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五 証言

 午後になると、法廷の空気が一変した。

 次に呼ばれるのは、魔法師団の上級術師――エインだった。師団の者が被告人として法廷に姿を見せるとあって、朝の審理とは比較にならないほどの傍聴人が押し寄せていた。開廷前から傍聴席は埋まり、立ち見すら出るほどの騒ぎになっている。

 窓の外は、朝からの雨脚がいよいよ強まり、豪雨と呼べるほどになっていた。硝子を叩く雨音が、法廷内のざわめきに低く重なっている。

 法廷に連行されてきたエインは、痩せこけた頬に、それでも往生際の悪さを滲ませていた。


 まず取り上げられたのは、不正な献金と収賄の疑いだった。検察官が、この一月ほどのエインの金遣いの荒さを次々と挙げていく。師団内でも噂になっていた高級店への出入り、そして――

「被告は、出所不明の高価な腕輪を義娘ソニアに贈っています。その腕輪は、ソニアの自室から発見されました。捜索に際して本人は隠し立てをせず、義父から贈られたものだと述べています。この資金源について、説明していただけますか」

 問われたエインは、視線を泳がせるだけで、明確な答えを返さなかった。

「……仕事の、褒賞金です」

「褒賞金の記録は、当師団のどこにも存在しませんが」

 検察官の指摘にエインは黙り込むしかなかった。

 続いて、資金の流れそのものに関する証言が求められた。誰が金を出し、何の見返りに動いたのか。その出所を辿る過程で、ある人物の存在に検察官の質問が及んだ。

「被告に、この件を最初に持ちかけた情報源について、我々は把握しています。ただし、この場では詳細を明かしません」

 法廷にざわめきが走った。誰もが、その先を知りたがっていた。だが、検察官はそれ以上踏み込まなかった。


 この件の情報提供者――正体は、決して表沙汰にはできない筋の者だった。表向きの顔とは別に、独自の情報網を持つ組織からもたらされた情報であり、その存在自体、関係各所との間で沈黙が保たれることになっている。情報源の特定は、無関係な誰かを危険に晒しかねない。ゆえに法廷でも、この一点だけは終始伏せられたままだった。

 ただ――情報提供者は傍聴席にいたのである。エインがある夜に口を滑らせた、とある店の者である。


 やがて、机の上に一枚の書類が示された。

「これは、午前の審理でも証拠として提出された、密輸契約書の写しです」

 殺虫剤の名目で持ち込まれた、強力な密輸品。輸入の経緯を辿れば、被告が手にした毒物の出所へと、一本の線が繋がっていた。

 検察官が続ける。

「被告の自室から押収された小瓶は、この契約書に記された品と特徴が一致します。中身も被害者の水から検出された毒と、同じ反応を示しました」

 そこで、裁判官が口を開いた。

「本件、被害者本人より証言を頂きます」

 その一言に、法廷内の空気が張り詰めた。

 証言台へと歩み出たのは――シェリルだった。


 その姿を目にした瞬間、エインの顔から、一切の血の気が引いた。

「――は」

 声にならない声が漏れる。


「生きて……いるのか……」

 掠れた呟きが、法廷の静寂に落ちた。

「なぜだ……確かに、あの水に……」

 言いかけて、エインはとっさに口を噤んだ。だが、遅かった。

 その一言だけで、被告自身が、自らの罪を認めたも同然だった。


 証言台に立つシェリルを見て、傍聴席にどよめきが広がった。

「シェリル様が、証言者……?」

「ってことは、まさか被害者って」

 あちこちで囁きが交わされる。傍聴席の後方に座っていたアノリスも、思わず身を乗り出した。

「え……」

 隣に座るミレイも、驚きを隠せない様子だった。

 その隣で、ラフィスもまた言葉を失ったまま、証言台のシェリルを見つめていた。

 傍聴席に居合わせた者のほとんどにとって、これは寝耳に水の話だった。師団内で暗殺未遂があったことも、被害者がシェリルであったことも、この日、この法廷で初めて知らされたに等しい。


 ただ一人、エルナだけは違った。

 傍聴席の隅で、エルナは静かに俯いていた。あの朝の光景――机に突っ伏し、痺れに苦しむシェリルの姿を、今も鮮明に覚えている。周囲のどよめきの中、エルナだけが、既に知っている痛みを一人で抱えているようだった。

 法廷の空気が、一段と張り詰めていく。


「では、証言をお願いします」

 裁判官の言葉に、シェリルは小さく頷いた。声の震えはなかった。

「八月四日の朝、私は共同研究者のエルナと共に、執務室で研究の打ち合わせをしていました。いつも通り、水受けポットから水をコップに注ぎ、私が先に口をつけました」

 淡々とした語り口だった。まるで、実験の手順を説明するかのように。

「水が口腔内を通った瞬間、異常な痺れを感じました。指先から始まり、唇の周囲、頬。数秒のうちに、視界が定まらなくなりました。声も、思うように出せなくなっていきました」

 法廷の空気が、しんと静まり返る。

「意識が薄れていくのを、自分でも感じていました。踏みとどまれたのは、恐らく偶然です。嚥下する前に口腔内の異常に気づけたことが、致命的な量の摂取を防いだのだと思います。痺れは全身に及び、指も、まともに動かせませんでした。エルナが治癒魔法を試みましたが、傷を塞ぐための術式では、この症状にはほとんど効果がありませんでした。解毒魔法という手段もありましたが、毒の正体が分からなければ使えません」

 一拍置いて、シェリルは更に続けた。

「痺れが幾分か引いた後、残った水を羊皮紙に含ませ、熱を加えて確認しました。常温では検知に引っかからない、特殊な毒物だと分かりました。もし、あのとき異変に気づくのが少しでも遅れていたら――今、私はここに立っていなかったと思います」


 最後の一言は、感情を込めるでもなく、ただ事実として述べられた。だからこそ、聞いている者たちの背筋を凍らせた。

 証言の途中から法廷に入ってきたソニアは、その内容を聞くうちに、みるみる顔色を失っていった。

 あの日の夕刻、廊下で声をかけてくれた人。神経行列の話を、いつもと変わらない調子でしてくれた人。そして、エインの姿が見えないことを、それとなく尋ねてきた人。


「あれは――あのとき、もう」

 声にならない呟きが漏れる。目の縁に、みるみる涙が滲んだ。

 あんな目に遭った直後に、あんな平然とした顔で、自分に話しかけてくれていたのか。

 ソニアは口元を手で覆い、それ以上何も言えなくなった。


 法廷内の他の者たちも、一様に言葉を失っていた。あまりに淡々と語られる被害の詳細に、かえって現実感が押し寄せてくる。

 傍聴席の一角で、イリッサは唇を噛みしめていた。

 憎いと思っていた。妬ましいと、何度も思ってきた。若さと才だけで特級に成り上がった、目障りな女――そう決めつけていた。


 だが。

 こんな、卑劣なやり方で。

 毒を盛って、闇討ちのように命を奪おうとするなんて。

 自分がぶつけてきた嫉妬とは、まるで質の違う悪意だった。イリッサの中で、何かが音を立てて崩れていった。

「うっ……ぐす……」

 堪えきれず、嗚咽が漏れる。恐怖が大半だった。だが、その奥底には、これまでの自分の振る舞いへの、小さな自責の念も確かに滲んでいた。

 涙で滲む視界の中、それでも証言台に立ち続けるシェリルの姿があった。取り乱すことも、崩れることもない。あれほどのことをされてなお、あの人はまだ、あんな風に立っていられるのか。

 イリッサの中で、シェリルという人間への評価が、静かに、しかし確実に塗り替えられていった。


 傍聴席の後方で、アノリスは呆然と証言を聞いていた。

 姉が、何を言っているのか。頭では分かっているはずなのに、うまく飲み込めない。

 毒。痺れ。意識が薄れる。致命的な量。

 言葉の一つ一つが、耳に入っては、すり抜けていく。視界の端が、じわりと歪み始めた。


 許せない――そう思うより先に。


「……姉、さん」

 それだけを絞り出すように呟いた瞬間、アノリスの視界が、ゆっくりと白く霞んでいった。

 周りの音が、遠のいていく。

 誰かの声も、雨音も、証言の続きも――何もかもが、水の中に沈んでいくように、鈍く、遠くなっていった。

 膝から、力が抜ける。

 崩れ落ちていく自分の身体を、まるで他人事のように、アノリスはどこか俯瞰していた。落ちていくのに、やけにゆっくりだった。指先が椅子の縁を掠め、視界の端で天井の梁がゆらりと傾いていく。


 姉さん。

 姉さんが。

 最後にそれだけを思った瞬間、意識はぷつりと途切れた。


「アノリス!」

 隣に座っていたラフィスが、崩れ落ちる寸前で腕を伸ばし、その身体をしっかりと抱きとめた。

「誰か! 誰か来てくれ!」

 張り上げた声が、静まり返っていた法廷に、鋭く響き渡る。

 その一声を境に、堰を切ったように傍聴席が騒然となった。

「気絶した!?」「妹さんか!」「誰か医者を!」

 悲鳴に近い声、椅子の倒れる音、駆け寄ろうとする者たちで、法廷内は一気に混乱に包まれた。

「静粛に! 静粛に!」

 裁判官が声を張り上げるが、収拾はつかない。証言の途中で起きた予期せぬ事態に、法廷全体が飲み込まれていく。

「――これより、しばらくの間、休廷とする」

 裁判官はやむを得ず、そう宣言した。木槌の音が、混乱の中に虚しく響いた。


 ラフィスはアノリスを抱えたまま、法廷を飛び出した。

 抱きかかえた身体は、驚くほど軽かった。それが余計に、ラフィスの中の何かを逆撫でした。


 ――エイン。

 あの男の名を、頭の中で繰り返す。

 シェリルを、こんな目に遭わせた男。目の前でアノリスを、こんな風に崩れ落ちさせた男。今すぐこの手で、あの男を斬り捨ててやりたい――そんな衝動が、腹の底から突き上げてくる。

 ダルガンへ発つ前、廊下で妙に絡んできた、気味の悪い中年男。「ダルガンから帰ってきたら、色々聞かせてください」――あの妙な笑い方。あの時は、ろくに顔も見ていなかった。その姿をはっきりと目に焼きつけたのは、今日が初めてだった。あの男が、シェリルに毒を。

 純粋な怒りだった。損得も、外聞も入り込む余地のない、ただ真っ直ぐな怒り。


 アノリスを抱えたまま医療室に駆け込むと、詰めていた医療・回復部隊の術師たちがすぐに反応した。見知らぬ数名の術師が、すぐさまアノリスをベッドに運び、状態を確認していく。

 ラフィスはベッドの傍らに立ち尽くし、アノリスの顔を見下ろしていた。青白い顔。浅い呼吸。

「う……あ……」

 不意に、アノリスの唇から掠れた声が漏れた。うわ言のような、脈絡のない呟き。

「姉、さん……行かないで……」

 その一言に、ラフィスの拳が固く握られた。


 しばらくして、アノリスの意識が、ゆっくりと戻り始めた。

 瞼を開けると、白い天井が視界に入る。

 法廷での記憶が、断片的に蘇ってくる。姉の証言。毒。痺れ。そして、視界が霞んでいったこと。

 閉廷したのだろうか。それとも、まだ続いているのだろうか。

 ぼんやりとした頭で考えていると、扉が開く音がした。

「アノリス」

 その声に、アノリスは弾かれるように顔を向けた。

 シェリルだった。アノリスが医療室に運ばれたと聞きつけ、休廷の隙を縫って飛んできた。ベッドの傍らに歩み寄ると、アノリスの顔を見つめた。

 人前で涙を見せることなど、およそなかったシェリルの瞳に、みるみる涙が浮かんでいく。

「……よかった。心配、かけたわね」

 声が、微かに震えていた。


 だが、アノリスの反応は、少し違っていた。

 涙を見て安心する、という以前に――目の前にいるこの人が、本当に姉なのかどうか、それすらも一瞬、確信が持てなかった。

「……姉さん……?」

 掠れた声で、そう呼びかける。まるで、答えを確かめずにはいられないかのように。


 もし、これが姉さんじゃなかったら。

 もし、あのまま――


 その不安定な様子に、シェリルは何かを察したように、一瞬だけ言葉を詰まらせた。

 そして、ゆっくりとベッドに横たわるアノリスの上体を抱き寄せた。

「大丈夫。私よ」

 抱きしめたまま、シェリルの肩が小さく震え始めた。

 嗚咽が漏れる。

 自分が受けた仕打ちの大きさに、今更ながら気づいたかのように。

 もし、あのとき助からなかったら。もし、この子を残して逝っていたら――そんなことは、絶対に許されない。シェリルは、アノリスの胸に顔を埋めるようにして、静かに泣いていた。


 その光景を、ラフィスは黙って見つめていた。

 胸の奥で、怒りが新たな形を取っていく。

 あのシェリル・アリアシストを、ここまで泣かせた男。

「――あの男は、絶対に、それ相応の裁きを受けさせなければならない」

 思わず、口をついて出た言葉だった。

 だが、その一言に、医療室の中から思いのほか多くの賛同の声が上がった。

「その通りだ」「当然だろう」「あんな真似をしておいて」

 術師たちの間に、静かな、しかし確かな怒りの共鳴が広がっていった。


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