六 最終試験
苛烈な実地試験から五日。
最終試験の当日、六名の受験者が師団の大訓練場に集められていた。壇上には、試験官として師団幹部が並んでいる。
観客席にも、既に多くの人が詰めかけていた。最終試験は師団内外に公開される慣例があり、関係者や興味を持った者たちが自由に観戦できる。
その中には、シェリルとラフィスも居た。
「――緊張するわね」
シェリルが、珍しく落ち着かない様子で呟いた。
「お前がか」
「事実よ。妹の試験だもの」
ラフィスは小さく頷いた。二人にとっても、アノリスの晴れ舞台であると同時に、エルナの試験でもある。
廃洋館での一件にて、シェリルはエルナの防御・治癒術式を高く評価していた。回復部隊で唯一前線に立てる術者でありながら、評価は中級クラス五に留まっている。その不釣り合いについて、シェリルは以前ベルナルトに直接疑問を投げかけたことがあった。
エルナもまた、シェリルからの評価の高さに、上級試験へ向けて背を押されていたのだった。
観客席の少し離れた場所には、他にも見知った顔があった。ソニアの義父、エイン・ドルッセだった。
義娘の晴れ舞台を見に来たにしては、その表情はどこか他人事めいていて、周囲を興味なさそうに見渡している。
やがて、試験官の一人が壇上に立った。
「――これより、上級術師昇格試験、最終段階を開始する」
その言葉に、六名は自然と姿勢を正した。
「率直に言おう。ここに残った六名は既に、上級術師として通用する水準に達している。それは間違いない」試験官は一人一人の顔を見渡した。「例年なら八名前後が残る。今回はお前たちだけだ。実地試験が、例年以上に苛烈だったということだな」
会場に、小さなざわめきが走った。
「だが、制度上、最終試験を省くわけにはいかない。一対一の一発勝負、試験時間は三十分。相手を戦闘不能に追い込めば勝利だ」
試験官は一度言葉を切った。
「勝者三名、及び敗者の中で最も善戦したと認められた一名――計四名を、上級α合格とする。残る二名は準上級とする」
「……ただし」試験官は続けた。「受験者に重大な危険が及ぶと判断された場合、試合は即座に中断する。これまで五十年、この試験で命を落とした者は、幸いにして一人もいない」
六名の顔に緊張が走る。
合格者はその中で四名。残れなかった二名も「準上級」という格を与えられるが、そのような中途半端なものは要らない――六名は同じことを考えていた。
「――それでは、対戦表を発表する」
試験官が、壁に張り出された紙を示した。
六名が三組に分けられて並んでいる。
アノリスは自分の名を探し当てた。相手は、トーマだった。今回で三度目の受験という。経験を積んだ実戦慣れした術師。実地試験で見せた堅実な水雷複合術式を思い出し、アノリスは自然と気を引き締めた。
もう一組は、ミレイとソニアの組み合わせだった。対照的な二人の戦いになりそうだった。
そして、最後の一組――名を見た瞬間、試験官の一人が、わずかに顔を歪めた。
エルナ・シルヴィスと、カイル・ウェールン。
その組み合わせに、会場の空気が微かにざわついた。
エルナは、この試験において、極めて異例の術者だった。攻撃魔法を一切持たず、防御と回復に特化した術式のみで、ここまで勝ち上がってきている。
上級試験の場において、これほど純粋な非攻撃型の術者が最終段階まで残った例は、過去にほとんどなかった。
(――攻撃手段のない者が、一対一の一発勝負)
誰もが、その不利を察していた。攻撃を持たない者が、時間内に相手を戦闘不能に追い込むことは、原理的に不可能に近い。
つまり、エルナに与えられた選択肢は、三十分間、ひたすら防御に徹し続けることだけだった。
そして、その相手が、よりにもよってカイルだった。
今回の受験者の中でも、最大の実力者と目される男。炎と雷を自在に操る圧倒的な攻撃力の持ち主。
カイルの性格を知る者なら、誰もが察していた。相手が誰であろうと、手を抜くという選択肢は、彼の中に存在しない。
(――三十分間、あの猛攻を、防御だけで凌ぎきる)
想像するだけで、過酷な戦いになることは目に見えていた。試験官が顔を歪めたのも、無理はなかった。
その空気を破ったのは、当のカイルだった。
「――試験官殿。一つ、提案があります」
カイルが、珍しく真剣な顔で前に出た。
「三十分間、俺が本気で攻め続けたら……正直、エルナを殺しかねません」
その言葉に、周囲が静まり返った。
「だから、試験時間を十五分に短縮させてもらえませんか。その代わり、十五分後にエルナが立っていたら、俺の負けということでいい」
あまりに異例な申し出だった。試験官たちが顔を見合わせる。
言われた当のエルナは、しばらく黙っていた。
(――侮られている、というわけじゃない)
それはわかっていた。カイルの提案は、明らかに彼女の身を案じてのものだ。だが、それが試験として正当なものなのか、自分では判断がつかなかった。合格を目指す身として、こうした特別扱いを受け入れていいものかどうか。
その迷いを断ち切るように、隣に立っていたソニアが、静かに口を開いた。
「――三十分は、無茶よ」
感情の読めない、淡々とした声だった。だが、その一言には、確かな重みがあった。
「エルナの術式は、防御に極振りしている分、長時間の維持には向いていない。カイルの言う通り三十分ぶっ通しで受け続ければ、術式が保たない可能性がある」
ソニアの指摘は、冷静な分析に基づいたものだった。エルナは、その言葉に小さく頷いた。
「――前例のない話だが」試験官の一人が、低く呟いた。「言っていることの筋は、通っている」
試験官たちは、しばらくの間、小声で協議を交わした。周囲の受験者たちは、固唾を呑んでその様子を見守った。
やがて、試験官が結論を告げた。
「――カイルの提案を、了承する。エルナとカイルの試合のみ試験時間を十五分とし、その時間エルナが戦闘継続可能な状態であれば、カイルの敗北とする」
その言葉に、エルナは深く頭を下げた。
「――ありがとう、ございます」
「礼はいらねぇよ」カイルは軽く笑いながら、肩をすくめた。「その代わり、手加減はしないからな。覚悟しとけ」
「――はい」
エルナの声は小さかったが、そこには確かな覚悟が滲んでいた。
最初の試合は、ミレイとソニアの組み合わせから始まった。
「――始め」
試験官の合図と共に、両者は互いに距離を取り、慎重に様子を窺った。
派手な動きの多いミレイにしては珍しく、開始直後はじっと相手の出方を見ている。ソニアもまた表情一つ変えずに、静かな佇まいを崩さなかった。
(――嫌な感じ)
ミレイは、その静けさに違和感を覚えていた。攻撃を仕掛けてこない相手ほど、何を仕込んでいるかわからない。
その予感は、すぐに的中した。
「――神経、乱れよ」
ソニアの静かな詠唱と共に、目に見えない攪乱の術式がミレイの感覚を襲った。一瞬視界が歪んだような、平衡感覚が狂うような、不快では済まない感覚がミレイを包む。
「――っ、なにこれ!?」
完全に無力化されたわけではなかったが、明らかに動きが鈍る。その隙を、ソニアは見逃さなかった。
「――氷結、乱撃」
周囲の空気そのものが、瞬時に凍りついた。水源など、どこにもない。にもかかわらず、無数の氷塊が、空間そのものから生まれ出るように形成され、ミレイ目掛けて殺到する。
(空間から、直接氷を作った……!?)
水を媒介にせず、空気中の水分を極限まで凝縮し、瞬時に固体化させる。神経魔法による感覚攪乱と組み合わせることで、相手に反応する猶予すら与えない、ソニアの得意な「型」だった。
乱撃を受けたミレイの肩や腕に、いくつもの氷片が突き刺さる。
「――ぐっ……!」
浅い傷が幾つも走ったが倒れるには至らない。それでも、その痛みと先ほどの攪乱の余韻が、ミレイの中で何かに火を点けた。
「頭に、来た――」
低い声で呟くと、ミレイの周囲に、これまでとは比較にならない密度の魔力が渦を巻き始めた。
「この前、アノリスと組んでた時と同じ組み立てじゃないの!」
指先の動きで極を置き、そしてそれを囲む動き――積分経路を描く。
そしてそれが閉合した次の瞬間だった。
「風はこう使うもの!」
訓練場全体を巻き込むほどの、広域風術式が展開された。得意の高速円形展開――だが、これまで見せてきたものよりも、遥かに規模が大きい。会場全体の空気そのものが唸りを上げ、竜巻に近い威力の風が、ソニアを中心に収束していく。
ソニアは咄嗟に氷の障壁を幾重にも展開したが、桁違いの風圧に、次々と砕かれていく。
「――あ、っ……いやあぁぁ……!」
防御が間に合わず、ソニアの身体が浮き上がり、やがて地面に叩きつけられた。
これまで一度も崩れなかった声が、初めて形を失っていた。
観客席から、シェリルが小さく息を呑んだ。
ミレイの展開した風の軌道を、シェリルは目で追っていた。ただ力任せに広げているわけではない。風速の分布、渦の中心からの距離に応じた強度の減衰――そこには、明確な規則性があった。何より複素関数の周回積分から展開している美しい動き。
(――算術ね。それも、かなり深いところまで)
だが、どこか癖がある。教わった手順をなぞる動きではない。自分で辿り着いた者だけが持つ、独特の省き方と回り道が混ざっている。誰にどう学んだのか、あるいは誰にも学ばなかったのか。
いずれにせよ、感覚だけで到達できる精度ではなかった。シェリルは静かに、その動きに感心していた。
「そこまで!」
試験官の声が響いた。ソニアは地面に片膝をついたまま、それ以上立ち上がれずにいた。
「――ミレイの、勝ち」
その宣告に、ミレイは肩で息をしながらも、にっと笑った。
「――やるじゃん、あんた」
とはミレイも言ったものの、ソニアは無言のまま悔しそうに視線を落とした。三十分という試験時間が用意されていたにもかかわらず、決着はあっけないほど早くついた。実力差は、僅かなどではなかった。むしろはっきりとした差を、ソニア自身が一番強く感じ取っていた。
(力不足、だったか)
その事実を、静かに噛み締めるしかなかった。
観客席の隅で、その一部始終を見ていたエインは特に表情を変えることもなく、黙って席を立った。試験結果に興味がないのか、あるいは既に他のことで頭がいっぱいなのか、その背中からは何も読み取れなかった。誰にも声をかけることなく、エインはそのまま静かに試験場を後にした。




