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エーテラリスの薫風 第二部 穢れた極星  作者: 裸単騎大佐
第二章 上級術師の矜持
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五 それぞれの勤め

 実地試験の結果は、翌日の午後には出揃っていた。

 アノリスの名前は、無事に最終選考の枠に残っていた。ミレイ、カイル、トーマ、エルナ、そしてソニアの名前もある。最終試験は、そこから四日後に行われることが決まっていた。


 その四日のうち、アノリスは一日だけ、月華亭に顔を出すと決めていた。

 控室で、久しぶりに衣装に袖を通す。何着かドレスは持っていたが、勝負の時は、自分が一番好きな色である緑を着ると決めていた。

「――あら、いい顔してるじゃない」

 控室に顔を出したセレナが、アノリスの姿を見て目を細めた。

「最終試験に残ったんだって?」

「え、なんでもう知ってるの」

「情報が早いのが、この店の取り柄よ」セレナは軽く笑った。「――ここまで来たら、上級合格、間違いなしね。この店も、箔が付くわ」

「――プレッシャーかけないでよ」

 アノリスは苦笑しながら、最後に髪を整えた。


 本日も、月華亭は通常通りの営業が始まった。

 この店で働く女たちを、月女(つくめ)と呼ぶ。誰が言い出したのかは分からないが、少なくともアノリスが来る前からそう呼ばれていた。

 その月女の中でも、三人だけが別格とされている。エヴァ、ミラ、リア。この三人のいずれかを指名することが、この街での一つのステータスとされていた。

 今日はエヴァの出勤日ではないらしい。月華亭で最高級とされる女――高級官僚、要人、あるいは相応の資産家でなければ、彼女と過ごす夜を買うことはできない。出勤日は少ないが、その日に現れると、店全体の空気が一段と華やぐ。


 そして今日は、ミラに予約が入っていた。

 控室に集まった他の女たちの視線が、心なしか鋭くなる。店の内側での競争は、表からは見えない分、静かで、それでいて激しかった。

 ミラ・セルヴィは、アノリスと同じ年頃だった。だが、店のトップ三人の一角を張るだけあって、その存在感は一際煌びやかだった。見た目こそ、少女のように小柄で愛らしい。だが纏うドレスは、肌の露出を大胆に見せる作りで、その対比が男たちの目を強く惹きつけていた。

 予約の時間になり、玄関先で、アノリスは案内役として立った。

「――エイン・ドルッセ様ですね。お待ちしておりました」

 アノリスは丁寧に一礼した。この所作も、随分と板についてきた自覚があった。

「――ああ、世話になる」

 現れたのは、恰幅の良い、身なりのやや過剰な男だった。ドルッセ、という姓に聞き覚えがないでもなかったが、気に留めるほどのことでもない。


 ミラのもとへと案内する。刺激的な装いのミラが優雅に一礼すると、エインは酒を口にすることさえなく、あっという間に奥へと吸い込まれるように消えていった。

 扉が閉まるのを見送りながら、アノリスはふと首を傾げた。

(――ドルッセ、って、確かどこかで……)

 試験の合格発表で見た名簿の中に、似たような姓があった気がする。だが、すぐにその考えを振り払った。

(――まあ、ここで気にすることじゃないか)

 アノリスはそう思い直し、次の客の案内へと足を向けた。この店では、客の素性を詮索しないことが、暗黙の礼儀だった。



 その頃、騎士団の訓練場では、リーヴィン中央方面隊の戦闘訓練が行われていた。

 ラフィスが将軍として着任してから初めての、大規模な訓練だった。ラフィスは隊列を眺めながら、静かに声を張った。

「――希望する者は、前へ」

 その一言に、団員たちの間にざわめきが走った。将軍自ら稽古をつける、という話は既に噂として広まっていたが、実際にその機会が訪れるとなると勇気を出せる者は限られる。


 それでも、数人の団員が意を決したように前に進み出た。

「――よし。一人ずつ、かかってこい」


 ラフィスは腰のノクティセカを鞘ごと外し、稽古場の脇に立てかけた。代わりに手に取ったのは、備え付けの木剣だった。

 刃引きした剣ですら、稽古で使うつもりはない。指導のために部下を傷つけては本末転倒だ。

 握ってみると、当然ながら重心がまるで違う。柄は短く、反りもない。だが、それでいい。勝手の違う得物で相手をする方が、こちらの鍛錬にもなる。


 最初の団員が、槍を構えて踏み込んでくる。ラフィスはそれを難なく受け流し、木剣で軽く肩口を打った。

「――踏み込みが浅い。もっと重心を落とせ」

「はっ……! ありがとうございます!」


 厳しい言葉の端々に、確かな配慮が滲んでいた。ただ叩きのめすのではなく、一つ一つの動きに指摘を加えていく。二人目、三人目と、次々に前へ出てくる団員たちを、ラフィスは丁寧にいなしながら、その都度短い助言を返していった。

 四人目の団員は、いくらか自信のある構えを見せた。

「――参ります!」

 真っ向からの斬り込み。だが、間合いに入るその瞬間、団員は右手に隠し持っていた小さな砂の包みを、こちらの視界目掛けて振り撒いた。

(――なるほど、そう来るか)

 実戦を想定するなら、有効な手ではあった。目潰しは、決して卑怯とだけ切り捨てられるものではない。だが、ラフィスの動きに、一切の乱れはなかった。砂が舞い上がるより早く、身体は既に半歩横へと逸れている。


「――甘い」

 短くそう告げると、流れるような一動作で、団員の得物を弾き飛ばした。

「――くっ……」

「目に頼らず、気配で捉える。悪くない発想だが、実行するにはお前の速度が足りない」

 団員は悔しそうに膝をついたが、ラフィスの声に嘲りの色はなかった。むしろ、その工夫自体は評価しているような、淡々とした口調だった。


 五人目は、正面からの一撃と見せかけて、間合いに入った瞬間に足払いを仕掛けてきた。地面すれすれの一撃は、正攻法では防ぎにくい部類の技だった。

 だが、ラフィスは軽く跳躍してそれを躱すと、着地と同時に、木剣でその者の肩を打ち据えた。

「――なかなかいい発想だ。だが、跳ばれた後の二の手がない」

「――申し訳ありません!」

「謝る必要はない。次に繋げろ」

 中には、明らかに定石を外れた搦(から)め手ばかりを仕掛けてくる者もいた。だが、ラフィスはそのどれに対しても、動揺一つ見せなかった。搦め手そのものを咎めることもなく、ただ淡々と、その手の甘さや、次善策の欠如を指摘していく。実戦を知る者らしい、公平な評価だった。


 次々と挑んでは弾かれる団員たちの姿に、周囲で見ていた者たちの間にも、次第に熱気が広がっていった。

 そこへ、稽古の様子を見に来たバレンツが姿を現した。

「――おう、精が出るな」

 声をかけながら、ふと手元に目をやる。

「――木剣か。感心だな、部下相手に真剣を抜くような真似はしないと」

「当然です」

「それでこれだけ捌けるなら、大したもんだ」

 バレンツは満足そうに頷いてから、何気なく視線を横へ流した。稽古場の脇に、見慣れない一振りが立てかけてある。

 そこで、言葉が止まった。

「――は? お前、そんな珍しいもん持ってたのか?」

 バレンツはそれに歩み寄り、まじまじと見つめた。鞘に収まったままでも分かる、異国の刃特有の流麗な曲線。これまで見たどの得物とも違う気配を纏った一振りに、思わず目を奪われたらしい。

「――武器商人から譲り受けました」

「譲り受けたって……お前、これ相当な値が張っただろう」

「事実、そうでした」

 ラフィスは短く答えると、次の団員へと向き直った。バレンツはしばらく、その一挙手一投足に見入っていた。斬るというより、流れるような身のこなし。得物が木剣に変わってなお、搦め手を仕掛けてくる相手にすら一切動じることなく捌き続けるその姿には、何度見ても見飽きない、独特の凄みがあった。


「――噂には聞いていたが、実物は聞いていた以上だな」

 バレンツは腕を組みながら、感心したように呟いた。将軍として、そして一人の剣士としてラフィスは既に、この団の誰もが認める存在になりつつあった。

 尤も、それを妬んでいる者も居たようだが。

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