四 異国の剣
ラフィスのディルゴ団長との面会から二日後、予定通り騎士団の訓練場に武器商人がやってきた。
荷馬車の荷台には、布に包まれた剣や槍がずらりと並んでいる。商人は恰幅の良い中年男で、商売人特有の愛想の良さで団員たちに声をかけていた。
「今日もなかなか良いのが揃いましてね、見ていってくださいよ」
団員たちが荷台を覗き込み、めいめい興味を示す。だが商人が声を張り上げたのはその中の一角――布に包まれたまま、他とは明らかに異なる細長い形をした一振りを取り出した時だった。
「今日は特に、東の方から珍しいのを持ってきましてね」
しかし団員たちの反応は薄かった。珍しい形の武器と、自分がそれを使いこなせるかどうかは、まったく別の話だ。見慣れた剣や槍の方に、視線は自然と戻っていく。
だが、その中にただ一人、目を離せない者がいた。
「――おや」
ラフィスだった。商人も彼女に気づいたが、剣の腕を測るより先に、視線はその身体の線を追っていた。
「見ない顔ですね。男くさい王都の騎士団に、こんなお美しい方がいらっしゃったとは」
ラフィスは商人の言葉には応えず、荷台の異国の剣に目を留めたままだった。鞘に収まった姿だけで、他のどの剣とも違う気配を纏っている。装飾は精巧でありながら、決して派手ではない。重量感を誇示するでもなく、ただ静かに、美しさそのものを湛えていた。
「――これ、ちょっと見せてくれないか」
商人は驚いた顔をしたが、すぐに得意げな笑みを浮かべた。
「おぉ、これはお目が高い。しかしこの異国の武器、カタナというんですがね。お嬢さんに、使いこなせますかな」
ラフィスは答えずに、それを手に取った。
(――軽い)
見た目からは想像もつかない軽さだった。剣術を修めた者としての勘が、これはただの珍品ではないと告げていた。だが、持ち方がわからない。柄が長く、片手では長すぎ、両手では短い。試しに右手を鍔元へ、左手を柄頭の側へ添えてみたが、それが正しいのかどうか判断がつかない。エレシアで見た剣にも、道場で習ったどの型にも、この寸法に当てはまるものはなかった。
安全な距離まで下がり、鞘から刀身を抜く。両刃の剣のように真っ直ぐ引けば、鞘の内側に刃が触れる。反りに沿わせるのだと気づくまでに、二呼吸を要した。
その瞬間、ラフィスは息を呑んだ。
刃は真っ直ぐでありながら、僅かに反りを帯びていた。武骨さの欠片もない流麗な曲線。研ぎ澄まされた刃文には、波のような模様が幾重にも重なり、光の当たり方によって表情を変える。刀身に映り込んだ自分の顔が、鏡のようにこちらを見つめ返してきた。
(これは――武器という言葉だけで括れるものじゃない)
装飾を凝らして美しく見せる剣とは根本から違う。装飾など必要としない、刃そのものの造形美だった。
ラフィスは自然と、両手でそれを構えていた。自分でも驚くほど、しっくりと収まった。紋章剣とはまるで異なる重心の在り方。だが不思議と、これまで培ってきた剣の型に違和感なく溶け込んでいく。切っ先が僅かに揺れ、光を弾いた。
「――少し、振ってみたい」
周囲の安全を確かめると、ラフィスはゆっくりと動き始めた。
こんな武器を握ったことなど、一度もない。誰にも教わっていない。それなのに、踏み込んだ足が勝手に半歩ぶん短くなった。自分で決めた距離ではなかった。この得物に相応しい間合いを、身体が先に選んでいた。濃紺の髪が風を孕んでふわりと揺れた。
叩きつける動作ではなかった。突き刺す動作でもなかった。身体の重心の流れそのものが、そのまま一つの斬撃になる。踏み込みから腰の回転、切っ先の軌道まですべてが淀みなく繋がっていた。紋章剣で培ってきた型とは根本から違う。それなのに、なぜかこの動きの方が自分の身体に馴染むようだった。
三度目の振り下ろしで、刃が鳴った。空を切る音ではない。刃筋がわずかに寝た時の、鈍く濁った音だった。
(――力を入れた分だけ、下手になる)
そう気づいた自分に、ラフィスは戸惑った。初めて握った得物のはずだった。それなのに、何が悪かったのかだけが、教わる前にわかってしまう。その判定がどこから来ているのか、自分でも説明がつかなかった。
(――なんだ、これは)
一振り、また一振りと重ねるごとに、その感覚は確信に変わっていった。まるで長年連れ添った得物のように、手の内に吸いついてくる。
怖い、と思った。
この刃が怖いのではない。いや、それも確かに怖かった。触れれば断つ、それだけのために造られた造形。振るう者に一切の言い訳を許さない、潔癖なまでの純度。
だが、それ以上に怖いのは。
(――この感覚は、どこから来ている)
自分の中に、自分の与り知らぬ場所がある。二十五年、この身体で生きてきたつもりだった。その内側に、一度も足を踏み入れたことのない部屋があったのだ。しかもその部屋の主は、今日初めて会った異国の刃と、とうに話が通じているらしい。
気がつけば商人だけでなく、訓練場にいた団員たちも十数人、動きを止めてラフィスを取り囲むように見入っていた。誰も声を発さなかった。ただ、刃が空を切る音だけが静かに響いていた。
ふと我に返ったラフィスは、流れるような一動作で刀を鞘に納めた。
その納刀の所作にすら、無駄な力みは一切なかった。高貴な血が、あるいはそうさせるのだろうか。刃を振るう時の鋭さとは対照的に、静かで、それでいて気品に満ちた仕草だった。
誰かが小さく息を呑む音がした。
(――これは、惚れてしまう)
誰の胸に浮かんだ言葉かは、わからない。だがその場にいた誰もが、多かれ少なかれ同じことを感じていた。
自分は、何者なのか。
その問いに答えが出ないまま、身体だけが先に答えを知っていた。それは救いのようでいて、もっと悪いことのようにも思えた。
「これ、幾らだ」
値段を問うその声には、ラフィスにしては珍しく、隠しきれない熱がこもっていた。
商人は一瞬、値を吊り上げるべきかどうか思案するような間を置いたが、ラフィスの目を見て、それも無駄だと悟ったらしい。値を口にする。決して安くはない金額だった。だが、ラフィスは眉一つ動かさなかった。
「――言い値で構わない」
「よろしいので? 一応、値切る相談くらいは」
「必要ない」
迷いも駆け引きもない即答だった。周りで見ていた団員たちが、思わず顔を見合わせる。
商人も虚を突かれたように瞬きをしたが、すぐに商売人の顔に戻り、深々と頭を下げた。
「――毎度、ありがとうございます」
代金を支払い終えると、ラフィスは刀を両手で受け取った。掌に伝わる重みは、先ほど振るった時と変わらず軽い。だが、その軽さの奥に確かな覚悟の重さが宿っているように感じられた。
「手入れの仕方は、追って説明書きをお付けします」商人は如才ない口調で続けた。「研ぎ直しや修繕が必要になった時は、リーヴィンにこの手の得物を扱える鍛冶屋が一軒ございます。カタナの扱いに慣れた職人は、この国広しといえど、そこ以外にはまずいないでしょうな」
「――一軒だけか」
「珍しい品ですからな。無理もありません」
ラフィスは軽く頷いた。異国の刃を選んだ以上、こういった不便もついて回るのだろう。だが、それすらも今は些細なことに思えた。
紋章剣を手放したわけではない。それは今も、宿の部屋に置いてきたままだ。だが、この刀を握った瞬間からもう、答えは出ていた。
(客員という肩書きのまま、これ以上ここにいるつもりはない)
剣を選べ、というディルゴの言葉の真意が、今になってようやく腑に落ちた気がした。相応しい一振りが見つかった時、それは同時にこの国で生きていく覚悟を選ぶことでもあったのだ。
ラフィスは刀を鞘ごと腰に佩き直した。紋章剣とは違う重さが、腰の位置にしっくりと収まる。
「――正式に、この騎士団の一員として拾っていただきたい」
誰に言うでもなく、静かにそう呟いた。
拾う、という言葉を選んだのは自分でも意外だった。だが、他に当てはまる言葉が見つからなかった。カルナヴィアの日に、自分はもう存在しない王家から正式に離れたのだ。今の自分に差し出せるものは、血筋でも称号でもない。ただ一人の剣士として、この場所に置いてもらう。それ以外に望むものは、もう何もない。
その声は、これまでのどんな迷いよりも、澄んでいた。
その日の商談を終えた後、商人は騎士団長ディルゴの執務室を訪れていた。
「今回も、お目通りいただきありがとうございます」商人は帳簿を片手に、丁寧に頭を下げた。「新しく入った方に、東方の珍品が売れましてね。……いや、なかなか、どころではなかったですかな」
その顔には、いつもの商売人らしい満足げな笑みとは、どこか違う色があった。
「東方の珍品? まさか、カタナか」ディルゴは片眉を上げた。「あんなもの、扱えるやつがこの騎士団にいたか」
「それが、女性の方でしてね」商人は言葉を選ぶように続けた。「こんな王都の騎士団に、あんなお美しい方がいらっしゃいましたっけ、という。しかも、どう見ても新人という感じではありませんでした。物腰からして、明らかに場数を踏んだ雰囲気で」
ディルゴの表情から、面白がる色がすっと消えた。
「――女性?」
「はい」
「もしかして」ディルゴは記憶をたどるように、視線を宙に泳がせた。「女性にしては長身で、髪は濃紺、長さは胸のあたりまで。物腰にちょっとした威圧感がある、そのくせ、どこか気品があって……」
「あぁ、まさにそんな感じでした」商人は目を丸くした。「何者なんです、あの方は。ただ者じゃないのは、火を見るより明らかでしたが」
ディルゴは何も答えなかった。ただ、口の端にゆっくりと笑みが浮かんでいく。
剣を選ばせれば何かが決まる、とは思っていた。だが、まさか大陸の外から答えが来るとは。あの女の中にあったものは、この大陸の物差しでは測れなかったということか。
「――いや、こちらの話だ」
結局、それ以上多くを語らなかった。日が傾き始め、王都の空が橙色に染まる頃、商人を乗せた荷馬車はリーヴィンの門を後にした。




