七 将軍誕生
刀にノクティセカと名づけたその翌朝。ラフィスは騎士団の門をくぐった。
先日の、あの異国の武器を振るう所作の美しさは、既に団の男たちの間で密かな噂になっていた。だが当のラフィスは、そんな噂が広まっていることなど露ほども知らず、まっすぐディルゴのもとへ向かっていた。
「――失礼します」
執務室に足を踏み入れると、ディルゴはいつもと変わらぬ、飄々とした様子で顔を上げた。
「おや、また来たか」
「はい」ラフィスは真っ直ぐにディルゴを見据えた。「自分の相棒が、見つかりました」
言いながら、腰に佩いた刀に軽く手を添えた。
「迷いが、晴れました。……やはり、私は此処だと思いました」
ディルゴはしばらく無言のまま、ラフィスの腰にある異国の剣を見つめていた。
「――やはり、あなただったか」
その口ぶりには、驚きよりも得心の色があった。武器商人からの言葉で既にディルゴは確信を得ていた。
「バレンツから聞いているが」ディルゴは椅子に深く座り直した。「国境の反乱討伐。あれを、あなたは小隊長の権限でやってのけた」
ラフィスは、少し困ったように視線を落とした。
「――少しばかり派手に立ち回っただけです。褒められた戦い方ではありませんでした」
「謙遜はいい。派手に立ち回って、生きて帰って結果を出した。それが実力だ」
ディルゴは苦笑してから、表情を改めた。
「単刀直入に言う。小隊長から、中隊長を飛ばして――将軍だ」
ラフィスは、息を止めた。
予想していなかったわけではない。客員の身分に区切りをつけるという話は、バレンツからも出ていた。だが、それは中隊長あたりに落ち着くものだと、どこかで思っていた。
「……二階級、飛ぶことになります」
「そうだ」
「順を追って上がってきた者を、差し置くことになります」
自分でも、意外なほど固い声が出た。
「戦場で死んだわけでもないのに、二階級特進とはな」ディルゴは片眉を上げて、皮肉げに笑った。「まあ、戦って死ぬような真似は、あなたはしないだろうが。……死ぬなよ、これから先も」
軽口のようでいて、その目は笑っていなかった。
「順を追って上がってきた者たちは、順を追ってきた分だけ、順を守ることに慣れる」ディルゴは指を組んだ。「悪いことではない。だが、それでは動かせん場面が、この先ある。それに、実際問題として、あなたを中隊長に据えたところで誰も納得しない。訓練場での一件は、もう団中に広まっている」
それは、ラフィスの知らない話だった。
「……噂に、なっているのですか」
「なっているとも。あなたが知らないだけだ」
ディルゴは真顔に戻り、まっすぐにラフィスを見た。
「引き受けてくれるか」
部屋が、静かになった。
滅んだ国の王女という肩書きは、もう自分から降ろした。血筋でも称号でもなく、ただ一人の剣士として置いてもらう――そう決めて、この門をくぐったはずだった。
なのに差し出されたのは、また人の上に立てという話だった。
「――お受けいたします」
迷いは、あった。だが、それを理由に断ることの方が、よほど楽をしようとしている気がした。
「よし」ディルゴは満足そうに頷いた。「後は、そうだな。王都での住居はどうしている。まだ宿でも借りているのか」
「はい、今のところは」
「簡素なものしかないが、女子寮が一応ある」ディルゴは顎に手を当てて考え込んだ。「――そういえば、廃洋館の一件の時に、一日だけ貸した部屋があったな。あそこが使える。将軍待遇だったらもう少しいい部屋がよかったのだが、あいにく女子棟は手狭でな」
ラフィスは少し考えた。あの部屋なら、勝手も分かっている。悪くない話だった。
(――これで、シェリルとアノリスとは、少し離れることになるな)
ふと二人の顔が浮かんだ。共に過ごした時間の分だけ、離れることに小さな寂しさを覚えた。
だが、すぐに思い直す。
(――まあ、会えなくなるわけではない)
「その部屋で、構いません」
こうして、ラフィス・ミラセシルは、正式にリーヴィン王都騎士団の将軍として就任することとなった。
「就任式は来月、王宮で行う」ディルゴは事務的な口調に戻った。「いつもは、魔法師団の上級試験合格者の認定授与式があるのだが……今回は、将軍就任式も一緒に行うよう、こちらで申請しておこう」
「わかりました」
ディルゴはそこで、ふとラフィスの全身のシルエットを、値踏みするように眺めた。
ラフィスは一瞬、その視線に戸惑ったが、ディルゴが口を開いた。
「――ドレスを、用意しておけ」
唐突な一言に、ラフィスは軽く目を見開いた。
その日の昼、シェリルとラフィスは、それぞれ別の場所でそれぞれの話を受けていた。アノリスだけがその頃、月華亭で酒の仕入れの仕事をしていた。
そして夜、月華亭での勤めを終えて宿の部屋に戻ってきたアノリスを迎えたのは、どこか落ち着かない空気だった。
「ただいまー。……何、二人とも、なんか神妙な顔してるけど」
「ちょうどいいタイミングね」シェリルが口を開いた。「今日、色々あったの。まず、私から」
シェリルは手短に、ベルナルトからの師団入りのオファーについて話した。研究部屋としての執務室、そしてもう一つ――宿舎の話。
「――二人部屋しか空いていないそうなの。だから、もしあなたが良ければ、一緒に使わないかという話が出ているわ」
「私と?」アノリスは目を丸くした。「え、でもそれって、私も師団に入るってこと?」
「ええ。宿舎を使うには、そうなるでしょうね」
アノリスは腕を組んで、しばらく考え込んだ。
「うーん……」
「なんだ、迷っているのか」ラフィスが尋ねた。
「いや、だって」アノリスは唇を尖らせた。「そうすると、ラフィ姉が一人になっちゃうってことでしょ? それはそれでなんか……寂しいっていうか」
「ラフィスの事を気にしてるの?」シェリルが軽く片眉を上げる。
「それもあるんだけど! ……でも、上級に受かったら、そのまま師団に入ることになるんだよね。そしたら、月華亭は……」
上級に合格したからといって、師団に入らねばならない決まりはない。ただ、どこにも属さない上級術師というのは、それだけで妙な目で見られる。
そしてアノリスの声が、途端に不安げなものになった。
「セレナさんのところ、辞めなきゃいけないってこと? 私、まだそんなつもりで考えてなかったんだけど」
両立が利くのかどうか、これまで真剣に考えたことはなかった。試験に合格することばかりに気を取られていて、その先の生活のことまでは、頭が回っていなかったらしい。
「――決めるのは、今すぐでなくていいと思うわ」
シェリルが静かに言った。
「明日、私からベルナルトさんに、あなたのことを紹介してみる。師団に入った場合、月華亭の仕事とどう折り合いをつけられるか、そこで相談してみればいいわ」
「……いいの?」
「事実、確認しておいた方が、あなたも判断しやすいでしょう」
アノリスは少しほっとしたように息をついた。
「――ありがと、姉さん」
それから、アノリスはふとラフィスの方を見た。
「で、ラフィ姉の方の話は?」
ラフィスは静かに口を開いた。
「――私も、報告することがある」
二人の視線が集まる中、ラフィスは腰のノクティセカにそっと手を添えた。
「なんか見たことない剣なんだけど!カッコいい!」
アノリスは、この独特な反りの入った剣――カタナだが――を見て目を輝かせた。
そして、ラフィスは口を開く。
「今日、正式に、リーヴィン王都騎士団の将軍として就任することが決まった」
一瞬、部屋の空気が止まった。
「――将軍!?」アノリスが真っ先に声を上げた。「小隊長からいきなり!?」
「ああ」
「凄いじゃない、ラフィ姉!」
アノリスは寝台から飛び降りて、ラフィスに駆け寄った。素直な喜びが、その顔いっぱいに広がっていた。
「おめでとう」シェリルも静かに、だが確かな響きで告げた。「事実、あなたの実力を考えれば、遅すぎたくらいだわ」
「……ありがとう」
ラフィスは短く応じたが、その声には、これまでにない安堵の色が滲んでいた。迷いながら手にした刀が、迷いを断ち切る答えになった。その巡り合わせを、まだ自分でも上手く消化しきれていないようだった。
「それで、住むところはどうするの?」アノリスが尋ねた。
「騎士団の方で、部屋を用意してもらえることになった。……以前、廃洋館の一件の時に、一日だけ借りた部屋がある。そこに入ることになった」
廃洋館から戻ったあの晩、シャワー室へ行く途中、薄着のまま結局廊下で眠りに落ちてしまったことは、この二人にはまだ話していない。
三人の間に、しばらく穏やかな沈黙が流れた。それぞれが、それぞれの形で、これからの居場所を見つけようとしている。旅を終えて数日のうちに、こうも慌ただしく物事が動くとは、誰も予想していなかった。
「あぁ、やっぱり二人は凄いや……でも、ということは――私も魔法師団に入らないと、ここに一人ぼっち?」
アノリスがぽつりと呟いた。その声には、寂しさと同時に、二人に対してどこか誇らしさも滲んでいた。
「お前が師団に入ったとしても、私とは離れることになるな」
ラフィスの声は、少し寂しさを帯びていた。普段はそんな声を出さないのに。
「同じリーヴィンの中にいるのだから。会おうと思えば、いつでも会えるわ」
シェリルは淡々と言う。
「それに」ラフィスが静かに付け加えた。「私にとって、二人は旅の恩人だ。離れて暮らすようになったからといって、それが変わるわけではない」
その言葉に、アノリスは少し照れたように鼻の頭を掻いた。
「――なんか、ラフィ姉がそういうこと言うの、珍しいね」
「そうか?」
「うん。将軍になって、ちょっと丸くなったんじゃない?」
からかうような口調に、ラフィスはわずかに眉を上げたが、それ以上言い返しはしなかった。




