七 証拠
決闘のあった、その日のうちのこと。
ベルナルトは、シェリルとイリッサの双方を、それぞれ別々に呼び出して聴取を行った。
まず連行されたのは、イリッサだった。
「――さて」
ベルナルトは、椅子に腰を下ろしたイリッサを、静かに見据えた。
「事の発端から、順を追って聞かせてもらおうか」
イリッサは、ふてくされたように口をつぐんでいたが、次第に、しどろもどろに事情を話し始めた。だが、その内容は、聞けば聞くほど、自分に不利なものばかりだった。私的な感情から決闘を吹っかけ、あまつさえ、決着後に相手の背後から斬撃を放った――弁解の余地は、どこにもなかった。
「決闘そのものは、私闘の範疇だ」
ベルナルトは、淡々と告げた。
「以前シェリルが受けた、卑劣な暗殺未遂を知っているか。あれは明確な殺意を伴う犯罪だったが、今回は、あくまで双方が合意の上で応じた私的な諍いだ」
イリッサは暗殺未遂事件そのものは知っていた。ただ当時はそれほどシェリルのことを知っていたわけでもなかった。それが、実際にシェリルという人間を目にしてからは、嫉妬に駆られるのも当然だと言わんばかりに、憎悪を募らせていったのだった。
「――内規に則り、数日間の謹慎処分とする」
処分としては、軽い部類だった。だが、イリッサにとっては、昇級どころか、経歴に傷がつくには十分な結果だった。エインから約束されていた昇級の話も、当然、白紙に戻る。それどころか、来月のクラス編成会議では、降格すら囁かれる立場になっていた。
イリッサは、俯いたまま、何も言い返せなかった。
続いて呼ばれたのは、シェリルだった。
「――お呼び立てして、申し訳ありません」
ベルナルトが口を開くより先に、シェリルの方から、静かに頭を下げた。
「今回の件、私にも非があります。相手の挑発に乗り、訓練場での決闘に応じてしまったこと――本来であれば、無視して立ち去るべきでした。反省しています」
「いや、あの状況では無理もないところもある。あれだけ公衆の面前で挑発されれば、応じざるを得ない空気もあっただろう」
ベルナルトは、小さく手を振った。それから、ふと興味深そうに尋ねた。
「しかし、一つ気になったのだが。なぜ、あそこで一撃で終わらせた? お前の実力なら、相手の魔力が尽きるまで、防御に徹していることもできただろう」
シェリルは少し考えてから、淡々と答えた。
「本来であれば、魔力切れまで付き合ってもよかったのですが――時間が、惜しかったので」
その答えに、ベルナルトは思わず苦笑した。あくまで合理的で、あくまでシェリルらしい返答だった。
感情ではなく、効率で物事を判断する――それが、この特級術師の一貫した行動原理だった。
「――なるほどな」
ベルナルトは、小さく頷いた。それから、居住まいを正した。
「お前の側に、実質的な非はない。一方的に挑まれ、あまつさえ背後から斬りつけられたのだからな。むしろあれだけの力を振るいながら、相手に掠り傷一つ負わせなかったその配慮は、評価に値する」
だが、とベルナルトは続けた。
「とはいえ、公の場での私闘に応じたという一点については、けじめが必要だ。形式的なものだが訓戒処分としておく。記録には残るが、それ以上の意味はない。深く考えなくて良い。貰い事故だ」
「――承知いたしました」
シェリルは、静かに頷いた。処分そのものより、事の道理が通っていることに、納得しているようだった。
ベルナルトは、双方への聴取をもって本件は一区切りとすることを告げた。
エインがソルペンシアに到着したのは、リーヴィンを発ってから二日後のことだった。
長旅で身体は疲れていた。だが、街に足を踏み入れた瞬間、その疲れも忘れるほどに、気分が高揚していくのを感じた。
石畳の道は、驚くほど広く取られていた。建設業で栄える街らしく、どこか遠くで、絶えず槌を打つ音が響いている。資材を積んだ荷車が、ひっきりなしに行き交っていた。整然と並ぶ石造りの建物は、どれも堅牢な造りで、街全体に活気が満ちていた。
この街の隆盛を、裏で支えている人物がいる。
オルガーノ・ストヤーマ。
ソルペンシアに本社を構える建設会社、ストヤーマ組の経理部長を務める女だった。三代目社長ダリル・ストヤーマの妻でもある。表向き、経営の顔はあくまで夫のダリルだが、金の流れの一切を握り、汚職や裏取引を実際に取り仕切っているのはこの妻の方だった。数字に滅法強く、決して証拠を残さない。ダルガン連合の施設受注を巡る一連の工作も、すべてこの女が描いた絵図だった。エインにとっては今回の黒幕にして、共犯者でもあった。
当の社長・ダリルは、妻が裏で何をしているのか、何一つ知らなかった。書類に署名を求められれば、内容を疑いもせずに判を押す――その善良さと迂闊さが、オルガーノにとっては、この上なく好都合だった。
エインは、オルガーノが手配した宿へと入った。
部屋に足を踏み入れると、枕元に、小さな封書が置かれていた。
封を切り、中を検める。
「明後日の夜、本社にて。裏口から入ること。夫のダリルは不在。準備は整っている」
簡潔な指示だった。エインは内容を把握すると、蝋燭の火で封書を炙った。紙はみるみる焦げ、やがて灰へと変わっていった。
現在、七月二十七日の夜。学会は、三十日に開かれる。それより前に、動く。
(明日の午前中に、街を下見する。午後に、学会の受付を済ませておく。夜は、大人しくしている)
そして明後日の夜、ストヤーマ組へ向かう。本社を訪れるのはこれで二度目だった。場所はおおよそ覚えているが、念のため確認しておくに越したことはない。特に裏口を使うのは初めてだった。
(――抜かりなく、いこう)
エインは、そう算段を巡らせながら、旅装を解いた。
その頃。
宿から少し離れた場所に、旅装の男が一人、佇んでいた。
エインは、その存在に気づいていなかった。
男は、周囲をさりげなく見回してから、懐から小さな手帳を取り出し、何かを書き留めた。それから何食わぬ顔で、再び雑踏の中へと消えていった。
エインがストヤーマ組の本社の裏口に現れたのは、夜半前のことだった。
街の喧騒も落ち着いた時間帯で、大通りに人影はまばらだった。エインは辺りを一度うかがってから、裏口の扉を、規則的に三回叩いた。
やがて、扉が静かに開いた。
現れたのは、一人の女だった。
漆黒の髪を、きっちりと結い上げている。乱れ一つない髪型が、几帳面な性分を物語っていた。切れ長の目には感情を読ませない、冷たい光が宿っている。長身ですらりとした立ち姿には、隙というものがまるでなかった。華美ではないが仕立ての良い服を纏い、経営者の妻としての品格と実務家としての鋭さの両方を、同時に漂わせている。
オルガーノ・ストヤーマ、この汚職の真の主犯だった。
「よく来たわね」
声は低く、落ち着いていた。
「道中、問題は?」
「ええ、特には」
一言二言、当たり障りのない挨拶を交わすと、エインはさっそく本題に入った。上着の内側から一通の書簡を取り出す。ハースンから預かった外交省の内部文書だった。
「――これを」
オルガーノは、それを受け取り、鋭い目で文面を追い始めた。
しばらく黙って読み進めていた彼女の口元に、やがて、満足げな笑みが浮かんだ。
「――グルッグ・モーガを、取り込めたのね」
グルッグ・モーガ。ダルガン連合の内務局参謀であり、汚職の受け手となる人物だった。連合内部の情報の流れを握る、要の一人でもある。
「決め手は、ダイガモールの腕輪、か」
オルガーノは、書簡の一節に目を留めて呟いた。
賄賂として贈られた、最高級の腕輪。それが、この男を落とす決定打になったらしい。エインが義娘のソニアに何気なく渡したのと、同じ品だった。
「内務局参謀を一人押さえれば、連合内の情報の流れが変わる。これは大きいわ」
オルガーノは、書簡をさらに読み進めた。
「――それに、もう一人取り込めれば、受注は確実、とも書いてあるわね」
連合内の調達委員に近い人物がいる、という。ただし、そちらは金では動かない相手だった。
「金では靡かない、か。……なら、名誉をちらつかせて近づけば、こちらに落ちるかもしれないわね」
オルガーノは、冷静に算段を巡らせながら、書簡を折りたたんだ。
「――ご苦労だったわ、エインさん」
彼女は、エインに向き直った。
「今回の働きも見事なものよ。献金は今後も続けさせてもらう。だから――」
切れ長の目が、わずかに細められた。
「引き続き、結果を出してちょうだい」
「もちろんです」
エインは、恭しく頭を下げた。
用件はそれで済んだ。長居は無用――エインは来た時と同じように、裏口からそっと外へ出た。
街は、しんと静まり返っていた。
(――明日の学会を、卒なくこなす。それで、私の役目はほとんど終わりだ)
エインは、満ち足りた気分で、夜道を歩き出した。
その、二十歩ほど後方。
路地の影に旅装の男が、身を潜めていた。
男はエインが本社の裏口から出てきた時刻を、正確に手帳へと書き留めた。滞在時間も、忘れずに記録する。
エインが完全に見えなくなるまで見送ってから、男もまた、音もなく闇の中へと姿を消した。




