3876話
結局レイはその日、草の四足獣を見つけることは出来なかった。
レイの予想では恐らくかなりの数がいるだろうと思っていたのだが……その予想が外れてしまった形だ。
もっとも、草の四足獣はその名の通り草で身体を構成されている犬型のモンスターだ。
そうである以上、十三階にどこまでも生えている草原の中に紛れていれば見つけるのは難しく、結果として見つけることが出来なかった……ということになってもおかしくはない。
十三階を探索する一日目は空から探索をするということにしていたので、二日目の地上から探索する時に見つかるだろう。
そう思いつつ、レイはその日はギルドで素材を売って家に帰り、そして翌日。
今日がギルムに行く前にダンジョンに潜る最後の日である以上、可能な限りモンスターや宝箱を見つけたいと思っていたのだが……
「レイさん、少しよろしいでしょうか?」
転移水晶に向かっていたレイを、そう呼び止める声がある。
声のした方に視線を向けると、そこには受付嬢のアニタの姿があった。
いつもはギルドのカウンターにいるのに、わざわざこうしてレイを呼びに来たということは、余程の何かがあったらしい。
現在の時間は、午前八時少し前。
早朝のギルドの忙しさのピークはすぎたものの、それでもまだそれなりに忙しい時間帯だ。
そんな中で、受付嬢のアニタがわざわざカウンターから離れてこうしてレイを呼びに来たのだから、何かあったのは間違いない。
(スタンピード……はないな)
アニタから視線を逸らし、ダンジョンに視線を向けるレイだったが、そこにあるダンジョンは普通に使われており、とてもではないがスタンピードが起きているようには思えない。
もしダンジョンのモンスターがスタンピードをおこしていたら、日常の風景はなくなっているだろう。
「分かった。……じゃあ、セト。俺はちょっとアニタと話してくるから、いつものようにギルドの前で待っていてくれ」
「グルゥ!」
レイの言葉に、セトは分かったと喉を鳴らす。
そんなセトを一撫でし、レイはアニタと共にギルドの中に入る。
……一連のやり取りを見ていた者の中で、セト好きの者達は何かに耐えるようにしてダンジョンに向かう。
これが午後であれば、今日のダンジョンの探索を終えた冒険者達はギルドの前で待っているセトを愛でるだろう。
だが、今は朝だ。
これからダンジョンに向かおうという時間である以上、ここでそのようなことは出来ない。
いや、出来ない訳ではないのだが、もしそのようなことをすれば、稼ぎが悪くなってしまう。
そうなれば、セトを愛でる時に持っていく食べ物のランクも下げる必要があった。
そうならないようにする為には、やはり今はきちんと探索をして金を稼ぐ必要があるのは間違いなかった。
結果として、後ろ髪を引かれる思いでダンジョンに向かう。
セトはそんな相手を見送ると、ギルドの前で寝転がるのだった。
「すいません、レイさん。ダンジョンに行く前に来て貰って」
そうアニタが言ったのは、ギルドの二階にある部屋の一つだ。
そこまで広くない部屋は、こうして少人数が話をするのに使われることが多いのだろう。
「いや、別にそこまで気にしなくてもいいけどな。それで、何があった? またリッチのようなモンスターがダンジョンに現れたとか、そういう理由か?」
恐らく違うだろうとは思いつつも、一応尋ねるレイ。
しかし、アニタはそんなレイの言葉に首を横に振る。
「いえ、実は昨日とある冒険者からギルドに訴えがありまして」
その言葉に、微妙に嫌な予感を覚えるレイ。
昨日、そしてギルドに訴えた冒険者。
アニタの言葉から思い浮かぶのは、十三階で遭遇した冒険者だった。
「何となく予想は出来るが……まず、話を聞こうか」
「はい。その冒険者は昨日十三階においてモンスターと戦っているところをレイさんに妨害されたと訴えています。自分が左手を失ったのはそのせいだと」
「ちょっと待った。左手を失った? 俺が昨日見た時は普通にまだ両手があったが……いやまぁ、俺の助力を断った後の戦闘でそういう目に遭ったのかもしれないが」
「助力、ですか? 詳しい話を聞かせて下さい」
そうアニタに言われると、特に隠すこともないので昨日の一件を話す。
十三階の探索をしていたところ、冒険者が草の四足獣の群れと戦っている場所に遭遇したこと。
戦闘は互角だったが、念の為に援軍はいるかと聞いたら、協力しろと命令されたこと。
取りあえずその不満は我慢し、援軍の報酬は戦っているモンスターの死体を半分を言ったら、一匹で十分だと言われたこと。
最初の命令形もそうだったが、報酬が死体一匹分という向こうの提案が納得出来なかったので、援軍として助けるのは止めて、その場から離脱したこと。
後は、レイにしてみればその場からいなくなったのだから、戦いそのものはどうなったのか分からない。
そのように事情を説明すると、アニタは大きく息を吐く。
「やはり……ですか」
「やはり? そういう風に言うってことは、あいつには何かあったのか?」
レイの言葉を完全に信じた様子のアニタに、レイはそう尋ねる。
アニタはレイの言葉に少し困った様子を見せ……だが、やがて頷く。
「はい。実はライグールさんのパーティは春の終わりくらいにガンダルシアにやって来たんです。以前は他の場所で活動していたということで、実際に腕は悪くありません」
「……だろうな」
アニタの説明を聞き、レイは納得する。
それはつまり、昨日の男……ライグールという名前らしいが、あの男がガンダルシアにやって来てから、まだそんなに時間が経っていないことを意味している。
だというのに、もう十三階まで到達しているのだ。
……純粋にガンダルシアに来てからの時間で考えると、冒険者育成校の教官をやっていたので暫くダンジョンに潜れない時間があったレイよりも早く十三階に到達しているということになる。
(とはいえ……昨日の戦闘を少し見た限りだと、そんなに強いようには見えなかったけどな)
勿論、十三階でも普通に戦えていた。……そう、あくまでも普通にだ。
とてもではないが、短期間で十三階に到達したような腕利きのようにはレイには思えなかった。
戦闘そのものは少し見ただけなので、何か奥の手があり、レイがそれを知らないだけかもしれないが。
「それで、向こうは手を喰い千切られるか何かの怪我をした訳だ。それが俺のせいだと?」
「……はい。ライグールさんはそう主張しています」
「自分で助けを断っておいて、それで負った怪我を俺のせいにされてもな。それなら最初から俺の助けを受け入れていればよかったのにな。……そもそも、冒険者は自己責任だろう? 俺からの援軍を断った……いや、正確には断った訳じゃないが、助ける為の報酬がモンスターの死体一匹分だけというのは、明らかにこっちに断らせる為のものだよな?」
「その……ライグールさんは死体を五匹渡すと言ったところで断られたと」
「それはまた。……まぁ、俺の言葉にも、向こうの言葉にも証拠はないけどな。言った言わないという話になれば、特に。それとも向こうのパーティの証言は信用出来るとか、そういう感じか?」
「いえ、この場合はパーティですし、その……ライグールさんのパーティは彼の権力が大きすぎるので、それを加味して考えると……レイさんの証言の方が信用出来るかと」
「そうなのか?」
アニタの言葉はレイにとっても意外だったのか、少し驚く。
「はい。レイさんは以前にも同じように何度か他のパーティを助けてますし、何よりランクA冒険者ですから」
ランクA冒険者の信頼性というのは非常に高い。
とはいえ、ランクA冒険者の中にも性格的に問題のある者はどうしてもいるのだが。
ただ、それでも今回の場合はアニタが言うように、今までレイは何度かレイが他のパーティを助けているという実績が大きかった。
だからこそ、今回のレイの説明にも強い説得力があるとギルド側で判断したのだろう。
「そうだな。実際、今回と同じような条件で他のパーティを助けたことは何度もある。けど、今回の……ライグールだったか? その男はその条件で断ってきたのだから、俺は助けなかった。それだけだ」
「分かりました。では、お話はこれで終わりです」
「……え? いいのか?」
レイとしては、もっと詳細に色々と聞かれたり、もしくは最悪の場合は何らかのペナルティを受けるかもしれないとまで思っていたのだ。
だが、そのようなものはなく、もういいと言われたのだ。
それに驚くなという方が無理だろう。
もっとも、レイは知らなかったことだが、アニタ……いや、ギルドには最初からレイに何らかのペナルティを負わせようというつもりはない。
冒険者というのは、あくまでも自己責任なのだから。
ライグールが片手を失ったのも、自らの強欲によってレイからの助力を断ったのが原因である以上、それはそれで仕方がない。
それでもこうして一応でもレイから話を聞いたのは、ライグールが強硬にそうしろと、自分の怪我はレイのせいだと、場合によっては冒険者狩りにあったと声高に主張したからだ。
しかし、アニタが口にしたようにギルドもレイのこれまでの行動……何人もの冒険者を助けたというのを知っている。
また、それ以外にもアニタと話すことによって、レイがどのような性格をしているのか、ギルド側で把握しているというのも大きい。
……ギルド側がそのように判断した理由の一つは、レイがこのガンダルシアでは冒険者同士の大きな騒動をあまり起こしていないからというのも大きいのだが。
これはレイが……深紅の異名を持つレイがギルムからやって来るというのを前もって知らされていた為、レイの外見から侮って絡む冒険者が殆どいないからというのが大きい。
それでもレイが絡まれたのが皆無ではないのだが。
その辺り、情報収集能力の低い……いや、気にしていない冒険者がそれなりにいるということを意味している。
これで少しでも情報収集をしていれば……いや、あるいは意図的に情報収集しなくても、レイの存在については容易に知ることが出来るのだから。
それすら知らなかったのなら、それは冒険者として致命的なのは間違いない。
もっとも、その致命的さをどうにかする、何らかの特化した技能でもあれば話は別なのだろうが……残念ながら、そのような物を持つ者がそう多い筈もない。
「はい、レイさんに問題はないと判断しましたから。ライグールさんには、自分に都合のいいこと……いえ、これはもう嘘ですね。その嘘を説明した件でギルドから話をしておきます。それで大人しくなるのなら構いませんが、そうでない場合……」
そこまで口にしてから、黙り込むアニタ。
そんなアニタの様子から、もしライグールが大人しく退かない場合、何かをするのだろうというのはレイにも容易に予想出来た。
具体的に何をするのかまでは、レイにも分からなかったが。
ただ、それでもギルド側にも何らかの手札はあるのだろうと。
もしこれが、田舎にあるような小さなギルドであれば、ライグールの要望に泣き寝入りをするしかなかったのかもしれない。
だが、ここはギルム程ではないにしろ、グワッシュ国に……いや、周辺諸国を合わせても、ミレアーナ王国以外では唯一存在する迷宮都市だ。
そのような場所だけに、当然ながらギルドも大きく、相応の権限を持つ。
ギルムに連絡をし、レイを臨時とはいえ教官として派遣するように出来たのは、そのギルドの力があってこそなのだから。
……もっとも、それはレイがクリスタルドラゴンの素材や情報について多くの者達に接触されるのを嫌がったからというのもあるのだが。
ただ、それでもレイを呼ぶことが出来たのは、冒険者育成校の学園長をしているフランシスと、ガンダルシアのギルドの力があってこそなのは事実。
そういう意味で、ライグールがレイを恨み、嘘を口にしてまでギルドに処分させようと考えたのは間違いなく失敗だった。
アニタの様子から、ライグールがこの先一体どうなるのかを想像し……レイはご愁傷様と思う。
自分を恨んで今回のような騒動を起こしたのは気に食わないが、それで自分が怒るよりも危険な相手を怒らせてしまったのだ。
それはライグールにとって致命傷なのは間違いない。
……もっとも、もし本気でレイと敵対した場合、それこそ腕の一本や二本ですまなかった可能性があるのを考えると、そういう意味ではまだ幸福……不幸中の幸いだったのかもしれないが。




