八 決死の乱撃
最後の試合、カイルとエルナが、訓練場の中央で向かい合った。
特殊ルールにより、制限時間が通常三十分のところこの試合だけ十五分。決着の条件は明快だった。時間経過の時点でエルナが立っていれば、カイルの負け、以上。
「始め」
試験官の合図と共に、両者は動いた。
開始早々から、カイルは容赦がなかった。
「行くぞ!」
炎の術式を、同時に四本組み上げてエルナへと叩き込む。観客席から、思わず悲鳴のような声が上がった。
その悲鳴の中、シェリルだけが静かに呟いた。
「――あなたの護る力、目にもの見せてやりなさい」
四本の炎が着弾する寸前、エルナの防御術式が綺麗に展開された。炎はその壁に阻まれ力を失って霧散する。
「やるじゃないか、お嬢さん」
カイルは楽しそうに口の端を上げると、次は気弾を連発した。十、二十、三十――絶え間なく撃ち込まれる圧縮弾の雨。
「――反乱鎮圧の時にも見たが」ラフィスが、観客席で小さく笑った。「相変わらず、品のない戦い方だ」
だがそれだけの連撃を浴びながら、エルナの表情には、まだ十分にやれるという色が浮かんでいた。
防御術式は決して華やかな力ではない。しかしながら、それでも自分にできることが確かにここにある。廃洋館の一件で、シェリルとアノリスの戦いを間近で見た時から、エルナはずっと自分の中に一つの答えを持ち続けていた。
(守り抜く力だって、立派な武器になる。そう証明したい)
攻撃の手数では絶対に敵わない相手だとわかっていた。それでも、崩れずに立ち続けることそのものが、自分の戦い方だった。
「こいつは面白くなってきた」
カイルの内側で何かに火がついた。ここまで開始から五分。試験時間は、まだ十分残っている。
「ならばっ!」
カイルの視線が、窓辺の水槽に向いた。
「俺はオールラウンダーでね。水も、いけるぜ」
水槽の水が、意思を持ったかのように暴れ出した。瞬く間に形を変え、巨大な水龍と化す。トーマの時よりも心なしか、荒々しさが勝っているようにも見えた。
「うぅっ!」
水龍がエルナに襲いかかった瞬間、防御術式に初めて綻びが生じた。そこにカイルは即座に気弾を五発撃ち込んだ。
爆風が晴れる前。
決着か、誰もがそう思った瞬間――エルナは、まだ立っていた。
気弾五発のうち三発はクリーンヒットしており、肌にはいくつもの傷が見えている。だが出血はしていない。水龍に絡みつかれた衝撃も相当なものだったはずだ。それでも、エルナは変わらず、その場に立ち続けていた。
(まだ、いける)
痛みは、確かにあった。だが、恐怖はなかった。この身体が、あとどれくらい耐えられるか――その感覚だけを頼りに、エルナは冷静に自分の限界を見極めていた。
「さぁ、もっと来て」
エルナの声が、静かに、しかしはっきりと響いた。
「殺す気で、来て」
その挑発に会場の空気が凍りついた。あまりに大胆な言葉だった。だが、エルナにとってそれは挑発などではなかった。中途半端な力で来られる方が、むしろ困る。自分の全てを出し尽くすには、相手にも全力を出してもらう必要があった。
「はっはっは! そう来なくちゃな!」
カイルは笑い声を上げた。だが、その笑いの裏で、内心には、これまで感じたことのない種類の焦りが、じわじわと広がり始めていた。
(おかしい。攻撃力なら、受験者の中で間違いなく俺が上)
攻撃の質でも量でも、どの受験者と比べても自分が勝っているという自負はあった。それなのに、目の前の相手は、いつまで経っても崩れない。
(何なんだ、この娘は)
気弾と炎撃、そこに再度水まで混ぜ込んだ複合攻撃を放ちながら、カイルの笑顔の裏には、隠しきれない苛立ちが滲んでいた。
周囲が心配そうな目で試合の行方を見守る中、シェリルだけが冷静に分析していた。
(器用なことをするわね)
三つの術式を同時に組み合わせる技術は、確かに大したものだった。だが。
(ただ、間隔が近すぎる)
焦りからか、術式同士の発動間隔が詰まりすぎている。威力は上がっているように見えて、実際にはあちこちで互いの効果を打ち消し合っていた。あれだけ余裕そうに笑いながらも、カイルの内側では、かなり無理な制御を強いられているはずだった。あの笑顔の裏で、本人は思っている以上に焦っている。シェリルにはそれが、はっきりと見えていた。
複合術式の猛攻を、エルナはなんとか耐えきった。だが、あれだけ手の込んだ術式を受け続けた反動か、エルナ自身の消耗もかなり激しくなっていた。
試験時間が迫る。シェリルの見立て通り、カイルの焦りも、次第に隠しきれなくなっていた。
(時間が、ない)
残り時間が刻一刻と減っていくのを、カイルは痛いほど意識していた。このまま時間切れになれば、自分の負けだ。実地試験でも危なげなく勝ち上がってきたはずの自分が、非攻撃型の相手一人に、時間切れで敗北する――自分で提案したものの、そんな結末は絶対に受け入れられなかった。
「ああああああ!もうどうなってるんだ!」
カイルが叫んだ。もはや試験というより、まるで親の仇でも討つかのような、苛烈極まる攻撃がエルナへと降り注ぎ続けた。
試験官たちも、いつしか手に汗を握っていた。
(狂気だ)
誰もが、その一言に尽きる感想を抱いていた。
だが、試験時間残り二分、ついにエルナに限界が訪れた。
カイルが放ったのは、防御術式そのものを破壊することに特化した、特殊な一撃だった。
「――これは、使いたくなかったんだがな」
冷静さを取り戻すような、静かな声だった。だがその内心では、もはや後がないという焦燥感が、極限まで膨れ上がっていた。
その術式がエルナの防御を、初めて完全に打ち砕いた。そして、間髪入れず炎の爆発術式が撃ち込まれる。
「やめろ! やり過ぎだ!」
試験官の一人が、思わず声を上げた。場内に、緊張が走る。
「っ……」
あのラフィスですら、思わず声を漏らした。
だが、その中で、シェリルだけが、微動だにしなかった。
(これを越えた先に、あなたの未来、そしてこの国の治癒術師そのものの未来が、ある)
攻撃部隊、戦闘部隊の評価が先行する仕組みに、エルナは風穴を開けようとやってきた。
そんな彼女の気概を知っていたシェリルの視線は、爆炎の中心から片時も逸れることはなかった。
爆風が晴れた。
エルナは――立っていなかった。
「――そこまで! 勝者、カイル・ウェールン!」
試験官の声が響いた。試験終了まで、残り五十八秒だった。
カイルは、勝利の実感を確かめる間もなく、すぐにエルナのもとへ駆け寄った。
「おい、大丈夫か!」
声をかける間もなく、エルナは自らの力で立ち上がった。
いつもの、天使のように柔らかい表情ではなかった。苦痛に耐え抜いた末の、鬼気迫る形相。カイルは思わず、かけようとした言葉を飲み込んだ。
その顔のまま、エルナは口を開いた。
「――いい、戦いだったわ……」
声は掠れていたが、確かな充足感が滲んでいた。回復術式は、既に自分自身に作用し始めていた。損傷さえ深すぎなければ、その回復速度は目を見張るものがある。
受験者たちは、心配そうにエルナの様子を見守っていた。だが、しばらく経つと、あれほどの傷を負ったはずのエルナが、拍子抜けするほどけろりとした顔に戻っていた。
その光景に、周囲はどよめいた。普段、目立つことのない防御・回復専門の術師が持つ、底知れない強さを、誰もが目の当たりにした瞬間だった。
受験者の中でアノリスだけは、エルナの本当の実力を以前から知っていた。それでも、こうして改めて目にした戦いぶりには、畏敬の念を抱かずにはいられなかった。
観客席でシェリルは、この日初めて、その表情をはっきりと緩めた。
カイルの苛烈な術式構成、そこにエルナは最後まで立ってはいられなかった。
互いの力が極限で交わる、それでいい。




