3889話
レイの姿を確認すると、アニタはすぐにカウンターの奥にいる上司に視線を向ける。
するとアニタの上司は真剣な表情で頷く。
もしこれがレイの報告であれば、ギルド職員達も真面目に対応はするだろうが、それでもどこかなあなあですませてしまってもおかしくはない。
そうなると、場合によってはレイが何の根拠もなく今回の騒動を起こしたということで、ギルド側から何らかの処分があってもおかしくはなかった。
だが……その話を持ってきたのがフランシスともなれば、話は違ってくる。
フランシスはこのガンダルシアにおいても大きな権力を持っている。
また、権力以外の単純な実力という点でも、トップクラスだ。
エルフとして長い時を生き、その間に磨いてきた精霊魔法の技量は、それだけのものなのだ。
……もっとも、レイは精霊魔法においては天才と称してもまだ足りないようなマリーナの存在を知っているので、フランシスの精霊魔法の技量を見ても特に驚くようなことはなかったが。
ともあれ、フランシスはこのガンダルシアにおいて大きな影響力を持つ、重要人物の一人だ。
それだけに、そんなフランシスが持ってきた話となるとギルド職員側でも真剣に行う必要がある。
「では、先程の話の通りに」
「ええ、お願いね。ただ、出来るだけ急いでちょうだい。特に冒険者の場合はダンジョンに潜る人も多いでしょうし。そうなると……ね?」
「分かっています。まずは、二階にある部屋に」
フランシスはアニタの言葉に頷き、そしてレイ達の側までやってくる。
当然だが、フランシスについてはギルド職員だけではなく、冒険者にも知っている者がいる。
……中には、最近ガンダルシアに来たばかりなのか、フランシスの顔を知らない者がいたが、フランシスに声を掛けようとすると、近くの者達に止められていた。
「レイ、彼等を二階に」
端的な指示にレイは頷く。
そしてギラン達に視線を向けると、無言で二階に向かうように指示を出す。
そんなレイの様子に、ギランは一歩進もうとして……
「うわあああああああっ!」
その瞬間、ギランの仲間の一人が悲鳴に近い叫び声を上げながら扉に向かって走り出す。
扉の外にはセトがいるのを知っていながら、それでも必死になって走るのは、このまま二階に行けば、自分はもう終わりだと思ったからだろう。
「ちょっ! おいっ!」
そんな男の行動に焦ったのは、レイ……ではなく、ギラン。
この状況で逃げるというのが、何を意味してるのか十分に理解していたからだろう。
もしここで逃げても、それがギランにとって不利益にならないのなら、それはそれで別に構わなかっただろう。
だが、ライグールの一件で疑われているのに逃げ出すというのは、自白行為以外のなにものでもない。
プレッシャーに耐えられず逃げ出した者の巻き添えになるのは、ギランもごめんだった。
そしてこうなってしまった以上、もう大人しくしている意味はない。
何しろ仲間の一人がその行動で半ば自白してしまったようなものなのだから。
「やるぞ!」
そう叫びつつ、ギランは腰の鞘から長剣を抜こうとし……
「何をやるって?」
ピタリ、とその動きが止まる。
いつの間にか……本当にいつの間にか、気が付けば目の前にはデスサイズの鋭い刃が突きつけられていたのだ。
「あ……」
レイが一瞬にして武器を取り出せるのは知っていた。
知っていたが、それはあくまでも知っていたで、こうして実際に使われて初めてその本当の意味を知ることになる。
ギランの手は長剣が収まっている、腰の鞘に伸びてはいるが、触れてもいない。
ギランの仲間は『やるぞ』という言葉に反応してそれぞれ武器を抜こうとしたものの、その前にパーティリーダーであるギランがいきなり鎮圧されてしまったこともあり、動くに動けなくなっていた。
『グルルルルゥ!』
そして扉の向こうからは、セトの鳴き声。
そこで何が起きているのか、レイには容易に理解出来た。
何しろレイは、ギルドに入る前にセトに逃げてくる奴がいたら捕らえておくようにと言っておいたのだから。
セトがレイの指示を聞き逃す筈もなく、そしてこの程度の相手をセトが逃がす筈もなかった。
「さて、今の一連の行動からして、お前達がライグールと繋がっているのは間違いないと考えてもいいな?」
デスサイズを手に、そう尋ねるレイ。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁ……」
レイの言葉と、そして目の前にあるデスサイズの刃により、ギランは頭の中が真っ白になる。
何を言えばいいのか、分からない。
一体何故失敗したのかも分からない。
(やっぱり、こんな話に乗ってしまったのが悪かったのか……?)
そんな風に思いつつ、レイがデスサイズの刃の先端でチクりとギランの首筋を突き刺す。
それは本当に小さな……針の先端で突き刺したかのような、そんな傷。
だが、デスサイズの刃によって生み出された傷は、ツツツと一筋の血を流す。
「で? お前がライグールと繋がっている。そういう認識でいいんだよな?」
再び尋ねるレイ。
そんなレイの言葉に、ギランは視線を向け……やがて、もう本当にどうしようもないと判断したのか、頷くのだった。
「どうやら、ライグールから昨日の報復としてセトに危害を加えるように依頼されたらしいね」
ギルド職員がレイにそう言う。
ギランがライグールと繋がっていると認めてから、一時間程。
ギルド職員の取り調べによって、事情はあっさりと判明していた。
もっとも、その内容はレイにとっては容易に予想出来るものでしかない。
「セトに危害を加えようとすれば、当然のようにセトは反撃するが?」
「そうなると、従魔であるセトが自分達を傷つけたと主張出来るだろう?」
「それが狙いか」
従魔が街中で何らかの騒動を起こした場合、その責任を取るのは飼い主だ。
つまり、セトがギラン達に危害を加えた場合、それはレイの責任になるということを意味していた。
「まぁ……それ以外にも、セトの素材を欲しいというのもあったんだろう。それらしきことを口にしているし」
「で? それを受けてギルドとしてはどうするつもりだ?」
笑みを浮かべて尋ねるレイ。
顔の半分程はドラゴンローブのフードで覆われているものの、だからこそ口元に笑みを浮かべたレイは、見る者を思わずぞっとさせる迫力があった。
「……こちらで対処させて欲しい」
レイの醸し出す迫力に押されながらも、ギルド職員は何とかそう告げる。
ギルド職員にしてみれば、ここでレイに任せると騒動が大きくなると考えたのだろう。
……実際、それは決して間違ってはいなかった。
レイにしてみれば、明日にはギルムに戻るのだ。
それまでに一通り終わらせておきたいし、そうなると一番手っ取り早いのはライグールの実家に突撃して落とし前を付けるというものだったのだから。
そうなれば、当然だが被害は大きくなる。
何しろ、グワッシュ国の貴族が冒険者に襲われるのだから。
……不幸中の幸いと言うべきか、レイの所属はあくまでミレアーナ王国だ。
このグワッシュ国はミレアーナ王国の保護国……より実質的に言えば、従属国に近い。
ベスティア帝国の従属国と比べれば、扱いは大分良いのだが。
ともあれ、グワッシュ国にしてみれば、実質的な宗主国を相手に逆らえる筈もない。
あるいはこれでレイがただの冒険者……それこそランクも低く、異名も持たず、グリフォンを従魔としていないのなら、グワッシュ国としても騒動があった時にある程度強く出られるだろうし、ミレアーナ王国側としても、どこにでもいる冒険者の一人くらいならと譲歩するようなことがあってもおかしくはなかった。
だが、レイはとてもではないがその辺にいる普通の冒険者といったような存在ではない。
ミレアーナ王国でトップ層の冒険者で、その名前は周辺諸国……それこそ、このグワッシュ国にまで届いているくらいなのだから。
それだけの戦力……それこそ、個人で戦争の結果すらひっくり返せるだけの実力を持つ冒険者を、ミレアーナ王国が保護国のグワッシュ国から引き渡せと言われても、従う筈がない。
それどころか、最悪保護国の扱いを解除されるか……いや、本当の意味で最悪の場合、敵対国家としてミレアーナ王国に滅ぼされる可能性すらあった。
ギルドというのは、国に所属している訳ではない機関だ。
それは間違いないが、それでもそのギルドに雇われているのは、その国の住人でもある。
自分の采配一つで自分の住んでいる国が最悪の事態になるとすれば、それは到底許容出来ないことだった。
「ギルドで対応か。……それで、具体的には何をするんだ?」
意外なことに……本当にギルドにとって意外なことに、レイはギルド職員の言葉を即座に否定せず、そう言ってくる。
正直なところ、ギルド職員は自分の要望をレイが聞くとは思っていなかった。
それだけに驚きながら口を開く。
「ぐ、具体的にどうするのかというのはまだ決めていない。だが、これだけは約束する。レイが満足出来るような処分をすると」
「それはつまり、俺がギルムから戻ってきた時、満足出来るような結果ではなかったら……どうなるか分かっている上で言ってるんだよな? 言っておくが、俺は相手が貴族だからって力を振るうことを躊躇ったりしないし、それはギルドでも同様だ。……俺の代名詞となっている、炎の竜巻。それがこのガンダルシアの中で幾つも生み出されて、暴れ回る光景は見たくないだろう?」
「分かっている! 十分、レイが満足出来る処罰にすると約束する!」
レイが冗談や脅しではなく、本気で言ってるのが分かったのだろう。
ギルド職員は慌てたようにそう叫ぶ。
……もっとも、レイもこのガンダルシアは迷宮都市としてそれなりに気に入っている。
アニタや猫店長を始めとして、街中にも多くの知り合いがいるのだから。
メイドのジャニスや、何より冒険者育成校の生徒達はレイにとっても教え子であるという認識で、そのような者達にわざわざ危害を加えようとは思わない。
言ってみれば、今の言葉は脅しでしかないのだが……ギルド職員にしてみれば、レイなら本当にそのようなことをしてもおかしくはないと考えたのだろう。
ガンダルシアまで届くレイの噂には、色々なものがある。
それこそ一番有名なのは、やはりベスティア帝国との戦争の時の話だが、それ以外にもベスティア帝国の内乱に関わったり、相手が貴族であっても容赦なく力を振るったりといったようなものも多い。
中には、明らかにそれは嘘だろうと誇張されたものも多いのだが、レイならもしかして……と、そのように思ってもおかしくはない。
だからこそ、ギルド職員にしてみればこの件でレイに好き勝手をさせる訳にはいかない。
以前何度かあったように、レイが冒険者とトラブルになったという程度なら、ある程度ギルドでもどうにかなる。
だが……今回は冒険者が原因ではあるものの、同時にその冒険者が貴族の家柄であるというのが事態を大きくしていた。
だからこそ、何とかギルドの方で調整し、レイが納得出来る結末にする必要があった。
「……分かった。ギルドがそこまで言うんだ。俺としては任せてもいいと思う」
そう言うレイ。
ギルドにとって、ある意味で幸運だったのは間違いないだろう。
一番大きな理由は、やはりレイが明日ギルムに帰るということだ。
もしレイがどうしても自分で今回の一件の落とし前をつけようと思えば、それこそ今からでもライグールの実家に乗り込むといったことをする必要がある。
その結果が具体的にどのようなことになるのかは、実際に行ってみなければ分からない。
そもそもの話、ライグールが既に実家に戻っているのかどうかも分からないのだから。
……いや、セトに乗って空を飛んで移動出来るレイとは違い、馬や馬車で移動する必要がある以上、ライグールが実家にいないという可能性の方が高いだろう。
だからこそ、そうなると間違いなく面倒なことになる。
そして面倒なことになれば時間も相応に必要になってもおかしくはない訳で……最悪、明日ギルムに帰るのを延期する必要が出てくる可能性も十分にあった。
それはレイとしても避けたい。
事情を話せば、フランシスも納得はするだろう。
いや、それ以前にギラン達はセトに危害を加えようとしていたのだから、セト好きのフランシスはレイよりも怒り狂ってもおかしくはない。
とにかく事情を話せば納得はするだろうが、レイとしては出来ればギルムに戻るのを延期したくはない。
一緒に行くアーヴァイン達の予定にも影響してくるのだから。
そんな訳で、今回は大人しくギルドに任せることにしたのだった。




