十一 新将軍の舞
試験から、十日が経った。
王宮の大広間には、この日のために着飾った人々が集まっていた。上級術師試験の合格者四名、そして新たに師団の特任研究師となるシェリル、新将軍として就任するラフィス――合わせて六名の昇格・就任を祝う、大規模な式典だった。
就任者の中で、男性はカイルただ一人だった。仕立ての良いタキシードに身を包み、いつもの快活さもどこへやら、女性陣に囲まれた居心地の悪さからか、微かに緊張した面持ちをしている。
「なんか、居心地悪いんだけど」
小声でこぼすカイルに、隣に立っていたミレイが、にやにやと笑いかけた。
「ふぅん、意外と可愛いとこあるじゃん」
「うるせぇよ」
その傍らでラフィスとシェリルは、先日選んだドレスに袖を通していた。ロイヤルブルーの生地を纏ったラフィスは、濃紺の髪との対比が一際映え、その場にいる誰よりも堂々とした美しさを漂わせている。シェリルの黒いドレスもまた、控えめでありながら、独特の品格を静かに主張していた。
そして、アノリスは――誰も見たことのない、薄いピンクのドレスを纏っていた。
「それ、いつ手に入れたの?」
シェリルが不思議そうに尋ねると、アノリスは得意げに笑った。
「ふふん、実は前々から目をつけてたんだ。この日のために、こっそりね」
三人がそれぞれの装いで並ぶ様子に、周囲からも小さな感嘆の声が漏れていた。
ふと、視界の端にエルナの様子が入った。
(あれ)
エルナの視線が、ちらり、ちらりと、カイルの方へ向いている。だが、目が合いそうになると、慌てたように逸らしてしまう。
(最終試験で、一方的に攻めた側と、一方的に受けた側)
あの壮絶な戦いを思い出す。十五分間、あれほどまでに苛烈な攻防を繰り広げた二人だった。
もしかすると、あの試験がきっかけで、何かが芽生えているのかもしれない――アノリスは、そんなことを考えながら、密かに口元を緩めた。
やがて、大広間に静粛の合図が響き、国王が壇上に姿を現した。
「――此度、上級術師として新たに認められし四名、並びに、新たに重責を担う二名を祝う」
国王の声が、荘厳な広間に響き渡った。
「魔法と剣、それぞれの道において新たな力がこの国に加わることを、誇りに思う。皆、これからも我が都・リーヴィンのため、その力を尽くしてほしい」
簡潔ながらも、重みのある言葉だった。一人一人の名が読み上げられ、それぞれが壇上に進み出て、証書を受け取っていく。
アノリス、カイル、ミレイ、エルナ――四名の新たな上級術師たち。そして、特任研究師としてのシェリル、新将軍としてのラフィス。
式典は、大きな混乱もなく、滞りなく進行していった。
全ての儀式を終え、国王が退場すると、広間には安堵の空気が広がった。
「お疲れ様」
シェリルがラフィスに声をかけると、ラフィスは小さく頷いた。
「まだ、終わりではないがな」
その言葉の通り、この日の予定は、これだけでは終わらなかった。
十三時からは、新将軍ラフィスによる御前試合。
そして十五時からは、新特任研究師シェリルによる、特別講義が控えていた。
華やかな就任式の余韻も冷めやらぬまま、時計の針は、次の予定へと着実に進んでいった。
十三時、王宮に併設された演武場には、既に大勢のギャラリーが詰めかけていた。
「将軍就任の御前試合を見にきた!」
そんな声が、あちこちから聞こえてくる。新将軍と副団長による真剣での御前試合。この機会を逃すまいと、騎士団関係者だけでなく王宮の要人や一般の見物人までもが、演武場を取り囲んでいた。
国王も、貴賓席から演武場を見下ろしていた。
「始め」
合図と共に、ラフィスとバレンツは、互いに得物を構えた。
真剣勝負という緊張感が、演武場全体を張り詰めさせる。
先に動いたのはバレンツだった。
踏み込みが、速い。ラフィスは咄嗟にノクティセカで受けたが、その一撃の重さに、腕が痺れた。
(重い)
受け流したはずの衝撃が、肩まで抜けていく。ただ力任せに振っているのではない。刃が触れた瞬間に体重が乗る、鍛え上げられた太刀筋だった。
二の太刀、三の太刀と、間断なく打ち込んでくる。ラフィスは後退を強いられた。
演武場がざわめいた。新将軍が押されている。
(なるほど。副団長は、飾りではないということか)
嬉しくなった。この男は、手を抜いていない。国王の御前で、新任の将軍に花を持たせるという発想が、そもそもないらしい。
四合目で、ラフィスは初めて前に出た。
バレンツの剣が上段から落ちてくるのに合わせ、半歩だけ内側へ踏み込む。刃と刃が触れ、鍔迫り合いになった。
互いの息がかかる距離だった。
「――やはり、いい得物だな。それ」
「事実、良い刀だ」
刃を合わせるたびに、ノクティセカの美しさが、光の加減で様々な表情を見せる。その輝きに、バレンツの中で、何かが徐々に熱を帯びていくのがわかった。
「――面白くなってきた」
押し返され、両者が同時に飛び退く。
そこからは、拮抗した打ち合いが続いた。
バレンツの剣が肩口を掠め、布地が裂ける。ラフィスの刃が返され、バレンツの籠手に浅い傷が走る。
どちらも、峰を返していない。刃引きもされていない。一つ間違えれば、御前で血が流れる。それでも二人は速度を緩めなかった。緩めることの方がこの相手に対して失礼だと、互いに理解していた。
観客の誰かが、息を呑む音が聞こえた。
その息を呑む音の中に、別種のざわめきも混じっていた。
「嘘、あんなに動けるの」
「見て、髪」
騎士団の女性団員たちが集まった一角から、次々と声が上がる。跳ぶたびに濃紺の髪が翻り、着地の瞬間に肩へ流れ落ちる。踏み込みの姿勢がそのまま絵になっていた。
「ラフィス将軍、美しいわ……女性としても」
「同じ団にいるのが信じられない」
誰かが小さく溜息をついた。羨望とも憧憬ともつかない、熱を帯びた息だった。
その中で、ラフィスは内側から込み上げる高揚を感じていた。
(愉しい)
ノクティセカと一つになる感覚。剣戟の応酬の中、自分の意志と刃の動きが、寸分の狂いもなく重なり合っていく。
(私が求めていたのは、これだ。これなのよ……っ!)
紋章剣を振るっていた頃には、決して感じることのなかった感覚だった。過去を背負う重みとは違う、純粋な高揚感。それが今、確かにここにあった。
バレンツが、一段深く踏み込んだ。
勝負を決めにきた一撃だった。読みは正確で、速度も申し分ない。並の相手なら、ここで終わっていただろう。
だがラフィスの身体は、既にその軌道の外にいた。
考えて避けたのではない。刃が動くより先に、身体がそこを空けていた。あの夜、初めてこの刀を握った時と同じ感覚だった。
「なにっ!」
バレンツが、思わず息を呑む。
(本気、か)
これまでとは明らかに違う速度で、ノクティセカが弧を描く。バレンツも咄嗟に応戦したが、その一撃は、彼の剣を大きく跳ね上げた。
剣が宙を舞い、乾いた音を立てて地面に転がる。
「――そこまで! 勝者、ラフィス将軍!」
審判の声が響いた瞬間、演武場は割れんばかりの歓声に包まれた。
「お見事!」
「さすが、将軍!」
興奮した観客たちの声が、いつまでも鳴り止まなかった。ラフィスは剣を鞘に納めながら、静かに息を整えていた。
だが、その歓声が収まりきらぬうちに、次の対戦者として、四人の中隊長たちが姿を現した。
観客席が沸いた。副団長を退けた将軍が、今度は中隊長を四人まとめて相手にする。見世物としては、これ以上ない趣向だった。
当の四人だけが、その熱気から取り残されていた。先ほどまでの威勢はどこへやら、その足は、明らかに震えていた。
(お、俺たちで、いけるのか……)
一人が、思わず内心で弱音を漏らした。
(四人じゃ、足りなくないか?)
あの美しい太刀筋を、目の当たりにしたばかりだった。バレンツ副団長を真正面から圧倒するほどの実力。そんな相手に対して当初考えていた企みが、いかに浅はかだったか――誰の顔にも、それがありありと浮かんでいた。
それでも、後には引けなかった。既にプログラムに組み込まれてしまった以上、今更逃げ出すわけにはいかない。
四人は、震える足を叱咤しながら、それぞれの得物を構えた。
この試合が、何を意図して組まれたものか――ラフィスは、薄々気づいていた。
(せめて、順番が逆だったら)
バレンツとの一戦の前であれば、この四人もこれほどまでに怯えずに済んだだろう。だが既に自分たちの目で、あの太刀筋を目撃してしまった後だった。
「始め」
合図と共に、四人は意を決したように、それぞれ得物を構えて前に出た。だがその動きには、明らかな硬さがあった。
(そんなに、私のことが嫌いなのか)
ラフィスは、内心で小さく苦笑した。
(これでは、客席もつまらないでしょうね)
だったら、少しは楽しんでもらおうか。ラフィスは、あえて試合をすぐには終わらせない道を選んだ。
最初の一人が斬りかかると、ラフィスは受け流しざまくるりと身を翻した。二人目の突きを躱す動作に優雅な回転が加わる。三人目の斬撃を弾く一連の流れが、まるで舞のような滑らかさで繋がっていく。
剣戟でありながら、そこには明確な美しさがあった。ノクティセカが空を切るたびに、月光を思わせる残光が一瞬だけ演武場に舞う。
「なにこれ!」
観客席で、ミレイが思わず身を乗り出した。
「かっこいい! こんなの見たことない! ……踊り子じゃん!」
興奮した様子で、ミレイは隣の観客に肩を叩きつけながら、目を輝かせて見入っていた。周囲からも、感嘆のどよめきが広がっていく。
四人の中隊長たちは必死に食らいついていたが、その太刀筋には最初から一片の焦りも、殺気も乗っていなかった。ただ、翻弄されるばかりだった。
一通り舞うように場を回った後、ラフィスはようやく決着をつけにかかった。
「――そろそろ、終わりにしよう」
一人目の胴に、峰を軽く打ち込む。膝から崩れ落ちる。
二人目の得物を弾き飛ばし、返す刀で肩口へ峰打ち。
三人目が慌てて距離を取ろうとしたが、その動きを読んでいたかのように、間合いを詰めて胴を打つ。
最後の一人は、既に戦意を失いかけていたが、ラフィスは容赦なく、その足を払って地に伏せさせた。
四人全員が、地面に転がり、それ以上戦い続けることができない状態になっていた。
「――そこまで! 勝者、ラフィス将軍!」
審判の声が響いた。演武場は、先ほど以上の大歓声に包まれた。
地に伏したまま、四人の中隊長たちは、それぞれに激しい後悔を噛み締めていた。
(何が、恥をかかせてやる、だ)
(完全に、俺たちの方が、恥をかいた……)
誰も、その思いを口には出せなかった。ただ、鳴り止まない歓声だけが、いつまでも演武場に響き続けていた。




