八 反逆の罪は
昼を挟んで、法廷は一段と混雑した。
午前の判決を見届けた者たちが席を立たず、そのまま午後の傍聴に居座ったからだ。加えて、午前には来ていなかった顔ぶれが押し寄せた。魔法師団の関係者、内務省の役人、そして街の人間。廷吏が何度も入場を制限したが、それでも廊下には人が溢れていた。
注目は、明らかにこちらだった。
汚職や密輸だけの話ではない。特級術師への殺人未遂である。師団の内部で、上級術師が特級術師の水に毒を入れた。それが公になったとき、この国の誰もが同じことを思った。
――そんなことが、起きるのか。
傍聴席では、開廷を待つ間、あちこちで囁きが交わされていた。
「殺人未遂だろう。重くても、島送りじゃないのか」
「いや、それはどうかな」
答えたのは、法服こそ着ていないが、書類の束を抱えた初老の男だった。役所の法務畑の人間らしい。
「未遂で済むかどうかは、罪をどう組むかによる」
「どういうことだ」
男はしばらく黙っていたが、やがて声を落とした。
「……反逆法、という手もある」
周囲の何人かが、顔を見合わせた。
「反逆? 毒を盛っただけで、か」
「あんな古い法、持ち出すものか。使われたなんて話、聞いたこともない」
「だから、分からんと言っている」
男はそれきり、口を閉じた。
その会話は、周囲へ、そのまた周囲へと伝わっていった。
開廷を告げる声がかかる頃には、法廷の空気は、午前とはまるで違うものになっていた。
エインが入廷してきた。
両脇を廷吏に挟まれ、緩慢な足取りで被告席へ向かう。この数週間で、頬はさらに削げ落ちていた。目だけが、落ち着きなく法廷内を彷徨っている。
傍聴席のどこかを探しているようだった。
シェリルは、傍聴席の中ほどにいた。エインの視線が、そこで止まる。
「――開廷する」
裁判長の声に、ざわめきが引いていく。
「被告エイン・ドルッセに対する判決を言い渡す。主文は後に回し、まず判決理由を述べる」
書面が開かれた。裁判長の声は低く、よく通った。
「被告は、リーヴィン魔法師団に所属する上級術師であり、師団において魔法金属の調達及び資材管理を担い、その職務を通じて国庫の資金を預かる立場にあった。本法廷は、書証、複数の証言、並びに被告自身の供述に基づき、以下の事実を認定する。被告は、ソルペンシアのストヤーマ組代表者及びその配偶者と通じ、軍馬育成施設の入札に関わる内部情報を漏らし、その対価として、自らの年俸を遥かに上回る金銭を、幾度にもわたって受け取った。さらに、取引を通すため、ダルガン連合内務局の職員グルッグ・モーガに金品を贈り、その便宜を買った」
傍聴席が、わずかにざわめいた。裁判長は構わず、書面を繰った。
「そして被告は、この取引の妨げとなる者として、ヴォルテナ帝国と私的な書簡を交わしていた特級術師シェリル・アリアシストに目を付け、まずは根拠なき噂をもって師団から追い落とそうとし、それが叶わぬと見るや、その命そのものを断つことを企てた」
法廷が、静まり返る。
「八月三日夜、被告はソルペンシアより帰還するにあたり、ストヤーマ組が建設現場用の殺虫剤として密輸した薬剤を携えていた。当該薬剤が、常温においては魔力による探知に一切反応しないことを、被告は承知していた。承知した上で、翌八月四日未明、師団の給水室に忍び入り、識別のための紫の紐を目印に、特級術師が日々用いる水受けポットへ、これを投じた」
エインの肩が、わずかに動いた。
「同日朝、被害者は当該ポットの水を口に含み、痺れ、視野の狭窄、意識の低下に至る急性の中毒症状を呈した。飲み下す前に異変を察知したがゆえに、致死量の摂取を免れたに過ぎない。――過ぎないのである」
裁判長の声に、わずかな熱がこもった。それに気づいたのか、裁判長は一度口を閉ざし、ゆっくりと息を吐いてから続けた。
「加えて被告は、前回公判において、証言台に立つ被害者の姿を目にした際、『確かに、あの水に』と口走っている。投毒を為した者でなければ、出てくるはずのない言葉である」
エインは、俯いたまま動かなかった。
「次に、法の適用について述べる」
裁判長は書面を置き、両手を机の上で組んだ。
「収賄、贈賄、職務上知り得た情報の漏洩、並びに公金の取扱いにおける背任。いずれも、師団の資材と国庫の金を預かる者として、その職責を根底から裏切るものであり、それだけで十分に重い罪である。しかしながら――本件において、これらは主たる罪ではない」
法廷が、しんとした。傍聴席のあちこちで、人が身を乗り出す気配があった。汚職が、主たる罪ではない。ならば何が主たる罪なのか。答えは誰の頭にも浮かんでいて、それでも誰も口にはしなかった。
「弁護人は、本件投毒を殺人未遂と主張した。被害者は生存しており、後遺も残っていない以上、未遂罪の域を出ないと。本法廷は、この主張を採らない」
弁護人席の男が、わずかに姿勢を正した。裁判長は、そちらを一瞥もしなかった。
「第一に、被害者の地位である。特級の位階を有する者は、官吏令の定めるところにより、上級官吏に準ずる。これは名誉の飾りではない。有事には王国の防衛を担い、平時には国家の術式体系を預かるという、実務上の職責に基づくものである。その特級術師を、被告は消そうとしたのである」
傍聴席のどこかで、息を呑む音がした。
「第二に、動機である。被告は私怨によって被害者を狙ったのではない。被告自身の供述によれば、当初は師団における失脚を図ったに過ぎず、それが殺害の意図へと転じたのは、ダルガン連合との取引の額を知った後である。すなわち被告は、外国との商取引から得る私利のために、王国の特級術師の命を天秤にかけ、そして私利の側を選んだ。これを、一個人が一個人を憎んで為した犯行と呼ぶことは、本法廷にはできない」
エインが、初めて顔を上げた。裁判長の目が、正面からそれを捉えた。
「第三に、手段である。被告は、探知を担うべき師団の内部にあって、探知されぬ毒を、探知されぬと知った上で用いた。王国の防衛機構が備える目を、その目を預かる者自らが、内側から塞いだのである。――これを裏切りと呼ばずして、何と呼ぶのか」
書面を持つ手に、力がこもった。紙の端が、かすかに鳴る。ざわめきが起きかけ、すぐに消えた。
裁判長は、自らを抑えるように一度目を閉じ、それから静かに告げた。
「以上を総合するに、本件は国家反逆に該当する」
どよめきが上がった。
「静粛に」
木槌が鳴る。それでもざわめきは収まらず、二度、三度と打たれて、ようやく静まった。
「エレシア王国反逆法は、反逆を二等に分かつ。君主を標的としたものを一等、上級官吏を標的としたものを二等とする。本件は、後者に該当する」
シェリルは、微動だにしていなかった。
ただ、その隣に座っていた者だけが、彼女の指が膝の上で一度だけ強く握られたことに気づいていた。
「なお、反逆二等の適用にあたり、本法廷は情状の有無を検討した。被告は逮捕以降、汚職に関わる事実については部分的に供述したものの、投毒については最後まで、自らの意思で口を開くことはなかった。前回公判における発言は、被害者の生存を目の当たりにした動揺から漏れたものであって、自白とは評しえても、罪を悔いての言葉とは到底評しえない」
エインの唇が、微かに動いた。何かを言おうとして、声にならなかった。
「そして被告は、本法廷において、ただの一度も――ただの一度も、被害者に対する謝罪の言葉を口にしていない」
繰り返された一句が、法廷に重く落ちた。
「情状酌量の余地は、認められない」
裁判長は書面を閉じ、立ち上がった。
廷吏が、被告に起立を促す。エインは両脇を支えられるようにして、ようやく立った。膝が笑っているのが、傍聴席からも分かった。
窓から差し込んだ光が、法廷の床に白い帯を作っている。その帯が、ちょうど被告席の足元を横切っていた。
「――主文を言い渡す。被告エイン・ドルッセを」
裁判長が、息を吸う。
「死刑に処する」




