3880話
青い苺とでも呼ぶべき果実。
それがレイの前には存在していた。
甘い香りは、レイが知っている苺の匂いとは少し違う。
……もっとも、色が違う以上は匂いが違ってもおかしくはない。
それどころか、匂いは甘いが実際に食べてみたら辛いとか苦いとか、そういう可能性も否定は出来ないのだ。
「一階や二階で採取出来た果実の件を思えば、この果実も普通に食べられる……と思うんだけど、どう思う?」
「グルゥ!」
レイの言葉を聞いたセトは、クチバシを伸ばして青い苺を一粒取ると、そのまま味わう。
「って、おい! ちょっ、セト!?」
多分大丈夫だとは思うレイだったが、それが本当だという証拠はどこにもない。
それどころか、もしかしたら毒であるという可能性すら否定出来ないのだ。
だというのに、セトはあっさりと食べてしまった。
それを見ていたレイが慌てるのも当然の話だろう。
もっとも、肝心のセトは青い苺をしっかりと味わい、幸せそうに目を細めていたが。
「えっと……大丈夫、なんだよな? というか、その様子を見ると美味いのか?」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは美味しいよと喉を鳴らす。
そんなセトの様子を見ていたレイは、どうしたものかと悩む。
セトの様子を見る限り、毒はないのだろう。
ただし、それはあくまでもセトが食べた限りではだ。
何しろ、セトはグリフォンという高ランクモンスターだ。
それこそちょっとした毒程度であれば、身体に被害らしい被害がなくてもおかしくはなかった。
それはレイも分かる。
分かるのだが、セトの様子を見たレイは、自分も青い苺を食べてみたいと思う。
(うーん、でもセトが大丈夫だったからといって、俺も大丈夫とは限らない訳で……ただ、それを考えた上でもやっぱり美味そうなのは間違いないんだよな。あ、でも俺の身体も普通の身体じゃなくて、ゼパイル一門が技術の粋を込めて作った身体だ。なら、ちょっとした毒くらいなら大丈夫だよな?)
もしゼパイル一門の者達が今のレイの言葉を聞いたら、どう思うか。
これが例えば敵の攻撃による毒についての対抗手段だとすれば、あるいは喜ぶかもしれない。
だが、そう思う理由が苺を食べてみたいからとすれば……
(タクム辺りなら、喜んでくるかも?)
自分と同じく、現代日本からこのエルジィンに来たのだろうタクムだ。
色はともかく、形は苺にしか見えない果実があれば、それを食べてみたいと思うのはそうおかしな話ではない筈だった。
もっとも、ゼパイル一門という天才集団の中にいたタクムだ。
もしかしたら、地球にある苺と同じ苺をどうにかして作っていた可能性も否定は出来ない。
あるいは……何らかの手段で地球から苺を取り寄せるといったことをしていても、レイは驚かない。
羨ましいと、心の底からそう思うが。
このエルジィンという世界は、剣と魔法のファンタジー世界なのは間違いない。
日本……いや、地球にいる者の多くが来れるのなら来てみたいと思うだろう。
だが、ファンタジー世界であるが故に、生活水準は決して高くはないのだ。
来てみたいと思う者は多いだろうが、実際にエルジィンに来ればすぐに日本に……いや、地球に戻りたくなるだろうというのがレイの予想だった。
「グルゥ?」
レイが苺をどうするかと考え込んでいると、セトがどうしたの? と喉を鳴らす。
レイが青い苺を手にしつつ、動かなくなったのを不思議に思ったのだろう。
「ぷっ!」
セトが心配をしてくれたのは、レイも嬉しい。
嬉しいのだが、そのセトのクチバシには青い果汁が付着しており、かなり目立っていた。
それを見たレイは、セトの様子に思わず吹き出してしまったのだ。
「グルルゥ?」
何故いきなりレイが吹き出したのか分からず、首を傾げるセト。
愛らしい仕草ではあるのだが、クチバシに青い果汁が付着してるだけで、何だか妙に面白い。
レイは笑いそうになるのを我慢しつつ、セトのクチバシに付着していた果汁を、ミスティリングから取り出した布で拭いてやる。
「うん、これでよし。……それで、セト。この苺は美味かったのか?」
「グルゥ!」
レイの言葉に元気よく鳴くセト。
それを見れば、セトがこの苺をどれだけ美味いと思っているのかは考えるまでもない。
「分かった。じゃあ……俺も食べてみるか。いいよな、セト?」
「グルゥ」
レイの言葉に勿論と喉を鳴らすセト。
セトがこうして問題ないと示している以上、自分が食べても問題ないのだろうとレイは苺を口に運ぶ。
苺の大きさはそこまで大きくはない。
正月近くになるとスーパーに並ぶような大きめの苺ではなく、春になると出てくる安価で売っている小粒の苺……と比べても、更に少し小さい。
もっとも、当然ながらスーパーで売られている苺は、どれもが農家が手間暇を掛けて育て、品種改良もされている苺だ。
そのような苺と比べると、野生の苺とでも呼ぶべきこの青い苺が小粒なのは仕方がないだろう。
(ダンジョンにある苺であると考えると、野生の苺というのとはちょっと違うかもしれないけど。以前宝箱で出て来た魔法植物的な感じ……というのとはちょっと違うか。やっぱり一階や二階にあった果実的な感じか。苺も果実だし)
そう思いながら、まずは小さな苺を少しだけ囓る。
セトが食べて問題はなかったし、そのセトが大丈夫だといった様子で勧めてきたのだから、レイも問題はないとは思う。
思うのだが、それでも万が一を考えての行動だったのだが……
「うん、これは甘いな」
勿論、日本で食べた……品種改良をし、しっかりと世話をして出来た果実の類と比べれば、甘さは少し物足りない。
しかし、それでも十分に甘いと評することが出来るだけの甘さがあるのは間違いなかった。
「グルゥ!」
そうでしょう? とレイの感想を聞いたセトが嬉しそうに喉を鳴らす。
そんなセトを見ていたレイが、ふと苺の囓った部分に視線を向けると……
(あ、やっぱり)
囓った部分からは、青い果汁が見えていた。
先程のセトのクチバシに付着していた果汁を思えば、青い果汁があるのは不思議な話ではない。
「グルルゥ?」
苺の囓った部分を見ているレイに。どうしたの? と喉を鳴らすセト。
レイはそんなセトに、笑みを浮かべて口を開く。
「いや、この苺が予想していたよりも美味くてな。うん、正直なところ本当にここまで美味いとは思わなかった」
それは少し大袈裟な言葉ではあったが、実際に美味いと思ったのは事実。
色が色なので少し恐る恐るといった様子ではあったが、それでもここになっている苺を全て採取していくつもりだった。
「それに、この十三階でこういう苺があるのなら、もっと下の階層にはもっと美味い果実があるかもしれないしな。……どういう果実があるのかは分からないけど、それにしてもこの苺は一階や二階の果実みたいに、毎日復活するのか? だとしたら……いや、それはそれで難しいか」
毎日この苺を採ることが出来るのなら、レイにとってもそれなりに嬉しい。
だが同時に、嬉しくはあるものの、わざわざ十三階まで来る必要があるか? と言われれば、レイは悩むだろう。
これが十四階であれば話は別だったが、十五階から十三階まで……そして十三階に来てからこの場所に来るまでの時間を考えると、そこまでする必要は……とは思うのだ。
だからこそ、レイは微妙な表情になる。
(それこそさっき言ったように、もっと下の階層にならこの苺以上の果実があるだろうから、そこが毎日採取出来るような場所であると期待しておこう)
そう思いつつ、レイは苺を食べる。
レイが最初に食べたのは、先端の部分。
苺の中でも最も甘い場所だったので、残りの部分はそこまで甘くはない。
とはいえ、それでも甘みが全くない訳ではなく、程よい酸味が口の中を綺麗にしてくれるのも事実。
「うん、やっぱり美味いな。……じゃあ、この苺は全部採っていくか」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは心の底から嬉しそうに喉を鳴らす。
セトにしてみれば、この苺は是非とも自分達で確保しておきたかったのだろう。
幸いなことに、ミスティリングの中に入れておけば悪くならない。
いつでも採れたての新鮮な苺を食べることが出来るのだ。
レイはセトが嬉しそうにしているのを見ながら、苺を採っていく。
だが……半分程の苺を採ったところで、不意にセトが喉を鳴らす。
「グルルルゥ」
それはこの苺を見つけた時とは違い、明らかに警戒を込めた鳴き声。
つまり、敵が来たということを意味していた。
「もう少し後で来ればいいものを。……セト、どういう敵なのかは分からないが、この果実……苺に被害が出ないように戦うぞ」
「グルゥ!」
レイの言葉にセトが当然といった様子で喉を鳴らす。
セトにとっても、ここで採れる苺は美味いと思える果実なのだ。
そうである以上、戦いの余波で苺を駄目にするといったことをするつもりはない。
だからこそ、セトはこの場で戦闘を行わずに飛び出そうとしたのだが、デスサイズと黄昏の槍を取り出したレイはそれを止める。
「セト、ちょっと待て。向こうから来てくれるんだから、罠……という程に上等なものじゃないが、一方的に攻撃出来る方法で対処しよう」
今となっては、レイも敵意や殺意を抱きながら自分達のいる方に向かって近付いてくる存在を察知している。
そうである以上、罠を仕掛けるのはそう難しいことではない。
幸いなことに、少し前に今のような時に使いやすいスキルを使えるようになっているのだから。
「黒連」
敵が近付いてくる側の草まで移動し、スキルを発動する。
そして敵が来るのだろう場所……草のすぐ外側でデスサイズを振るう。
すると、空中に浮かぶ黒い斬り傷。
それは、黒連によって生み出された八つの滞空する斬撃とでも呼ぶべきもの。
黒連で生み出された黒い斬撃痕を確認しつつ、レイは後ろに下がる。
「グルルゥ?」
セトはそんなレイに、こっちから攻撃した方がよかったのでは? と喉を鳴らす。
レイの使った黒連に対して思うところがある訳ではない。
単純に、苺の近くで戦闘になれば、苺に何らかの被害が出るのではないかと、そのような心配からのものだろう。
「敵はそれなりに数が多い。そうなると、戦っている最中に苺に突っ込んで行くといったことも……いや、これもあったな」
セトとの会話の途中でレイがミスティリングから取り出したのは、ボウリングの球に見えるような何か。
レイの所有する、防御用のゴーレムだ。
「そこにある果実を守ってくれ」
レイがそう指示をすると、ゴーレムは空中を移動しながら苺の前に移動し、障壁を展開する。
「よし、これで問題はないな」
ゴーレムの張った障壁は無敵の障壁といったような圧倒的な防御力を持っている訳ではないが、それでもかなり強固な障壁なのは間違いない。
レイの経験からすると、この十三階のモンスターの攻撃程度ではどうにもならないだけの強固さを持つ。
「グルゥ」
それを知っているセトも、ゴーレムの障壁を見て安堵したように喉を鳴らし……視線を敵の来る方に向ける。
(俺達がこの苺のある場所にいる時に襲撃か。……もしかしたら、この苺は獲物を引き寄せる為の罠なのかもしれないな。もしくは、このモンスターも苺を好むから、それを食べた俺達が許せなかったという可能性もある)
そんな風に思っていると、黒連を使った場所の草……レイの背丈よりも高い草を突き破るように、何かが突進してくる。
「グギャウ!」
草を突き破って姿を現したその何かは、次の瞬間空中に設置された黒連に触れると、身体が真っ二つになる。
「草の四足獣か!」
真っ二つになったモンスターを見たレイが、思わず叫ぶ。
その間にも次々と草を突き破るようにして何匹もの草の四足獣が姿を現し、黒連によって生み出された空中の斬り傷に触れて死んでいく。
だが、黒連によって生み出された斬り傷は、一度その効果を発揮すると消滅する。
つまり、同じ場所から飛び出してくる草の四足獣にとっては、自分の前にいる個体が死んだ場所は安全地帯ということを意味していた。
……もっとも、それはあくまでも黒連に対してだけの安全地帯でしかない。
レイやセトがいるのを思えば、そのよう場所が安全地帯である筈もない。
「グルルルルゥ!」
セトが鳴き声を上げると同時に、周囲に氷の矢が百四十本生み出され……やがて発射される。
百四十本もの氷の矢が一斉に放たれたその光景は、まさに氷の矢の雨とでも表現すべき光景だった。
草を突き破り、次々に放たれる氷の矢。
百四十本の氷の矢が全て放たれた時……そこに残っているのは、草の四足獣の残骸と千切れた草原だけだった。




