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八 血の作法

「――イルゴールで、大規模な蜂起が起きた」

 騎士団・副団長バレンツの声には、いつになく緊張感があった。ラフィスは将軍就任の報告もそこそこに、応接室でバレンツに地図を広げられていた。

「イルゴール、といいますと」

「リーヴィンから南西に二十リーグほど。あの地域は昔から赤幟党という宗教団体の影響が強くてな」バレンツは地図の一点を指で叩いた。「小競り合い程度の反乱なら、これまでも何度かあった。だが今回は、規模が違う」

「規模は」

「およそ千。町を丸ごと占拠して、周辺の徴税官や役人を締め出している」

 ラフィスは息を呑んだ。

「――こちらの兵力は」

「三百だ」

「三百、ですか」

「本来なら、将軍職に就いたばかりのお前が、自分の目で軍の姿を把握し、時間をかけて編成すべきところだ」バレンツは苦い顔をした。「だが、今回はその猶予がない。編成は、私の方で代行させてもらった」


 ラフィスは黙って頷いた。組織としての手順を無視されたことに、不満はなかった。むしろ、今の自分にその手順を踏む時間がないことは、誰よりも自分がよくわかっていた。

「三百を連れて、丸一日はかかる距離だ」バレンツは地図を指で叩いた。「悠長にしている暇はない。今日中に出立させる」

「魔法師団にも、応援を要請してある」バレンツは続けた。「上級試験の受験者から一人、腕の立つ者を借りることになった」

「――助かります」

「言っておくが」バレンツはラフィスを正面から見据えた。「三百対千という数字だけを見れば、分の悪い戦だ。だがお前は今、我が軍の中で熱い存在だ。戦場に立つということ自体が、他の兵の士気を大きく左右する。数字だけでは測れない価値が、そこにはある」

 その言葉に、ラフィスは背筋を伸ばした。

「――誇りを持って、行ってきてくれ」

 そこで、バレンツは一度言葉を切り、それまでよりも硬い声で付け加えた。

「一つ、言っておく。向こうは烏合の衆とはいえ、明確にこちらへ仇なす者たちだ。手加減や容赦は不要だ。明確に敵と判断した相手は、斬り捨てて構わない」

 その言葉に、ラフィスはわずかに目を細めた。だが、迷いはなかった。

「――承知しました」



 イルゴールへ向かう街道の途中、集結地点で、ラフィスは一人の男と落ち合った。

「あなたが、今度の将軍殿ですか」

 快活な声だった。燃えるような赤髪の青年が、人懐こい笑みを浮かべてこちらに歩いてくる。全身から漲る活力が、遠目にもわかるほどだった。

「カイル・ウェールンです。魔法師団から応援に来ました」

「――ラフィス・ミラセシル、新人だ。よろしく頼む」

「新人で将軍とは」カイルは目を丸くしてから、すぐに愉快そうに笑った。「お強いことで」

 嫌味のない笑い方だった。物怖じもせず、かといって無遠慮でもない。将軍という肩書きに気圧される様子もなく、まっすぐこちらの目を見て話す青年に、ラフィスはわずかに好感を抱いた。

「炎と雷、どちらも使えると聞いている」

「はい、両方ともそれなりに」カイルは肩をすくめた。「上級試験の前哨戦とでも思って、気合入れてきましたよ」

「頼りにしている」

「任せてください」

 二人はそれ以上多くを語らず、それぞれの部隊の様子を見て回った。三百の兵は緊張の面持ちだったが、ラフィスが腰にノクティセカを佩いて先頭に立つ姿を見ると、その空気がわずかに変わるのがわかった。


 イルゴールの町の外れ、赤い幟が無数に翻る光景が見えた瞬間、鬨の声が上がった。

 千の軍勢が、雄叫びと共に押し寄せてくる。武装は決して統一されていない。鍬や鎌を手にした者もいれば、粗末な槍を構えた者もいる。だが、その数の圧力だけで、並の指揮官なら怯むだろう規模だった。


「――怯むな! 数の多さに惑わされるな!」

 ラフィスの声が、戦場に響いた。腰のノクティセカを抜き放つ。月光の下で見た時と変わらぬ、静かな輝きが刃に宿っていた。

 最初の一団が槍を構えて突っ込んできた。ラフィスは前へ出た。

 鍬や鎌、粗末な槍。得物の握り方一つ見ても、これが戦の訓練を受けた者たちでないことは明らかだった。

 叩き斬る、という動作ではなかった。身体の流れそのままに、刃が滑るように動く。峰を返し、槍の柄をいとも容易く両断する。二の太刀で、三人目の得物を弾き飛ばした。踏み込みから斬撃までが一つの流れとして繋がり、無駄な力みが一切なかった。

 得物を失った男たちは、その場に尻餅をついたまま動かなくなった。斬る必要のない相手だった。


 その姿を見て、後方に控えていた兵たちから、地鳴りのような歓声が上がった。

「将軍に続くぞ!」

 兵たちの士気が、目に見えて上がっていくのがわかった。


 だが、反乱軍の側にも、その変化に気づく者たちがいた。

「――おい、あそこだ! 女だ!」

 誰かが叫んだ。粗末な武装の男たちが、一斉にラフィスの方へ視線を向ける。

「女が指揮官だと!? 討ち取れば士気が崩れるぞ!」

「囲め! あの女一人に集中しろ!」


 烏合の衆とはいえ、数だけは圧倒的だった。統制の取れない怒号が飛び交いながらも、十数人がラフィス目掛けて殺到する。だが、その中に一人、明らかに動きの違う男がいた。

 構えが違う。得物の振り方に、迷いも力みもない。周辺のリーダー、伍長格ほどか。

「――囲むだけじゃ足りねぇ。押し包んで、確実に仕留めろ!」

 その男の号令で、周囲の動きが変わった。烏合の衆の中に、一つだけ意志の通った部隊が生まれていた。


 ラフィスは、峰を返す手を止めた。

 これは、斬らねば止まらない相手だ。


 右から突き出された槍を、身体を僅かにひねって躱す。同時に踏み込んだ足が地を蹴り、ノクティセカが弧を描いた。刃が空を薙ぐと同時に、静かな唸り声のような音が鳴った。硬い金属音ではない。もっと澄んだ、まるで刃そのものが呼吸しているかのような音だった。

 伍長格の男の得物が、上段からの一撃を受け止めようとした瞬間、ラフィスの刃はその防御ごと通り抜けていた。

 抵抗は、ほとんどなかった。

 柳の枝を斬った時と、同じ感触だった。


 温かいものが、頬に散った。

 ラフィスは、それを拭わなかった。


 返す刀で、左から迫っていた別の男を斬り伏せる。今度は迷わなかった。殺意を持って向かってくる者と、恐怖だけで武器を握っている者との違いは、刃を交える前から、もう分かるようになっていた。

 濃紺の髪が舞い、返り血に濡れながら、ラフィスは向かってくる者を次々と斬り払っていく。命じられた通り殺意ある者は斬った。武器を落とし、後ずさる者には手を止めた。その線引きだけを、頭の片隅で保ち続けていた。


 不思議な感覚があった。

 刃を合わせた瞬間、相手の動きがひどくゆっくりと見える。恐怖のせいなのか、集中のせいなのか、自分でもわからない。

 ただ、目の前の一撃をどう捌けば良いかが、考えるより先に見えてしまう。

(――この感覚は、初めて刀を握ったあの夜にも、あった)

 わけがわからないまま身体が動く、あの不気味さと同じものだった。ただ今は、恐怖より先にそれを使う判断の方が勝っていた。


 囲んでいたはずの伍長格の部隊が、次第に崩れ始めた。数の利を頼りに飛び込んだはずが、気づけば半数が地に伏している。

「――化け物か、あれは」

 誰かが呆然と呟いた声が、戦場のざわめきの中に埋もれて消えた。


 その光景を、離れた位置で見ていたカイルが、思わず口笛を吹いた。

「――あの新人将軍、すげぇな。一人で何人相手しているんだ?」

 十数人に囲まれてなお、崩れない構え。しかも、ただ力任せに振るっているのではない。一挙一動に無駄がなく、それでいてどこか優雅ですらあった。血に濡れた戦場の只中にいながら、なぜかその一角だけ、絵画のような静けさを纏っている。

「――そちらは、任せた!」

 ラフィスの声が、その静けさを破るように響いた。

「雷光、疾走せよ!」

 カイルは我に返り、慌てて詠唱に戻った。紫電が走り、密集していた反乱軍の一角が、悲鳴と共に吹き飛んだ。続けて放たれた炎の渦が、地面を這うように広がり、敵の隊列を大きく崩す。カイルは笑いながら、次から次へと術式を繰り出していった。そこに光弾や貫通魔法、火球など、多彩な術が乱れ飛んだ。


「――派手だな!」

 離れた場所から、ラフィスの声が飛んできた。

「褒め言葉として受け取っておきます!」

 軽口を叩きながらも、カイルの視線は時折、ラフィスの方へ向いていた。囲まれてなお崩れないあの姿は、戦況が落ち着いた後も、しばらく脳裏に焼き付いて離れなかった。

(あぁ、シェリルと違って実に品の無い戦い方だ、実に良い)


 戦況は、徐々に王都軍側へ傾いていった。数の不利は依然としてあったが、統率の取れた三百と、烏合の衆に近い千では、時間が経つほどに差が開いていく。ラフィスが敵の中核を斬り崩し、カイルが側面から術式で切り崩す。二人の連携とも呼べない即興の協演が、驚くほど噛み合っていた。

 一刻半ほど戦い続けた頃、反乱軍の中核が崩れた。指導者格と思しき数名が捕らえられると、残された者たちは瞬く間に武器を捨て、投降し始めた。


「――終わりだな」

 ラフィスは刀を鞘に納めながら、静かに戦場を見渡した。頬に散った返り血が、乾いて突っ張るのを感じた。拭う気には、まだなれなかった。

 味方の死者は、十数名。三百のうちでは、決して軽い数字ではない。だが、千の敵を相手にした戦としては、奇跡的な数字だとも、頭のどこかでわかっていた。

「お見事です、将軍」

 カイルが息を切らしながら近づいてきた。だが、その顔にはまだ興奮が残っていた。

「お前も、大概な腕前だ」

「そりゃどうも」カイルは笑いながら、乱れた髪をかき上げた。「――しかし、噂には聞いていましたが、実物は聞いていた以上でしたね。将軍就任、初仕事にしちゃ、上出来なんじゃないですか」

「まだ、始まったばかりだ」

 ラフィスは短くそう答えた。手応えは、確かにあった。だが、頬に張り付いた血の感触が、その手応えに素直に喜ぶことを許さなかった。

 この地位を、この刀を、選んで良かったのか。それはまだ、わからない。ただ、選んでしまった以上、この重さごと引き受けるしかないのだと、そう思った。


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