。
そういう意味でも、ガンダルシアからギルムまでは距離が離れすぎているのだった。




