一 腕輪
ラフィス一行が軍馬の視察のためダルガン連合へ向けて出発してから、三日が経った朝だった。
エインは自宅で、一通の書簡をしたためていた。
宛先は、ソルペンシア。エレシア王国中西部に位置する、魔法金属の産地として知られる街だった。
書きながら、エインは内心でほくそ笑んでいた。
(――順調、順調)
師団内の工作は、思った以上に手応えを感じていた。イリッサという女。少々頭に血が上りやすい性分だが権力にはめっぽう弱く、こちらの言うことには従順に従う。要するに、恰好のカモだった。八月半ばに開かれる師団のクラス編成会議で、あの女の昇級に便宜を図ってやる約束をしている。それさえ約束すれば、あの女はいくらでも思い通りに動いてくれる。
その後には外交審議会が控えている。ダルガン連合での軍馬育成施設の受注案件――あれも、これだけ地ならしをしておけば、賛成多数で国のお墨付きが出るのはほぼ確実だった。
(計画は、着々と)
あとは、直前にもう一度くらい、ソルペンシアへ足を運んでおきたいところだった。抜かりなく詰めを進めておくに越したことはない。
そんな算段を巡らせながら、書き終えた書簡を封じ、エインは義娘のソニアを呼んだ。
「これを、通信局に届けておいてくれ」
「――はい」
ソニアが受け取ろうとすると、エインはその手に、もう一つ、小さな包みを乗せた。
「ついでに、これも。お前へのプレゼントだ」
包みを開くと、宝石があしらわれた腕輪が姿を現した。一目で分かる、上質な作りだった。ソニアは一瞬、素直に礼を言いそうになった。だが、その手が腕輪に触れる直前、胸の奥に小さな違和感が走った。
(こんな高価なもの、どこから)
義父の懐事情には、以前から不審な点が多かった故に、今更驚くようなことでもない。それでもこの唐突な贈り物には、何か言いようのない胡散臭さが纏わりついていた。
「――ありがとうございます」
結局、当たり障りのない礼だけを述べ、ソニアは書簡と腕輪を持って家を出た。
師団へ向かう道すがら通信局に立ち寄った。窓口に書簡を預けながら、ソニアの頭の中では義父への疑念がぐるぐると渦を巻いていた。
(あの人、一体何をやっているの)
師団内で羽振りがいいという噂は、以前から耳にしていた。それだけでも十分に不審だったが、ここ最近ではさらに悪い話まで聞こえてきていた。月華亭でなにやら超高級の娼婦を指名し、豪遊しているという話だった。
「――もう、知らない」
ソニアは小さく吐き捨てるように呟いた。義父の懐事情も、女遊びも、自分には関わりのないことだ。そう割り切ろうとした。
が、ふと月華亭という名前に、別の記憶が引っかかった。
(アノリスさんの……お店だったわね)
先日上級試験で合格した術師、アノリスが受付をしている店だった。一瞬、それとなく話を聞いてみようか、という考えが頭をよぎった。だがすぐにその考えを打ち消した。
アノリスは、そういう線引きがきちんとできる人間だった。仕事の話を外で不用意に漏らすような真似はしない。言葉を交わした数はそこまで多くは無いが、これまでの付き合いの中で、ソニア自身がよく理解していることだった。
書簡を出した後、ソニアは師団の資料室に向かった。
依頼されていた解読作業が、まだ途中だった。古い時代の術式記録を、現代の表記に起こし直す作業だった。かなりの難度を要する内容だったが、これはソニアの得意とする分野でもあった。地道な作業を厭わず、細部まで丁寧に読み解いていく――そういう仕事に、ソニアは昔から向いていた。
卓に向かい、羊皮紙に書かれた古い術式を睨みながら、指先で一文字ずつ現代語に置き換えていく。集中していると、義父のことも、腕輪への違和感も、しばし頭の外へ追いやることができた。
どれくらい経った頃だろうか。資料室の入り口を、誰かが通り過ぎる気配がした。
顔を上げると、イリッサだった。
(――また、あの女)
最近、やたらとこの女を見かける気がする。師団のあちこちで誰かと親しげに話し込んでいたり、意味ありげな笑みを浮かべていたり――以前は、それほど接点のある相手ではなかったはずだった。
なぜか、最近になって急に存在感が増している。それも、決して良い意味での存在感ではなかった。理由をうまく言葉にできないまま、ソニアはただ漠然とした不快感だけを覚え、すぐに視線を手元の羊皮紙へと戻した。
エインの書簡は、通信局の窓口から諜報局へ回されていた。この名前は既に局内でマークされていたのだ。
そしてその書簡を持ち込んだのが、当のエイン本人ではなく若い女だったことに、担当の局員は軽く眉を上げた。
「もしかして……共犯でしょうか」
しかし女の身元はすぐに割れた。エインの義娘、ソニア。師団内では一人で居ることが多く、あまり目立たない存在だったが、職務依頼の遂行力など真面目な人柄で知られる娘だった。それゆえに事情を知らされないまま使い走りにされている可能性も十分にあり得た。局員はそれ以上深追いせず、規定通りに書簡を受け取り、奥の一室へと運んだ。
その部屋で待っていたのは、諜報局から派遣された担当者だった。慎重な手つきで封を開け、内容に目を通していく。
文面は、拍子抜けするほど簡素なものだった。時候の挨拶に毛が生えた程度の、当たり障りのない業務連絡めいた文章。額面通りに読めば、何の変哲もない書簡でしかなかった。
「――証拠と呼ぶには、いささか弱いですね」
担当者は、静かにそう呟いた。
決定的な内容を、こうも簡単に書簡でやり取りするほど、相手も浅はかではなかったということだろう。もしくは、これは単なる連絡役の一通に過ぎず、本当に危険な内容は別の手段でやり取りされているのかもしれない。
「下手に、これを差し押さえるのは得策ではないな」
もう一人の担当者が、腕を組みながら口を開いた。
「今ここで動きを見せれば、向こうも警戒を強める。本当に決定的な証拠が、二度と表に出てこなくなる可能性がある」
「――ええ」
「いずれ、チャンスは来る。それまでは、泳がせておく他あるまい。流石にそこは仕損じないか……」
二人は、しばし黙って顔を見合わせた。
「このまま、ソルペンシアへ流します」
書簡は、内容を書き写された後、何事もなかったかのように封じ直され、本来の輸送経路に戻された。
エインもソニアも、この書簡が一度、静かに他人の目に晒されていたことなど、知る由もなかった。




