3868話
「え? 宝箱……ないんですか?」
アニタの残念そうな声が周囲に響き、それが聞こえた何人かも残念そうな表情を浮かべる。
時間的には、もうそろそろ夕方になろうかという時間。
レイはジャーミ達と別れた後、セトと共に十四階を探索したのだが、結局未知のモンスターや宝箱を見つけることは出来なかった。
ゴブリンだけは何度か遭遇したのだが、その中にゴブリンメイジといった上位種や希少種の姿はなく、レイやセトにとっては半ば作業のようなものとなる。
それで結局ジャーミ達と別れて以降は特に何があった訳でもなく、こうして地上に戻り、素材や大量に入手したゴブリンの魔石を売って清算が終わったところ、アニタから宝箱の件を聞かれ、それに答えた結果が今のアニタの反応だった。
アニタにしてみれば、ミスティリングを持っているレイだからこそダンジョンから宝箱ごと持ち出すということが出来て、それがギルドにとっても恒例行事――というには少し大袈裟かもしれないが――となっていただけに、今日もまたレイが宝箱を持ってきたのだと、そう思ったのだろう。
そしてアニタの言葉を聞いて残念そうにしていた者達は、宝箱を開ける依頼に応募しようと思っていた者達だ。
何しろ、宝箱を開けるだけで金貨二枚……もしくは、中に入っている物によって報酬が変わるのだ。
つまり欲張らなければ、金貨二枚という相応の金額を手に入れられるので、それを狙う者が多いのは当然だった。
何しろ、臨時収入として金貨二枚というのは非常に魅力的だ。
勿論、それだけの金額を稼げる依頼というのはそれなりにある。
だが当然ながら、報酬が高いというのは相応のリスクがあるからだ。
一般的な感覚で金貨二枚の価値を考えれば、自分でどうにか出来るのなら、金貨二枚の報酬を支払わずに自分でやるだろう。
それが出来ないからこそ、金貨二枚の報酬を支払ってまでギルドに依頼を出すのだ。
その辺りの事情を考えれば、宝箱を開けるだけで金貨二枚というのは、それだけで破格な報酬なのは間違いない。
皆のいる前で宝箱を開ける……つまり、自分独自の技術や知識を他人に見せることになるのは難点だったし、レイが持ってくるのは深い階層で入手した宝箱である以上、危険な罠が仕掛けられている可能性も高く、開けるのに失敗すれば最悪命を奪われるといったことにもなりかねない。
しかし……そんな諸々を考えた上でも、美味しい依頼だったのは間違いない。
その依頼の為にずっとギルドで待機しているというのは考えられない出来事だったが、もし自分がギルドにいる時にその依頼があれば絶対に受けるべきだ。
多くの者がそのように思っていたところ、レイがギルドにやって来た。
これなら、もしかして。
そう思っていたところでアニタの声が響いたのだ。
それを聞いた者達ががっかりしてもおかしくはないだろう。
「えっと、その……」
アニタもギルドにいる冒険者達ががっかりしているのを見て、少し困った様子でレイに尋ねる。
「今日は宝箱が見つからなかったですか?」
「いや、見つけた。ただ、ダンジョンの中でちょっと助けた冒険者がいてな。そいつが宝箱を開ける技術を持っていたから、助けてくれた礼にと言って開けてくれた」
大雑把には間違っていないが、完全に正解している訳でもない。
そんな説明をするレイ。
レイも宝箱を開ける依頼について多くの者が期待していたのは知っている。
知っているが、だからこそここでジャーミの名前を出すようなことをすれば、ジャーミが恨まれるようなことにもなりかねないと、そう思ったのだ。
「あー……そうですか。残念ですが、それだと仕方がありませんね」
アニタとしても、こう言うしかない。
宝箱を開ける依頼は、あくまでもレイが依頼をするので、ギルドでもそれを受け入れ、冒険者達に対する依頼として成立していたのだ。
レイが宝箱を見つけても、それを誰か別の相手に開けて貰ったからといって、それを止めてくれ、ギルドに依頼をしてくれといったことは言える筈もない。
……あるいは、本当にあるいはの話だが、その依頼料をギルドが出すというのであれば、レイも次からは宝箱を見つけてもジャーミに頼んだり、あるいは自分で開けたりといったことはせず、ギルドに依頼をするだろう。
だが、ギルドにとっても金貨二枚の報酬、もしくは宝箱の中身によって報酬を変えるというのは、とてもではないが出来ない。
いや、勿論やろうと思えば出来るだろうが、もしレイだけにそのようなことをすれば、それを不満に思う者も出てくるだろう。
レイは現在このガンダルシアにおいて、唯一のランクA冒険者だ。
そういう意味では、そのくらいはしてもいいのかもしれないが……それでも不公平に思う者はいるだろう。
それを不公平に思うのなら、自分のランクを上げればいいのではないか。
ギルドとしてはそう言うだろうが、ランクというのはそう簡単に上げられるものではない。
いや、低ランクの時……具体的には冒険者になったばかりの時であれば、それなりにランクも素早く上げられるだろう。
だが、ある程度ランクが上がってしまえば、そこからランクを上げるのは間違いなく難しくなるのだ。
そういう意味でも、冒険者の実質的な最高ランクであるランクA冒険者というのは貴重な存在だった。
……実際にはランクAの上にはランクS冒険者も存在しているのだが。
「悪いな。とはいえ、明日と明後日もダンジョンに潜る予定だし、その時に宝箱を見つけたらギルドに依頼をすることになると思うから」
「……分かりました。この依頼はレイさんからの依頼ですし、レイさんがそう判断されたのなら、仕方がありません」
残念そうにしながらもそう告げるアニタ。
アニタがそう断言すると、話を聞いていた冒険者達もそれ以上は何も言わない。
これはアニタが……より正確にはギルドが認めたからこそ、不満があっても何も言えないのだ。
あるいはこれでレイがもっと弱い低ランク冒険者であれば、冒険者の中には妙な企みを抱く者がいてもおかしくはない。
だが、レイはこのガンダルシアにおいて、間違いなく最強の冒険者だ。
そのような相手に何か妙なちょっかいを出すといったようなことをした場合、一体どうなるのかは考えるまでもないだろう。
その為、不満を抱いてはいるものの、その不満を実際に口にする者はいない。
「じゃあ、俺はそろそろ行くよ。また明日も来る。もっとも、明日と明後日は十三階の探索だから、今日よりも素材の質は下がるかもしれないけど」
「いえ、階層が変われば、素材を比べるのがそもそも間違いですから」
「まぁ……だろうな」
アニタの言葉は、レイにも納得出来るものがある。
これが一階と二階のように同じ草原……それも上層階であれば、素材の質の差というものは基本的に考えなくてもいい。
勿論、二階にあって一階にない素材であったり、モンスターの種類といったところで違ったりということはあるのだが。
しかし、草原の階層である十三階と崖の階層である十四階。
こうなると、採取出来る素材や出現するモンスターも違ってくるので、一概に十四階の素材の方が良質とは言えなくなってしまう。
十四階で採れないが、十三階で採れる素材。
十四階で出て来ないが、十三階では出てくるモンスター。
そのようなこともあるのだから。
「ともあれ、もう知ってるとは思うけど明日と明後日ダンジョンに潜ったら、次にダンジョンに潜るのはギルムから戻ってきてからになる」
「……それ、どのくらいなんでしょう?」
「さぁ? 正確には決まってないし、色々と問題が起きたりすれば、それだけ戻ってくるのは遅くなるしな」
普通に……つまりセトに乗ってではなく、歩きや馬車でガンダルシアからギルムまで移動すると、場合によっては年単位の時間が必要となる。
そんな中で、レイの場合はセトがいて、セト籠を使って運ぶことで移動するのだが……そのような移動方法であっても、この世界はファンタジー世界故に、何が起きるか分からない。
それこそレイには想像もつかないような何かが起きるといった可能性も十分にあるのだ。
それだけに、正確にいつ帰って来るといったようなことは説明出来ない。
(そもそも、自分で言うのも何だけど、トラブル誘引体質の俺がいるんだ。その上で冒険者の本場にして、現在増築工事中のギルムに行くんだ。そうなると、間違いなくトラブルの一つや二つ……どころか、十や二十は起きてもおかしくはないよな)
そう思うレイだったが、ギルムに行くアーヴァイン達にしてみれば、これから冒険者として活動していく上で、ギルムにおけるトラブルというのは経験しておいた方がいいだろうと思える。
そのトラブルが、アーヴァイン達の成長に役立つだろうと。
(もっとも、何かトラブルがあっても最後の最後まで俺が手を貸すようなことはないだろうけど。本当にどうしようもなくなったら、その時は話が別とはいえ……教官も一緒に行くんだし、俺の出番はない……といいなぁ)
レイも自分がトラブル誘引体質であるのは既に諦めているが、だからといって好んでトラブルに巻き込まれたい訳ではないのだから。
生徒達だけでその問題を解決出来るのなら、それが最善。
次点で教官が手を貸してトラブルを解決。
その次が、レイが手を貸してトラブルを解決することだった。
……なお、最悪なのはレイや教官が手を貸すよりも前に生徒達が死ぬことだろう。
そうならないようにしようとは、レイも思う。
だからといって、具体的に何をしたいのかと言われると、少し難しいのだが。
「じゃあ、俺はそろそろ行くから」
「あ、はい。では、また明日お待ちしてますね」
そうして言葉を交わすと、レイはギルドから出る。
途中、何人かから不満そうな視線を向けられたものの、実際にその不満を口にする者はいなかった。
当然だろう。
宝箱を開ける依頼がなかったからといって、それを不満に思い、レイに向かって何か文句をいうというのは……ある意味、レイに喧嘩を売るようなものだ。
レイのように明らかな強者を相手に、そのようなことをする者はいない。
あるいはレイのことを知らない者であれば、もしかしたら絡むといったようなこともあるかもしれないが。
ただ、そもそも宝箱の件を依頼しているのがレイだと……深紅のレイだというのは、当然のように知られている。
そうである以上、馬鹿なことをするような者はいなかった。
不満であったり恨めしそうな視線を向けられつつギルドから出たレイは、いつものようにセト好きが集まっている場所に向かって声を掛ける。
「セト、帰るぞ」
そうレイが声を掛けると、セトは即座に反応する。
「グルゥ!」
するとセトを中心に集まっていた人混みが割れ、そこからセトが姿を現す。
レイはそんなセトと共に帰ろうかと思ったのだが……そう言えば、と足を止める。
自分とセトが三日後にはギルムの行くというのを、一体どれだけの者達が知っているのかと。
ざっと見たところ、冒険者育成校の生徒もそれなりにいるので、その者達は知っているだろう。
だが、それ以外の……冒険者育成校には通っていない者達は、レイとセトがギルムに帰るというのは知らなくてもおかしくはない。
勿論、セトのことだけにそれを知っている冒険者育成校の生徒達から話を聞いているという可能性は十分にあるものの、それでも一応言っておいた方がいだろうとレイは考える。
もし何も知らない状況で、いきなりセトが来なくなった……そんなことになったら、セト好きの面々にとっては強い衝撃を受けるのだろうから。
だからこそ、今ここでしっかりと話をしておく必要があるのは間違いなかった。
「あー……いつもセトを可愛がってくれてありがとうな」
突然のレイの言葉に、セトを可愛がっていた者達は意表を突かれたような表情を浮かべる。
いきなり何を言い出すのかと、そう思ったのだろう。
そんな者達の視線が集まる中、レイは言葉を続ける。
「それでだが、これは一応言っておく必要があると思ってな。俺達……正確には俺とセトだが、三日後には一度ギルムに帰ることになっている」
ざわり、と。
レイの言葉を聞いた中でも、恐らく初めて聞いたのだろう者達がざわめく。
セトがいなくなるということを知らなかった者達にしてみれば、とてもではないが信じられないことだったのだろう。
そんな者達の口からは不満の声が上がりそうになるが、セトが喉を鳴らして自分達の方を見ているのを確認すると、それ以上は何も言えなくなるのだった。




